大判例

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札幌地方裁判所 平成元年(ワ)211号 判決 1999年5月28日

原告

居内民治

外四四五名

右原告ら訴訟代理人弁護士

三津橋彬

浅井俊雄

浅水正

粟生猛

岩本勝彦

石川和弘

猪狩康代

猪狩久一

大賀浩一

池田茂徳

石黒敏洋

石田明義

市川守弘

伊藤誠一

相原わかば

伊東秀子

上田文雄

内田信也

越後雅裕

太田賢二

奥泉尚洋

尾崎定幸

尾崎祐一

尾﨑英雄

小田勝

大久保誠

川村俊紀

亀田成春

郷路征記

川上有

小坂祥司

斉田顯彰

斎藤正道

齋藤道俊

坂本彰

笹森学

佐藤哲之

佐藤太勝

佐藤博文

佐藤允

品川吉正

末神裕昭

関口正雄

武部悟

高崎暢

高崎裕子

髙嶋智

田中貴文

田中宏

田村智幸

千葉悟

中村仁

中山博之

長田正寛

長野順一

名倉一誠

新田正弘

新川生馬

野田信彦

馬場政道

肘井博行

廣谷睦男

藤本明

本城孝一

舛田雅彦

松浦正典

松村亮哉

三木正俊

三浦桂子

村松弘康

村岡啓一

矢野修

山崎俊彦

山中善夫

山本行雄

吉川正也

吉原美智世

米屋佳史

渡辺達生

向井諭

竹之内洋人

猪野享

小野寺利孝

山下登司夫

鹿又喜治

長谷川寿一

友光健七

馬奈木昭雄

小宮学

稲村晴夫

江上武幸

被告

右代表者法務大臣

陣内孝雄

右訴訟代理人弁護士

斎藤祐三

右指定代理人

大久保隆志

外二九名

被告

三井鉱山株式会社

右代表者代表取締役

西野脩司

被告

三井石炭鉱業株式会社

右代表者代表取締役

久保實

右被告両名訴訟代理人弁護士

松崎正躬

平岩新吾

田中正人

右田中正人訴訟復代理人弁護士

廣政純一郎

主文

一  被告三井鉱山株式会社及び被告三井石炭鉱業株式会社は、別紙「請求及び判断一覧表」の「原告」欄記載の各原告のうち、「結論」欄に「一部認容」と記載された各原告(以下「認容原告」という。)に対し、「請求が認容された被告」欄の記載に応じ、単独又は各自において「認容額」欄記載の金員及び内金である「認容慰謝料」欄記載の金員に対する「遅延損害金起算日」欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの右被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、①主文第一項の認容原告らのうち被告三井鉱山株式会社に対してのみ勝訴した原告らに生じた費用はこれを一〇分し、その七を右原告らの負担とし、その余を右被告の負担とし、②主文第一項の認容原告らのうち被告三井石炭鉱業株式会社に対してのみ勝訴した原告らに生じた費用はこれを一〇分し、その七を右原告らの負担とし、その余を右被告の負担とし、③主文第一項の認容原告らのうち被告三井鉱山株式会社及び被告三井石炭鉱業株式会社に対して勝訴した原告らに生じた費用はこれを一〇分し、その七を右原告らの負担とし、その余を右被告らの負担とし、④その余の原告らに生じた費用は全部右原告らの負担とし、⑤被告三井鉱山株式会社に生じた費用はこれを二分し、その一を右被告の負担とし、その余を右被告を被告とする原告らの負担とし、⑥被告三井石炭鉱業株式会社に生じた費用はこれを二分し、その一を右被告の負担とし、その余を右被告を被告とする原告らの負担とし、⑦被告国に生じた費用は全部原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一章  請求

一  被告三井鉱山株式会社及び被告三井石炭鉱業株式会社は、別紙「請求及び判断一覧表」の「原告」欄記載の各原告のうち、「請求対象の被告」欄に当該被告の記載がある者に対し、単独又は各自において、各原告に対応する「請求総額」欄記載の金員及び内金である「慰謝料」欄記載の金員に対する訴状送達の日の翌日(各原告ごとに右別紙末尾の「遅延損害金起算日一覧表」の対応する欄記載の日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告国は、原告らに対し、別紙「請求及び判断一覧表」の各原告に対応する「請求総額」欄記載の金員及び内金である「慰謝料」欄記載の金員に対する訴状送達の日の翌日(各原告ごとに右別紙末尾の「遅延損害金起算日一覧表」の対応する欄記載の日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二章  事案の概要

本件は、①被告三井鉱山株式会社又は同三井石炭鉱業株式会社が操業していた炭鉱において、右被告ら又は右被告らの下請企業等との雇用契約に基づいて、各種粉じん作業に就労し、じん肺に罹患した者又はその相続人が原告となって、右被告らに対し、その安全配慮義務の不履行を理由として、じん肺罹患による精神的苦痛に対する慰謝料等及び遅延損害金の支払を請求し、②右原告らに加え、右以外の炭鉱(主として北海道炭礦汽船株式会社の炭鉱)において就労し各種粉じん作業によりじん肺に罹患した者又はその相続人が、被告国に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条に基づく責任(直接の加害責任及び規制監督権限の不行使)を理由として、慰謝料等及び遅延損害金の支払を請求した事案である。

なお、本件訴訟は、訴訟の提起時において、三菱マテリアル株式会社(以下「三菱マテリアル」という。)、住友石炭鉱業株式会社(以下「住友石炭」という。)、三井建設株式会社及び北海道炭礦汽船株式会社(なお、被告三井鉱山株式会社び同三井石炭鉱業株式会社を含め、これらの企業を総称して「被告企業」という。)に対する訴えを含むものであったが、三菱マテリアルに対する請求については平成九年四月二八日に、三井建設株式会社に対する請求については平成九年一二月一八日に、住友石炭に対する請求については平成一〇年七月二二日に、それぞれ訴訟上の和解が成立した。

また、北海道炭礦汽船株式会社に対する請求については、同社につき平成七年六月二二日に会社更生手続開始決定がなされたところ、更生計画認可の決定が確定し、同社との間の訴訟は終了した。

第一  当事者

一  原告ら

原告らは、別紙「在籍一覧表(1)」及び「在籍一覧表(2)」の「元従業員名」欄記載の者(以下「原告ら元従業員」という。)について、それぞれ「被告企業」欄記載の企業が操業していた「鉱業所」欄記載の炭鉱において、「下請」欄に「直轄」と記載された者については当該被告企業との直接の雇用関係に基づき、同欄に右記載以外の企業名の記載がある者については当該企業との雇用関係に基づき、「始期」欄から「終期」欄記載の期間、「職種」欄記載の作業に従事していたと主張する。

このうち、「在籍一覧表(1)」は、被告三井鉱山株式会社(以下「被告三井鉱山」という。)及び被告三井石炭鉱業株式会社(以下「被告三井石炭」といい、合わせて「被告三井ら」ということがある。)を被告とする原告ら元従業員に関するものであるところ、原告ら元従業員の被告三井らの炭鉱における就労に関しては、「当該被告企業の認否」欄において認めると記載された部分につき、当該被告企業との間で争いがない。

二  被告企業

(争いがない事実のほか、文中掲記の証拠及び弁論の全趣旨による。)

1 被告三井鉱山株式会社、同三井石炭鉱業株式会社

被告三井鉱山は、鉱業、採石業等を目的とする会社である。被告三井鉱山は、明治四四年一一月一六日に設立され、三井合名会社から三池炭鉱、田川炭鉱、山野炭鉱等を引き継ぎ、鉱山業を主体として多くの事業を展開していたが、戦後は、企業分割により、昭和二五年五月一日、専ら石炭鉱業を目的とする会社となった。その後、被告三井鉱山は、昭和四八年八月に被告三井石炭を設立して、同年九月三〇日、石炭生産部門(三池炭鉱、砂川炭鉱及び芦別炭鉱)を分離して営業譲渡し、現在では、燃料、建材の販売及びセメント、コークスの製造販売等を主たる業務としている。他方、被告三井石炭は、昭和四八年一〇月一日から、右石炭生産部門の業務を開始した。

被告三井らが北海道において操業していた炭鉱のうち、原告ら元従業員が就労していたものとして、砂川炭鉱、美唄炭鉱及び芦別炭鉱がある。

2 三井建設株式会社

三井建設株式会社(以下「三井建設」という。)は、土木、建築等の工事の請負及び設計監理等を目的とする会社である。三井建設は、昭和一六年に設立され、昭和二七年に現在の社名となった。三井建設は、被告三井らが操業していた砂川炭鉱においては昭和三六年ころから、同芦別炭鉱においては昭和三〇年ころから、岩石掘進作業の大部分を請け負っており、原告ら元従業員の中には、同社において就労していた者がいる。

3 北海道炭礦汽船株式会社

北海道炭礦汽船株式会社(以下「北炭」という。)は、明治二二年一一月に北海道炭礦鉄道会社として設立され、被告国から幌内炭山及び付属鉄道の払下げを受けて営業を開始し、明治三九年、鉄道国有法により鉄道事業が政府買上げとなったことに伴い、社名を変更し現在の名称となった。その後、北炭は次次と炭鉱を開発し、昭和一〇年代前後には鉱業所制をとり、夕張、空知、幌内、手塩、平和、新幌内の各鉱業所を設けた。北炭は、昭和三〇年代に、万字、美流渡、空知、赤間などの各礦を分離してそれぞれ子会社を設立した。さらに、昭和五三年七月には、北炭夕張炭鉱株式会社、北炭真谷地炭鉱株式会社、北炭幌内炭鉱株式会社を生産子会社として設立し、同年一〇月、所有炭鉱を営業譲渡し、北炭は、全体の統括機能とともに、子会社の産出炭の受託販売と炭鉱機材の受託購入を主たる業務とするに至った。

北炭が操業していた炭鉱のうち、原告ら元従業員が就労していたものとして、夕張鉱業所の夕張第一ないし第三礦及び清水沢礦、平和鉱業所の平和礦及び真谷地礦、幌内鉱業所の幌内礦、新幌内礦、万字礦及び美流渡礦、空知鉱業所の空知礦、赤間礦及び神威礦等がある。

三  被告国

被告国が、石炭鉱山におけるじん肺に関してなした各種施策の根拠となる主要な法令等は以下のとおりである。

1 鉱山保安行政に関する法令

被告国は、石炭鉱山に対する鉱山保安行政につき、昭和二四年までは旧鉱業法(明治三八年制定)及び鉱業警察規則に基づいて実施し、戦後、昭和二四年に鉱山保安法が制定された後は、同法及び同法三〇条に基づき定められた省令である石炭鉱山保安規則(以下「炭則」という。)に基づいて実施した。

2 労働安全衛生行政に関する法令

被告国は、石炭鉱山に対する労働安全衛生行政につき、昭和二二年までは鉱夫扶助規則により実施し、戦後、昭和二二年に労働基準法(以下「労基法」という。)が制定された後は、同法及び労働安全衛生規則(以下「旧労安則」という。)によりこれを実施し、さらに昭和四七年に労働安全衛生法(以下「労安法」という。)が制定された後は、同法に基づき実施した。

3 けい肺又はじん肺に関する特別法等

被告国は、粉じんに暴露する作業場で就労し、けい肺又はじん肺に罹患する可能性のある者についての健康管理措置等について、以下の法令等を順次定め、これらに基づいて、けい肺又はじん肺に罹患していると認められる者について、管理区分等の一定の行政上の決定をなし、各種措置を実施した。

① 「珪肺措置要綱」(労働省昭和二四年八月四日基発第八一二号及び昭和二六年一二月一五日基発第八二六号)(乙A八〇)

② けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法(昭和三〇年法律第九一号、昭和三〇年九月一日施行。以下「けい肺等特別保護法」という。)

③ じん肺法(昭和三五年法律第三〇号、昭和三五年四月一日施行。以下「旧じん肺法]という。)(乙A七八)

④ 労働安全衛生法及びじん肺法の一部を改正する法律(昭和五二年法律第七六号)によって改正されたじん肺法(昭和五三年三月三一日施行。以下「改正じん肺法」という。)(乙A七九)

第二  石炭鉱山における各種作業の概要

証拠(甲三〇〇ないし三〇三、乙X三〇一ないし三〇二、三〇七、乙BC四四、四五、乙A五三、検証の結果、証人安部、証人吉田のほか、文中で指摘したもの。)に弁論の全趣旨と争いのない事実(原告ら準備書面一及び被告企業の平成二年三月三〇日付け準備書面)を総合すれば、以下の事実が認められる。

一  坑内構造

石炭は、古い地質時代に繁茂していた植物が、水中又は土中で空気に触れることなく、長い年月の間、地下深く埋没し、高い地圧と地熱、火山作用等による自然の炭化作用を受け生成されたものである。地下の石炭は、地層が何枚も重なっている堆積岩中の一つの地層を形成しているところ、石炭層を含むこれらの地層群は挟炭層と呼ばれ、挟炭層には一般に多数の炭層が存在することから、一つの炭鉱では数枚から一〇枚以上の炭層を採掘する場合が多い。

地下の炭層を採掘する方法には、地表近くの炭層の表土を剥いで炭層を採掘する「露天採掘」と、適当な地表に坑口を選定しそこから各種坑道を掘削して炭層を採掘する「坑内採掘」がある。

「坑内採掘」において地下に設けられる坑道群は「坑内構造」と称され、坑内構造は、坑口から採掘区域に至るまでの「基幹構造」と採炭切羽を中心とした採掘区域の「区画構造」とに分類される。

基幹構造を構成する幹線坑道は「主要坑道」と呼ばれ、運搬、通行、通気、給排水、動力源の供給等を行う主要な経路として、大きな断面で掘削され、長期間にわたり使用される。また、一般に、主要坑道は相近接する二本の坑道で掘削され、一つは坑外からの空気を供給する入気坑道(本坑道、本卸、下風坑)として、他の一つは坑内で発生する可燃性ガス等や高温湿潤となった空気を排出する排気坑道(連坑道、連卸、上風坑)として使用される。

他方、採掘区域では、適用される採炭の方法に従い、必要に応じて各種の坑道が掘削される。採炭切羽を作るために、「肩」(傾斜した炭層の浅い部分)及び「深」(深い部分)を炭層に沿って水平に掘削して開さくする坑道を「片盤坑道」と称し、採炭切羽の肩に掘進されるものを「上添坑道」、深に掘進されるものを「ゲート坑道」などという。また、片盤坑道と並行して、炭層より下又は上の岩盤内に坑道を掘削する方法をとる場合、これを盤下坑道又は盤上坑道といい、片盤坑道とは適宜な間隔により小立入坑道によって連絡される。

二  坑内作業の内容及びその時代的変遷

1 掘進作業

掘進作業は、坑道を掘削し、延長する作業である。岩盤内を掘進することを「岩石掘進」、炭層に沿って掘進することを「沿層掘進」と言うところ、初期の炭鉱では、沿層掘進が多く、主要坑道も主に炭層中に設けていたが、炭鉱の規模が大きくなるにつれて、岩盤中に主要坑道が掘進されるようになった。

掘進作業には、一般に、①岩盤に孔をうがつ「せん孔」、②右の孔に爆薬を装填して爆破する「発破」、③破砕された岩石(ズリ)及び石炭を運搬用の炭車等に積み込む「ズリ積み」と搬出、④天盤を支柱で保持する「枠入れ」の各工程がある。

明治中期以前は、ノミやセットウを利用した全くの手掘りによる掘進も行われたが、その後は、さく岩機によるせん孔と発破による掘進が行われるようになった。もっとも、一部の炭鉱の沿層掘進及び軟質の岩石掘進においては、発破を行わず、専らコールピックを使用するところもあった。

以下は発破による掘進作業における作業内容である。

(一) せん孔作業

せん孔とは、爆薬を装填するための穴をうがつ作業である。せん孔される孔の配列は、岩種及び坑道の断面を考慮して決められるが、その数は一般に数十である。

(1) 岩石掘進のせん孔

明治後期から、「衝撃式さく岩機」が使用されるようになった。衝撃式さく岩機とは、圧縮空気又は油圧でピストンに往復運動を与えて、ノミの頭を叩くことにより、刃先であるピットが岩盤を削り取りせん孔する機械である。炭鉱で使用されたさく岩機は、通常、小型のハンドハンマー(重量一〇ないし二五キログラム)であり、昭和二〇年代中ころまでは二人以上で操作していたが、その後、さく岩機を適当な位置で支持してせん孔作業中一定の押付力を与えるサポーターないしレッグが開発され、一人で操作できるようになった。また、ピットの直径は三〇ないし四〇ミリメートル、ロッドの長さは1.5メートル程度のものが多く使われた。

さく岩機によるせん孔により発生する繰り粉(削りくず)を排除する方法には、ノミの先から圧縮空気を噴出する方法と、水を噴出させる方法とがあり、前者は「乾式さく岩機」、後者は「湿式さく岩機」と呼ばれた(乙BC四四、四五)。

(2) 炭層及び軟質の岩盤のせん孔

大正末期から、「オーガー」が使用された。オーガーとは、電動、圧縮空気又は油圧により、スパイラル状に羽がついたノミを錐のように回転させてせん孔する機械である。炭鉱で使用されたオーガーは、手持式の小型オーガーであり、重量は五ないし一〇キログラム、ピット径四〇ミリメートル前後、ロッドの長さは1.5メートル前後であった(乙BC四三、乙E四〇)。

(二) 発破作業

せん孔作業でうがった孔に、雷管を取り付けた爆薬を装填し、込物を詰め込み、電気点火機により爆薬を起爆させ、岩盤又は炭層を破砕する作業である。

発破の効果は、岩盤や炭層の露出面(自由面)が多いほど大きいので、発破効率を高めるために、まず中心部の発破を行い(心抜発破)、順次周辺部を行うのが一般的であり、当初は数回の発破を行っていたが、その後、昭和初期ごろに「デジセコンド雷管」(一回の点火により、幾つかのグループごとに数秒から十分の数秒の間隔で次々と起爆できるもの)、昭和二〇年代中ころに「ミリセコンド雷管」(点火後千分の数十秒の間隔で次々と起爆するもの)が開発され、発破作業が一回で済むようになり、後者についてはガスに対しても安全性が比較的高いため、急速に普及した。

発破に際しては、爆薬の爆発力を外部に逃さないようにするために、爆薬を装填した後、込物が発破孔に詰められた。込物としては、戦前においては粘土、その後、砂が使用されたが、昭和三〇年代前半には、「水タンパー」(水をポリエチレン袋に詰め込んだもの)及び砂に水を含ませた「湿砂タンパー」が使用されるようになった。

(三) ズリ積み・搬出作業

発破により破砕された石炭やズリを、炭車等の運搬設備に積み込んで切羽から搬出する作業である。

掘進作業の中で最も労働力を要する作業であり、昭和二〇年代中ころ以降、各種の積込機械が導入された。炭鉱で使用された主な積込機には、①「手積みローダー」(移設可能な小型コンベアで、スコップですくい込まれたズリ等を炭車に積み込む簡単な機械。昭和一〇年代ころから使用されたが、本格的な積込機の普及により使用されなくなった。)、②「ロッカーショベル」(箱型のバケットによりズリ等をすくいこんで、直接又は中間コンベアを介して炭車に積み込む機械。)、③「ギャザリング・ローダー」(爪を持った掻き込み腕を動かすことにより、ズリ・石炭をコンベア上に掻き寄せ、コンベアによって後方に配した運搬装置に積み込むもの。)、④「サイドダンプ・ローダー」(キャタピラーによって自由に動きながら、大容量のバケットを油圧シリンダーで動かし積込みを行うもの。昭和三〇年代末に導入され、その後最も多く使用された。)等があった。

なお、昭和三〇年代から、可燃性ガスが少ないなどの使用条件に適応した炭鉱で、せん孔、発破及び積込作業を一台で行う機械(掘進機)が導入された。これには、「コンティニュアス・マイナー」、「ロードヘッダー」などの種類があり、掘進で生じたズリや石炭は、切羽と主要コンベアとの間を往復する「シャトルカー」により運搬された。

(四) 枠入れ作業

掘削した坑道の周壁は、放置すると自然に生じた割れ目が広がって崩落し、また、盤圧により坑道が狭小化するため、枠を入れ、これを防止する作業が必要であった。

坑道は、古くは台形に掘削されていたので、天井の部分を押さえる梁と側壁を押さえる脚とを坑木で組んだ「三つ枠」で枠入れが行われてきた。その後、昭和初期から、坑内の深部化に伴い、主要坑道には梁に鋼材が使用されるようになった。さらに、坑道が半円形に掘削されるようになり、梁、脚ともに鋼材が使用されるようになった。枠の間隔は地層条件、盤圧、坑道の目的等によって異なるが、一般に0.6ないし1.5メートルであった。

2 採炭作業

(一) 採炭方法と採炭作業

坑内採掘における採炭方法は、大別すれば、「残柱式」と「長壁式」に分けられる。「残柱式」(天盤を支えるために適当な間隔に石炭の柱を残しながら採掘する方法)は、明治初期から行われていたが、その後坑内の深部化に伴い、これを適用することが困難となった。そこで、大正末ころからは「長壁式」(一つの採炭区域に数十メートルから一〇〇メートル程度の長い面長の切羽(払)を設けて連続的に一方向に炭層を掘り進む方法)が普及した。

長壁式は、昭和二〇年代中ころ、払の天盤を支持し作業空間を確保するために「鉄柱・カッペ」(天盤を支える鉄梁としてのカッペと、これを支える伸縮自在の鉄柱)を利用する方法が導入されてから、代表的な採炭法として現在に至っている。長壁式の採炭方法には、「前進式」(採炭区域の手前から奥に向かって払を進める方法)、「後退式」(採炭区域の奥まで払の肩・深坑道の掘進を完了させた後、奥から手前に向かって払を進める方法)及びこれらを組み合わせた方法がある。

また、炭層の厚さが四メートル以上あり、一回の採炭では掘り取ることができない場合は、「分層採炭」を行い、数段の層に分けて一段ずつ採炭することがある。また、炭層の傾斜が急な場所では、作業効率を高めるため、切羽面に階段状の欠口を多数設けて偽傾斜を作る「欠口採炭」が行われた。

採炭作業は、右の各採炭方法において必ずしも同一ではないが、一般に、①炭層を切り崩す「炭切り」、②これを払の外まで搬出する「切羽内積込み・運搬」、③払の天盤を支える「支保」、④採炭跡の処理の各工程がある。

(二) 炭切り作業(乙X四五、四六)

炭層を切り崩す炭切り作業は、技術の進展とともに種々の機械化がなされたが、各炭鉱における炭層の状況によっても、採用される方法が異なった。

(1) 手掘り採炭

人力により、ツルハシ等の道具を利用して炭層を掘り崩し石炭を採掘する方法である。炭層の下部を、ツルハシで掘削し(これを「スカシ」という。)、上部を崩落しやすくしてから採掘した。最も古くから行われている方法であり、長壁式が発達してからも、これによる坑もあった。

(2) ピック採炭

コールピック(圧縮空気により作動するピックで炭壁を打撃し石炭を崩す機械)を使用するものであり、昭和初期に導入された。この採炭法は、ガスが多く発破が行えない炭鉱において採用されたほか、コールピック自体は他の採炭方法をとるときにも併用された。

(3) 発破採炭

炭壁をオーガーでせん孔し、孔に爆薬を装填して、その爆発力により石炭を崩壊させる方法である。ピック採炭を行っていた炭鉱でも、炭層が硬いためあるいは岩層が混じっているためにピック採炭が困難なときに行われた。

この方法の一つとして、炭層の厚さが五メートル程度の場合、炭層上方に向けてオーガーでせん孔して発破を行い、炭層を一度に崩壊させて採炭する「SRS方式」を採用した炭鉱もあった(乙BC三二)。

(4) カッター採炭

「コールカッター」を払面に沿って走行させ、炭壁に深さ約1.2メートル前後のスカシ切りを行った後、炭層を掘り取る方法である。

昭和初期において、チェーンソーの原理を応用した「ジブカッター」が使われたが、一部の炭鉱でしか普及しなかった。その後、昭和二〇年代後半に、切羽内運搬機械として「パンツァーコンベア」(鉄製平型チェーンコンベア)を併用した鉄柱・カッペ採炭方式が導入されるとともに、この採炭方法は急速に普及した。

(5) ホーベル採炭

ホーベルとは、パンツァーコンベアでその機体を炭壁面に押し付けながら、毎分二〇メートル程度の速度で往復走行させ、鉋で炭壁を厚さ三ないし一〇センチメートル切削すると同時に積み込む機械であり、昭和三〇年代前半から導入された。比較的柔らかい炭層に適しており、発破をほとんど必要としない方法であった。

(6) ドラムカッター採炭

ドラムカッターとは、パンツァーコンベア上に、周囲に多数の刃先を植え付けたドラムを動かし、炭壁を0.6メートル前後の深さで切削し、かつ積み込む機械であり、昭和三〇年代前半から導入された。ドラムを支持するアームが可動式のもの、ドラムが機体前後に取り付けられた機種も開発され、主として緩傾斜層で普及した。

(7) 水力採炭

ホースのノズルから高圧水を噴射し、炭壁面を破砕する方法である。破砕された石炭は水とともにトラフ(樋)内を流れ、坑内の設備で脱水され、坑外に搬出される(乙BC一〇の1、三二、三五、四六)。昭和三〇年代後半から自然条件の適した幾つかの炭鉱で採用された。

(三) 切羽内積込み・運搬

炭壁から切り崩された石炭を切羽内で積み込み、払外まで搬出する作業である。

初期の残柱式採炭では、人力で石炭をかき集め、籠に入れて担ぐ・箱に入れて引きずる等の方法で炭車まで運び、そこで移し替えていた。

長壁式においては、大正中期より、傾斜に沿って樋を敷設し、そこにスコップ等で石炭をすくい入れ、水流等で搬出する方法がとられた。その後、昭和初期になると、V型チェーンコンベア及びベルトコンベアが導入され、普及した。

昭和二〇年代中ころ、鉄柱・カッペ採炭方式とともに「パンツァーコンベア」が導入された。このコンベアは、炭壁面に接着する低い位置に設置できたので、積込みの作業を著しく軽減した。さらに、ホーベルないしドラムカッターの導入後は、これらの機械によって積込作業の主要な部分の人力の負担が軽減された。

他方、炭層が急傾斜の場所では、切羽にトラフ(樋)を設置し、重力により石炭を深側の坑道まで滑らせる方法が行われた。

(四) 支保

炭層を掘り取った跡の空間で作業するため、払において枠(支保)を入れて一時的に天盤を支える作業である。

支保は、古くは、三本の坑木を門型に組み合わせた三つ枠等により行われていた。その後、昭和二〇年代中ころから、「鉄柱・カッペ」が導入され、これを利用すると炭壁に近接して更に支柱を設けることなしに採炭ができるという利点があったことから(甲九五)、急傾斜層を除き広く普及した。

さらに、昭和三〇年代中ころには、油圧及び水圧で作動する鉄柱が導入された。

昭和三〇年代末ころになると、カッペ部と鉄柱部を機械的に組み合わせ、更に切羽コンベアと連結させ、支保の立柱・抜柱・移設及びコンベアの移設等の一連の作業を水圧で行う「自走支保」が開発された。自走支保は、その設置と撤収に多大な労力と日数を要するため、自然条件の変動の少ない広大な採掘区域で使用された。

(五) 採炭跡の充填

炭層を掘り取った跡の空間には支保が実施されるが、払の前進に伴い後方の支保は回収されるところ、その部分に生じた空洞については、これを充填する等の何らかの処理が必要となる。

長壁式において鉄柱・カッペが普及する昭和二〇年代後半までは、払面と直角方向に一定の間隔で天盤まで達する充填壁を築く「帯状充填」が行われ、充填材料としては切羽において発生した上下天盤のズリ等が使用された。鉄柱・カッペの普及後は、採掘跡坑道の天盤を自然崩壊にまかせる「総ばらし」が採用された。

もっとも、急傾斜層においては、一般に「全充填」が行われ、その充填材料としては、掘進・仕繰り作業で生じたズリや選炭ズリが用いられた。この場合、傾斜を利用して樋を使って人力でズリを流し込む方法が一般であった。

3 仕繰り

炭鉱の坑道は脆弱な堆積岩内に設けられるので、一般に採掘の影響による盤圧の変化を受けやすく、また、断層・褶曲等の地殻変動や水の影響も大きい。したがって、坑道の周壁が膨張したり、割れ目が大きくなったり、枠が変形・破損することがある。

このような状態となった坑道につき、コールピックやツルハシを用いて、天盤を切り上げる、側壁を切り広める、下盤を掘り取る等の補修を行うのが、仕繰り作業である。また、通気・運搬目的のために坑道の断面を拡大したり、コンクリート巻き等に支保を強化することも仕繰り作業に含まれる。

取り除かれたズリ及び石炭は、スコップ等で炭車やコンベアに積み込まれて運搬される。

4 運搬

各切羽で掘採された石炭、ズリ等を坑口まで搬出する作業、あるいは坑口より必要な資材等を坑内の各作業場まで搬入する作業である。主として炭車又はコンベアが使われるが、運搬設備は炭鉱により千差万別であった。

水平坑道においては、かつては炭車を人力で手押しするか、馬に引かせていたが、大正初期から、ロープを炭車の列の先頭と最後尾に取り付けて往復運動させる「メーンテール・ロープ運搬」が行われるようになり、広く普及した。また、大正後期からは、一部の大型炭鉱において、機関車(蓄電池式電車)が導入された。さらに、昭和初期には、片盤においてベルトコンベアが使用されるようになり、急速に普及した。昭和三〇年代中ころ以降は、一台で一ないし三キロメートルの長さのベルトコンベアが導入されるようになった。

他方、斜坑においては、「コース巻運搬」(ケーブルカーのように巻上機により炭車を運搬する方法)が明治後期から使われてきた。また、より運搬能力を増強する目的で、ベルトコンベアによる運搬が昭和一〇年代以降一部の炭鉱で採用され、昭和三〇年代中ころ以降、採炭切羽からの水平長大コンベアと組み合わせて、坑外までの揚炭をすべてコンベアで行う方法を採用した炭鉱もあった。

さらに、立坑においては、「ケージ」(炭車ごと積み込むエレベーター)を使う方法と、「スキップ」(一〇トン前後の石炭を積み込む石炭専用の箱)を使う方法とがあった。

5 その他

①払内設備の設置、撤収作業、②坑道の撤収作業、③密閉作業、④各種設備の設置・維持作業、⑤機械・電気設備の設置・維持作業、⑥各種工作物の設置・維持作業、⑦ボーリング作業、⑧通気設備の設置・維持作業、⑨各種観測作業、⑩爆発伝播防止施設の設置・維持作業等がある。

三  職種、賃金及び作業時間等

1 職種と賃金

(一) 生産組織と保安機構

石炭企業は、一般に、職制として、本社及び各鉱業所に、生産部課と保安部課を置き、それぞれ、生産及びそれに伴う保安の遂行と、保安に関する監察とを担当させていた。また、各鉱業所には、坑内の一つの区域を担当する係長の下に、主任、係員を置き、坑内作業においては、係員が鉱員を指揮監督していた。

鉱員は、坑内員及び坑外員に大きく区分され、坑内員は、採炭、掘進、支柱、運搬、機械、工作、電工、充填、保安、測量などの職に区分された(乙D四)。このうち、掘進又は採炭を担当する者を直接員と呼び、それ以外の作業を担当する間接員と区別した。

なお、従業員の健康診断や配置転換については、労務部課が担当していた。

(二) 賃金

鉱員の賃金には、定額の日給制と請負制の二種類があった。

請負制の賃金の適用を受ける労働者(主として採炭員及び掘進員)については、労働組合の同意を得て標準作業量が設定され、その作業量を消化することが要請された。また、賃金には、固定部分のほか、出来高部分が設けられた。

2 作業時間等

石炭鉱山における作業は、一般に三交替制がとられ、坑口から切羽までの往復時間も含め、一日を八時間ずつに三分割し、作業員が交替した。

通常の岩石掘進作業においては、一つの切羽に四人ないし五人がとりつき、一つの作業サイクルで一ないし1.5メートル進行し、一方(一交替)において一サイクル前後の作業が行われた。

他方、採炭作業においては、炭層の状況と採炭方法とで大きく異なるものの、長壁式のピック採炭では、作業員が概ね五メートルに一人配置され、一方で、概ね一メートル二〇センチメートル程度前進あるいは後退して採炭していた。

第三章  主要な争点

第一  原告ら元従業員の被告企業の炭鉱における就労等

原告らは、被告企業の安全配慮義務を主張する前提として、それぞれ、原告ら元従業員と被告企業との直接の雇用関係の存在又は被告企業から坑内作業を請け負っていた会社等との雇用関係の存在等を主張する。このうち、被告三井らを被告とする原告らにつき、被告三井らとの間で争いがある者は、別紙「在籍一覧表(1)」の「当該被告企業の認否」欄記載のとおりである。

第二  被告企業の責任

一  原告らの主張(請求原因)

1 安全配慮義務の内容

労働契約関係においては、一般に、使用者は労働者に提供する作業環境等から生じる危険が労働者の生命及び健康等に及ぶことを未然に防止し労働者を保護する義務を負っており、特に、労働災害や職業病を発生させるおそれのある作業に従事させる場合は、その危険な地位から逃れられない労働者に対して、一層高度な安全保護義務があるというべきである。

(一) じん肺の知見と防じん対策

石炭鉱山においては、①坑道の岩石掘進及び仕繰り作業においては岩粉(岩石の粉じん)が、②沿層坑道の掘進作業、採炭作業、充填作業、坑内外の運搬作業においては岩粉と炭粉(石炭の粉じん)とが発生し、これらがじん肺の原因となっている。

鉱山労働において粉じんを吸引すれば、じん肺に罹患することは江戸時代から知られていたが、炭鉱において炭粉を吸入することでいわゆる炭肺が発生するとの指摘は明治二〇年代の文献に現れ、北海道の炭鉱については大正一〇年に行われた調査で炭鉱病の一つとして炭肺が発生しているとの指摘がなされており、被告企業らをはじめとする炭鉱企業は、大正期には炭鉱労働者が石炭粉じんによってじん肺に罹患することを予見していた。さらに、昭和初期になると、炭粉が肺に有害であることを指摘する論文が相次ぎ、石炭鉱山にじん肺が発生することは当時揺るがすことのできない知見となっていた。

また、じん肺の防止対策については、大正時代には、散水、湿式さく岩機の使用、マスクの着用、通気の改善などの基本的考え方が確立し、昭和初期においてはより具体的な対策が提言されるようになり、じん肺の防止対策に関する調査研究が石炭鉱業連合会が発行する月刊業界誌「石炭時報」や日本鉱山協会の資料に掲載されていた。

このように、遅くとも昭和一〇年代半ばまでには、今日においても通用するじん肺防止対策の基本が実施可能なものとして体系付けられていた。

(二) 安全配慮義務の内容

被告企業は、原告ら元従業員が就労していた当時、労務提供過程で発生する粉じんを長期間吸引すればじん肺に罹患すること及びじん肺が重篤な職業病であることを認識していた。したがって、被告企業は、じん肺の発生を未然に防止するため、また発生したじん肺患者に対してはその被害を最小限に抑えるため、以下のような対策を講ずるべき義務があったというべきである。

なお、本件における原告ら元従業員の被告企業における就労期間の始期は、それぞれ最も早い者についてみると、被告三井鉱山(直轄)については昭和一一年三月から、被告三井石炭については昭和四八年からであるところ、以下のような被告企業の安全配慮義務は、大正一二年ころから認められ、昭和一〇年ころには一層高度なものとなり、その後も知見と技術の進展に従い強化されるべきものであったというべきである。

(1) 防じん対策

① 各作業現場の適当な場所、作業工程において散水・噴霧すること

② さく岩機は湿式のものを導入し、これを湿式さく岩機として有効に利用できるように整備するとともに、作業員を指導監督すること

③ 発生した粉じんの吸入を防止するために防じんマスクを支給し、作業の際に着用するように指導監督すること

④ 発生した粉じんが作業現場に滞留することのないように適切な通気を確保すること

⑤ 発破を伴う作業においては発生した粉じんが除去され沈下するまで作業現場に入ることのないような作業方法を採ること

⑥ 岩粉散布をできるだけ避け、散布せざるを得ない場合においても、けい酸分の少ない岩粉を使用すること

⑦ 防じん、収じん技術の改善のため、調査研究を行うこと

(2) じん肺教育

じん肺の原因等の医学的知識、予防法、法規等について教育し、労働者にじん肺についての正確な知識を与え、じん肺防止対策の重要性を認識させること

(3) 健康管理

健康診断、じん肺検診を定期的に実施してじん肺患者の早期発見、早期治療を行うなど労働者の健康管理に努めるとともに、じん肺所見の認められた者には診断の結果を正確に通知すること

(4) 粉じん職場からの隔離措置

じん肺に罹患した労働者については坑外非粉じん作業に配置転換するなどして粉じん作業現場から隔離させるとともに、そのことによる収入が従前より減じないような措置をとること。また、粉じん量の多い箇所での労働については労働時間の短縮等粉じん暴露の程度を軽減するための措置をとること

(5) 離職者に対する対策

離職した労働者に対しても健康管理を実施し、じん肺の早期発見、早期治療が可能となる措置をとること

(三) 下請会社の従業員に対する安全配慮義務

被告企業は、原告ら元従業員のうち、被告企業の坑内作業を請け負った会社において就労していた者に対する関係において、各炭鉱を労働の場として提供し、炭鉱における坑道の開設等にかかる作業を指揮し、坑内における環境改善設備等の設置等についてその責任において決定・管理するなど、その労働環境を人的・物的に支配していた。したがって、被告企業と右原告ら元従業員との間には、労働契約の存在と同視し得る支配従属関係があったというべきであって、被告企業は、当該原告ら元従業員に対して前記(二)と同様の安全配慮義務を負うというべきである。

(三井建設関係)

被告三井らは、砂川及び芦別鉱業所における坑道掘進作業を三井建設に専属的に請け負わせ、その坑道掘進作業は被告三井らの砂川鉱業所の職制上「開発区」の下に統括されていた。三井建設の従業員は、さく岩機等一部の機器が三井建設の所有であったことを除き、被告三井らが提供する労働環境のもとで労働し、三井建設の保安専従職員は被告三井らの承認と選任を受け、被告三井らの保安の体系の中に位置付けられており、三井建設の従業員の採用は、被告三井らの労務課が採否を決定していた。したがって、被告三井らと三井建設の従業員らとの間には、安全配慮義務の実質的根拠である使用従属関係が成立していたというべきである。

(四) 第二会社での就労についての責任

被告企業においては、ある時期以降、石炭生産部門を分離しこれを第二会社としているところ、親会社と第二会社とは、もともと一つの会社であって、分離前後において実体に差異がないことからすれば、原告ら元従業員が第二会社と直接の雇用契約を締結し、親会社とは直接の雇用関係がなくとも、親会社の第二会社に対する支配従属関係を媒介として、親会社は第二会社の被用者に対して安全配慮義務を負うというべきである。

2 被告企業における安全配慮義務の不履行

(一) 防じん対策について

(1) 粉じんの発生を抑制するための散水、噴霧が、その施設が不十分であったこともあり適切に実施されていなかった。

(2) 作業効率が落ちる等の理由により、湿式さく岩機を導入しなかったり、湿式さく岩機を導入しても給水せず乾式として使用することが多かった。

(3) 通気については、ガス爆発予防目的からはなされていたが、じん肺対策の見地からは有効でなく、粉じんが除去されず滞留・浮遊しており、特に掘進切羽における局部通気において不十分であった。

(4) 防じんマスクの支給が適切になされず、マスクの交換体制も労働者の利用の便宜を考えたものではなかった。じん肺予防のためにマスクが重要であるとの教育が十分になされなかったため、通気の悪さ、すぐ目詰まりを起こすマスクの性能の悪さと相まって、労働者はマスクを確実に着用しておらず、マスクの装着について適切な指導監督が行われることもなかった。

(5) 労働者は、発破を伴う作業において、発破直後の粉じんがもうもうと舞い、手元が十分見えないような状況での労働を強いられた。また、粉じんが十分排出されないうちに作業場に進入させないようにするための指導監督が十分でなかった。

(6) 昭和三〇年代ころまで使用されていた岩粉は、けい酸含有率が高く有害であった。

(二) じん肺教育について

被告企業は、原告らが不治の病であるじん肺について正しい認識を得ることを恐れ、粉じん吸入によるじん肺罹患の危険性及び罹患した場合の治療の必要性についての確かな情報を殊更に与えなかった。

(三) 健康診断について

被告企業は、じん肺罹患患者の早期発見、早期治療を目的とする健康診断、じん肺検診を実施していなかった。けい肺等特別保護法が制定されて以後の健康診断においても医師の問診等を全く行わない杜撰なものであった。被告企業が行っていた健康診断の目的は、じん肺による労働不適格者を排除することにあり、健康診断の目的及び結果が労働者に伝えられることは少なかった。

(四) 粉じん職場からの隔離措置について

被告企業は、じん肺に罹患した者を粉じん職場から坑外の非粉じん職場へ転換させること及び労働時間を短縮することなど粉じん暴露の程度を軽減する措置を何らとらなかったし、措置を「とった場合に伴う減収に対する補償などの対策は全く講じられなかった。

(五) 離職者に対する対策について

被告企業は、原告らが退職した後、じん肺の早期発見、早期治療の視点からする健康管理について何らの対策をとらなかったし、退職後じん肺に罹患した労働者に対する補償を完全に放置した。

3 損害

(一) じん肺の特性

じん肺は、各種の粉じんの吸入により生じる肺疾患である。胸部エックス線写真に異常粒状影、線状影が現れ、進行に伴って肺機能低下をきたし、肺性心にまで至る。

じん肺の基本的病変は、リンパ腺の粉じん結節、肺野のじん肺結節(線維増殖性変化)、気管支炎・細気管支炎・肺胞炎(炎症性変化)、肺組織の変性・壊死、肺気腫(気腫性変化)、肺内血管変化であり、これらが一連のものとして発生進行する。

じん肺は、「進行性の疾患」であり、粉じん職場での就労が継続される間に病変が進行するのみならず、粉じん職場から離れた後もその進行をやめず、患者をじん肺死に至るまで苦しめ続ける。

じん肺は、「不可逆性の疾患」であり、不治の病である。線維増殖性変化、気腫性変化、進行した炎症性変化、血管変化に対しては治療方法がない。

じん肺は、「全身性の疾患」である。呼吸という生命維持に不可欠の機能を果たす肺等が吸入した粉じんの蓄積により組織的に破壊されるほか、肺結核、続発性気管支炎等の合併症を伴う。また、じん肺は、肺がんを準備し、ガス交換の阻害による乏酸素血症を引き起こし、胃腸管障害、各種臓器の悪性腫瘍、免疫異常を伴うことがある。

(二) じん肺罹患による身体破壊及び生活破壊

じん肺の罹患により、咳、痰、呼吸困難、心悸亢進等の自覚症状が見られる。また、風邪に罹患することは、急性呼吸不全及び急性肺炎を起こさせる等して死亡にも至らせることがある。じん肺の進行により、運動時の呼吸困難、就労不能となり、療養を必要とするようになる。さらには、平地の歩行も困難となり、痰及び咳の症状が悪化する。ついには、呼吸困難が常時続いて酸素吸入を必要とするようになる。

じん肺による肺機能障害により、人体は肺機能の程度に応じた活動しかできなくなる。日常の起居動作ですら激しい動悸と息切れをもたらす。突然に訪れる死への恐怖から行動が制約され、家の中で静養するか医療機関に入院するかのいずれかに生活の場が限定される。労働能力を喪失し、収入の道を絶たれるため、原告らの家庭は経済的基盤を失う。また原告らの看病が家族の負担となり、その不和を生むこともある。じん肺の被害者は、労働によって家族を守り幸せな家庭を築き悔いのない一生を送ることができるという期待・希望を奪われる。

(三) 包括一律請求

上記のとおり、じん肺に罹患したことによる損害は、身体的苦痛、精神的苦痛、労働ができなくなることによる経済的困窮、それらに起因する家庭破壊、人生破壊等の広がりを有する。右損害は総体として包括的にとらえるべきである。すなわち、逸失利益や個々の治療費等の費用を項目別に算定して合算した財産的損害と精神的損害を併せて請求する個別算定方式によるときはじん肺被害の実態を正しくとらえた請求方法にならない。また、進行性の疾患であるじん肺においては、症状固定という概念がないことから、個別算定方式では損害を正しくとらえることができない。さらに、じん肺に罹患した者は、現在の症状如何にかかわらず、いずれ重篤な症状に陥ることが確実に予定されているのであるから、これらを損害に含めて考慮するべきであり、原告ら従業員に生じた損害は、各人の現在の病状の程度によらず同一である。

原告ら元従業員がじん肺罹患によって被った損害の総和はそれぞれ三〇〇〇万円をはるかに上回るものであるところ、原告らは右全損害の一部の賠償として、原告ら元従業員一名につき各三〇〇〇万円の慰謝料を請求するものである。

(四) また、弁護士費用については、本件における各炭鉱が閉山されている今日、その労働環境、労働実態、粉じん発生実態、被告らのじん肺対策の懈怠を主張立証するための資料の収集、専門性を有する内容の把握に相当な労力を有し、じん肺の発生の機序、特質等についての理解も本件訴訟活動に不可欠である。このような事情に照らせば、原告らの原告ら訴訟代理人に対する弁護士費用は、原告ら元従業員一人当たり四五〇万円が相当である。

4 因果関係

被告三井らは、原告らに対して、民法七一九条一項後段の類推適用により、当該原告の被告企業における在職期間の長短にかかわらず、当該原告の被った損害のすべてについて連帯して損害賠償義務を負担すべきであって、被告企業については、じん肺発生に寄与した割合に限定されるべきではない。

すなわち、民法七一九条一項後段は、複数加害者による加害行為が競合した場合に被害者の救済の見地から因果関係の立証の困難を緩和したものであって、その趣旨は債務不履行にも類推適用されるべきである。右条項の適用においては、加害行為の客観的関連共同性が必要となるところ、被告企業は他の業種とは全く異なる特定の企業群を形成しているとともに、熟練技能集団である炭鉱労働者集団からの雇用を絶えず繰り返し継続しているから、被告企業の行為相互間に客観的関連共同性を認めることができる。また、被告企業は、炭鉱労働者の粉じん暴露の可能性について共通の認識を有していたものであるから、主観的関連共同性をも認めることができ、寄与度に応じた責任の減額が認められる余地もない。

二  請求原因に対する被告企業の反論

1 安全配慮義務の内容

(一) じん肺の知見

一つの疾患に関して医学上の知見が確立したと評価し得るためには、症例の集積や報告内容の合致を通じて、医学界に定説が成立したと認められることが必要であり、さらにそれを契機として行政機関及び企業の防止対策を促すに足りるだけの条件の成立が必要である。

この観点から見ると、①戦前においては、国内外を問わず石炭粉じんの有害性を否定する考え方が支配的であり、炭坑夫に見られるじん肺の病理学的な分析や発生機序の解明は行われておらず、広範な実態調査もなされていなかった。②終戦後、国内には急速にじん肺対策の世論が高まり、じん肺研究が進展したが、実質的には金属鉱山におけるけい肺が議論の中心となっており、昭和二〇年代はけい肺の発生機序についても未解明の部分が多く、作業環境測定技術も未熟であったから、粉じんとけい肺発症の関係を突き止めるのに十分ではなかった。また、このころにおいても石炭粉じん無害説は存在し、じん肺の治療法としてアルミ粉末吸入療法が有効であると一部では信じられていた。③炭鉱でのけい肺発生の危険性が明らかにされたのは、労働省が実施した巡回検診において炭鉱が対象に加えられた昭和二四年以降の結果が公表された昭和二七年ころである。④その後、昭和三二年の渡辺論文等で石炭粉じんによっても線維増殖性変化が生じることが明らかにされ、旧じん肺法が立法された。

したがって、炭坑夫に見られるじん肺が、「炭鉱で発生する粉じんを吸入することにより肺に生じる線維増殖性変化を主体とする疾病であって、けい肺(けい酸質粉じんによるじん肺)、炭肺(石炭粉じんによるじん肺)及びその混合として把握することができる」との医学上の知見が確立し、また、石炭業界においても右知見が成立した時期は、概ね、けい肺に関しては昭和二〇年代後半であり、炭肺については昭和三〇年代中ころというべきである。

(被告三井ら)

被告三井鉱山において、その作業内容によってはけい肺が発生する可能性があるという具体的な認識を持ったのは、昭和二五年に炭則が改正されてけい酸質区域の指定制度が導入されたころである。その後、被告三井鉱山の北海道の各炭鉱においてけい肺の存在及び実態が明らかになったのは、各炭鉱が沿層掘進を主体としていたこともあり、けい肺等特別保護法によるけい肺検診が実施された昭和三〇年以降のことであった。

(二) 防じんに関する工学技術的な水準

炭鉱における諸作業は、自然条件の制約を受ける地下環境下で行われるものであり、また、防じん技術を用いても粉じんの発生を皆無にすることは不可能であるから、炭鉱経営者としては、その時期に応じ、合法で適切であり、かつ社会的・経済的諸事情の下で実践可能な範囲でのその時代に要求される社会通念上相当であるとされる防じん対策を講じれば、労働者が結果的に粉じん作業によりじん肺に罹患したとしても、これに対する債務不履行責任は問われないというべきである。

(1) 粉じんの測定

けい酸質区域の指定制度が設けられた昭和二五年においては遊離けい酸分の測定方法が確立されておらず、現実には測定できない状況であり、昭和二十七、八年になって測定方法が確立され、指定が可能となった。

(2) 湿式の衝撃式さく岩機等

戦前においては、輸入品、国産品とも湿式さく岩機は大型であり、炭鉱における作業には適合せず、日本人の体格では操作が容易ではなかった。昭和初期には、一部の炭鉱で湿式の手持式さく岩機が使用されたことはあるが、給水系統の故障が多くて実用に耐えるものではなく、試用の域を出なかった。

戦後においては、小型湿式さく岩機の研究が進められたが、昭和二四年の鉱山保安法及び炭則制定当時においては、炭鉱で使用する一〇ないし二五キログラム程度のハンドハンマーについての湿式化は技術的に困難であった。一応の実用に耐える手持小型湿式さく岩機が開発されたのは昭和三〇年以降である。また、昭和三〇年中ころまでは、性能が悪く、使用する水は減圧しなければ使用できないにもかかわらず、水圧調節弁の機能は十分ではなく、湿式で使用しても繰り粉でノズルが詰まり、しばしば故障・事故を起こすという重大な欠陥があり、実用性に乏しかった。

乾式の衝撃式さく岩機用の収じん装置については、昭和二八年四月の炭則改正により、その使用についての根拠が与えられたが、実際に許可を受けたものは、いずれも技術的な問題点が多く、現場においては限られた一部で試験的に適用されるにとどまった。

(3) 防じんマスク

防じんマスクには、粉じん粒子をろ過材に付着させる物理的な方法と静電気作用により除去する方法がある。前者は大正時代から存在していたが、濾塵性能と吸気抵抗の少なさを両立させることが難しかった。我が国において防じんマスクが本格的に研究され始めたのは戦後であり、昭和二四年八月制定の炭則二八四条において防じんマスクの備付けが規定され、昭和二五年一二月に防じんマスクに関する日本工業規格が制定された。しかし、このころのマスクは、濾塵効力及び吸気抵抗の性能において問題があり、吸気抵抗は粉じんの付着が増加するに従ってますます高くなるため、極めて評判が悪かった。

その後、静電ろ層が開発され、これを用いたマスクは濾塵性能と吸気抵抗とを両立し得るものであった。防じんマスクが炭鉱での実用の域に達したのは、昭和三〇年代半ばである。

(三) 法令との関係

地下坑内における諸作業を伴う炭鉱の操業は、地圧、地熱、自然発火等各種の危険があり、自然条件に基づく制約が宿命的に余儀なくされ、これらの危険性をはらんだ制約的自然条件を克服してなお十分な安全性を具備する方法で行わなければならない。したがって、炭鉱の諸作業は、戦前から法規制がなされてきたところ、戦後においても鉱山保安法及び炭則により多数の義務規定が詳細な内容をもって定められた。これらの鉱業法規は当時の水準に応じて必要かつ可能な技術的内容を盛り込んで制定されたものであって、被告企業は各時代の法令の定める基準を遵守したことにより、安全配慮義務を尽くしたものと評価されるべきである。

また、じん肺患者に対しては極めて手厚い労働災害補償制度が存在するところ、使用者が災害補償責任を超えて安全配慮義務違反による民事上の債務不履行責任を負わされるのは、使用者が各時代における法規の基準を遵守しなかった場合に限られるというべきである。

(四) 有責性

戦時中及び戦後の混乱期にかけての炭鉱の労働環境については、今日の一般的水準から見た場合、不十分な面があることは想像に難くないが、その結果、職業病であるじん肺が発生したとしても、その当時の政治社会経済的状況、とりわけ強力な各種の国家的統制の実情を鑑みた場合、一民間企業が無過失責任である労災補償義務を負う以上に、債務不履行責任を負わなければならないほど社会的非難を受けるべきいわれはない。

すなわち、我が国の石炭鉱業は、戦時中は戦争遂行のため統制経済に組み入れられ、戦後の混乱期には戦後復興の跳躍台として国家管理の状況にあって増産につぐ増産が至上命令とされており、資材等も極端に不足していたので、労働環境の改善等についての個別企業の努力にはおのずから一定の限界があった。

右のような当時の社会情勢からみてもなおかつ使用者の責に帰し得るほど極端に劣悪な労働条件と評価し得るまでの事情は存しない。

(五) 下請会社での就労

安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負うものであるから、これが認められるためには、人と人との高度の結合が継続的に存在する状況でなければならない。したがって、ある事業の主体がその事業の遂行のため請負業者を使用する場合において当該事業主体が請負業者の従業員に対して安全配慮義務を負うのは、当該事業主体と請負業者の従業員個人との間に、右の状況がある場合、すなわち、注文会社による労務指揮権の発動とこれに対する請負業者の従業員の服従という関係が認められる程度に高度な人的関係が必要であるというべきである。他方、注文会社が請負契約の発注者として行う請負業者に対する指示・要望は、直ちにそのまま請負業者の個々の従業員に対する指揮命令に転化することは通常あり得ない。

本件において問題となっている請負会社は、一部を除き、注文会社に全面的に依存・従属するような零細企業ではなく、作業部門のほかに営業・総務・経理部門を備える中規模以上の会社であるところ、注文会社は、当該工事の注文者としてその請負の目的となった仕事の完成に必要な指示を請負業者に行うことはあっても、それは直ちに請負会社の個々の従業員に対しての指揮命令に転化するものではなく、また、請負会社の人事・労務に関する事項につき指示・管理をすることもなかった。したがって、注文会社と請負会社の従業員との人的関係はいわば断絶の状態にあり、注文会社が請負会社の従業員に対する関係で、注文会社自身の従業員に対するのと同様な安全配慮義務を負うことはあり得ないし、原告らが主張する具体的なじん肺予防措置のほとんどは請負会社の従業員との関係では履行する可能性もない。

(租鉱権炭鉱での就労)

なお、原告ら元従業員のうちには、被告企業から租鉱権の設定を受けて操業していた炭鉱において就労していた者が存在する。租鉱権は、租鉱権が設定された範囲において鉱業権者の鉱業実施上のすべての権利を排除する権利であり、租鉱権者はその部分について鉱物採掘のための独占権を有し、反面、採掘権者は当該部分について一切の操業を行う権能を喪失する。租鉱権者は、独自に施業案を実施し、通商産業局長の認可を受けた上で、その操業は租鉱権者自身の保有する人的・物的設備を用いて行われる。採掘権者が租鉱権炭鉱における操業に対して何らかの関与を行うことは一切ない。また、鉱山保安法は、租鉱権炭鉱における操業の一切につき、鉱山労働者に対する危害防止義務を租鉱権者に負わせている。

したがって、租鉱権炭鉱での就労期間中の健康被害の問題は、あげて当該従業員とその雇用者である租鉱権者との間で論じるべきである。

(六) 第二会社での就労

いわゆる第二会社は、いずれも被告企業と法人格を異にする法主体であり、法人格濫用や形骸化の事実もない。これらは、昭和四〇年代から五〇年代にかけて独自の事業目的をもって設立され、なおかつ独自の人的・物的設備を有して石炭操業を実施し、経理関係も独立していたものである。

2 安全配慮義務の履行

(一) 通気

炭鉱坑内で発生する可燃性ガス及び炭じんは、いずれも爆発性を有し、空気中に一定範囲の濃度に存在すると些細な火源で爆発し、堆積炭じんを誘爆させ、一瞬にして大惨事に至るため、炭鉱坑内においては可燃性ガス及び粉じんの通気による希釈、排除が保安上最大の関心事であって、切羽末端に至るまで、常時十分な通気による坑内換気は不可欠な要請である。こうした十分な通気は、じん肺と関連する微細浮遊粉じん粒子を速やかに希釈・排除するから、防爆対策を直接の目的として行った対策は同時に粉じん対策としても最善を尽くした結果となっている。被告企業は、通気に関する炭則の主要規定を遵守して、細目は保安規程に定め、坑内全域の所要通気量を確保してきた。

(二) 散水・噴霧

炭鉱では、防爆及び自然発火、坑内火災防止等の観点から、古くから行政上の規則により散水すべきことが定められており、戦後も鉱山保安法及び炭則において防爆対策を目的とした散水・噴霧の規定が置かれた。被告企業は、これらに従って散水・噴霧を行ったほか、じん肺防止目的をもってその後定められた炭則の各規定を遵守した。

(三) さく岩機の湿式化等

湿式さく岩機が炭鉱で実用の域に達したのは昭和三〇年代中ころのことである。被告企業が北海道で操業していた炭鉱においては、昭和三四年ころになってその坑内の一部分が炭則に基づいてけい酸質指定区域に指定されたが、当該区域においては湿式のさく岩機を使用していた。

他方、乾式さく岩機用の集じん装置は、一部の現場で試験的に使用されたが技術的な問題等から実用化には至らなかった。

(四) 防じんマスク

被告企業は、炭則の制定及び労働組合との協定に基づき、粉じん作業に従事する労働者から順次防じんマスクを無料貸与し、その着用を指導するとともに、防じんマスクの管理体制の充実を図ってきた。

(五) その他の粉じん防止策

(1) 炭壁注水

被告企業は、炭壁注水の技術が開発された後遅滞なく、その条件に適した払において炭壁注水を実施した。

(2) 発破方法の工夫

被告企業は、発破前の散水実施のほか、技術の進展に応じて、ミリセコンド発破の採用、シャワー発破、水タンパーの利用等により粉じんの抑制を図った。また、保安規程において粉じんの排出に十分な発破退避時間を設けたり、昼食時発破を行うことにより労働者の粉じん暴露を回避した。

(3) さく岩機のピットの改良

さく岩機のピットの切れ味は粉じん発生量に影響を与えるところ、被告企業はデタッチャブルピットの採用等により粉じん量の抑制に努めてきた。

(4) 岩粉散布

被告企業は、岩粉散布に用いる岩粉につき、遊離けい酸分の少ない素材の岩粉に逐次切り替えていった。

(六) 保安教育

被告企業は、炭則に基づいて、現場の機会教育等の日常の指導において通気の確保、けい酸質指定区域における散水、衝撃式さく岩機の湿式利用、防じんマスクに関する教育を行うとともに、その啓蒙に努めてきたところであり、また、昭和五四年以降は全従業員を対象とした粉じんに関する再教育を行った。さらに、労働衛生教育としても、採用時の教育のほか、労働衛生週間等においてけい肺やじん肺について啓蒙活動を行った。

(七) 健康管理及び配置転換

被告企業の各炭鉱においては、健康診断に関する法令を遵守してこれを実施した。その結果配置転換が必要であることが判明した労働者に対しては、その旨通知して説得に努めたが、自覚症状がないこと、配置転換により賃金が低下すること、仕事への愛着等から配置転換に応じない者が多かった。

3 損害

(一) じん肺の特性

じん肺の特徴として、不可逆性、慢性進行性及び全身性疾患が挙げられるが、右に関する原告らの主張は必ずしも当を得ていない。

じん肺は、線維増殖性変化を起こして結節となった部分が元に戻らないこと、気腫性変化を起こした肺胞の部分が元に戻らないという意味では不可逆性であっても、そのことが直ちに症状として健康障害や日常生活障害を生じるということにはならない。また、症状が発生しても、感染症状、炎症症状、機能的障害はこれに対応する適切な健康管理や治療等によって十分に軽減を図ることができるものであり、現に高年齢になっても相応の日常生活を送っている有所見者も多い。じん肺管理区分二及び三の者は、労働能力において健常者と差のないものであり、管理区分二及び三に該当することそれ自体は、健康管理上の区分に過ぎない。

また、じん肺の進行性については、現行のじん肺法が粉じん作業を離れればじん肺の進行は防止し得るとの立場に立って立法化されており、進行する場合にも極めて緩やかで、じん肺管理区分二のままで進行しない者も存在し、近時はエックス線写真像が一型進むのに極めて長期間を経ているという状況が存在し、これを称してじん肺の軽症化が言われている。

さらに、じん肺は飽くまで胸の疾患であり、全身性の疾患ではなく、肺以外の臓器の障害による症状は認められない。いかなる疾病でも死線期の如く極度に悪化した場合には全身状態が悪化するが、これは決してじん肺特有の問題ということはできない。

合併症については、急性的な細菌等の感染による症状の治療のために、その要治療期間中は要療養と扱われるが、適当な治療により早期に感染症等が消退すれば療養や補償の対象とならないものであり、本来可逆性を有するものである。

(二) じん肺の管理区分

じん肺については、その健康管理のためエックス線写真像や心肺機能検査の結果等の組合せにより、昭和三〇年のけい肺等特別保護法以来四つの型に区分してその状況を把握することとされているが、旧じん肺法の健康管理区分及び改正じん肺法のじん肺管理区分は、じん肺の症状とは直接関係なく、じん肺予防のための保健管理を目的とした区分である。

また、右各区分の決定手続は必ずしも詳細、確実なものではない。すなわち、①エックス線写真像の型の診断に当たっては、その画像の良否及び読影に当たる医師の医学的技術水準により左右され、肺機能検査については、検査機器による測定の方法の未熟さや、被検査者の態度によって検査結果が左右されるという問題がある。そして、右各区分の決定手続上においては、右結果について「じん肺健康診断結果証明書」に記載された一般医師の検査結果から判断するしかなく、現実の各区分の決定の実情において、必ずしもじん肺の症状の程度、内容等を正確に反映していない場合がある。②肺機能は加齢とともに低下し、これが肺機能検査の結果に影響を及ぼすことは明らかであるが、これが現行の肺機能検査の基準においては適切に反映されず、エックス線写真像の程度と整合性のない判定がなされることがある。③喫煙の影響のため、続発性気管支炎が生じた場合でも、じん肺の所見が基礎にあるため合併症として認定され、肺機能検査でもじん肺の所見と区別が困難である。

加えて、右各区分の内容は、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく後遺障害等級の決定基準とも異なっていることからして、右各区分の決定を受けたことを民法上の損害額の算定根拠としての基準とすることは適当とはいえない。

(三) 包括一律請求

損害の算定は、財産的損害においては侵害された利益を項目ごとに積み上げてその総体を定めるべきものであり、精神的損害においてもそれを間接的に裏付ける様々な事情を考慮した上で判断すべきものであるところ、財産的損害と非財産的損害を区別することなく包括して一個の損害としてその一律額を請求するという本件請求は許されないというべきである。

4 因果関係

(一) 民法七一九条一項後段の不適用

原告らは、被告企業各社及びそれ以外の使用者に雇用され粉じん職歴を有する原告らについて、被告企業各社が原告らの全損害につき連帯責任を負うべきであると主張し、その根拠として民法七一九条一項後段の類推適用を主張する。

しかしながら、原告らの主張は安全配慮義務違反という債務不履行の主張であるから、不法行為に関する民法七一九条一項を類推適用すべきではない。また、被告企業各社及びそれ以外の使用者においては、作業の内容、種類、地位、作業場の具体的状況がそれぞれ異なっており、内容の異なる各債務者に連帯関係を認めることは許されない。

仮に民法七一九条一項が類推適用されるとしても、同項は、独立の不法行為の要件を具備し、各行為者の間に関連共同関係を必要とすると解すべきところ、被告企業各社は、経済的、人的、物的になんらの関係がなく、被告企業の行為には社会的にみて一個の行為と評価し得るような関連共同性が認められない。

(二) 短期在籍者の因果関係の不存在

被告企業の各社において三年以上坑内労働に従事していない原告ら元従業員については、その各社における就労のみによってはじん肺に罹患することはなく、各社の行為によって結果を発生させないことは明らかであるから、全損害について賠償責任を問われるいわれはない。

被告三井らにおいて右に該当する原告ら元従業員は、別紙「被告三井らの短期就労者に関する主張一覧表」のとおりである。

(三) 割合的寄与による限定責任

仮に被告企業に損害賠償責任があるとしても、加害者間の衡平を図るという観点から、被告企業それぞれの寄与の割合による限定責任であるべきである。

右の割合的寄与の判断に当たっては、当該原告の全粉じん職歴(炭鉱以外のものを含む)の期間を基礎として、被告企業のそれぞれの粉じん職歴の期間をもって一応の寄与の割合としつつ、これに個別の事情を総合的に斟酌して決するのが妥当である。

三  被告企業の抗弁

1 消滅時効

(一) 消滅時効の主張(その一)

(1) 起算点

本件各請求は、原告ら元従業員が被告企業との間で締結した雇用契約上の安全配慮義務の不履行を理由とする損害賠償請求であるところ、債務不履行による損害賠償請求権は、本来の債務と同一性を有するから、右損害賠償請求権の消滅時効は、本来の債務の履行を請求し得る時から進行するというべきである。

そして、安全配慮義務は、被用者が使用者の指揮監督のもとに労務を提供するに際して被用者がその履行を請求し得るものであり、被用者がその地位を失った後まで使用者が安全配慮義務を負担するものではないから、その請求可能な最終時点は当該従業員らの退職時である。したがって、消滅時効の時効期間は右退職時から進行するというべきである。

また、原告ら元従業員のうち、被告企業に在職中にじん肺ないしけい肺に関して有所見診断ないし最初の行政上の決定を受けた者については、退職前の在職中に安全配慮義務の不履行に起因するじん肺が現実化・顕在化したことにより本来の債務である安全配慮義務が損害賠償債務に転化したといえるから、退職時を待つまでもなく、その決定を受けた日の翌日から消滅時効が進行すると解すべきである。

仮にそうでないとしても、じん肺のような不可逆性・進行性の疾患については健康被害が現実に発現し、顕在化すれば請求権の行使は現実に可能となるから、原告ら元従業員につき要療養の行政上の認定(管理区分二合併症、同三合併症又は同四)がなされた日から消滅時効が進行すると解すべきである。

また、原告ら元従業員のうち被告企業を退職前に死亡した者については、死亡の日から消滅時効が進行すると解すべきである。

(2) 消滅時効の期間

被告企業が原告ら元従業員と雇用契約を締結することは商行為であるから、右時効期間は、商法五二二条により五年間である。仮にこれが認められない場合は、民法一六七条一項により一〇年の時効期間を主張する。

(3) 時効の援用

以上を前提に、被告三井らは、最初の有所見診断日ないし最初の行政上の決定日の翌日を起算点とし、五年又は一〇年を時効期間とした場合、あるいは、要療養の決定の日の翌日ないし最も重い行政決定日の翌日を起算点とし、五年又は一〇年を時効期間とした場合につき、消滅時効を具体的に援用しているところ、その内容は、別紙「被告三井らの時効に関する主張一覧表」のとおりである。

(二) 消滅時効の主張(その二)

仮に、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、最終の行政上の決定を受けた日から進行するとし、その期間が一〇年とした場合でも、損害賠償請求権の消滅時効は、最終の行政上の決定を受けたときから、その対応する損害のすべてにつき一斉に進行するものではなく、各行政上の決定を受けたときから、その決定に基づく各損害についてそれぞれ各別に進行すると解すべきである。したがって、最終の行政上の決定を受ける以前にすでにより軽症の行政上の決定を受けている場合には、当該決定に相応する病状に基づく損害に関する限度において消滅時効は進行し、後により重い決定があるときはその決定により上積みされた損害についての消滅時効の進行が開始するというべきである。そうすると、管理区分二又は三の決定を受けてから一〇年以上経過した後に本件訴訟を提起した原告ら元従業員で、より重い管理区分の病状が認定できる者については、時効で消滅した当該軽い行政上の決定に相当する損害が控除されなければならない。

以上を前提とする被告三井らの具体的な主張の基礎となる事実関係は、別紙「被告三井らの時効に関する主張一覧表」のとおりである。

2 過失相殺

(一) 防じんマスクの不着用

旧じん肺法五条は、粉じん作業に従事する労働者はじん肺の予防に関して保護具の使用その他について適切な措置を講ずるように努めなければならないと規定し、労働者に防じんマスクの着用義務を定めているところ、このような規定の存在にかかわらず適切に防じんマスクを使用しなかった原告ら元従業員には相殺に供すべき過失があるというべきである。

(二) 喫煙

一般に喫煙が有害であることは今日周知の事実であり、喫煙は肺疾患であるじん肺に対しては極めて有害であり、医師にとってじん肺罹患者の喫煙状況の把握と禁煙の指導は必須なこととされている。原告ら元従業員のうち、医師からかかる指導を受けていることは明らかであるにもかかわらず、なお喫煙し、あるいは今日も喫煙を続けている者については、過失は否定できない。

3 損益相殺

債務不履行によって被害者に損害を与えると同時にそのことから被害者の利益を与えることとなった場合において、その利益が債務不履行と相当因果関係の範囲内にあるときは、被害者の受けた利益を賠償すべき損害額から差し引くことによって当事者間の公平を期すべきは当然である。

原告らの請求は一律の金額を慰謝料として請求するものであるが、交通事故による障害ないし死亡慰謝料と対比しても高額であり、実質的には財産的損害をその請求額に含むものと言わざるを得ない。したがって、その請求する損害額から、労災保険、厚生年金の給付金を損益相殺の対象として控除しなければ公平を欠くこととなる。

また、右控除をすべき金員は、本件訴訟の口頭弁論終結の日までの間に原告ら元従業員又は遺族が支給を受けた額のみならず、将来の給付についても、その給付の確実性及び損害との対応関係の観点から、これに含めるべきである。

仮に右控除が認められないとしても、原告ら元従業員の慰謝料額算定においては、右各保険給付金の存在を十分斟酌すべきである。

4 弁済

本件訴訟においては、原告らと三菱マテリアル、三井建設及び住友石炭との間で、それぞれ訴訟上の和解が成立し、相当の金員が支払われているところ、これらの金員は原告らの損害額から控除されるか、あるいは損害の認定に当たって斟酌されるべきである。

四  被告企業の抗弁に対する原告らの主張

1 消滅時効

(一) 起算点

進行性・不可逆性をその特徴とするじん肺においては、患者の身体破壊・健康破壊が終了し、じん肺被害の全体が判明するのがじん肺患者が死亡したときであるから、消滅時効の起算点は患者死亡時とすべきである。

なお、消滅時効の起算点を管理区分に関する最終の行政決定がなされた日とする考え方は、患者の被害状態を最終的に明らかにするものが死亡時であることを見過ごしたものとして徹底を欠くというべきである。

(二) 権利濫用

仮に右が認められず、最終の行政上の決定がなされたときを起算点と解するとしても、右基準を適用することにより、右決定時期が古いために長期間療養をした者が救済されないという結果の不当性、被告企業の健康管理の杜撰さやじん肺罹患の秘匿等の事情に照らせば、被告企業の消滅時効の援用は権利の濫用であり、信義則に反し許されない。

すなわち、損害賠償請求権の権利者が法の定める期間内に権利を行使しなかったが、その権利の不行使について義務者の側に責めるべき事由があり、当該違法行為の内容や結果、双方の社会的・経済的地位や能力、その他当該事案における諸般の事実関係を併せ考慮すると、右期間経過を理由に損害賠償請求権を消滅せしめることが公平の理念に反すると認めるべき特段の事情があると判断されるときは、なお同請求権の行使を許すべきである(最高裁平成一〇年六月一二日第二小法廷判決における河合裁判官意見参照)ところ、本件においては右の特段の事情が認められるというべきである。

2 過失相殺

過失相殺制度が実質的に対等な市民関係を前提として損害の公平な分担を図る見地から設けられたことからすれば、右の前提を欠く労働契約関係における労働災害・職業病の事件においてこれを適用すべきではない。

(一) 防じんマスク

被告企業が行った防じんマスクの支給はその数量、性能において不十分であったし、原告ら元従業員に対してじん肺に関する知識を与えて防じんマスクの必要性を十分に認識させていなかったのであるから、原告ら元従業員がその着用を怠ったとしても、これを原告ら元従業員の過失ということは許されない。

(二) 喫煙

一般に喫煙が呼吸器疾患に対して何らかの影響を及ぼすことは否定できないものの、喫煙とじん肺との因果関係は医学的には明らかでないこと、原告ら元従業員においても被告企業の安全教育の欠如により喫煙とじん肺との関係について十分な知識を有していなかったことからすると、原告ら元従業員の喫煙歴を理由として過失相殺を行うことは許されない。

3 損益相殺

原告らが本訴において賠償を求める損害は、前記一3記載のとおり、財産的損害を含まないものであるところ、労働者に対する災害補償は、労働者の被った財産上の損害の補填のためにのみなされるものであって、精神上の損害の填補を含むものではないから、これを控除することは許されないし、慰謝料の算定に当たってこれを考慮することも許されないというべきである。

第三  被告国の責任

一  原告らの主張

1 じん肺に関する知見

被告国は、大正時代から鉱山における労働者の安全・衛生に関する調査研究を行い、その成果を踏まえ、昭和四年に鉱業警察規則の改正を行い、じん肺防止対策を定め、翌五年にはじん肺患者に対する被害補償を目的として内務省社会局労働部長が「鉱夫硅肺及眼球震盪症の扶助に関する件」との通諜を発した。

したがって、被告国は、遅くともこの時期には、石炭の生産によりじん肺が発生すること及びその防止の必要性を認識していた。

2 直接的加害責任

(一) 総論

被告国は、炭鉱労働によってじん肺が広汎かつ多数発生することを予見し、被告企業においてじん肺発生を防止する施策が不十分であることを認識していたにもかかわらず、被告企業と共同して労働者の健康よりも石炭増産政策を優先させた結果、原告らをじん肺に罹患させたものであるから、直接の加害者として国賠法一条により責任を負う。

なお、原告らは、被告国の行為のうち、国賠法施行以後のものを直接的加害行為として請求しているが、それ以前の行為については、右加害行為の責任を補強する先行行為として位置付けるものである。

(二) 被告国の石炭政策の違法性

被告国は、明治維新以後、石炭産業をエネルギー政策の根幹として産業政策中最大の力を傾注し、初期においては重要鉱山を被告国の直営とし、その払下げの後においても被告企業らの保護育成に努めた。また、昭和一〇年代の戦時体制下の増産政策は、被告企業ら石炭資本が生産拡大を進める契機となった。また、被告国は、戦後も石炭政策を国策として展開し、被告企業らと一体となって増産につぐ増産を推進した。

終戦直後は、産業復興の基礎的物資としての石炭につき生産の強化を図り、融資、生産資材の重点割当てなどの増産対策を推進した。昭和二三年には被告国が石炭鉱業を臨時に管理し石炭の増産を達成することを目的として臨時石炭鉱業管理法を制定した。

その後、朝鮮戦争後の不況に際しては、昭和三〇年八月に石炭鉱業合理化臨時措置法(以下「合理化法」という。)を制定し、立坑開発を中心とする優良炭鉱の育成と非能率炭鉱の整備(スクラップ・アンド・ビルド)を行い、出炭効率の良い炭鉱にのみ補助金を交付する等の政策誘導を行った。昭和三三年、合理化法を改正し、スクラップ・アンド・ビルドを強力に推進するとともに、新鋭機械の導入を進めるなど、徹底した合理化を導いた。

原告らは、被告国の行った個々の経済政策の当否及び法適合性を問題にするものではなく、右のような一連の石炭政策の遂行を加害行為ととらえ、右行為が、原告らのじん肺罹患という法益侵害について重大な原因力を与えたものであると主張するものである。すなわち、経済政策は、それが法令に基づいたものであっても、その実施過程において人の生命・健康という絶対的価値を侵害することのないよう調整をはかりつつなすべきという趣旨が当該法令には当然に含まれていると解すべきであって、右配慮をせずに漫然と政策を実施したときには、違法と評価されるべきである。したがって、当該政策を実施することにより必然的にじん肺が発生することが予見されている場合は、じん肺を防止する措置を講ずるか否かの裁量までが被告国に与えられているということはできない。

(三) 被告国と被告企業との一体性

企業との労働契約を媒介として粉じん労働に従事する労働者に対して提供された不全な労働環境がもたらしたじん肺について、被告国がどのような局面においてどの程度帰責されるべきかについては、被告国が当該企業の属する産業を行政目的から一般的に規制しているにとどまる場合と、石炭産業のように企業活動のあらゆる局面において規制し、介入を強めている場合とでは異なる法的評価を受けるべきである。

すなわち、被告国による一連の石炭政策は、単にその時々の政府が企画し、産業を誘導してゆく政治的決定の性質を超えて、石炭産業全体に対する強制力を背景にした指示命令の性質を帯びていたばかりか、個別の石炭企業に対しては開業・操業・廃業の全局面において、事実上又は法令上の強制力をもって支配し、統制下においてきた歴史そのものであり、あたかもその政策が一個の企業の経営陣による経営策の展開と見まがうほどの詳細さと積極性を有し、被告企業と被告国とは一体性を有していた。その結果、被告国と原告らとの間には、石炭企業の労務提供過程に対する支配・管理と同程度ないしこれに匹敵すると評価し得る法律関係が成立していた。

したがって、被告国は、けい肺等特別保護法を施行するとともに被告国主導の石炭鉱業の合理化を目的とした合理化法を施行した昭和三〇年九月以降、あるいは旧じん肺法を制定しつつ他方で合理化法を改正した昭和三五年以降、さらには石炭鉱業再建整備臨時措置法(以下「再建整備法」という。)が施行された昭和四二年以降、それぞれ、じん肺罹患を防止するために当時被告企業が原告らに対し負っていたと措定される具体的安全配慮義務と同内容の配慮義務を原告らに対して負っていたというべきである。

(四) 北炭の経営に対する被告国の関与

(1) 夕張新鉱の開発について

被告国は、昭和三四年の合理化法の改正により、未開発炭田の開発について調査を行い、開発の必要な地域を指定し、開発計画を告示し、採掘権者に対して事業計画の届出及び変更の指示等を講じる権限を有することとなった。北炭夕張新鉱の開発は、右の枠組みのもと、石炭鉱業合理化事業団の長期無利子開発資金制度を利用して、昭和四三年から準備されたものであり、北炭の事業でありながら、その開発計画の内容は、技術面、資金面も含めて、通商産業省(以下「通産省」という。)石炭局、石炭鉱業合理化事業団、石炭鉱業審議会等の政府機関により詳細かつ厳重な審査のもとに置かれ、通商産業大臣(以下「通産大臣」という。)の認可により初めて確定する仕組みのもとに遂行された。

被告国は、開発後の事業経営に対しても様々な経済的援助を行ったほか、「北炭ウォッチ体制」等を通じて、生産活動、事業経営、人員配置等に対して指示と指導を繰り返し、経営陣の更迭まで要求し、北炭夕張新鉱の経営を統制した。

このような北炭夕張新鉱に対する被告国の関与は、被告国と石炭鉱業との一体性を極めて明瞭に示すものである。

(2) 合理化法及び再建整備法による被告国の関与

被告国は、合理化法に基づく石炭鉱業合理化基本計画に則って、各石炭企業に対し、各年度ごと・各炭鉱ごとに実施されるべき計画を提出させ、その内容を査定していた。また、昭和三九年度以降、各石炭企業に「保安計画」を提出させ、保安のみならず生産・労務計画を掌握していた。さらに、被告国は、再建整備法施行以降、各石炭企業の再建整備計画の認定手続過程を通じ、労働者の配置、生産量、作業量等の作業環境の諸元を決定付けてきたのみならず、労務、設備投資、資金調達方法等経営全体の指標についての情報を取得していた。

被告国は、これらの諸方策を通じて、北炭における労働環境の実態を詳細に把握できたにもかかわらず、じん肺防止の観点からする粉じん防止対策の指導を全く行うことがなかった。

他方、北炭は、昭和三七年度以降平成七年二月に会社更生手続開始申立をするまでの間、慢性的な赤字経営であったところ、被告国は、昭和四〇年度以降昭和五三年度まで総額約七五〇億円もの国庫補助を行ったほか、昭和四〇年代以降のスクラップに伴う閉山損失を賄うため、多額の閉山交付金を交付し、さらに、昭和四二年以降、第一次ないし第三次肩代わりを実施した。以上のように、被告国は北炭に対して多額の国家資金の投下等を行い北炭の破綻を回避し出炭量の確保を督励してきたものであり、被告国と北炭は合理化過程においてまさに一体のものとして北炭の存続に与ってきたものである。

3 規制監督権限の不行使

(一) 作為義務の根拠

被告国は、原告ら元従業員が従事していた炭鉱労働における粉じんの発生が、その生命や健康に重大な被害を及ぼしている状況が存在し、被告国自らがじん肺防止対策を講じることが必要でありかつ可能であることを認識していたところ、被告国は、法律、規則などを活用して、じん肺防止に関する知見に対応した水準において、総合的にじん肺の発生・拡大を防止する法令上の義務(「じん肺防止義務」)を負担していたというべきであり、右作為義務の根拠は以下のとおりである。

(1) 労働者保護立法及びじん肺防止立法の存在

現行憲法は、被告国に対し、労働者の生命・健康の安全確保のための行政措置を積極的に展開すべきことを要請しているところ、これを受けて、昭和二二年に労基法が制定されて労働者の安全及び衛生に関する規定が設けられ、また、昭和二四年に制定された鉱山保安法には鉱山労働者の保安に関する規定が設けられた。さらに、職業病に対する特別立法として、昭和三〇年にはけい肺等特別保護法、昭和三五年には旧じん肺法が制定された。これらの法律は、労働者の生命・健康の保護を法の直接の目的としたものであり、企業にそれを実現するための義務を課すると同時に、被告国に対しては強力な監督権限を付与し、労働基準監督署や鉱山保安監督署等を設置したものであるから、被告国に対し、じん肺発生の危険が存在するときは各法律に定められた監督権限を適切に行使すべきことを義務付けた規定であると解すべきである。

(2) 先行行為に基づくじん肺防止義務

被告国の石炭政策に由来するものとして原告らが主張する直接加害責任を構成する諸事実は、被告国の作為義務違反を基礎付ける先行行為として、その発生根拠となるというべきである。

(3) 職務権限を行使すべき義務

仮に、労基法、鉱山保安法、じん肺法等が被告国の各監督機関の義務を定めたものではなく、その裁量にかかるものであるとしても、一定の要件を充たす場合には、各監督機関はその職務権限を行使すべき義務を負うに至り、その不行使は違法と評価されるべきである。

右の一定の要件とは、当該公務員に職務権限が存在すること、当該職務権限を行使することが可能であったこと、職務権限行使に関する裁量が収縮して行使しない裁量の余地がなくなる事情があることであり、右の裁量が収縮する事情とは、いわゆる裁量収縮の五要件、すなわち、①国民の生命身体に対し具体的危険が切迫していること、②行政庁が右危険を知り又は容易に知ることができたこと、③行政庁において規制権限を行使しなければ、結果発生を防止できないことが予想されること、④被害者である国民が規制権限の行使を要請し、期待することができる事情にあること、⑤行政庁において規制権限を行使すれば、容易に結果の発生を防止することができること、のいずれもが充たされる場合である。

(二) じん肺防止措置に関する職務権限

発じんの抑止、発じんからの遮断、粉じん暴露時間規制、じん肺防止環境の整備(じん肺教育、健康診断及び健康管理等)に関し、被告国が行使可能であった職務権限は以下のとおりである。

(1) 規則制定等

通産大臣は、鉱山保安法三〇条により、粉じんに伴う危害の防止のため鉱業権者がとるべき必要な措置に関する規則を定めることができる。また、同法六条は教育の実施を定めるとともに危険作業については教育の程度、就業の制限を定めることとしている。

労働大臣は、労安法二七条(昭和四七年一〇月以前は労基法四五条)により、粉じんによる健康障害を防止するために事業者がとるべき必要な措置に関する規則を定めることができる(ただし鉱山保安法二条二項及び四項の規定による鉱山による保安については除外される。)。また、労安法六九条(昭和四七年一〇月以前は労基法四五条)により健康障害を生じるおそれのある業務については規則を定めて作業時間を制限する職務権限を有し、労安法五九条、六〇条(昭和四七年一〇月以前は労基法五〇条)により、企業が行うべきじん肺教育の内容、方法、程度等を規則に定める職務権限を有し、労安法六六条ないし六八条(昭和四七年一〇月以前は労基法五一条及び五二条)により企業における健康診断及び健康管理について規則を制定する権限を有している。

右の各規則制定権限を適正に行使するために、専門的な調査研究を行うことができることは、法令上の規定を待つまでもなく当然である。

(2) 監督

鉱業法により、通商産業局長は、採掘着手時等における施業案の認可に当たり、作業の安全その他人に対する危害の予防に関する事項につき記載させ、これを審査することができる(同法六三条)。

鉱山保安法上、通産大臣、鉱山保安監督局長又は部長は、鉱業権者に保安に関する必要な報告をさせることができる(同法二八条)。鉱務監督官は、保安の監督上必要な場合は立入り等の方法で調査することができる(同法三五条)。また、鉱山保安監督局長又は部長は、鉱業権者が同法又は同法にもとづく省令に違反している場合にはこれに対し施設の使用停止の指定など保安に必要な措置を命じることができる(同法二五条、罰則は同法五五条)。

通産大臣は、鉱業の実施により危害を生ずるおそれがあると認めるときは鉱業の停止を命ずることができる(鉱山保安法二四条、二四条の二、五五条)。鉱山保安監督局長又は部長は、粉じん遮断対策や粉じん作業時間の管理を明記していない保安規程について、保安の必要がある場合は、不認可とする権限を有している。

他方、労働大臣、都道府県労働基準局長、労働基準監督署長、労働基準監督官は、労安法及びじん肺法上、鉱山保安法が定める内容とほぼ同様の権限を与えられている(労安法九一条、九八条、一〇〇条、じん肺法四二条、四四条。ただし鉱山保安法との関係での適用除外があることは前記(1)と同様である)。

(3) 労働大臣の通産大臣への勧告等

鉱山における危害の防止については、労働大臣は通産大臣に対して勧告することができ、労働基準主管局長は鉱山保安主管局長に対して勧告することができる(鉱山保安法五四条)。

(三) 職務権限行使によるじん肺防止の可能性

前記(二)のように、被告国がじん肺防止のために行使することができた職務権限は広範多岐にわたるものである。また、じん肺防止のためには単独の立法(けい肺等特別保護法、じん肺法)が存在していることは、右職務権限を積極的に行使すべきことが許されることを裏付ける。さらに、石炭企業は、戦中戦後の国家統制とその後の合理化法によって被告国に生殺与奪の権を握られていたことにより行政の指導に従順であったことからすれば、被告国が職務権限を行使すればそれに従わないはずがなく、じん肺の防止は十分に可能であった。

(四) 作為義務の成立

本件においては、以下のとおり、昭和二二年ないし二四年ころには、前記職務権限の行使を各行政担当者に義務付ける前記の裁量収縮五要件がすべて充足されていたというべきである。

また、昭和二八年の段階においては、被告国による職務権限の行使の必要性は極めて顕著なものとなり、その職務権限の行使は法的にも技術的にもほぼ万全となり、行使の障害はほとんどなくなった。

さらに、けい肺等特別保護法が制定された昭和三〇年、あるいはどんなに遅くとも旧じん肺法が制定された昭和三五年の段階では、被告国は、各職務権限を行使すべき絶対的な義務を負っていたというべきである。

(1) 「国民の生命身体に対し具体的危険が切迫していること」

我が国において炭坑夫じん肺が発生することは、既に明治中ころから医学症例報告によって知られていたが、昭和五年以降、炭鉱企業は、けい肺と炭肺の発生状況を報告するようになり、商工省がその患者数を昭和五年刊行の「本邦鉱業の趨勢」に発表した。さらに、昭和二三年以降(炭鉱については昭和二四年以降)の「全国珪肺巡回検診」の結果、炭坑夫じん肺の患者が多発している状況が改めて明らかになり、炭坑夫の生命・健康に危険が切迫していることが明らかになった。その後の六年間の調査の結果、昭和二八年までの段階においては、多数の労働者を擁する炭鉱でのじん肺対策の放置が大量のじん肺患者発生につながることが明白となった。

(2) 「行政庁がその危険を知り又は容易に知ることができたこと」

内務省や商工省の行政担当者あるいは鉱務監督官は、既に大正期には炭坑夫じん肺の存在を知り、その防止の必要性を説いた。昭和初年には石炭時報などを通じて啓蒙活動を展開し、昭和九年には商工省鉱山局と内務省社会局が後援して、各鉱山監督局ごとの鉱山衛生諸費会を開催し、じん肺とその予防についての講演を行った。このような認識に立って、昭和四年には商工省は、鉱業警察規則に粉じん防止規定を設け、翌五年六月には内務省が鉱夫けい肺の補償制度を設けた。そして、昭和二三年以降の全国珪肺巡回検診の結果、炭坑夫じん肺の発生状況を確認した。

(3) 「行政庁において規制権限を行使しなければ、結果発生を防止できないことが予想されること」

炭鉱企業の自主努力、自主保安のみでは発じんの防止、じん肺の防止はできないことは周知の事実であり、利潤追求に走る炭鉱企業を抑え、全国的に統一したじん肺対策を実現していくためには、被告国が規制権限を行使し、炭鉱企業に対する監督を的確に行うほかない。特に戦中戦後の保安衛生状況が悪化した時代は、被告国による指導監督が極めて重要であった。

(4) 「被害者である国民が規制権限の行使を要請し、期待することができる事情にあること」

大正一四年、全日本鉱夫総連合と産業労働調査所は、「ヨロケ」というパンフレットを作り、被告国によるじん肺対策を要求した。戦後になると、労働者のじん肺防止についての関心も高まり、昭和二一年、足尾町民大会でヨロケ撲滅の決議がされ、その後のじん肺運動の起点となった。昭和二三年には、金属鉱山復興会議が衆参の両院議長にじん肺問題について建議し、特別法の制定と啓蒙、指導機関の設置を要望した。

(5) 「行政庁において規制権限を行使すれば、容易に結果の発生を防止することができること」

じん肺防止対策の基本的な考え方は、既に大正末刊行の文献に記され、また昭和九年に商工省鉱山局と内務省社会局が後援して開催された鉱山衛生講演会においては、じん肺防止の各種対策が紹介されている。昭和一四年刊行の「最新炭鉱工学」によれば、戦前においても粉じん防止対策の方法、内容は少なからず知られていた。当時の技術を駆使し、各種の粉じん防止対策を組み合わせて実行すれば、じん肺の防止は十分に可能であった。

通産大臣は、昭和二七年の金属鉱山保安規則(以下「金則」という。)の改正で、金属鉱山については「けい酸質指定区域制度」を廃止し、粉じん対策に意欲的に取り組んだことで大きな成果を上げたが、炭鉱では同様な方策をとらなかった。

(五) 作為義務の内容

被告国が、昭和二二年ないし二四年ころ以降において負っていた作為義務の内容の概要は、以下のとおりである。

(1) 調査研究と対策立案義務

労働大臣及び通産大臣(昭和二四年以前は商工大臣)は、憲法、労基法、鉱山保安法の求める労働者保護と粉じんによる危害の防止を実現していくため、じん肺の防止についての調査研究を実施し、じん肺防止対策を立案していく義務を負う。また、石炭生産確保のために被告国が行った資材・資金技術の援助に準じて、じん肺防止についても相当の資材・資金援助や技術援助を行う必要がある。

(2) 規則の制定・整備義務

通産大臣は、その規則制定職務権限に基づき、炭鉱におけるじん肺防止のため、必要な規則を定めあるいは規則を整備する義務を負う。また、労働大臣は、粉じん作業時間の規制や粉じん作業者の定期健康診断、有所見者の健康管理等について、必要な規則を整備する義務を負う。

(3) 被告国による教育の実施義務

通産大臣、鉱山保安監督局長又は部長、労働大臣、労働基準局長は、その所管に従い、炭鉱その他の粉じん事業所の関係者に対し、直接あるいは教育用文書を配布して教育を行うべき義務を負う。

(4) 監督の実施義務

鉱務監督官、鉱山保安監督局長又は部長、通産大臣、労働基準監督官は、それぞれ前記(二)(2)記載の各種職務権限を行使し、石炭企業をして、①粉じんの発生を防止するための散水・注水、湿式さく岩機等の各種粉じん発生源対策を行わしめること、②防じんマスクを設置して労働者に着用させる等の粉じん遮断対策を行わしめること、③坑口八時間制を遵守せしめ、粉じん作業時間を短縮させること、④じん肺についての健康診断・健康管理を実施させること、⑤じん肺教育を行わせることにつき、改善指導等を行う義務がある。

(5) 労働大臣等による通産大臣等への勧告義務

労働大臣及び労働基準監督局長は、通産大臣及び鉱山保安監督局長又は部長に対し、じん肺防止のため講ずべき対策とその実施について、炭則中に定めるべきじん肺対策や炭則中の改正すべき規定について、炭鉱において行うべき監督の内容や改善を図るべき監督内容について、それぞれ勧告すべき義務を負う。

(六) 被告国の作為義務違反(措置別の整理)

被告国が負っていたじん肺防止に関する作為義務に違反する事実の具体的内容は、以下のとおりである(各時代ごとにおける義務違反については、後記(七)記載のとおりである。)。

(1) 憲法制定後、鉱山保安法制定までの間の規制の不存在

右期間においては、鉱業警察規則による規制が行われるべきであったが、被告国は炭鉱労働者のじん肺罹患の危険性を一顧だにせず、鉱山監督局長は、鉱業権者に同規則六三条の遵守をさせなかった。

(2) 制定当初の炭則二八四条

右規則は、坑内作業に関し、「衝撃式さく岩機によりせん孔するときは粉じん防止装置を備えなければならない。ただし、防じんマスクを備えたときはこの限りではない」と規定している。右規定は、同時期に存在した旧労安則の内容に比較して、①防じん対策を講じるべき範囲が狭いこと、②マスクが代替的な地位として認められる点で劣っており、通産大臣は、石炭鉱山におけるじん肺防止措置の水準の設定についての作為義務を怠った。

(3) けい酸質区域指定制度の導入と維持

① けい酸質区域指定制度は、昭和二五年の炭則改正により導入されたが、当時の知見に照らせば、遊離けい酸質を含有する粉じんのみを規制対象とするこのような制度を創設すべきではなかった。

② 金則においては、昭和二七年にけい酸質区域指定制度を廃止したのであるから、石炭鉱山においても同時期にこの制度を廃止すべきであったのにもかかわらず、これを維持した。

③ 昭和三〇年にけい肺等特別保護法が制定され、さらに昭和三五年には旧じん肺法が制定され、鉱物性の粉じんによるじん肺一般を救済の対象にしたのであるから、各時点においてこの制度を廃止すべきであったにもかかわらず、これを維持した。

④ けい酸質指定区域において必要とされる防じん対策の内容が、せん孔時の散水と湿式さく岩機の使用及び発破時の退避にとどまり、後に給水確保及びせん孔時の注水が付加されたものの、いずれにせよ防じん対策として不十分であった。

⑤ けい酸質区域の指定の前提となる、遊離けい酸分の実態調査を遅滞し、この制度を十分に機能させていなかった。

⑥ けい酸質区域の指定は、ようやく昭和二七年になって実施されるようになり、また、指定数は著しく少なかった。また、指定基準は、昭和三一年まで存在せず、その指定基準も金属鉱山に比較すれば格段に低かった。

(4) 粉じんの恕限度の設定

① 昭和二九年一月に改正された炭則では、通産大臣が恕限度を告示で定めることとされていたが、通産大臣はその具体的な基準の設定を懈怠した。また、労働省は、昭和二三年ころから、恕限度の基準となり得る具体的数値を検討して発表していたが、結局労働大臣においても省令立法を行わなかった。

② 恕限度の設定の前提となる粉じんの実態調査を怠り、金属鉱山における調査と比較して低水準であった。また、炭鉱で使用可能な防爆型の粉じん濃度測定器の研究開発を怠った。

(5) 散水

鉱業警察規則や旧労安則の規定に照らし、粉じんが発生する作業についてはすべて散水を行うべき規定を置くべきであったのに、昭和二四年の炭則制定時においては「衝撃式さく岩機を使用してせん孔するとき」にのみ限定され、昭和二五年のけい酸質指摘区域制度導入とともにせん孔作業前の散水が明文化されたものの、昭和三〇年の改正でも「岩石の掘進、運搬、破砕等」に拡大されたに過ぎず、全体に拡大されたのは昭和五四年になってからであった。

(6) 湿式さく岩機

湿式さく岩機が乾式に比較して粉じんの抑制効果において著しいことは周知の事実であり、戦前から一部炭鉱において使用されていた例もあったにもかかわらず、昭和二四年の炭則制定時においては湿式さく岩機の使用が義務化されず、かえって防じんマスクの備置の例外規定により乾式さく岩機が横行し、その後けい酸質区域指定制度を導入して、全山の湿式化を図ることを懈怠した。また、鉱務監督官は、指定区域でも湿式化の指導監督を怠った。

(7) 通気

① 通気措置についての炭則の規定は、ガス爆発防止や呼吸維持を目的するものに過ぎず、じん肺防止目的の規定は存在しない。

② 通気量と粉じん希釈が関連付けられて測定されたり、研究されたりしていない。

③ 昭和三〇年ころには、通気をじん肺防止に役立てるためには炭則を改正する必要があるとの認識があったにもかかわらず、これを怠った。

(8) 集じん装置

坑内作業における集じん装置の使用に関する規定は、昭和五四年の炭則改正まで存在せず、右改正規定も、炭じん爆発防止措置を履行すれば集じん装置は免除するとの内容であって不十分である。

(9) 防じんマスク

① 防じんマスクは、補助的な手段であって、粉じん防止装置の有無にかかわらず粉じんの発生が著しい作業場においては常に着用を義務付けるべきであり、旧労安則一八一条、一八四条はその趣旨の規定であったにもかかわらず、昭和二四年の炭則制定に当たっては、防じんマスクは粉じん防止装置と代替的であると位置付けた規定を置き、防じんマスクの備え置きを全粉じん作業現場にまで義務化するのを昭和五四年まで怠り、粉じん防止措置の有無にかかわらず防じんマスクを義務化するのは昭和六一年まで懈怠した。

② 巡回検査に当たりマスクの支給・着用状況を検査せず、企業における防じんマスクの使用についての履行状況・教育状況の監督を怠っていた。

(10) 発破時退避規制

① 昭和二五年の炭則改正においては、けい酸質指定区域における発破時の退避については、「粉じんが適当に薄められた後でなければ、発破をした箇所に近寄らず、かつ、他の者を近寄らせてはならない」と規定されている。退避すべき濃度及び退避時間の具体的な設定をなさなければ意味のない規定であるにもかかわらず、それが行われていない。

② 発破後、退避時の粉じん濃度に復帰するのに必要な時間は、発破後四〇ないし六〇分かかるとされ、上がり発破、昼食時発破の実施が望ましいにもかかわらず、石炭企業は退避時間を極めて短時間にして作業を行わせていたところ、この実態を調査せず、監督指導を怠った。

(11) 岩粉法規制

① 昭和三〇年の炭則改正において、多量の遊離けい酸分を含有する岩粉の使用の禁止を新設したが、けい肺の原因物質であることは戦前から医学的知見として確立していたことに鑑みると、右の規制時期は遅きに失し、また、その「多量の遊離けい酸分」の具体的内容は昭和四六年に日本工業規格で制定するまであいまいなまま放置された。

② 遊離けい酸分を含有する岩粉散布の中止ないし回避を監督すべきであったのに、むしろ岩粉散布を推進し、じん肺に罹患しやすい状態を作り出した。

(12) じん肺教育

鉱山労働者に対してじん肺の教育をすることは、じん肺防止の実現にとって不可欠なことであるにもかかわらず、炭則では、昭和五四年までじん肺教育をすべきことにつき明文の規定を置かなかった。

(13) 鉱務監督官制度及び監督

① 戦前の制度では、工学的技術的専門知識を有する鉱務監督官と、医師たる資格を有して医学的衛生的観点から鉱山保安監督行政を行う鉱務監督官が存在した。通産大臣は、医師たる鉱務監督官を一定数配置する制度を創設すべきであったのに、それを怠った。また、医師たる鉱務監督官を任命すべきであったのに、それを怠った。

② 鉱務監督官は、鉱業権者による健康診断が十分に履行され、その結果が有効に役立てられているかどうかについて監督すべきであったのにこれを怠った。

③ 鉱務監督官が、じん肺の防止を目的としてなされた改善指示は極めて少なかった。また、監督官の検査の実態は、坑内粉じん作業による粉じんの現実を見ることなく終わり、極めて形式的なものであった。

(14) じん肺検診(健診)

① 労働省が実施した昭和二三年からの珪肺巡回検診は、小規模であったため炭鉱労働者のじん肺の全容を把握するものではなく、また、その後の政府健診によっても同様であった。

② 鉱業じん肺の疾患の性質上必要な離職者への措置を怠った。

③ 炭鉱企業において健康診断の実施とその結果の履行の遵守の実態を調査しなかった。

(15) 粉じん暴露時間規制

① 粉じん作業時間規制

坑口八時間規制という定型的一般的な労働時間規制にとどまらず、粉じん障害を防止するために個別具体的に一層細かく規制すべきであったのに、これを怠った。

② 配置転換

被告国は、一定時間粉じん作業に従事した労働者については、非粉じん作業への配置転換が必要であることの認識をしていたのであるから、これを省令立法すべきであった。

また、じん肺有所見者についての配置転換につき、より充実した配置転換の省令立法をすべきであった。

(16) 労働基準監督

労働基準監督官は、じん肺防止のために被告企業に対して指導監督をすべきであったのに、労働基準行政は、坑内に関する事項について、事実上不介入の立場を維持していた。

(17) 労働大臣の勧告

労働大臣は、鉱山保安法五四条による勧告権限を有し、医師資格のある者の鉱務監督官への任命、けい酸質区域指定制度の是正、粉じん恕限度の早期告示、各種発じん防止措置・防じん措置等の粉じん作業環境の是正に関して指導監督の徹底化等に関して勧告をする必要があったにもかかわらず、これを怠った。

(18) じん肺に関する総合的調査・研究

被告国は、石炭鉱山における粉じん作業現場における防じん措置の不履行の実態、じん肺患者多発の実態に瞑目し、現実のじん肺被害とその防止措置に関する調査研究を行うこと、特に、石炭鉱山における現実のじん肺発生状況の徹底調査、粉じん職場の実態調査等を懈怠してきた。

(七) 被告国の作為義務違反(時代別の整理)

(1) 戦後、昭和二八年まで

① 炭則二八四条制定についての義務違反

昭和二四年、鉱山保安法が制定され、通産大臣は同法に基づいて炭則を制定した。制定当初の炭則二八四条は、坑内作業に関し、「衝撃式さく岩機によりせん孔するときは粉じん防止装置を備えなければならない。ただし、防じんマスクを備えたときはこの限りではない」と規定している。右規定は、同時期に存在した労基法に基づく旧労安則の内容に比較して、防じん対策を講ずべき範囲が狭い点、防じんマスクが代替的な措置として認められる点で劣っていたばかりか、昭和四年において改正された鉱業警察規則における粉じん防止規定よりも後退した内容であった。したがって、通産大臣は、石炭鉱山におけるじん肺防止措置の水準の設定についての作為義務を怠ったものである。

② けい酸質区域指定制度の導入についての義務違反

通産大臣は、昭和二五年、炭則を改正して、湿式のさく岩機を使用すべき義務を課する「けい酸質区域指定制度」を導入した。しかしながら、通産大臣は、後に、右区域の指定基準について遊離けい酸分の含有率を四〇パーセント以上と定めたばかりか、区域指定もほとんど行わなかったので、大半の炭鉱には右規定は適用されなかった。その結果、炭則二八四条は存在していたものの、湿式さく岩機の普及が進まなかった。他方、この制度の存在は、けい酸質区域に指定されなかった場所におけるじん肺防止対策の懈怠の免罪符として機能した。当時の知見に照らせば、遊離けい酸質を含有する粉じんのみを規制対象とするこのような制度を創設すべきではなかった。

③ 労働大臣等の勧告権限の不行使

右のような各炭則の規定は、その内容が不十分であったのであるから、労働大臣及び労働基準監督局長は鉱山保安法五四条の勧告権限を行使して是正させるべきであったのに、これを怠った。

④ 労働大臣等の健康管理制度制定についての義務違反

労働大臣は、けい肺等特別保護法を待つまでもなく、旧労安則を改正して企業にじん肺に関する健康診断を行うことを義務付けるか、あるいは、労働大臣及び労働基準監督局長は珪肺措置要綱を改正してじん肺健康診断を行わしめ、有所見者につき早期の配置転換を行わせるべきであったにもかかわらず、これを怠り、巡回検診を行ったに過ぎなかった。

⑤ 右のほか、じん肺に関する調査研究・対策の立案、じん肺教育を怠ったばかりか、炭則で定められた散水、防じんマスクの使用等についての企業に対する監督も不十分であり、作業時間の規制についての監督も行われなかった。

(2) 昭和二八年ないし三〇年の段階での被告国の義務違反

① けい酸質区域指定制度の廃止についての義務違反

金則においては、昭和二七年にけい酸質区域指定制度を廃止した。これは、人体に有害な遊離けい酸分の含有率の程度を定めることが困難であるため、実効性に欠けるという理由によるものであったが、金属鉱山においても粉じん中の遊離けい酸分含有率が一〇パーセント程度のところも存在した。したがって、石炭鉱山においても、同時期にこの制度を廃止すべきであったのにもかかわらず、通産大臣はこれを維持した。

② けい酸質区域指定制度の運用についての義務違反

右制度を存続させる場合には、通産大臣は、けい酸質区域の指定を速やかに行うべきであったところ、右指定を極めて遅々としか行わなかった。

③ 労働大臣等の勧告権限の不行使

右のようなけい酸質区域指定制度の存続と運用は、じん肺防止のために有害でさえあったのであるから、労働大臣及び労働基準監督局長は鉱山保安法五四条の勧告権限を行使して是正させるべきであったのに、これを怠った。

④ 労働大臣等の健康管理制度制定についての義務違反

前記(1)④と同様である。

⑤ 炭則の履行についての監督義務違反

鉱務監督官は、粉じん対策としての散水等の実施、湿式さく岩機の使用について指導監督すべきであったのに、これを怠った。

⑥ 右のほか、じん肺に関する調査研究・対策の立案、実効性のあるじん肺教育を怠ったばかりか、炭則で定められた散水、防じんマスクの使用等についての企業に対する監督も不十分であり、作業時間の規制についての監督も行われなかった。

(3) 昭和三〇年ないし三五年の段階以降における被告国の義務違反

① 通産大臣の恕限度告示についての義務違反

昭和二九年一月に改正された炭則では、通産大臣がさく岩機により飛散する粉じんの量についての恕限度を告示で定めることとされていたが、通産大臣はその具体的な基準の設定を懈怠した。他方、労働省においては、昭和二三年ころから、恕限度の基準となり得る具体的数値を検討して発表していたが、結局労働大臣も恕限度に関する省令立法を行わなかった。

② けい酸質区域指定制度の廃止についての義務違反

昭和三五年には旧じん肺法が制定され、鉱物性の粉じんに一般の有害性が法律のレベルでも肯定されたのであるから、湿式さく岩機の使用をけい酸質区域に限定する理由は全く失われた。したがって、この制度を廃止すべきであったのにもかかわらず、通産大臣はこれを維持した。

③ 労働基準局長の配置転換の勧告に関する義務違反

けい肺等特別保護法及び旧じん肺法の制定により、労働基準局長が企業に対して配置転換を勧告すべきことが定められたところ、実際には配置転換がほとんど実現しなかった。これは当該企業による賃金格差の補償やじん肺教育の不十分性に由来するものであったところ、これらに対する適切な配慮がないまま配置転換の不実施を放置した。

④ 炭則の履行についての監督義務違反

金属鉱山においては、粉じん防止措置について鉱務監督官により多くの指導がなされていたのに比較して、石炭鉱山においてはその監督の程度が極めて低く、散水や湿式さく岩機の使用についての監督がほとんど行われなかった。

⑤ 右のほか、じん肺に関する調査研究・対策の立案、実効性のあるじん肺教育を怠ったばかりか、炭則で定められた散水、防じんマスクの使用等についての企業に対する監督も不十分であり、作業時間の規制についての監督も行われなかった。

(八) 北炭に対する監督権限の不行使

昭和三〇年代は、合理化政策が推進される一方において、じん肺法制が整備された時期であり、また、被告国の主張によればじん肺に関する知見が確立した時期でもあるところ、右時期以降においてもなお、被告国が北炭に対する規制権限の行使を怠っていた事情は、以下のとおりである。

(1) けい酸質区域指定制度

被告国は、北炭の各炭鉱におけるけい酸質区域の指定につき、遊離けい酸分の調査を実施しないか、あるいは実施しながらも右制度の発足から七年から一〇年後になって指定するなど、制度の運用を大幅に遅らせた。また、指定区域についても、岩石掘進現場の一部に限定したばかりか、沿層掘進現場がほとんど除外された。

(2) 湿式さく岩機の使用

北炭は、けい酸質指定区域以外においてのみならず、区域内においても、湿式さく岩機を使用させることを懈怠していたところ、被告国はこれに対する指導監督を怠り、右状態を容認していた。

(3) 散水

北炭は、掘進切羽での散水設備の設置を著しく遅延していたところ、被告国は、防爆対策としての散水はともかく、じん肺対策としての散水を軽視し、指導監督を怠った。

(4) 防じんマスク

北炭においては、炭則の規定にもかかわらず、昭和二〇年代においてはマスクが支給されていなかったところ、被告国は、これに対して指導監督を行わず、その後においても適切な調査と指導を怠った。

(5) 健康診断・配置転換

北炭で粉じん作業に従事していた原告ら元従業員の中には、退職後初めて管理区分四などの重い症状の決定を受けた者や、管理区分の決定を受けながら粉じん作業を継続していた者が存在し、これは北炭において「じん肺隠し」が行われていたという実態の証左であるところ、被告国は、じん肺健康診断の実施及びその調査についての監督や配置転換勧告を懈怠した。

(6) じん肺防止教育

北炭においては、昭和五四年の炭則改正以後になってじん肺教育が組織的に行われるようになったところ、それ以前において被告国がじん肺教育について指導監督した事実は皆無である。

(7) 鉱務監督官及び労働基準監督官による監督の実際について

北炭夕張鉱・幌内鉱に対する監督についてみれば、鉱務監督官による巡回検査は、あらかじめ検査期日及び巡回場所が鉱山側に連絡され、巡回中は作業が停止されるなど、粉じん作業の現実を見ることなく行われた。巡回後には監督官が書面により監督指示を行うものの、その指示事項の改善がなされないままに放置されたものも多かった。また、監督官が監督すべき事項のうち、けい酸質区域における湿式さく岩機の使用、防じんマスクの使用、じん肺教育等については、ほとんど監督がなされていない状態であった。

他方、労働基準監督官による監督は、様々なじん肺防止措置のうち、労働省がいずれの部分を所管するかについては不明確であったため、労働基準監督官は炭鉱坑内の労働安全衛生について不介入の態度をとり、また、坑外においても不十分な監督がなされたに過ぎなかった。

以上のとおり、被告国のじん肺防止対策上の規定が不備であったため右規定のもとでの被告国の指導監督が極めて不十分であったこと、規定の不備の状態が昭和二四年の炭則の制定から昭和六一年の炭則改正に至るまでほぼ全期間に及んでいること、右規定の不備及びその不備のもとでの監督指導の懈怠が北炭のじん肺対策の欠如ないし懈怠に直接の影響を与えていることが、原告らの被害をもたらしたものである。

二  被告国の主張

1 じん肺に関する知見

(一) 戦前

戦前において、けい肺の危険性が認識されていたのは、遊離けい酸分を多量に含有する岩石の粉じんについてであり、金属鉱山等においては一定の頻度でけい肺が発生することは一般的に認識されていた。他方、炭鉱におけるけい肺は、個別的症例について少数の報告があったが、学会においてコンセンサスが得られておらず、また社会問題ともなっておらず、被告国が行政上取り上げて何らかの規制措置をしなければならないほどの危険性を認識するには至らない段階にあった。また、石炭鉱山における炭肺の発生の事実はごく少数ながら指摘されていたが、炭粉の有害性は低いとするのが通説であった。

原告らが指摘する大正一〇年ないし昭和五年の間の諸論文に示された見解はいずれも個人的見解に過ぎず、医学界の統一した知見に至っていないものであり、昭和初期のじん肺に関する情報は、被告国がこれに対して対策を講ずるには不足していた。

昭和四年、鉱業警察規則が改正され、技術管理者、衛生係員の制度を規定し、粉じん対策についても規定を設けたが、この改正規定は、金属鉱山を主眼としていた。昭和五年六月、社会局労働部長から鉱山監督局長宛に鉱夫労役扶助に伴う通牒が発せられ、けい肺が業務上の疾病として認められたが、この通牒は現行の改正じん肺法における健康管理区分とは異なり、臨床症状が出現するような相当重症のけい肺に罹患した労働者に対する金銭的補償を定めたに過ぎない。

(二) 戦後

戦後において、金属鉱山等におけるけい肺問題が社会問題化したが、炭鉱においてはヨロケやけい肺が発生するとは考えられておらず、昭和二〇年代後半の教科書的な知見によれば、炭粉は良性であってほとんど障害を惹起することがないとされていた。昭和二三年から労働省により珪肺巡回検診が行われ、昭和二四年及び二五年には炭鉱もその対象となり、けい肺罹患者が発見され、けい肺の発生原因が、掘削現場の岩盤中に含有する遊離けい酸分を多量に吸入することであるなど、けい肺の実態が明らかになってきた。しかしながら、その予防対策についても研究すべき分野が多く、また、粉じん濃度測定技術も未熟で試験・研究段階にあった。その後、昭和三〇年代に至って、教科書的な医学的知見が、石炭鉱山におけるけい肺発生に触れるに至った。

被告国は、戦後に行われた労働省の珪肺巡回検診(昭和二三年度から二九年度まで)を通じて、けい肺の原因や発生機序、病理等についての医学的知見及びけい肺防止に関する工学技術的知見を得、その後政府けい肺検診がすべて終了した昭和三三年四月には、炭坑夫じん肺について、それまでのけい肺防止の観点から脱却し、より広くじん肺防止の観点に立った知見を得た。

(三) 作為義務との関係

職業性疾病についての情報が次第に蓄積されている過程において、被告国が行政上の対応をすべき作為義務を負うのは、それが行政上の対策を必要とする程度の危険性を有することを、医学的・疫学的知見に基づいて認識した時点以降であるというべきである。そして、過去のある時点を捕らえて被告国がいかなる措置をとるべきであったかを論ずるに当たっては、鉱山保安行政や労働基準行政における解決すべき行政課題の緊急性、重要性を踏まえつつ、その時点におけるじん肺発生状況とその把握の程度、医学的研究の到達段階、技術・衛生工学的研究の程度を考慮し、現実に実行可能な対策が立てられるような知見がなければならず、単に何らかの情報があったというような時点を捕らえて、医学的知見があったとして直ちに被告国の作為義務が発生するというべきではない。

2 直接的加害責任

(一) 国賠法の適用範囲

原告らは、明治から戦後に至るまでの石炭政策を被告国の直接加害責任を基礎付ける事実として主張しているところ、国賠法は、昭和二二年一〇月二七日に施行されたものであり、同法施行前の公務員の行為に基づく損害については適用がない(同法附則六条)。

(二) 石炭政策と違法論

一般に、経済政策は相互に関連する多くの複雑な要因について長期的展望に立った統一的、合目的的な評価と判断を経る必要があり、政府がいかなる経済政策を選択すべきかということについては、これを具体的に拘束する何らの実体法規も存せず、その選択、決定は政府の政治的専門的な自由裁量に委ねられていると解するのが相当であり、裁量の逸脱濫用のない限り、国賠法上も違法とはならない。

国賠法上の違法性は、公務員の職務上の法的義務に対する違反と考えるべきところ、仮に石炭政策のために、じん肺によって石炭企業労働者の生命身体という法益が侵害されたとしても、政治的行政的責任が生じることは別として、国賠法上は、これに関与した公務員の職務上の義務違反がない限り、直ちに石炭政策の策定と実行が違法であるとはいえない。原告らは、被告国が行った個別特定の石炭政策ではなく全体の石炭政策をもって違法性の有無を判断すべきと主張し、当該公務員が犯したとする職務上の義務違反が何であるか、違反した法規が何であるのかについて具体的な主張を行っておらず、単なる法益侵害によって直ちに国賠法上の違法性が生じていると断じているものと変わらない。

(三) 被告国と被告企業との一体性と安全配慮義務

産業政策は、個々の企業が任意に決定し実行する個別的企業計画を、将来における産業の望ましいと考えられる状態に向けて誘導しようとするものに過ぎず、国営事業とは根本的に異なるものである。産業政策に含まれる生産量の目標の設定、資金援助や経済的優遇措置、諸種の規制の内容は、政策決定当時の経済情勢、当該産業の産出物の必要性、緊急性等に応じて差異があるのはもとより当然であるから、石炭政策のそれが他産業や現代の産業政策の手法と比較して一時的に強力であったと認められたとしても、それをもって当該産業ないし個別企業を被告国が支配管理していたとみることは短絡的である。

また、法令の範囲内においてどのような職場環境の中でどのように労働者を使用していくかは専ら企業の経営に委ねられている事柄であって、産業政策と、労働者の労務提供過程を含む個別の企業の具体的な生産過程とは、直接的な関係がなく、労働者の生命・身体を危険から保護するように配慮すべき義務は企業が負っているというべきである。

(四) 北炭の経営に対する被告国の関与

(1) 夕張新鉱の開発について

原告らが主張するいずれの点をもってしても、被告国が北炭夕張新鉱の経営を管理していたとみることはできない。被告国は、北炭に対して夕張新鉱の開発着手を勧告したことはなく、当該地域について試錐調査を行っていた北炭に対して開発の意思の有無を打診したに過ぎない。また、北炭ウォッチ体制は、再建整備法上の勧告が行われる前の段階で北炭が再建計画を達成できるように、北炭夕張社が夕張新炭鉱の経営を行うことを前提にその実施状況を把握し適切な指導を行うために構成された補助的な性格のものであって、国家管理の程度に至るものではない。また、石炭鉱業審議会経理審査小委員会が北炭夕張社の経営陣の更迭を要求したことはなく、北炭夕張社が修正再建計画を達成できない基本的原因が経営管理のあり方に問題がある旨を指摘したに過ぎないものである。

(2) 合理化計画、再建整備計画及び保安計画と被告国の関与

被告国は、石炭鉱山に関する政策及び保安監督行政を遂行するに当たって石炭企業から合理化計画等の資料を求めたものであるが、合理化法及び再建整備法はいずれもその目的において産業政策としての施策であり、じん肺予防対策を盛り込む性格のものではないし、被告国の石炭企業に対する保安確保に関する指導監督は保安計画のみによって実施するものではなく、これらの各計画に粉じん防止に関する対策及び教育事項の記載がないからといって、被告国がそれらの事項について指導監督の範疇から除外していたということにはならない。

3 規制監督権限の不行使

(一) 国賠法上の違法性

公務員が規制権限を行使しなかったという不作為をもって国賠法上違法といえるか否かが争われている事案においては、原告らが具体的に主張する作為義務の内容である特定の規制権限に着目し、当該規制権限の内容及び発生要件を行使することが可能であるか、可能であるとして、当該規制権限を行使することが原告らに対して負担する職務上の法的義務と評価する余地があり得るのかどうかを判断し、さらに、これが肯定された場合において、行使すべき作為義務があり得るのかどうかが判断されるべきである。

この点、鉱山保安法令は、①鉱業権者の国家に対する義務を定め、その義務違反を規制する取締法令であり、②その内容は、鉱業権者が保安管理機構を整備すること等により保安を確保することに対して被告国が後見的に基準を設定するなどの権限を定めたものであり、被告国が鉱山労働者を直接的に保護することを目的とするものではない。したがって、鉱山保安法令に基づき、所管の担当公務員が労働者に対して直接行政権限を行使すべき法的作為義務を負担するとはいえないというべきである。

また、労基法、労安法、じん肺法及びけい肺等特別保護法は、被告国に対する使用者の義務を定め、右義務に対する違反を規制する取締法規であり、労働基準行政及び労働安全衛生行政を担当する公務員である労働基準監督機関が個別の労働者に対して直接義務を負担することを規定するものではない。

(二) 裁量行為と違法性

ある規制権限について、それを行使するための要件が完全に充足されているとしても、その規制権限を行使するかどうかが行政庁の裁量に委ねられている場合は、その不行使が違法とされることは原則としてあり得ない。規制権限があるにもかかわらず、それを行使しなかったことが国賠法上違法と評価されるためには、行政庁に認められた裁量の範囲を逸脱しているかどうかという観点から検討すべきであって、具体的諸事情の下において、権限行使を行政庁に委ねた根拠規定の趣旨、目的、性格等に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるか否かを基準とすべきである(裁量権消極的濫用論)。人の生命、健康にかかる規制権限の行使に当たっても、専門技術的判断を必要とすることから、裁量行為であることは否定できない。

なお、原告らは、省令立法権限の不行使についても、被告国の作為義務違反として主張するところ、一般的な規範定立行為としてなされる省令立法は、国民全体との関係でなされるものであって、直接具体的な国民を相手方として行われるものではないから、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく、その不履行が国賠法上違法の評価を受けることはあり得ない。炭則の制定及び改廃という省令立法権限の行使は、鉱業権者を一律に拘束すること、中央鉱山保安協議会の議に付すべきこととされていること等からみても、その裁量は、個々の国民に対する規制権限の行使における裁量とは質的に大きな差があるというべきである。

(三) 鉱山保安法に基づく規制監督権限の行使について

(1) けい酸質区域指定制度の導入と維持

① けい肺は、戦前において、金属鉱山には発生するが炭鉱においては発生しないものと考えられていたが、昭和二四年ないし二五年のけい肺検診の結果、炭鉱においても遊離けい酸質がけい肺を引き起こすことが一般に認識されるようになった。この知見に従い、昭和二五年の炭則改正において、一般的な粉じん対策に加えて、遊離けい酸質を多量に含有する区域を規制対象としたものである。

② 金則において昭和二七年にけい酸質区域指定制度を廃止したのは、けい肺の主たる原因が遊離けい酸含有粉じんが最も有害であると認識されながら、恕限度が確立できないでいたところ、金属鉱山の岩石は一般に遊離けい酸分の含有率が高いことから、その有害性に着目して一律の規制としたものである。他方、炭鉱は、遊離けい酸分の少ない石炭を採掘することを目的としており、遊離けい酸分の多い区域において、粉じんに対する対策を一層厳しく規制するために上乗せの規制を行っていたものである。

③ 昭和三〇年には、炭則を改正し、粉じん規制の対象を拡大し、湿式さく岩機の使用を促進していたところであるが、これは、同年に制定されたけい肺等特別保護法の制定に伴ってなされたものであり、また、昭和三五年に制定された旧じん肺法の趣旨を織り込んだものであった。

④ けい酸分の調査は、昭和二八年以前、北海道管内においては、採取した資料の遊離けい酸含有率の分析を行える機関が限定されていたので十分に行えなかった。昭和二八年に「りん酸法」が確立され、監督部局は「岩石採取要領」に基づき遊離けい酸分調査を実施した。

けい酸質指定区域の指定は、右調査の結果を踏まえ、昭和三一年二月の指定基準(四〇パーセント以上)の設定に基づき、昭和三二年に二炭鉱を指定し、昭和三四年九月の指定値の強化(三〇パーセント以上)に基づき、同年一〇炭鉱を指定し、以後昭和五五年までに二六炭鉱の指定を行っているが、遊離けい酸分の効果的な分析方法が確立された後、岩石掘進を比較的多く行っていた大手炭鉱を優先的に遊離けい酸分の調査を開始し、分析の後指定したものである。

⑤ けい酸質区域指定の要件の設定は、昭和二三年の労働省労働基準局通牒の「遊離けい酸分五〇パーセント」等を参考としており、その後順次指定要件を強化していたものである。

⑥ 昭和二七年ないし二九年の監督状況は、監督指導方針及び監督指導要領を定め、金属鉱山と区別なく適用してきたが、炭鉱において監督の状況が異なっていたのは、けい肺発生状況がその時点では全体の把握ができていなかったこと、炭鉱の岩盤中の遊離けい酸分の実態が明らかではなかったことから、実態把握を進めていた時期に当たることに起因するものである。

(2) 粉じんの恕限度設定

① 恕限度に関する告示が作成できなかったのは、当時の防爆型粉じん測定器は信頼のおける精度がなく、精度の高い測定器は炭鉱の坑内では使用できないという問題があったためである。珪肺対策審議会の「粉塵恕限度専門部会」においても合意が見られなかったことからすれば、通産大臣が具体的な数値を設定できなかったことに懈怠はない。そして、粉じん恕限度に代わるものとして、衝撃式さく岩機の給水についての告示を作成し、昭和二九年に中央鉱山保安協議会に諮ったが、結論は得られなかった。

② 粉じんの実態調査については、昭和二七年度以降調査を行うとともに、通産省は昭和二八年度には中野實早稲田大学教授等の指導のもとに粉じん測定技能習得のための講習会を実施し、監督部局は、昭和二九年度に鉱務監督官等を講師とする粉じん測定講習会を、その後も粉じんをテーマとした講習を実施し、これらの受講者が各炭鉱において調査に当たるとともに粉じん教育等を行った。

また、監督部局は、特定検査として、昭和二七年度から昭和四〇年度にかけて、粉じん防止調査のほか、けい肺防止のための基礎調査及び粉じん発生状況調査等の各種特定検査を実施していた。

防爆型で、かつ、微細な粉じんの濃度を信頼するに足りる精度及び安定性をもって測定することのできる測定器の技術は当時存在しなかった。

(3) 散水

炭則では、炭じん防止対策のための諸規則を拡充してきたところ、炭じん対策と粉じん対策とは共通性がある。

(4) 湿式さく岩機

炭則制定時においては、炭鉱において湿式のさく岩機を義務付けることは技術的に困難であった。また、湿式の小型衝撃式さく岩機が実用化された昭和三〇年以降においては、その導入につき監督指導に怠りがない。

粉じん抑制には毎分一リットルないし三リットルの給水が効果的とされているところ、監督部局はこの指導を行ってきた。湿潤剤については、抑制効果が顕著ではないことから使用すべきであるとの指導はしなかった。

回転式さく岩機については、その機構上粉じんの発生が少ないから、規制対象としなかったものである。

(5) 通気

① 坑内の通気は、鉱山保安の根幹ともいうべき重要な事項であるから、空気の質、量、速度、通気系統、気温、湿度等に関して詳細な規定が設けられており、粉じん対策をも含んだ総合的な環境保全対策として位置付けられるものである。

② 昭和三〇年の改正で、ほぼ現行規則の内容と同じになっており、改正についての遅滞はない。

(6) 集じん装置

衝撃式さく岩機用集じん装置、風管式集じん装置などの各種集じん装置は、炭鉱内での使用についての技術的な問題から、条件の適合する場所においては実用化されていたが、一般的な方法として普及するまでには至っていないものであって、集じん装置の普及についての懈怠はないし、固定施設であるクラッシャーやチップラーについては、集じん機の利用を促進すべく指導を行っていた。

(7) 防じんマスク

① 炭則制定当時の防じんマスクの性能は必ずしも十分なものではなく、その装着のみをもってしては炭鉱における粉じん吸入防止対策の一つとして位置付けることはできなかったため、衝撃式さく岩機を使用する場所における粉じん防止装置の代替措置とされていたものであり、その後、マスクの改良に伴って、昭和二五年から、規格について日本工業規格で定め、労働省において国家検定を開始し、使用義務を強化したものである。静電ろ層の開発により、吸気抵抗が減少して実用性が高まり、昭和三七年に日本工業規格を改正した。防じんマスクの普及につき指導し、北海道は全国的にみても普及率が高い。

② 防じんマスクの着用状況は、鉱務監督官による立入検査の一つとして点検しており、管理状況についても指導監督をしていた。

(8) 発破退避措置

① 発破退避時間は、粉じんのみならず、可燃性ガス等を含めそれぞれの規制を満足させなければならない上、発破箇所の地質条件、自然条件によっても相違するため、退避時間を個々に規定することは困難である。粉じん発生状況の判断は、目視によって行われるものである。

② 炭鉱においては多量の通気を行っているところ、掘進作業現場において粉じん濃度が発破作業前の状態に戻るまでの所用時間は金属鉱山に比較して非常に短いから、退避時間は原告主張のものほど必要ではなく、また、発破作業で生じる粉じん防止措置として、散水、水タンパー等の方法が実施されているかどうかにつき監督指導を行っていた。

(9) 岩粉規制

① 昭和二七年ころから北海道内の石灰石鉱山において遊離けい酸分の少ない岩粉が製造販売され始め、札幌鉱山保安監督局でもその使用を促進してきたところ、昭和三〇年ころには北海道管内で通常使用される石灰石岩粉の遊離けい酸分は一パーセント前後であった。

② 岩粉散布の場所は炭じんが飛来し集積する場所に限られ、その必要量が散布されたに過ぎず、坑内白化運動は昭和五四年ころ、遊離けい酸分の少ない岩粉を使用して行われたものである。

(10) じん肺教育

昭和二四年炭則制定当時から、ガス及び炭じん爆発の防止に関する事項の教育については規定があるところ、炭則に規定する炭じん爆発防止の教育は、大部分はじん肺教育に重複するものであり、じん肺教育に関する規定の制定とそれに基づく指導監督に懈怠があったとはいえない。

また、粉じんに関する講習を実施し、保安技術講習所において、保安技術職員等に対して一般講習、特殊講習を行い、鉱業労働災害防止協会において教育と啓蒙を行っている。また、全国鉱山保安週間を設け、教育用テキストを作成し、広報誌で広報活動を行っている。

(11) 鉱務監督官制度及び監督

① 衛生に関する通気の問題は、作業場における酸素含有率、炭素ガス含有率、温度、湿度、粉じん等の労働環境上の問題であり、これらの対策については医学衛生上の知識を有しなくても十分監督が可能である。

② 鉱務監督官は、鉱山保安法規全般にわたって監督を行ってきた。

すなわち、湿式の小型衝撃式さく岩機が実用化された昭和三〇年以降においては、その導入につき監督指導に怠りがなかった。原告らが指摘する昭和三四年における大夕張及び真谷地炭鉱での湿式さく岩機不使用については、そもそもけい酸質区域での岩石掘進切羽がなかったか、その数に対応した台数が存在していたのであり、監督に懈怠はない。

防じんマスクの着用状況は、鉱務監督官による立入検査の一つとして点検しており、管理状況についても指導監督をしていた。また、発破作業で生じる粉じん防止措置として、散水、水タンパー等の方法が実施されているかどうかにつき監督指導を行っていた。

(12) じん肺実態調査

通産省では、昭和二七年から、けい肺患者実態調査を行い、けい肺患者数を把握するとともに、けい酸質区域の指定のための参考資料として役立ててきたものである。

(四) 労働安全衛生行政に関する規制監督権限の行使について

(1) じん肺健康診断制度

労働省は、昭和二三年から鉱山等の事業場の粉じん作業に従事する労働者について珪肺巡回検診を実施し、昭和二四年には珪肺措置要綱を策定し、その後これを改正し、さらに昭和三〇年制定のけい肺等特別保護法において、事業者にけい肺に関する健康診断を義務付けるとともに、けい肺に関する健康管理区分決定制度を創設した。この仕組みは、昭和三五年制定の旧じん肺法、昭和五二年制定の改正じん肺法にも存続している。以上のように、けい肺発生の実態の把握とけい肺患者に対する適切な保護を図る行政施策が遂行されている。

また、労働基準監督機関は、事業者によりじん肺健康診断が実施されることを確保するために監督指導を可能な限り行った。

(2) 粉じん作業時間規制

坑内労働時間に係る労基法の枠組みは、坑口八時間制を基礎に、いわゆる三六協定を労使が締結し所要の手続きをとれば一日について八時間を超えて二時間を限度とする時間外労働を適法に行うことができ、この協定を締結するかどうかは労使の判断に委ねられているところであって、被告国の介入するところではない。

有害作業の時間を短縮し当該有害要因への暴露量が減少されればその障害発生の蓋然性が減少する傾向にあることは一般論として正しいが、作業時間の規制は企業の生産活動を制約する性質を有するものであり、これを強行法規により強制するためにはその基準が医学的・科学的に明確である必要がある。しかるに、粉じんの暴露についてはいまだにこの点が十分に明らかになっていないことから、作業時間の法規制は困難というべきである。

(3) 健康管理制度(配置転換)

労働省は、昭和二四年策定の珪肺措置要綱において作業転換制度を採用し、以後、けい肺等特別保護法、旧じん肺法、改正じん肺法において引き継がれ、じん肺の症状に応じて段階的にきめ細かく規制することとなった。また、旧じん肺法においては、配置転換による賃金減少の補填を目的とした転換手当を交付すべきものとしたほか、作業転換訓練援護措置を設けた。

他方、作業転換制度については、的確な運用を図ってきており、けい肺等特別保護法の施行期間において作業転換を行った者は全産業で二三二名、その後旧じん肺法のもとでは九六九名の労働者が作業転換を行っている。

(4) 労働大臣等の勧告

通産省における炭鉱の保安に関する施策は妥当なものであり、勧告が必要とされるような重要かつ緊急の事態は存在しなかったから、右に関する作為義務違反が生じる余地は全くない。

(五) 北炭に対する指導監督

被告国は、昭和二七年度以降、けい肺に関する社会的関心が益々高まりつつある当時の社会情勢に鑑み、①炭鉱の岩石掘採作業における粉じん防止対策の基礎資料とするための掘採作業場の状況、衝撃式さく岩機の湿式化の状況及び湿式化計画等の調査、②けい酸質区域指定の資料とするための岩石中の遊離けい酸分の分析調査、③粉じんの発生状況・抑制状況の調査及びこれに基づく指導の実施、④粉じん測定技能習得のための講習会及び粉じん発生状況の現地調査、⑤粉じん防止対策と共通点の多い炭じん防止関係の実態調査、炭じん測定の特定検査、⑥各炭鉱におけるけい肺及びじん肺患者の実態調査等を実施している。

また、監督部局の立入検査等における粉じん・炭じん防止関係の検査としては、湿式型の衝撃式さく岩機の使用と配水管敷設状況及び給水状況、粉じん作業場における防じんマスクの使用状況、各種の散水・噴霧の状況、発破時の立入制限や退避位置の状況、粉じん防止対策上有効な状態で通気が行われているか、じん肺防止に係る保安教育の実施状況等について行われていた。

これらの立入検査等において法規違反の事実や行政指導が必要な事項等が認められれば、鉱務監督官は、炭鉱関係者に炭則等を的確に遵守するよう、散水等による粉じん飛散防止措置の実施、防じんマスクの使用及びその教育の実施、通気の改善、炭壁注水の実施、噴霧発破の実施、発破時の水タンパーの使用等のじん肺防止に関する指導監督を行っていた。

このような実態調査及び指導監督は、北炭に関しても同様になされており、各種監督指示書からもその具体的状況は明らかである。

4 除斥期間

民法七二四条は、不法行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり、その起算点は、損害の発生した時期ではなく、損害発生の原因をなす加害行為が行われた時点を意味すると解すべきところ、本件では、原告ら元従業員それぞれが炭鉱で稼働しなくなった時点において、被告国の直接的加害責任又は権限行使義務違反の違法状態は解消されたものというべきであるから、遅くとも右時点をもって除斥期間の起算点とすべきである。

仮にそうでないとしても、少なくとも管理区分の決定を受けた時には、じん肺罹患の病状が現実化、顕在化したことによって損害賠償請求権が発生したというべきであり、同時点が右除斥期間の起算点とされるべきである。

第四章  当裁判所の判断

以下においては、まず、じん肺の病像及び知見(第一)、炭鉱における粉じんの発生と防止対策(第二)を検討し、これを前提として、被告企業の安全配慮義務の内容(第三)と被告三井らの責任(第四)、被告国の直接的加害責任(第五)と規制監督権限の不行使に基づく責任(第六)をそれぞれ判断し、さらに、損害及び因果関係(第七)、被告らの抗弁(第八)を検討する。

第一  じん肺の病像及び知見

一  じん肺の病像

証拠(証人小玉、証人鈴木のほか、文中指摘のもの)によれば、以下の事実が認められる。

1 じん肺の病理

じん肺とは、粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病である(改正じん肺法二条一項一号)。

じん肺の病理についての今日の医学的知見は、以下のとおりである(甲二〇八、二一二、二一三、二一五、二一七、二一八(いずれも佐野辰雄「日本のじん肺と粉じん公害」)、乙X二二一(「じん肺の健康管理のあり方についての検討結果中間報告書」))のほか、文中指摘のもの)。

(一) じん肺は、臨床病理学的には、「各種の粉じんの吸入によって胸部エックス線に異常粒状影、線状影があらわれ、進行にともなって肺機能低下をきたし、肺性心にまでいたる、剖検すると粉じん性線維化巣、気管支炎、肺気腫を認め、血管変化をも伴う肺疾患である」と定義される(甲二〇八)。じん肺は、線維増殖性変化を主体とし、これに気道の慢性炎症性変化、気腫性変化を伴った疾病である(乙X二二一)。

(二) じん肺の原因となる粉じんの種類は様々であり、粉じんの化学的組成によって病理変化には差があることが知られている(甲二一七、乙X二二一)。炭鉱の各種作業において問題となる粉じんは、岩石中に存在する遊離けい酸(SiO2、二酸化けい素)を含んだ粉じんと、炭層中に存在する炭素を含んだ粉じん(炭粉)である(甲二二八、二二九、乙X二〇七の2)。

遊離けい酸分を多く含んだ粉じんによるじん肺(けい肺)は、代表的なじん肺として知られ、今日においては概ね以下のとおり理解されている。すなわち、粉じんは、肺間質及びリンパ腺に移行し、粉じんの沈着部位に網内系細胞の浸潤が起こり粉じんを摂取する。その後この細胞が次第に変性壊死に陥って、初めは細い網状線維が形成され、次第に太い膠原線維(線維状の蛋白質で、場所を塞いだり細胞を支持する役割しか果たさないもの)が形成され(これを「線維増殖性変化」という。)、結節となる。また、肺門リンパ節に移行したけい酸粉じんにより、肺門リンパ節にも結節が形成される。間質やリンパ腺の変化が進めば、その後に吸入された粉じんは、次第に肺胞内に蓄積されるようになり、間質の変化に付加されるため、結節は更に大きくなりその数も増加する(じん肺結節。乙X二二一)。

これに対して、遊離けい酸分を多く含まない粉じんは、リンパ腺に運ばれにくい性質を有し、肺胞における結節のない線維増殖性変化を主体とする変化を惹起する。

(三) じん肺結節の大きさは、0.5ないし5ミリメートル以上にわたるが、粉じんの蓄積に従って数と大きさが増大し、隣接する結節と融合して塊状巣を作る。この変化に伴って、細気管支の狭窄や閉塞が起きるため、呼吸に伴い気管支に負担がかかり炎症性の変化が生じる。

また、気道の抵抗が大きくなるため、末梢部の肺胞に負担がかかり、肺胞は次第に拡張して肺胞壁が薄くなり、壁の破壊が起こり局所性肺気腫が発生する(これを「気腫性変化」という。)(甲二一二、二一三、二一八、乙X二二一)。

2 粉じんの吸入とじん肺の罹患

人体に侵入した粉じんの有害性は、以下のとおり、粉じんの化学的組成、粉じんの大きさ、粉じんの吸入量及び人体側の要因の四つの因子に左右される(「改訂粉じんによる疾病の防止」乙X二三六の1ないし3のほか、文中指摘のもの)。

(一) 粉じんの化学的組成

炭鉱で生じるじん肺の原因となる粉じんのうち、炭素を主成分とする炭じんについては、かつては無害であるのみならず肺結核を抑制する効果があるとする説も存在したが、今日では、多量に吸入すればじん肺の原因となることが一般的に承認されている。

もっとも、炭素類の粉じんは、遊離けい酸分を含む粉じんに比較すれば線維増殖性変化が弱いとされ、その有害度を、粉じん巣の広がりと変性の程度、気管支・血管の障害度、肺気腫の状態、粉じんのリンパ腺への移行の難易等の要素を含めて評価すれば、「軽度」のじん肺に分類評価されるが、多量に吸入したときの害性は決して弱いものではない(甲二一七、二二八、乙X二〇四の2)。

(二) 粉じんの大きさ

人間の呼吸は、吸入された空気が、鼻腔、咽頭、喉頭、気管支、細気管支を経て肺胞に至り、肺胞において、空気中の酸素が肺胞壁に密着して存在する毛細血管に摂取され、逆に血液中の二酸化炭素が肺胞内の空気に排出され、ガス交換が行われることにより行われる(甲二〇三、二〇四の1、2、乙X二二〇)。

鼻腔から吸入された空気に含まれる粉じんは、肺胞に至るいずれかの部位に付着する。粉じんはその大きさによって沈着する部位が異なり、粒子の大きさが比較的大きいもの(概ね一〇マイクロメートル以上)はその大多数が鼻咽腔に付着するが、0.5から5マイクロメートルの大きさの粒子は、細気管支及び肺胞に達して付着する。付着した難溶性の粉じんは、鼻孔から気管支までの気道においては「線毛運動」により粘液とともに体外に排泄され、肺胞においては「マクロファージ」(大喰細胞。白血球の一種)の働きによりリンパ系あるいは血中に排泄される。しかしながら、吸入粉じんの量が多いときは、これらの排泄能力を超え、粉じんが細気管支及び肺胞に残留する。じん肺の原因となる粉じんは、このようにして細気管支や肺胞に残留した五マイクロメートル以下の粒径の粉じんである(甲二一一、乙X二三四、二三五)。

(三) 粉じんの吸入量

じん肺は、一般に、粉じんの暴露量が増加するに従って健康障害の程度も重くなる(「量・反応関係」)。したがって、同じ暴露時間であれば濃度が高いほど、同じ濃度であれば時間が長いほど、健康障害の程度が重くなる傾向にある。

(四) 人体側の要因

もっとも、同じような粉じんへの暴露条件であっても、すべての労働者が等しくじん肺に罹患するわけではないことから、人体側の要因によって健康障害の程度が異なると考えられており、例えば、粉じん暴露開始年齢の差により、じん肺の重篤化について差があることが知られている。

3 じん肺による肺機能障害

(一) 肺機能の低下の態様

じん肺は長い経過をたどって進行する慢性の疾病であり、その過程で正常な肺の構造が破壊され、種々の病的変化を引き起こし、肺機能の低下が次第に高度なものとなる(乙X二二一)。

肺機能障害に関する最初の自覚症状としては、息切れ等の呼吸困難が認められ、気道の慢性的な炎症症状がもたらす咳、痰、喘鳴等の症状が発現する。

症状が進行すると、肺気腫が現れ、気管支と肺胞との境の壁が壊され、空気が入りやすいが出にくい状態となる(閉塞性障害)。他方、形成された線維は肺胞を圧迫して押しつぶし、肺胞が呼吸運動によって伸縮せず弾力性が失われる結果、肺活量が減少する(拘束性障害)。また、線維が肺胞の周囲に増え、肺胞におけるガス交換が障害される(ガス交換障害)。

じん肺有所見者は、粉じんにより肺が傷つけられているため、感染を起こしやすく、風邪を引いただけで肺機能が悪化する。これが治癒すれば肺機能も回復するが、線維化の進行とともに長期的には肺機能も悪化してゆく。

じん肺の肺機能障害は、肺気腫と肺線維症とのいろいろな程度の組合せであると考えることができ、炭坑夫のじん肺は、肺の線維化を一次的な変化とし、二次的に肺気腫が起こり、両者の障害度が同じくらいずつ加わっているものが多い(乙X二六四、二七一の2、二七六)。

肺機能の低下が進行し、ガス交換の阻害の程度が著しくなると、酸素不足等により身体の諸部位に障害が現れる。また、肺の血管が閉塞して循環障害が生じると、心臓の負担が増大し、肺性心(肺動脈の抵抗増加による右心室不全)にまで至る。

(二) 不可逆性

じん肺による肺の粉じん性線維化巣、進行した気管支変化、肺気腫及び血管変化については、元の状態に戻す治療方法が存在せず、その意味でじん肺は「不可逆性」の疾患である(乙X二二一、二七五)。

(三) 進行性

じん肺は、粉じん職場での就労の継続により病変が進行するのみならず、粉じん職場を離脱した後も、エックス線写真像が進展する例がかなり見られる。このような現象は、粉じん作業場において離脱時までに吸入した粉じんの量に対応して病変が増悪するものと考えられている。けい肺労災病院における入院患者の調査によれば、粉じん職歴を離脱した当時、レントゲン写真像が一型であった者は、その約半数が一〇年後に二型に進行し、当初二型であった者の約六割が一〇年後には三型ないし四型に進行していた。もっとも、当初三型であった者は一〇年後においてもほとんど進行しておらず、また、職種によっても進行度に差があることが報告されている(乙X二二二、二五六の2、二六四、二七一の2)。

他方、本件における原告ら元従業員のじん肺罹患状況は別紙「じん肺罹患状況一覧表」記載のとおりであるが、粉じん職場から離脱した後においても、年の経過とともに、より重い管理区分の決定を受ける者が多数おり、エックス線写真像の型の進行もうかがえる。

以上のとおり、じん肺は「進行性」の疾患である。

4 炭鉱労働者のじん肺の罹患状況

(一) 戦前における調査

被告国は、鉱山における死傷病調査を実施していたところ、昭和五年から、呼吸器の疾患の項目に「けい肺」「炭肺」が付加され、右患者数についての統計調査が開始された。この調査におけるけい肺及び炭肺の罹患者数の昭和一五年までの推移は、「本邦鉱業の趨勢の統計推移表」(別表1)のとおりである(乙A五五)。

(二) 昭和二〇年代の調査

昭和二三年度から昭和二七年度までの間、労働省は、金属鉱山を中心として、石炭鉱山、土石採取業、窯業等も含め、粉じん作業歴が五年又は一〇年以上の者等を被検者として珪肺巡回検診を行った。

この結果に個別申請があった者を集計すると、昭和二七年度までにおいては、被検者総数三万一七四七名であり、うち診断可能者数は約二万七〇〇〇名、エックス線写真像のけい肺及びじん肺の有所見者数は、一度の者八四九三名、二度の者一三五二名、三度の者三七一名、合計一万〇二一六名であった。

これを石炭鉱山についてみると、被検者総数は九一三二名、うち診断可能者数は約八三〇〇名、珪肺措置要綱にいう要領一の者八六二名、要領二の者一一一名、要領三の者二四六名であった。他方、金属鉱山についてみると、被検者総数は一万二二八九名、うち診断可能者数は約一万一三〇〇名、珪肺措置要綱にいう要領一の者三九一九名、要領二の者四八一名、要領三の者九三二名であった(甲五九)。

(三) 昭和三〇年代前半の調査

昭和三〇年のけい肺特別保護法の施行に伴い、各種粉じん作業労働者に対して、国費によるけい肺健康診断が以後三か年にわたって実施された。

これに任意申請があった者を集計すると、検診を受けた労働者総数三四万一四三四人中、けい肺の有所見者数は四万〇五二九名(11.89パーセント)であった。

このうち、石炭鉱業における受診者数は一四万五一一六名であったところ、有所見者総数は一万二五二八名(8.65パーセント)であり、右有所見者率は全産業平均に劣るものの、有所見者実数及び第四症度の者の数(五九四名)は全産業中最も多かった。他方、金属鉱業における受診者数は三万五二三六名であったところ、有所見者総数は七一三四名(20.28パーセント)であった(甲八四)。

(四) 旧じん肺法による健康診断

旧じん肺法のもとで行われた健康診断の結果のうち、昭和三六年度から五二年度までの間のじん肺有所見者数(管理区分二以上の者)の推移は、別表2「けい肺及びじん肺の罹患状況、作業転換及び定期監督状況等の推移」のとおりである。

旧じん肺法における健康診断は、就業時診断、定期診断、定期外診断の三種であったところ、定期健康診断は、概ね、常時粉じん作業に従事する労働者のうち、健康管理の区分が管理二か三である者については一年に一度、その他の者については三年に一度、実施されることとされていた(同法七条ないし九条)。定期健康診断においてじん肺の有所見者とされた者は、昭和三一年度において六四〇〇名であったが、昭和三八年ころから減少する傾向にあり、昭和四五年以降は毎年一〇〇〇人を下回っていた。もっとも、炭鉱労働者数は昭和三五年ないし三六年ころから減少傾向にあったところ(別表4)、毎年の定期健康診断において有所見とされた者の現職者労働者数に占める率は、これを常用労働者を分母として計算すると、昭和四六年度までは二パーセント台、その後は上昇して昭和四九年度以降には五パーセント台に達しており、また、これを全炭鉱労働者数を分母として計算すると、概ね0.5ないし二パーセント程度となっていた(乙A七四)。

他方、粉じん職場から離職した後になされた随時申請による有所見者については、昭和四〇年ころから増加しており、昭和四〇年代後半には年間約三〇〇名、昭和五〇年及び五一年は年間約五〇〇名程度となっていた。

5 じん肺に罹患するまでの期間

前記2によれば、粉じんの人体に対する有害性は、粉じんの組成となる岩石の質、作業内容、作業時間及び当該労働者の素因等の多様な要素に左右され、粉じんの吸入開始からじん肺の症状の発現までの期間及びその進行の期間を一概にいうことは困難であるが、以下に記したこれに関する従来の知見からすると、その期間は、通常二〇年くらいを要するが、一年ないし二年であっても可能性がないわけではないということができる。

(一) 「珪肺は有害粉塵を吸引しはじめてから二年乃至十年以内に第一期になり、五年乃至数十年で第三期まで達する。」(甲五七、昭和二八年)

(二) 昭和三一年度けい肺健康診断結果(全産業)における、勤続年数と症度との関係は、別表3のとおりである(甲一〇六一)。

(三) 金属粉じん作業全般につき労働省が行った管理四の者についての調査結果(昭和四四年から四九年までの間のもの)によれば、エックス線写真像が一型で管理四と決定された者の粉じん作業従事期間は、最小値で二年半、最大値で六二年半であり、平均値は概ね二〇年程度である(乙X二二一、昭和五二年)。

(四) 「(けい肺について)敏感なものは二〜三年で最初の症状を示す場合もあるが、また二〇年以上を要することもある。一般には五年以後に最初の症状を現わし、その後次第に進行し、一五年以上を要して重症に至る」(乙X二二六、昭和五三年)

(五) 「平均して高濃度の含じん空気中で一〇年程度、低濃度で三〇〜四〇年程度で症状が発見されている」が、「六個月程度でその症状が確かめられる場合もある」(乙X一〇の4)

(六) 北海道岩見沢労災病院において昭和五七年現在入院中又は昭和五一年以降に治療を受け死亡したじん肺症の患者のうち、管理四の者について検討すれば、炭坑夫のじん肺発症のモデルを、粉じん職場就業を一八年ないし三五年間行い、定年退職又は職場離脱直後からその一三年後までの間に管理四の決定を受け、その後三年ないし一六年、六一歳から七七歳で死亡する、とまとめることができる(乙X二六七の2、昭和五八年)。

(七) 通常は三〇年くらいで管理二になる。遊離けい酸の暴露量の多いトンネルでは、早くて二〇年くらいで管理二になる。急性けい肺症は、我が国では相当以前からみられなくなっている。粉じん暴露期間が一〇年以内で発病するというのは、普通の作業環境で普通の体質の人であれば例外的に早いほうである。短期の粉じん作業では、じん肺は、普通は起こらないが、条件の著しく悪い場合には起こる。一年から二年位の粉じん暴露で、その後のじん肺が指摘されている(乙X二六四、平成四年)。

二  じん肺に関する知見

証拠(証人小山内のほか、文中指摘のもの)に争いのない事実を総合すれば、明治時代から昭和三〇年代中ころまでの間における、じん肺の知見等に関連する主要な国内文献の要旨並びに関連する鉱山保安法令及び労働法令の存在について、以下のとおりの事実が認められる。

1 戦前におけるじん肺に関する文献等

(一) 明治時代

(1) 明治二一年

「三池炭坑坑夫の病源」東京医事新誌五五六号(甲一)

第五高等中学校教諭医学部勤務大谷が三池炭鉱に赴き、五名の鉱夫の肺疾患を診察した結果を報告したもの。

「第一病囚の肺患は真の肺労なるも他の病囚の肺患は真の肺労にあらずして単に炭粉刺激に原由する慢性肺炎即ちアントラコーシス(所謂鑛夫肺労)なること判然たり。蓋し坑夫に該症を発するは毫も奇とするに足らずと雖も痰液就中結核バチルレンの検査は肺労の鑑別上特に必要なることを愈々心肝に銘せり」と記している。

(2) 明治二三年

「鉱業条例」(甲一〇八一)

我が国の最初の成文鉱業法典であった日本坑法(明治六年制定)では、鉱物はすべて政府の所有にかかり私人は借区により一五年間の期間により鉱物を採掘し得ること等が定められていたが、これに代わり、鉱業を近代産業として発展させることを目的として鉱業条例が制定された。

同条例では、採掘権を永久の権利として承認し、鉱物の売買を自由とし、鉱業権の出願は従来の自由裁量主義を廃止して先願主義を採用した。鉱山の保安については第五章「鉱業警察」が設けられ、保安に関する詳細については農商務大臣が「鉱業警察規則」を定めることができると規定していた。明治二五年、鉱山における災害防止及び鉱夫の安全確保を目的として鉱業警察規則が制定された。制定当初の同規則には通気に関して若干の規定があった。

(3) 明治三八年

「鉱業法」制定(甲一〇八二)及び「鉱業警察規則」改正

明治三八年、鉱業条例を廃止し、新たに鉱業法が制定された。この法律は、現行の鉱業法が昭和二六年に施行されるまでの間、我が国の鉱業の基本法となった(以下「旧鉱業法」という。)。

旧鉱業法は、鉱山の保安について、第四章「鉱業警察」に規定を設け、鉱業の警察事務を、①建設物及び工作物の保安、②生命及び衛生の保護及び③危害の予防その他の公益の保護とし、右の事務は農商務大臣及び鉱山監督署長が行うものとした(七一条)。また、旧鉱業法の施行に伴い、鉱業警察規則が全面的に改正された。

(4) 明治四一年

関場不二彦「肺ノ石炭粉末吸引症ノ一例」北海医報八巻二号(甲四)

石炭粉末吸引症であると診断した炭鉱労働者の症例を報告したもの。

「十数年来、実地就業、未だ此症の一例にだにも遭遇せざりしを自ら怪めり、幌内、歌志内、郁春別、夕張等数多の炭山に在て就業せる同僚諸子よりして、未だ其一例おも聞知せざりしや亦事実なり」との前置きの後で、肺のじんあい諸患の診断は推測にとどまり剖見上でなければ確定し難いという説もあるが、必ずしもそうではないとの意見を述べ、また、アントラコーシスの邦訳を「肺の石炭粉末吸引症」とすることを提案した。

紹介している症例は、年齢四〇歳、かつて秋田県の銅山で働き、一二年前に渡道し歌志内及び奈井江の炭鉱で勤務していた労働者が、喀血及び黒色炭汁を喀出したため診察に訪れ、呼吸不利、脈拍頻数、食欲不振、咳嗽激烈、鼻閉塞等を訴え、その炭汁を鏡検したところ、慢性気管支炎と肺炎とを有し殊に肺質を破壊する病機を確認したというものである。

(5) 明治四五年

林郁彦「炭肺ニ就テ」第一七回九州沖縄医学会誌(甲六)

同人が行った学会での講演の抄録。

「石粉吸入症は希なるものなれども危険なる症状を呈するを以て己に古代より知られたるも、炭粉吸入は臨床上殆んど無害のものなれば漸く一八世紀の始に至り『ラマッチニー』氏によりて始めて記載せられたるなり。」と前置きし、炭粉沈着機構、肺における炭粉の配分とその標本の状況、炭肺に続発する変化、臨床的変化、炭肺と結核との関係及び区別の方法について述べている。

臨床的変化については、普通は無症候に経過するも高度の炭肺においては急性変化として急性肺炎を発しやすい傾向にあるとし、自己の診察例として、二三年間炭坑夫として働き、肺の硬変により小循環の血行障害を来すなどして死亡に至った者で、明らかに単純に炭肺により死亡したものと評価したものを紹介しているが、他方「勿論斯の如き例は希有の事に属する」としている。

(二) 大正時代

(1) 大正四年

「石炭鉱爆発取締規則」制定(甲一〇八三)

石炭鉱山の増加、規模の拡大に伴い、明治末期から大正初期に石炭鉱山においてガス爆発事故が続発していたところ、鉱業警察規則の規定のみでは爆発災害の予防対策として不十分であったことから、炭鉱におけるガス及び炭じん爆発事故を防止する目的で、石炭鉱爆発取締規則が制定され、翌五年に鉱業警察規則と同時に施行された。

主な内容は、適用対象炭鉱の農商務大臣の指定、ガス・炭じんの爆発防止を主眼とした通気量、速度、排気中のガス濃度、通気施設に関する基準設定、測定及び制限、使用爆薬の種類及び取扱いの制限並びに発破係員の職責、坑内灯火、安全灯の使用制限、鉱夫の携帯品に関する検査、制限及び鉱夫の指導であった。

(2) 大正五年

① 「鉱夫労役扶助規則」制定(乙A一〇四)

鉱山労働者の保護及び扶助については旧鉱業法で定められていたが、大正時代に入り、鉱業災害が増加し、特に年少者及び婦人労働者に対する保護と扶助の規定が不十分であったこと、工場労働者に対する保護規定として工場法が施行されることとなったこと等から、これに歩調を合わせて本規則が制定された。

粉じん防止に関しては、一五歳未満の者が土石又は鉱物の粉じんが著しく飛散する場所において就労することの禁止等が定められた。

他方、業務上の疾病として五項目が通牒により例示されたが、けい肺は挙げられていなかった(乙X二二二)。

② 「鉱業警察規則」改正(乙A一〇三)

鉱夫労役扶助規則の制定と歩調を合わせて改正され、「選鑛場」、「焼鑛場」又は「製錬場」における粉じんに関して、通気を十分に行うべきこと等を定めた。

また、鉱夫の死傷病者の届出をなすことが鉱山に対して義務付けられ、右に関する統計が出されるようになった。じん肺に関する独立の分類はないが、「結核」の分類のほか、呼吸器の疾患の項目の中に、「肋膜炎」、「肺気腫」、「その他」の分類がなされている(大正九年の統計として甲八、大正一四年の統計として甲九、大正一五年及び昭和元年の統計として甲一七、大正六年から昭和元年までの統計として甲二〇)。

(3) 大正一〇年

① 白川玖治「炭礦拾年以上勤続(又ハ在勤)礦夫ノ健康状態調査成績」(甲一〇)

北炭の炭鉱病院の院長である白川が、北海道九炭鉱において、大正九年の時点での鉱夫現員約一万八〇〇〇名のうち一〇年以上の勤務歴を有する鉱夫一〇〇五名について健康調査を行い、その結果を報告したもの。

炭肺の診断基準については、臨床的診断が困難であるので、明らかに他自覚所見がありかつ永年坑内稼働の既往を有する者を「真症」とし、何ら他覚所見なきも普通人よりも多少咳又は痰が多く且つ永年坑内稼働の既往を有する者を「疑症」とし、炭肺としていやしくも疑いある者はすべてこれを計上する方法をとり、疑症の中には解剖的には単純な肺気腫、慢性気管支炎等が混入しているとしつつも、坑内夫六七六名のうち、真症及び疑症の者は、勤続二〇年以上の者については16.1パーセントであるが、一〇年以上全体についてみれば7.8パーセントであると報告し、罹患者が調査対象の「一割にも達せざるを見れば坑内作業の肺に対する侵害力は従来考へられたるが如き危険のものにあらざるべきを信ぜんとす」とした。

他方、同人は、金属鉱山等で十数年稼働した後炭鉱で一〇年以上就労した者の罹患割合が約二〇パーセントであるのに対し、炭鉱のみで就労した者の罹患割合が4.4パーセントであるとの結果から、石粉と炭粉の吸入による有害作用の相違につき一般に認められている事実に一致すると評価し、また、勤続二〇年以上の炭肺罹患率の高さは金属鉱山での稼働年数が影響を与えていると判断した。

② 「炭坑夫ノ医学的観察」(甲一〇三)

陸軍第一二師管内で行われた大正九年度の徴兵検査対象者及び当時の現役兵のうち、炭坑夫であった者についてその健康状態を調査したもの。

現役兵の対象者は、初年兵及び二年兵合計一〇七名であり、採炭夫五五名、仕繰り二六名、平均勤続年数四年一か月、最長八年、最短三か月という集団であった。

呼吸器と題する部分で、「炭末が坑夫の気管支及肺胞壁に付着し之と連絡する淋巴道より肺胞間及気管支周間組織並に肺根部の淋巴腺内に輸送せられ又は肺臓実質に浸淫し其刺激に依り常に軽度の炎性機伝に惹起し白血球の遊走、肺胞及気管支に於ける上皮細胞及周囲組織の増殖を来し慢性間質性肺炎症状を発し進んでは肋膜の肥厚乃至癒着を来すことは既知の問題にして本調査に際しても努めて呼吸に於ける変化に注意せり」とし、炭坑夫の体格は一般の兵卒よりも優れているのに、呼吸伸縮の差が一般兵卒に比べて一八パーセント減弱しているのは炭肺の結果ではないかとし、毎朝喀痰する者が七名、肋膜炎の既往ないし現症ある者が三名認められることに照らしても、炭末が呼吸器に及ぼす影響は少なくないとしている。

(4) 大正一二年

大西清治「鑛山衛生ニ関スル研究(其ノ三)所謂鑛業塵ニ就テ」十全会雑誌二八巻八号(甲一一)

鉱業じん一般につき、その種類及び性質、じんあい定量法、各作業場の発生量等を外国の研究成果に基づいて比較的詳細に紹介し、じんあいの有害性について記載したもの。有機酸鉱じんの項目では、「石炭、褐炭及び『アスファルト』は之に属すべきものにして、其の吸入によりAnthrakosisを起し得べきは著名なる事実なり」としている。

(5) 大正一三年

① 大西清治「鑛山衛生ニ関スル研究(其ノ五)防塵マスクノ効力ニ就テ」十全会雑誌二九巻六号(甲一二)

防じんマスクの素材とその性能に関する実験を報告したもの。

鉱山の作業一般につき、現今多くの労働者が行っている手拭いで鼻と口を覆うという手段では各種じんあい吸入より来る障害を防ぎ得るかどうか極めて疑問であるとし、防じんマスク等の効果についての外国における研究を紹介した後、当時の鉱夫の間で広く用いられていた材料又は用いることのできる材料(ガーゼ、羽二重、木綿、手拭い等)を使用して粉じんが通過する量を重量により計測する実験を行い、その結果を発表した。右実験によれば、マスクの材料としては脱脂綿が最も効果が高いとされた。

② 内務省社会局「坑夫ヨロケ病及ワイルス病ニ関スル調査」労働保護資料第一輯(甲一三)

仙台鉱務所技師原田彦輔が大正一〇年及び一二年に行った金属鉱山におけるヨロケの調査について報告したもの。

同人は、「『ヨロケ病』として鉱夫の訴ふる所は殆んど大差なしと雖も鉱肺或は坑夫性肺労と診断せらるるものは必ずしも相一致せざるを見る。蓋し鉱肺の定義明ならざるに依るものなり、即ち或は肺結核に非ずして肺組織に浸潤を来せるものを鉱肺とし或は浸潤の有無に拘らず慢性呼吸器病にして結核菌を喀痰中に証明せざるものなりと云ひ或は結核菌を証明すると否とは鉱肺の診断に強要す可き限に非ずと云ふ等医師の鉱肺に対する見解に差別あり」と前置きし、鉱山によっては症例の報告状況に著しい差があるのは医師の見解の相違にあることを指摘し、「鉱肺」とは「臨床的には単一の疾患に非ずして慢性呼吸器疾患の総括的名称と認むるを至当とす」と定義した。そして、仙台管内の八鉱山において調査した三五歳から六三歳までの鉱夫二五例につき、その年齢、勤続年数、発病原因、主訴、臨床的所見等を検討した。

また、足尾、生野等の管外鉱山においても調査し、いわゆるヨロケ病と鉱肺とが同種同型の疾患と称することができると結論した。

(6) 大正一四年

「ヨロケ(鑛夫の早死はヨロケ病)」産業労働調査所社会衛生叢書第一冊(甲一四)

全日本鑛夫総連合会及び産業労働調査所が、鉱山におけるヨロケの調査を行い、労働者向けにまとめたパンフレット。

ヨロケ病の兆候、どの位ヨロケ病にかかるか、ヨロケ病の原因、患者の肺は如何に変化しているか、ヨロケ病の予防法、ヨロケ病の保護等について記載され、雇主・会社側及び政府当局に対しての要求すべき事項を掲げている。

また、ヨロケ病の診断について「大体医者は、臨床上の所見から、(即ち病変の出て来た模様によって)診断をつけるから、所と人に依ってこれに色々な病名をつけて呉れる。曰く、肺浸潤、肺気腫、慢性気管支炎、鑛肺、坑夫性肺炎、慢性肺炎、肺塵症、実にいろいろなものである。」「一体ヨロケ病と云ふのは、今日のところでは大体『長年月坑内作業に従事した鉱夫に発生する慢性呼吸器病である』と云ふことになっている。であるから、長年金属山に勤務していた鉱夫が、医者から前に掲げたやうな診断を下されたら、それは先づヨロケの事だと思って差し支ない」としている。

(7) 大正一五年

南俊治「鑛山衛生」横手社会衛生業書(甲一六)

内務省社会局技師で医師であった南が鉱山衛生全般を論じたもの。

職業的疾患について記述する部分で「鑛肺(ヨロケ)―炭肺」との項目をたて、鉱肺、ヨロケについて述べた後、炭肺については、「鑛塵の吸入が鑛肺を発する如く、長年月間の炭坑労働により吸入したる炭塵は漸次肺実質に侵入沈着して炭肺を生ずる」「軽度の場合には自覚的症状を欠除するのが普通で、炭塵の沈着が或る程度に迄達すると咳嗽・黒汁喀痰・呼吸困難・貧血等の諸症状現はれ終に肺気腫に移行すること多く又炭塵の沈着過度となれば終に肺に空洞を生ずるに至ることがある」とし、診断・予防についても簡潔に触れている。

(三) 昭和初期から終戦まで

(1) 昭和三年

日本鉱山協会「鑛夫ノ疾患ニ関スル統計」(甲二〇)

鉱業警察規則により収集された資料に基づき、大正六年以降の最近一〇年間の鉱山における衛生状況を分析したもの。

呼吸器疾患については、「金属山、石油山、石炭山、其の他非金属山の順位を示すも鉱夫数に対する罹病率に於ては石炭山、金属山、其の他非金属山、石油山の順位」であり、「作業上呼吸器疾患の原因として粉塵の吸入に因る障害及気温の激変に伴ふ感冒性呼吸器障害を主要なるものとす、即ち前者は金属山に於て有害鑛塵殊に硅石塵の発生多きに対し後者は石炭坑内に高温度作業場少なからざるに依るものと認めらる」としている。

結核については、その罹病率は石炭山が第一位を示しているとし、「呼吸器に対し炭塵は比較的無害と認めらるるに拘らず最も有害なる硅石塵を発散すること多き金属山に於けるよりも……遥かに高率なるは注目に値する」としている。

(2) 昭和四年

① 「鉱業警察規則」改正(乙A五四)

昭和四年に工場危害予防及び衛生規則が施行されたことに伴う改正であり、初めて坑内の粉じんに関する直接の規制が設けられた。

すなわち、同規則六三条で「著しく粉塵を飛散する坑内作業を為す場合に於ては注水其の他粉塵防止の施設を為すべし。但し已むを得ざる場合に於て適当なる防塵具を備へ鑛夫をして之を使用せしむるときは此の限に在らず」と規定された。

また、従前から行われていた鉱山における死傷病調査につき、呼吸器の疾患の項目に「硅肺」「炭肺」の項目が付加され、右患者数についての統計調査が開始された(甲一八、乙A五五)。

なお、昭和四年の鉱業警察規則の改正については、中川信ほか「改正鉱業警察規則並に石炭坑爆発取締規則の説明」石炭時報五巻九号(甲二五)にその説明がある。これによれば、同規則六三条「坑内作業に依る粉塵の防止」については、「鑛塵の吸入が漸次呼吸器や消化器を害することは説明する迄もないことで、硅肺や炭肺が坑内就業者に多いことは周知の事実である。即ち本条は此等粉塵を著しく飛散せしめ又は飛散せしめるおそれある作業に対して予防施設を為さしめるものである。」とし、英国については「英国炭鑛法には粉塵の飛散を予防する為め噴水又は噴霧或は有効なる他の方法を使用せざれば鑿岩機にて『ガニスター』堅砂岩其の他堅硬なる硅質岩に鑽孔するを得ずと規定し」ていると紹介している。

また、粉じんの吸入予防の対策については、「粉塵の飛散を防止することが専一である、従って鑿岩機、截炭機の如き著しく粉塵を飛散せしめる機械に対しては鑿孔或いは裁断面に注水するとか、粉塵発散部位に収塵嚢を使用する等の防塵施設を為すべきで、此等機械に或は作業箇所の状況が施設を加へ得ざる場合、若は上向きに手掘鑽孔を為すときその他粉塵防止施設を為し得ざる作業には適常なる防塵具『マスク』を設備して置いて鑛夫に之を使用せしめねばならぬ」と記載している。

② 大西清治「鑛肺(硅肺)に関する輓近の研究」石炭時報四巻八号(甲二三)

岩石中に含まれるけい酸を原因とする肺疾患について諸外国における研究と法規制の状況を紹介したもの。

その末尾において、我が国の状況について触れ、「大正五年鑛夫労役扶助規則が実施せられて以来、いわゆる鑛肺に関して明かに之を業務上の疾病として扶助せられた実例がない。然し本病に関する調査研究は可なり行はれたのである」として金属鉱山における調査に言及した後、「極めて最近北海道の石炭山にて本病と認むべきものが可成り多数に経験せられつつあることが、札幌鉱山監督局の西島技師から知ることを得た、その後夕張炭坑の白河学士が炭肺と結核に就いて余程詳細なる研究を遂げられつつある事が判った。同君の研究の大要は最近東京医事新誌に発表せられたところであり、さらに今夏札幌にて開催せられた結核病学会にて講演せられているのである」としている。

(3) 昭和五年

① 社会局労働部長通牒「鑛夫硅肺及眼球震盪症の扶助に関する件」(甲二六の3)

内務省社会局労働部長が鉱山監督局長宛てに出した通牒。以後、この通牒によりけい肺が業務上の疾病として取り扱われるようになった。その概要は以下のとおりである。

一、鑛夫同一鉱山又は同一鉱業権者の鉱山に引き続き三年以上就業し硅肺(結核を併合せるものを含む)に罹りたる時は業務上の疾病と推定すること、但し当該鉱山に於ける業務が性質上硅肺を発すべき原因なき時は此の限に在らざること。

二、右の場合に於ては硅肺の診断は一応臨床的症状に依り決し、鉱業権者之を否認せむとするときは「レントゲン」診断に依り然らざることを証明するを要すること。

三、勤続三年未満の発病者と雖も当該鉱山に於ける就業が其の原因たることを明瞭なるものに付ては同様業務上の疾病とすること。

② 「鑛夫硅肺及眼球震盪症の扶助取扱方に関する説明」石炭時報五巻九号(甲二七)

社会局労働部長通牒の趣旨について解説したもの。

同通牒一のただし書について、「硅酸と比較的縁の遠い石炭山であるからと言って、鉱業そのものに本病発生の原因なしとは認め得ないのである。既に石炭山の鑛夫に本病の発生しつつある事実は英の南ウェールズに於ける炭鉱或は独のルール地方に於ける諸炭鉱等にて経験せられているのであり、且つ我国にても既に北海道の某炭鉱にて著明なる実例が発見せられているのである。」「但し鉱山の種類によって危険性に極めて差のあることは事実であって、」「鉱山の岩石の種類といふ事は通牒の但し書には直接該当しないが、実際問題の認定に当って極めて有力なる条件として考へ得らるるのである。」との記載がある。

③ 大西清治「鑛夫の災害と疾病」石炭時報五巻三号(甲二四)

鉱夫の災害と疾病全般の発生状況を論じたもの。呼吸器の疾患として、気管支炎、肺気腫、炭肺、珪肺(鑛肺)との項目を立てている。

「炭肺」と題した部分においては、「石炭坑夫に炭肺の来ることは余程古くより知られていた事実である。」とし、「炭肺は初期に於ては勿論のこと、余程進行したる場合にても臨床上特有なる症状を呈しない。咳嗽時に黒色痰を出す位である。余程進行したるものには、呼吸困難、貧血等を現す場合があると認められているが、多くは肺気腫合併症の為である場合が多い。炭肺は極めて慢性的に来る疾患である。恐らく二十年、三十年の時日を要すると思はれる。」としている。また、炭肺と結核との関係については前記白川の研究に言及した上、石炭山には結核が少ないとの見解は大体一致しているとの知見を前提に、炭肺と結核との関係については、炭肺が結核を抑制するとの説と、炭坑夫に結核が少ないこととは関係がないとする説の両方を紹介している。

また、「硅肺(鑛肺)」と題した部分では、「鉱山における粉塵の中にても最も危険性の大なるは、岩石塵であって、就中結晶硅酸を多量に含んでいるものであることは多くの研究によって疑ひのない事実である。」「本病は比較的早期に於ては単に息切れする程度の病気であるが、第二期、第三期と進むに従って遂に作業不能に陥り廃疾となり終る疾患であると共に、極めて結核を伴ひ易い傾向がある。」「各国は既に本病を以て賠償すべき職業病であると云ふ見解のもとに賠償法中に規定している。或は本病の診断等に関しても実に詳細なる注意を払っている」。「元来本病は鉱山に於ては主として金属山に来る疾患であるが最近我国に於ても石炭山坑夫にも現はるる事実が判明したのである。何故石炭山にも本病が発生するかといふに、勿論炭層のみを採っていては、先づ本病に罹る機会はないのであるが炭層以外の岩石部分の掘進をやっている者には、夥しく硅酸塵を吸入する機会がある。即ち砂岩及び頁岩であるが、我国の石炭山の事例も全く此の掘進夫であった」と記載している。

④ 「岩粉防止装置」石炭時報五巻七号(甲二六の2)

サウスウェールズ地方の炭鉱で広く用いられるようになった「スゴニナ岩粉袋」と称する集じん機械の紹介。

紹介に先立ち「坑道掘進に際し、鑿岩機によって生ずる岩粉を無害ならしめ様とする企は、是迄に色々と試みられたが之は主として水によって、之を除かんとしたものである。是は泥水の為に却て色々の不都合を来たし余り有効ではない。最近水を使用しないで岩粉の飛ぶのを防がうとする装置が考案せられた。」との前置きがある。

⑤ 「圧縮空気鑿岩機の粉塵収集装置」日本鉱山協会資料第十輯(甲二八の1、2)

英国政府鉱山保安調査局研究技師ピー・エス・ヘーの圧縮空気さく岩機の岩粉収集装置についての論文の訳文と、古河鉱業株式会社足尾鉱業所工作係の大津虎夫の「鑿岩機刳粉収塵装置」と題する論考を収録したもの。

序文において「水を使用することなき圧縮空気鑿岩機による鑿岩作業に際し粉塵を防遏する方法は最も困難と認められたるに、輓近の研究は有効なる防塵装置の考案となり、進んで其の実際的応用の可能性も十分に認めらるるに至りたるは鉱業衛生上欣幸に堪えざる所なり」と前置きしている。

また、大津は、収じん装置の開発を行った契機につき、湿式のさく岩機は粉じんの発散防止効果に優れるものがあるが、「上向きの孔をあける場合」「噴水装置を施したストーパーを用いるときは、噴水と刳粉の混じたものは、殆どすべて機械及び、その使用者の頭へ降りかかり、たださえ湿気を帯びた坑内で、斯く水をかぶるのでは、到底耐え難い」。英国では湿式さく岩機の利用を義務付ける法律に従い「他に適当な方法がないので止むを得ずこの型のものを用いて居るらしい。」「ジャックハマー等の中型以上の鑿岩機には、機械一台につき作業者は二人以上つくから……噴水に要する水槽、ゴムホース等の運搬に左程困難ではないが、軽便を主として、手掘の代りに用いようとする小型鑿岩機……は、噴水に要する装置を付けると、折角手軽に出来たものも手軽でなくなり、中型以上の鑿岩機と同じ様な手数を要することになる。こんな理由から当所で、ストーパーにも、小型鑿岩機にも用いられる様な刳粉収塵装置を考案したのである。」と説明している。

⑥ 有馬英二及び白川玖治「炭肺ノレントゲン学的研究」日本レントゲン学会雑誌八巻三号(甲二九)

北大教授有馬と北炭医務部長白川による、レントゲン撮影を導入した炭肺についての共同研究。

この論文は、前文において外国には炭坑夫のじん肺すなわち炭肺についても多数の報告があり、「従来炭塵は諸塵の中では比較的無害のものと見做されては居るが然し石塵の如く特有の塵肺を惹起するものとせられている、然しながら往時の炭肺として記載されたものは特有なる症状を発した塵吸入者の死体解剖による記載であるか」「或は石炭山に数年労働した既往症を有する労働者の観察である」として外国の文献を引用し、「果してそれは純炭塵によるか又は石塵との合併作用によるか明でない」「又従来の病理学書や内科学書の炭肺の記載は皆一様に重篤なる変化即ち高度の結締繊増殖とそれに付随する合併現象である、果して凡ての炭塵吸入者がかかる病理組織的変化を示すものであるか否かは大なる疑問である。」とし、また、白川は「過去十六年間炭鉱医として常に此の方面の研究を怠らなかったのであるが実際問題として白川の勤務地なる夕張地方炭鉱(石狩炭田)の鉱夫には成書に記載せらるる如き特有なる塵肺の変化を発見することは稀であり且又金属鉱山稼働を前職とせる炭鉱労働者と純炭山労働者との間に甚だしき差異のあることを注意して来た、然るに文献を徴するも之れに関して明確なる回答を与ふるものは甚だ希である、更に塵肺と肺結核の成因に就ては学者の意見が決して一致して居らぬ」とした上、これらの問題を解決するためには肺のレントゲン学的研究が不可欠であるとの認識の上で調査を行うこととし、研究の主眼として、①炭じんは果たしてレントゲン線学上特有の像を惹起するものかどうか、②そうだとすればいかなる像が純炭じんの吸入によりて惹起されるか、③純炭じん肺の種々相、④炭肺と肺結核との関係、⑤炭肺像と炭じん吸入年数との関係を挙げた。

この研究においては、夕張炭鉱の労働者中永年勤続者五七三名(その半数以上が勤続年数一一年以上)を調査の主体とし、同炭鉱従業員、その家族及び炭鉱病院を訪れた患者九〇名が参考者として選ばれた。また、レントゲン写真像は、第一類ないし第三類の三種類に区分された。

分析は、純炭じん吸入者(炭肺)と、炭石じん吸入者(炭石肺)及び石じん吸入者(石肺)とに二分して行われ、純炭じん吸入者では、レントゲン像第一類が一七〇例、第二類が二例、第三類が三例であったが、岩石じん吸入者及び石じん吸入者では、第一類が九八例、第二類が一八例、第三類が七例認められた。

結論としては、五七三名の炭鉱労働者のレントゲン撮影の結果によれば、肺の変化がない者が二八三名、炭肺二八四名、孤立性浸潤六名、肺気腫一三六名、肺結核一五名と診断し、①純炭じん肺のレントゲン学的変化は石じん若しくは炭石混合じんによる肺のそれと質的には同一であるが量的には大なる差異を認める。②純炭肺の変化はレントゲン線学的に三期に区分し得る。第一期は肺紋理増強、肺門濃大の像があるもの、第二期は肺に点滴状小斑影の瀰漫性に存在するもの、第三期は肺野に融合性又は独立性腫瘍状大斑影を認めるものである。③永年勤続者炭鉱労働者中純炭じん吸入者には主として第一期炭肺を認める。第二期、第三期炭肺はむしろ例外である。④炭じん吸入者中孤立性浸潤を認め、この中には結核早期浸潤が存在することを確かめたが、その他の例が結核性浸潤といかなる関係にあるかは断定できない、炭肺と肺結核との間に直接相互的関係を見出さない等とした。

⑦ 白川玖治「炭肺ト肺結核(炭礦ノ肺結核)」結核九巻二号(乙A二〇八)

炭肺と肺結核との関係について、前記「炭肺ノレントゲン学的研究」における調査結果等も含めて詳述したもの。

炭坑夫に肺結核が少ないことは大多数の学者が認めるところであるが様々な説があるとし、①我が国の炭坑夫には肺結核が多いか少ないか、②炭坑夫の肺結核と炭じん吸入・炭肺とは如何なる関係にあるか等を研究テーマとして掲げた。

まず、文献的考察として、炭じんの理学的性状、吸入機序、炭肺の生成等について内外の文献を指摘し、また、結核に対する炭じん又は炭肺の影響について「諸家の説く所すこぶる多く今なお帰一する所なし」として、有効説、無効説、有害説等を紹介している。

ついで、我が国における既存の統計的調査について言及し、一〇炭鉱の三年間の統計等によれば、炭坑夫に肺結核罹患している者が少ないということはない、坑内夫と坑外夫との間により肺結核の罹患率の差異を認めない、採炭夫や選炭夫については吸入量の少ない他の職種よりも罹患率が高い、肺結核に対する吸入炭じんの良影響は更に認め得られざるに反し、炭坑夫の職別的素質環境就中労働条件の良否如何が主として彼らの結核罹病及び死亡を支配するとの結論を導いている。

さらに、前記「炭肺ノレントゲン学的研究」における五七三名の調査の結果を記載している。

⑧ 第一回国際珪肺専門家会議(ヨハネスブルグ)

ILOの斡旋により、ヨハネスブルグで最初の国際珪肺専門家会議が開催され、各国の専門家がけい肺について討議して覚書を決定した。

右覚書では、けい肺は、遊離けい酸分を含む粉じんの吸入を原因として生じる肺疾患であるとし、原因、病変の内容、診断方法、症状の分類(三分類)、予後、予防等について触れている。また、同覚書では、けい肺以外のじん肺については「アスベスト肺を除いては現在あまり重要でなく、研究もまだ充分でない」とし「動物実験上カーボンランダムを四年間吸入させ、気管気管支淋巴腺にのみ結締織増殖を発生し得たことはあるが、肺には全くこれを認め得ないという実験」が紹介されている(甲九一、乙X二四八の3)。

(4) 昭和六年

① 商工省鉱山局「本邦鉱業ノ趨勢」(甲一八)

主として昭和五年における鉱業の概況を収録したもの。鉱業警察規則に基づく死傷者数調査の結果が掲載されており、石炭山においては、坑内夫約一四万人、坑外夫五万人のうち、けい肺二一名、炭肺三名と報告されている。

その後、昭和一五年までの一一年間におけるけい肺又は炭肺の発生報告総数は、けい肺三五名、炭肺一二〇名、合計一五五名であり、そのうち最も多い年は合計三五名の報告があったが、一名の報告もない年があった(乙A五五)。

② 白川玖治「炭坑夫の疾患(頻発疾患と特異疾病)」北海道石炭鑛業会会報二〇六号、二〇七号、二〇九号(乙X五六の1ないし3、二八三)

大正九年から十余年を費やして完成した北海道主要一八炭鉱における炭坑夫傷病統計調査、昭和三、四年度に行われた炭坑夫保健調査及び筆者の一八年の体験に基づき、炭坑夫の疾患全般について分析を加えたもの。

炭肺(炭石肺)と題する章においては、前記「炭肺ノレントゲン学的研究」における調査をもとに、夕張炭鉱の現業鉱夫のじん肺罹患率を分析し、全体としては約五〇パーセントにも達しているが、大多数はレントゲン写真の区分において肺紋理及び肺門像の増強にとどまる第一期の軽症者に属し、第二期以上の者は極めて少数であり(坑内夫において3.1パーセント)、他の学者の報告する炭肺、陶磁工じん肺、けい肺等の罹患率の調査に比較して低率で長期であるとした。また、レントゲン写真像が著明であるのに自覚症状が全くないかすこぶる僅微である場合が多く、第一期じん肺者は健康者と何ら変わるところがなく、「炭山に『ヨロケ』なし」との当炭鉱鉱夫の信念が全く偽りならざるを確かめたとした。

さらに、石炭山においても岩石掘進作業があるにもかかわらず金属山鉱夫の石肺、ヨロケに見られるような呼吸促迫や全身衰弱等の惨たる症状が見られない理由の一つとして、炭鉱における作業の性質上、遊離けい酸の吸入量が比較的少ないことのほか、炭じんは組織に対する初期反応が強く肺内沈着じんの除去作用が活発になること、坑内の岩石のけい酸含有量が金属山に比較して少ないこと等を挙げている。

まとめとして、炭鉱におけるじん肺問題は「産業管理上又坑内衛生上左迄重要視すべきものにあらざるを提言するものなり」としつつ、「而して此の関係が」外国の報告に比して「特に北海道炭坑夫に良好にして其罹患率少きは炭層其他の条件に恵まれたるものある為」としている。

(5) 昭和八年

「硅肺と肺結核」石炭時報八巻二〇号(甲三〇)

米国鉱山局発行の技術報告書に掲載された「オクラホーマ、カンサス及びミズーリ三州地方の鑛夫に就て調査せる硅肺及肺結核」と題する論文の紹介。

同論文は、鉛及び亜鉛鉱山の従業員につき健康診断を行った結果、調査対象七七二二人のうち炭鉱での稼働歴のある五九九人についてみると、以前に炭じんを吸入していたことはけい肺及び結核の罹患について何の利益も見出せないとし、炭じんがけい肺を防止するのに有効であるとの説を否定している。

(6) 昭和九年

① 難波驥逸「炭肺ト結核」日本内科学会雑誌二一巻一一号(甲三二)

炭じんが結核の感染及び経過に対して及ぼす影響につき論じたもの。

相反する内外の学説を紹介した後、家兎の一方の肺に墨汁を注入し、その後結核菌を注射する方法で実験し、結論として、炭末は肺組織を障害しその抵抗力を減弱せしめ、もって結核の発生を促進しあるいはこれを増悪せしむるに至ると考えられるとした。

② 石川知福「鑛肺に就て 病理的方面」日本産業衛生協会報四二号(甲三三)

産業衛生学の立場から、鉱肺のうち主としてけい肺につき、その成因につき外国における調査研究の概要を述べたもの。

粒子の大きさにつき、中毒性の粉じんでなくても粒子の大小は有害性と関係が深いとし、五マイクロメートル以下の小粒子が、深達性が大である為に体内に残留する性質が大であるとされる。粉じんは濃度が高いほど体内の沈着量が増加する傾向があるから、産業場でじんあいの恕限量を定めるのに濃度で標示することが合理的であり、ニューヨーク州では一立方メートル当たり約三億五〇〇〇万個を恕限量として定めている例がある。幾許量のけい石粉が肺内に沈着するとけい肺が発症するかについてはいまだ信頼し得る研究が遂げられていない。また、鑛粉中には結核誘発性のものと結核防御性のものがあり、炭粉は後者に属するとする説がある。

③ 馬渡一得「鑛肺に就て 臨床的方面」日本産業衛生協会報四三号(甲三四)

外国(米英独等)における最近の研究報告を基にして、臨床家の立場から鉱肺について述べたもの。

鉱肺という名称について、従来我が国ではじん肺と呼ばれたり鉱肺と呼ばれたりして一定していなかったが、原因物質や内務省の通牒での使用例からみて鉱肺とするのが妥当とし、けい肺のほか、石綿肺、炭肺、鉄肺等を含めた概念として使用するとしながら、主としてけい肺について、レントゲン像、補償を目的とした法律のための鉱肺の区分法、診断、結核との鑑別について紹介している。

炭肺については「色々説があるが大体純粋の炭粉に因る結締織化は極く軽微で、さして有害でないと云ふことは一般の意見のやうである。炭山に働く人は同時に硅塵等を吸入して硅肺に似たレントゲン像を呈するとされて居る」としている。

④ 大西清治「工業粉塵と塵肺」(甲九〇)

各種粉じんによるじん肺の発生について詳細に述べたもの。

炭じんに関しては、「今日にては炭塵は多くの粉塵中にても最も有害作用の軽微なる粉塵と見られている。就中炭塵無害説は由来炭坑労働者に於ける結核死亡率が統計的に見て非常に低率であるといふ事実に立脚している。之がため人によっては炭塵そのものに結核に対する抑制作用を有しているのではないかとさへ考えている者もある」と記載し、炭じんと結核との関係について外国の研究例両説を紹介している。

もっとも、研究例の中には、レントゲン診断の技術が進歩し早期にじん肺が発見できるようになったところ、「二十年以上の勤続者に就て検査したるに其の四割までは『レントゲン』診断の結果塵肺を証明し得た」「岩石塵の障害こそ炭肺の起り得べき最も有力なる条件である。従って炭層中に含有せる岩石の種類が、炭坑夫に炭肺が来るや否やを決すべき限界点となる」とするものがあることを紹介し、この議論は誠に傾聴すべきであるとした。

(7) 昭和一〇年

① 日本鉱山協会「鉱山衛生講習会講演集」(甲四〇の1ないし8)

日本鉱山協会が昭和九年に札幌市ほか四都市において開催した鉱山衛生講習会における講演の内容を収録したもの(その内容は以下の②ないし⑤のとおり)。右講演会は商工省鉱山局、内務省社会局及び各地方所在の鉱山監督局の職員の後援があった。

② 西島龍「坑内粉塵に就て」(甲四〇の3)

北海道鉱山監督局技師であった西島が、昭和五年から八年ころ、北海道の石炭山五箇所七坑内、金属山三鉱山三坑内において、ツアイス製コニメーターを使用し、人道、運搬坑道、採炭場、岩石掘進場、総排気坑道等における粉じんの浮遊状況を測定・調査した結果を報告したもの。

また、粉じん防止対策についても提言し、第一に粉じんの発生防止(①採掘に使用する機械に防じん装置を施すこと、例えば集じん装置、じんあい無害装置、さく岩機収じん装置、水洗式さく岩機等の利用、②発破作業の際には付近の坑道の粉じんを清掃し、散水を十分に行い、換気を行い、また上がり発破を採用する)、第二に粉じんの飛散防止(散水及び換気)、第三に粉じん吸入防止(マスクの使用の励行、休息所等の設置、労働時間の短縮)、第四に発病予防(健康診断、職務の転換)、第五に坑内係員による指導監督を挙げた。

③ 白川玖治「北海道の炭肺に就て」(甲四〇の5)

前記「炭肺ノレントゲン学的研究」の際の調査を基礎として、主として臨床的所見を述べたもの。

「炭肺は坑外夫よりは坑内夫に、金属山坑内に永く働ける者程、炭鉱坑内稼働永き者程、炭塵吸入永き者程、殊に石塵吸入永き者程、勤続年数永き者程、年齢進む程多発し且其臨床所見が自他覚的共に増強」するとし、炭肺は調査対象の約半分に認められたと報告。また、炭肺を起こすまでの粉じん吸入期間についてレントゲン像の各分類につき検討してみると、石じん吸入年数はレントゲン像の分類で第一類の者は1.3年、第二類の者は6.9年、第三類の者は9.0年であったのに対し、炭じん吸入年数は第一類の者は10.2年、第二類の者は16.5年、第三類の者は14.5年であったとし、「炭肺の成否及其程度は主として石塵の吸入年数に支配せられるもので、炭塵の吸入年数は比較的無関係であるのを看取することが出来る」と評価している。

もっとも、外国の調査結果に比較して罹病率が少なく病症が軽いことに関しては、「夕張以外の本邦他炭鉱に於ける炭肺調査は私のこの研究に比しより以上の悪い成績を示すものではないかと予想せられますが故に、今日の演題を特に『北海道』と限定して此点を考慮に入れた積り」であるとした。

④ 有馬英二「硅肺のレントゲン診断」(甲四〇の6)

けい肺の病理学的所見、純けい肺のレントゲン像、けい肺結核、肺結核とけい肺との鑑別、けい肺とその他の肺疾患との鑑別、けい肺の期的分類について言及したもの。

緒言において、「近時、世界各国共災害予防の見地より、又一面弁償問題上、本疾患を法定職業病に公認し来るに至り」「我邦においても社会局大西博士鉱山局原田技師等は特に本邦に於ける硅肺問題に付て調査せられたるも、実際に鉱山労働者の診断治療に従事する実地家の此れに関する知識不十分なると、鉱山経営者の認識不足なるが為に、多数労働者を使役し居る有数なる鉱山より一名の硅肺発生の報告なき実情にあり」とし、「硅肺の診断上、レントゲン検査の必要なるは今日諸学者の承認するところなり、否レントゲン検査無くんば硅肺の診断を的確に付する能はずと云ふも過言に非ず。」とした。

⑤ 黒田靜「珪肺の診断」(甲四〇の8)

八幡製鉄所病院副院長であった黒田が、じん肺の歴史、定義、発見された業務、医学的診断、鑑別診断、経過、扶助に関する判定等について当時の知見を述べたもの。

緒言においては、「近世医学の領域では塵肺特に珪肺の発生、病理、予防等に就いて沢山の報告がある。之は産業医界に取って洵に興味あり、且須知す可き知識である外に、本病は肺結核の発生蔓延と不可分離の関係ある所からして一般医学の方面にも多分の関心を得つつある。然し産業実地医家に必要な臨床方面の事は存外にも暗黒で、唯今の我国状では塵肺の臨床的形貌は殆んど窺ふに由ない有様である。私は数年来実地に経験した塵肺の臨床的方面を需によって概括して御話申し上げます。その所論は海外研究者の説を経とし、私の経験を緯としたものです」としている。

じん肺の定義については、「前世紀では各種粉塵の吸入で起った呼吸器の障碍はなんでもかんでも、塵肺の一名目の中に包括された時代がある。」「塵肺障碍の程度は粉塵の種別に従って軽重色々である所からして、Wilson(1909)は……業務上絶へず粉塵を吸入し、之が為めに肺臓に繊維増殖を起すもの許りを塵肺」と定義した。「次ぎに一九二四年和蘭国に催された第四回災害及職業病国際会議の席上でSternbergは……炭肺若しくは煙草肺は色素肺に属して繊維増殖なきもので、珪肺は珪酸の化学的作用で肺臓に繊維増殖を起す狭義の塵肺である……と述べておる。此説には塵肺の研究者は殆んど一律に賛意を表しておる。それで今日にては珪肺の名称は狭義の塵肺として使用せられ、鑛肺其の他の名称は通用せぬ事になった。」「一般臨床の上から云へば、珪肺とは多年の間、業務上多量の珪酸塵を吸入することに因って起る慢性呼吸器病で、塵肺の一種である。且本病は潜行的に進行し、余程早期に之を発見して、……旧来の業務を断絶せない限りに就いては病勢は益々募って致死せねば已まぬ疾病である。」とした。

また、粉じんの危害を認められた主たる産業として、鉱業、工業、その他を挙げ、「以上産業中、肺臓に重篤なる病変を惹起するものは珪酸或は石綿を取扱ふ者に見られ、其の他に就きては今猶ほ研鑚不十分であるが、主として症状軽微な単なる塵肺のみなりと見做されておる」とした。そして、筆者の関係する製鉄業における粉じん作業に従事する労働者には若干のけい肺を認めたとしながら、「欧米各国ではいずれの所にも多数の症例を出しておる。我国では先年原田商工技師は東北の某金属山で数十例の珪肺を発見して、統計的報告を内務省社会局に出し、又之と前後して各地の学会で少数例の発表がある。然し病理や臨床上の知見に就いて追従するの便宜が得られない。由来珪肺は本邦に左様にも希であるのか。又出ず可くして出ないのか。珪肺発生の警鐘は既に打たれ、職業病としての取扱をも制定されておる。問題の解決は吾等産業医の任務であります」としている。

そして、結論部分において、先日筑豊鉱山の技術者に会って同地炭層の基礎岩石について聞いたところ、砂岩から構成されているとのことであり、けい肺発生の危険性は多分にある、また採炭法も機械化した箇所が少なくないようで将来のことはまことに懸念に堪えない、としている。

(8) 昭和一一年

① 「工場法施行令」「鉱夫労役扶助規則」の改正

業務上疾病の範囲が改められ、「珪酸を含む粉じんを発散する作業に因る肺結核を伴う、または伴わざる珪肺」が、鉱山のみならず工場においても業務上の疾病として取り扱われるようになった。

なお、立山方「鉱夫災害扶助規則義解」昭和一五年(乙X五七)によると、右に該当する作業として「金属山の坑内作業」が挙げられ、炭鉱については言及がなく、「地下作業に因る眼球震盪症」の項目の作業に「石炭山の坑内作業」が掲げられている。

② 大西清治「珪肺に就て」東西医学三巻六号(乙X二八一)

けい肺の生理及び病理、統計、症候(三期に区分)、合併症、診断、予後について述べたもの。

炭肺について触れた部分では、外国の研究を紹介し、炭坑夫の肺臓には石炭を認め得るが線維性の変化はなく、肺結核も少ないが、気管支炎及び肺気腫が頻発するとし、病理解剖的見地からすればけい肺じんと混合する場合はけい肺と明瞭な区別を付けることが困難であり、実際は混合した場合が最も多数を占めているのではないかとしている。

③ 黒田靜「製鉄業附帯粉末加工々場ニ於ケル塵肺ノ衛生学的及臨床的考察」日本放射線医学会雑誌三巻(甲一〇七の13)

八幡製鉄所の病院副院長であった筆者が、外国の研究成果と各種工場におけるじん肺の検査実績等を叙述したもの。

(9) 昭和一二年

黒田靜「珪肺症の概説」治療学雑誌七巻一二号(甲三八)

昭和一一年に行われた講演の要旨を収録したもの。

じん肺の種類、じん肺症の惨害、じん肺研究の世界的趨勢、有害粉じんの具有条件、体内の防じん機関、粉じんが起こす肺臓内病変、けい肺の病期分類、じん肺の自覚的症状、他覚的症状、じん肺者の体力、じん肺と肺結核との相互関係、じん肺が発見せらるべき各種産業、補償問題、じん肺の予防等の項目にわたり、当時の知見が簡潔に述べられている。

我が国におけるじん肺の発見状況については「大正の後年に至り、原田氏が東北地方の金属山に珪肺を発見し、之を社会局に内報せし事実あり。其の後、鈴木、野田二氏は墜道従事員に、有馬、白川二氏は炭坑夫中に、何れも少数の塵肺を認め、近頃中国の鉱山、名古屋地方の陶工に珪肺を発見した事実あり、又先年私は某地の耐火煉瓦工に多少の珪肺を発見致しました。然し唯今までに我国で確認された珪肺患者の総数は至って少い。珪肺症は果して真に我が国に少いのであるか、又有るものが未だ現はれないのであるか。外国の何地にも見付かって居るのに、我が国のみ少い道理が判からぬ」としている。また、じん肺の予防について、人的方面においては定期健康診査によるじん肺患者の早期発見、罹患者の転職等が、物的方面においては、作業場の防じん及び除じん(通風、散水、湿式作業)、マスクの着用が重要である旨提唱された。

(10) 昭和一三年

① 「坑内浮遊粉塵調査報告」日本鉱山協会資料六六、六七輯(甲四一の1、2)

日本鉱山協会は鉱業じんによる従業者の健康障害を予防し併せて浮遊粉じん防止施設を研究するため昭和一〇年にツアイス製コニメーター一具を購入していたところ、それを利用して三菱鉱業株式会社の生野鉱山及び尾去澤鉱山において坑内の岩粉の状況が調査されたので、その結果を掲載したもの。

② 石川知福「塵埃衛生の理論と実際」(甲一三〇)

産業における粉じんの科学的研究、実際問題、定性定量法についてまとめたもの。

石炭山については「石炭山に働く労働者の肺には炭塵が沈着して、遂には炭肺(anthracosis)の形成されることに就ては、相当に古くから知られている。此の炭肺(anthracosis)なる名称を最初に使用したのはStrattonで一八三七年のことであると。炭粉の肺臓に対する害は其硬度が関係し、所謂硬炭(hard coal)は軟炭(soft coal)に比して炭肺罹病率が大であると云ふ説がある。尚ほまた炭坑内で炭粉と共に珪石粉(silica dust)が発生するところでは、鑛肺の発生率並にその経過の急性度は、この珪石粉混有量の多少によって影響されるものの如くである。」「純炭粉末による炭肺症の進行は緩慢であると考へられる。炭坑に於て比較的早期に肺の繊維増殖症を発生する場合は、炭粉中に珪石分を多く混合するか、前勤職業が繊維増殖症(fibrosis)を惹起する多塵性のものである場合が多いと思はれる。」とした。また、けい肺の経過及び予後について述べた部分では、外国の研究を引用して、粉じん作業を離脱してもけい肺が進行することを述べている。

③ 三川一一「最新採炭学」(甲二四一)(なお、乙E三七)

「粉塵」と題する項目を置き、以下のような記載がある。

「石炭坑内に発生するは、炭塵及び普通の石塵なるが故に、毒性を有するものに非ず。されど長年月に亙りて之を混有する空気を呼吸するときは容易ならざる疾患を招くことありて、最も普通なるは一般に鑛肺又は塵肺と呼ばるる硅肺・炭肺及び硅肺結核なり。」「石炭坑内に於ける粉塵は炭塵を主とし、之に混在する石塵と雖も、炭層内に介在する粘土質岩石の粉末なるが故に、之を吸入するとも、顕著なる障碍を起すことなきを常とす。されど、輓近岩石坑道の開鑿と、鑿岩機の使用とが盛にして、其の就業者は石塵を吸入する場合多く、又炭塵爆発予防の為め岩粉の使用せらるる場合には、坑内就業者一般に石塵吸入の機会多きが故に炭坑に於ても、珪肺或は炭肺予防に就き、多大の注意を要するに至れり。」「之を予防せんには、炭塵爆発予防用の岩粉製造には極力無害なる材料を選択使用すべく、鑿岩機・截炭機等の使用に当りては、防塵方法を講じ、殊に砂岩・硅質岩石類に鑿孔する場合には、格段の注意を払はざる可らず。」

④ 第二回国際珪肺専門家会議(ジュネーブ)

一〇か国の代表が出席して開催された。

じん肺はけい酸及びけい酸じんと他の岩粉を混合して吸引する場合に生じるとされ、ヨハネスブルグでの会合の結果と同じ方向のものであった。また、炭じんと呼吸器疾患との関係も論じられ、けい酸を含む炭じんを吸引すればけい肺となる、炭じんのみの吸引ではけい肺と同様の症状とならない、との結論が得られたものの、炭じん中のけい酸含有量についての具体的な報告はなかった(甲二六九)。この会議には我が国の代表も出席し、けい肺発生状況について報告した(乙A二〇九)。

(11) 昭和一四年

黒田芳夫「炭鉱労働衛生の実態」公衆衛生学雑誌五巻七号(甲四八)

昭和二四年に公刊されたものではあるが、MM炭鉱(三井三池)において昭和一四年から同二二年までの間、一部の労働者の健康診断を行い、毎年、数名のけい肺患者の発生が報告されていたとの記載がある。

(12) 昭和一五年

西川忠英「吸入炭末ノ運命、特ニ之ト肺内淋巴組織トノ関係ニ就テノ実験的研究」京都医学雑誌三七巻一二号(甲一一三)

家兎に炭末等を吸入させ、一時間後から八か月後までの間に諸器官における炭末の分布及び移動状況と肺臓のリンパ組織の態度について観察した結果を報告したもの。

(13) 昭和一九年

① 竹内住人「珪肺症の組織発生に関する実験的研究」北越医学会雑誌第五九年五号(甲一一五)

けい肺の病理的組織発生を解明する目的で、家兎にけい酸の微粉じんを吸入させ、また静脈注射する方法で臓器の変化を追究したもの。

② 赤崎兼義ほか「珪肺症の六剖検例」北越医学会雑誌第五九年六号(甲一一六)

S鉱山におけるけい肺死亡者の臨床的所見と剖検的検索と結果とを対比報告したもの。

2 戦後におけるじん肺に関する文献等

(一) 昭和二一年

足尾町の町民大会

栃木県足尾町の町民大会において、けい肺撲滅を目的とした全国的運動を展開することが決議され、これを契機として全日本金属鉱山労働組合連合会がけい肺の撲滅を運動目標に取り入れ、その推進に当たった。他方、我が国経済の復興を図るために各産業別に経済復興会議を作る機運にあり、人道的社会問題として再認識されていたけい肺問題も、金属鉱山復興会議を母体にその対策が検討されるようになった(乙X二五二)。

(二) 昭和二二年

労基法及び旧労安則の制定(甲一〇八六)

労基法は、労働者の安全と衛生に関して様々な規定を置き、労働者に対する粉じん等による危害を防止すべきこと、換気等の労働者の健康、生命の保持に必要な措置を講ずべきこと等を使用者に対して義務付けた。また、労働者に対する安全衛生教育や健康診断を行うこと、安全管理者及び衛生管理者を置くこと等を規定した。

旧労安則は、右の細則を定め、粉じん作業については、粉じんを発散する等衛生上有害な作業場においては、その原因を除去するため、作業又は施設の改善に努めるべき義務を課し(一七二条)、粉じんを発散する屋内作業場では、場内空気の含有濃度が有害な程度に至らないように、換気等の適当な措置を講ずべき義務を定め(一七三条)、屋外又は坑内において「著しく粉じんを飛散する作業場」における注水その他の粉じん防止措置を講ずるべき義務を課し(一七五条)、粉じんを発散する場所での業務に従事する労働者に使用させるべき呼吸用保護具等適当な保護具を備え付けるべきことを義務付ける(一八一条)規定を置いた。

また、右の粉じんの著しく飛散する場所について、労働省は、昭和二三年に通達を発し、粉じんが作業場の空気一立方センチメートル中に粒子数一〇〇〇個以上又は一立方メートル中一五ミリグラム以上含まれる場所、特に遊離けい酸五〇パーセント以上を含有する粉じんについてはその作業する場所の空気一立方センチメートル中に粒子数七〇〇個以上又は一立方メートル中一〇ミリグラム以上を含む場所をいう、との基準を示した。

もっとも、労基法制定以前においては、鉱山労働者の生命の保護と衛生に関する規制法令は旧鉱業法七一条二号であったところ、労基法の制定に伴い、旧鉱業法の「生命及び衛生保護」が削除されたが、他方において、旧労安則は鉱業等の安全については当分の間適用しないこととされ、労働省と商工省の所管問題が未解決のまま残った。その後、昭和二三年一二月の閣議において、鉱山保安行政は石炭増産の必要上商工大臣が一元的に所管すること、商工大臣は鉱山労働者の生命の保護、衛生に関する労働大臣の勧告を尊重することが決定され、その決着を見た(乙X二五二)。

(三) 昭和二三年

(1) 珪肺対策協議会の設置

政府は、けい肺問題に対処するため、労働省に「珪肺対策協議会」を設置した(右協議会は、昭和二四年に正式に労働大臣の諮問機関たる「珪肺対策審議会」に発展的に解消した。)(乙X二五二、二七九)。

(2) 金属鉱山復興会議が衆参両議院議長宛に珪肺対策に対する建議書を提出

右建議書は、①日本の鉱山労働者のけい肺患者数は多数存在すると推定されるにもかかわらず、現行の労働法規ではその解決を望めないから特別法を制定し、けい肺の予防、診断、治療及び補償について法的根拠を確立すること、②国の主導によりけい肺に関する病理学的臨床医学的研究を強化推進することを求めていた(甲四六、乙X二五二)。

(3) 珪肺巡回検診を開始

労働省は、けい肺の発生状況を調査するため、昭和二三年から珪肺巡回検診を開始し、同年度においては金属鉱山を対象として検診を実施した。右検診は、昭和二四年度においてその対象を一部の石炭鉱山に拡大し、その後、窯業、土石工業等へ範囲を拡大しながら昭和二六年度まで継続された。

昭和二三年度における検診は、全国五一鉱山において行われ、被検者は、各鉱山において現に坑内作業等粉じん発生の著しい作業に従事している者及び従事した経験のある者の全部について実施する意図で選ばれ、実際には対象鉱山の全労働者数の約半分に当たる約二万四〇〇〇名がその対象となった。

検診は、被検者全員に対して胸部エックス線間接撮影が行われ、そのうち粉じん作業勤続年数一〇年以上の者、その他間接撮影の結果等により検診医が必要と認めた者約五〇〇〇名に対してエックス線直接撮影が実施され、読影は東大教授岡治道の提唱した三分類に従って行われた。その結果、読影可能数四七五四例のうち、約六〇パーセントにけい肺性変化が見られ、約一一パーセントにけい肺第二度以後のけい肺性変化が見られた。これは被検者総数との関係では、それぞれ約一一パーセント及び三パーセントに該当していた(甲五一)。

他方、石炭鉱山における検診は、昭和二四年度に一事業所において被検者総数一三五五名に対して行われ、うち一八名のけい肺罹患者が発見された。また、昭和二五年度には、六事業所において被検者総数七三七七名に対して行われ、五五四名のけい肺患者が発見された。この結果、両年度におけるエックス線写真読影可能者数に対する罹患率は7.8パーセントと判明した。

その後、労働省による炭鉱を対象とした検診は、昭和二七年及び二八年にも実施されている(甲一〇五七、一〇五八)。

(四) 昭和二四年

(1) 「鉱山保安法」制定(甲一〇八五)

鉱山保安法は、鉱山労働者に対する危害を防止するとともに鉱害を防止し、鉱物資源の合理的開発を図ることを目的とし、鉱業権者の義務として、粉じんに伴う危害の防止のために必要な措置を講じなければならないとし、右の具体的内容(湿式さく岩機の使用、散水、通気等)は、石炭鉱山については炭則において、金属鉱山については金則においてそれぞれ定められた。

(2) 「珪肺措置要綱」(乙A八〇)

労働省は、けい肺検診の結果に基づいて、けい肺の健康管理に関する行政指針として、「珪肺措置要綱」と題する通達を発した。

右要綱では、胸部エックス線直接撮影の結果と呼吸器系の状態、労働能力の減退の程度によって症状を三区分し、それぞれについて配置転換、労働時間の短縮、保護具、健康診断等のとるべき措置について言及している。

その後、右要綱は珪肺巡回検診の結果等に基づいて昭和二六年に改正され、エックス線所見を三分類してけい肺一度ないし三度と呼称することとして、けい肺患者を要領一ないし三に分類する基準を明確化した。

また、労働省は、昭和二四年、「労働基準法施行規則第三五条第七号(粉じんを飛散する場所における業務によるじん肺症及びこれに伴う肺結核)の取扱いについて」と題する通達を発し、じん肺の業務上の疾病としての取扱いを明確化した。

(3) 札幌炭鉱保安監督部編「炭鑛保安教本」(甲二四二)

「坑内に浮遊している硅石じんを吸入することによって発病する硅肺と言う慢性肺疾患が鑛山炭鑛等に於ける特異な病気として知られています。これは昔から坑夫よろけ病として一般に知られているものであります。」「さく岩機の防じん装置としては湿式を用うる事がよいのであります。」「坑道等に粉じんのたたない様に適度に散水する事等も必要であります。」旨の記載がある。

(五) 昭和二五年

(1) 炭則及び金則の改正(けい酸質区域指定制度の導入)

① 遊離けい酸分を多量に含有する区域を通産大臣が指定し、当該区域でせん孔するときには、せん孔前に岩盤等に散水すること、衝撃式さく岩機を使用するときは湿式型とし、かつこれに適当に給水することを義務付けた(炭則二八四条の二)。

② 発破後、発破による粉じんが適当に薄められた後でなければ、発破をした箇所に近寄らず、かつ、他の者を近寄らせてはならないとの規定を設けた(炭則二八四条の三)。

(2) 佐野辰男「珪肺のアルミニウム予防法」労働の科学(乙X二四七の1ないし4)

アルミニウムによりけい肺が予防できるとする外国の研究を紹介し、私見として、線維増殖性変化を全くなくすることは期待できず、けい肺をより無事な一種のじん肺にかえる限度であろうとし、有効性について証明に次けると主張している。

(3) 中川諭「内科学」(乙A二〇六)

「塵埃粒が肺胞壁に沈着してここに炎症を起させる。これが即ち塵肺である。この炎症を起す能力は塵埃の種類によって異り、炭粉は起炎力が最も弱いから高度の炭肺でも肺機能の障碍を起すことはない」旨主張している。

(六) 昭和二六年

(1) 石館文雄「我国に於ける珪肺問題の現況と展望」綜合医学八巻一三号(甲五三)

当時の労働省労働衛生課長である筆者が、昭和二三年から行われた珪肺巡回検診の結果を踏まえてけい肺対策について述べたもの。

最初に我が国におけるけい肺問題の歴史を概観し、すでに大正十二、三年ころより原田、大西、白川、有馬氏等の鉱肺及び炭肺の調査が行われているが、昭和に入るや各地の鉱山における各種の調査研究が発表され、その結果、昭和五年六月には内務省社会局通牒により金属山のけい肺は業務上の疾病として認められるに至ったとしながら、「当時我が国は資本主義の最盛期にあり、鉱山方面にはなお原生的苦汗労働が行われ一般のこのような問題に対する認識も低く、ために珪肺対策は遅々としてまず珪肺患者は悲惨な状態のうちに闇から闇へ葬り去られるといったものが多かった。その後戦時中に於ても多数の研究者、実務家により七十以上の学蹟が発表されて来たが、それ等は一般に調査の規模が比較的小さく又診断の基準が人によりまちまちであるため、日本に於ける珪肺の実情を全般的に把握するまでには至らず、且つ当時の社会的経済的事情のために珪肺対策を進めることは不可能であった。」としている。

次いで珪肺巡回検診の結果を紹介し、多数の罹患者を出していることを指摘した後、その対策としては、第一に罹患者の保護措置をいかにするか、第二に診断基準と早期発見の方法を如何にするか、第三に予防を如何にするかが重要課題であり、珪肺対策審議会でこれらを検討し、実施していることを報告している。

(2) 房村信雄ほか「岩粉中の遊離珪酸に就いて」日本鉱業会誌六七巻七五八号(乙X四八の2)

アルミニウムの吸引法がけい肺の予防となるとの外国の研究を紹介している。

(七) 昭和二七年

(1) 金則の改正

金属鉱山を対象とする金則においてはけい酸質区域指定制度を廃止し、坑内のすべての作業場において、衝撃式さく岩機を使用するときは湿式のものとすることを義務付けた。

(2) 黒沢翠「炭礦従業者の塵肺」常磐技報五巻三・四号(甲五四)

鉱業技術試験所北海道支所に属する筆者が、炭鉱におけるじん肺の発生状況、粉じんの許容限度の遊離けい酸の割合、けい肺の原因と兆候、予防と治療、水の利用を中心とする粉じんの発生防止策について簡潔に記述したもの。

緒言において、「炭礦における従業者の塵肺は今から二十年前頃迄は、呼吸困難黒色の汚物を吐き出すので、之を喘息と考へられて居た。其の後解剖の結果、肺の中に硅質の残滓を認められ、喘息でない事が検証され、多くの学者の研究の結果此処に硅肺が登場して来たのである。特に炭礦の坑内に於ては諸外国共採炭切羽石炭面で作業する坑夫は、除々ではあるが疾患が進むことが立証されている」としている。

(3) 北海道立労働科学研究所「本道金属鑛山における珪肺病の実状」北海道労働経済三巻七号(甲五五)

道内各鉱山に調査表を送付し回答を求める方法を中心にして、主として金属山におけるけい肺の発生状況と各種対策の現状についての実状を調査研究したもの。

炭鉱におけるけい肺発生状況に触れた部分では、昭和二五年の珪肺巡回検診の対象となった夕張炭鉱での検診結果を分析し、一八一三名中三五名が要領一との決定診断を受け、一名が要領二の決定診断を受けたこと、決定診断を受けた者のほとんどは炭鉱労働の経験しかない者であること、また、エックス線の診断によれば約四割は疾患あるものとして見られ、炭肺は約二七パーセントに及んでいること等を指摘しつつ、当時の現状では巡回検診が一部の炭鉱にしか及んでおらず、炭鉱におけるけい肺の問題は今や緒についたばかりで今後の研究が待たれるとしている。

(八) 昭和二八年

(1) 不破佐和子「長期炭礦労務者の健康状態について」熊本女子大学学術紀要五巻一号(甲五六)

労働省の「けい肺検診個人票」を使用して、熊本県の三つの炭鉱における概ね坑内勤務年数五年以上の労働者を対象として調査を行った結果を報告したもの。

被検者数二二六名のうちけい肺患者は七三名(三二パーセント)であったとする。

(2) 房村信雄「珪肺の予防について」石炭評論四巻一一号(甲五七)

けい肺患者の数、けい肺の恐ろしさ、けい肺の原因、けい肺の予防、粉じんの測定、遊離けい酸の測定について、包括的に紹介したもの。

けい肺患者の数については、労働省の巡回検診の結果によれば昭和二六年度末までの被検者約五万人中、けい肺及びじん肺罹患者数は合計八一八三名、被検者の16.2パーセントが罹患しており、巡回検診以外に都道府県労働基準局から労働省に照会のあったけい肺診断の結果では昭和二七年末にけい肺又はじん肺罹患者数が一三六〇名あったとし、また、炭鉱におけるけい肺の発生状況については、「まだ明らかな統計がないが、巡回検診によれば七炭鉱の調査で、被検者一〇、一二五名に対し珪肺または塵肺者一、二四〇名を発見し、被検者の12.4%が罹患しているという結果になっている。全国の全ての炭鉱について調べてみれば被検者からの罹患者発見率は必ずしもこの通りではないかも知れないが、相当数発見されるであろうことは疑えない」としている。

けい肺の原因については、「珪肺の原因となる粉塵は遊離珪酸が多いほど危険であることは言うまでもない。金属鉱山の坑内岩粉中には二〇〜八〇%程度の遊離珪酸が含まれているが、炭鉱の炭塵中では多くとも二〜五%程度である。しかし岩石坑道掘進の場合には岩粉中に三〇%近く遊離珪酸を含むことがある。また防爆用に撒布する岩粉も粘土や頁岩粉を用いるときは遊離珪酸を三〇〜四〇%含有することがある」「最近の研究によれば、純粋の炭塵……は珪肺に対する危険はほとんどないが、これが上下盤や夾みから生じた遊離珪酸を含む岩粉と混合した状態で吸引されると、珪肺に対する危険性が倍加されるという説が唱えられている。」としている。

(3) 呉建ほか「内科書 下巻」南山堂(乙A二〇三)

「肺塵症(塵肺)」と題する項目において、「炭粉は肺臓内に吸入せられるも、刺激作用少なく、従って少なくとも著明なる結合組織増殖を来すことなく、臨床的にも通常局所的並に全身的障碍を惹起することがない」との記載がある。

(4) 日本産業衛生協会「珪肺」(甲九三)

けい肺問題に関連する各分野の当時の第一人者による研究知見等を集大成したものである。

(九) 昭和二九年

(1) 炭則の改正

① けい酸質区域における衝撃式さく岩機への給水について、「適当な給水」から「粉じんを防止するため必要な給水をしなければならない」と改めた。

② 衝撃式さく岩機につき、「ゆう水等によりせん孔面が常に水でおおわれており、粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機を使用する場合と同等以上の効果があると認められるとき」及び「粉じん防止上湿式型の衝撃式さく岩機と同等以上の効果があると認められる機械、器具、又は装置を使用するとき」は、湿式さく岩機を使用しなくてもよい旨の例外規定を設けた。

(2) 滝沢敬夫ほか「珪肺の病理解剖学的研究補遺」東北医学雑誌四九巻四号(甲五八)

鉱山労務者の著しいけい肺例等を組織学的に検索し、けい肺に随伴する肺気腫の成因について、粉じん性気管支炎が汎発性の閉塞性気腫を招来するとし、成因の副要素として激しい呼吸、咳漱、弾力線維の消耗や閉塞性動脈炎による肺循環の減少が肺気腫を増強せしめるとした。

(3) 鈴木間左支「最近の珪肺行政の動向」公衆衛生一六巻五号(甲五九)

労働省基準局衛生課の職員である筆者が、けい肺行政の進展、けい肺の発見状況、けい肺療養者への補償等についてまとめたもの。

昭和二七年度までの労働省の珪肺巡回検診及び個別申請があったものを集計すると、被検者総数三万一七四七名、うち診断可能数約二万七〇〇〇名、エックス線写真像が一度の者八四九三名、二度の者一三五二名、三度の者三七一名であったとし、現在発見されているけい肺は氷山の一角であろうとしつつ、右結果を分析して、いずれの産業においても二度以上のかなり進行したじん肺を示すものが発見されていること、他方、各産業においてはけい肺の発生頻度や重篤度が相当異なることが推定され、金属鉱業、窯業、土石工業には罹患者が多く重篤な者も多いが石炭鉱業や鋳物業では罹患率も低く重症者も少ないと想像されるとしている。

(4) 労働省珪肺対策審議会の粉塵恕限度専門部会の中間報告

空気中の粉じん濃度の恕限度について、労働省珪肺対策審議会の粉塵恕限度専門部会が、衛生学的見地から一定の結論を提示した(甲二四五)。

(5) 鉱山保安局「けい肺予防のための粉じん防止」(乙X二八五)

アメリカ鉱山局発行の文献を元に日本における実状を加味して鉱山保安局の監督官と技官が執筆したもの。けい肺の原因となる粉じんの主要な性質、浮遊粉じんの測定、けい肺の工学的予防等について詳細に触れられている。

(一〇) 昭和三〇年

(1) 「けい肺等特別保護法」制定

同法では、けい肺を、「遊離けい酸じん又は遊離けい酸を含む粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化の疾病及びこれと肺結核の合併した疾病」と定義した。

(2) 鉱山保安局「けい肺対策の現状および今後の展望」(乙A七三)

けい肺の意義、歴史、予防に関する工学的方法、今後の対策、各国の法規制等についてまとめた小冊子。

(3) 大津正次「炭坑岩紛による実験的珪肺症の病理学的研究」長崎医学会雑誌三〇巻一号(甲六二)

炭鉱におけるけい肺発生の可能性を実験病理学的に検討するために、炭鉱で掘進夫が直接せん孔して得た砂岩、頁岩及び防爆用石灰石岩粉を、ウサギに静脈注射、気管注入した実験についての論考で、昭和二六年に病理学会で報告されたもの。

前二者についてはけい肺発生の危険性を確証したが、その余についてはけい肺症変化等を認め得なかったとした。

(4) 小林東洋雄「石炭山に於ける珪肺症」臨床内科小児科一〇巻八号(甲六四)

北海道住友奔別病院医師の筆者が、昭和二九年までに同炭鉱病院においてじん肺、じん肺結核(けい、けい炭肺)と診定された者について調査した論考。

じん肺の発生頻度は従来考えられていたものより意外に多く、中等症、重症の中にもその職歴に金属鉱山歴を持たない者が相当見受けられるとし、現今まであまり重要視されなかった炭鉱におけるじん肺、けい肺は、金属山等に見られるほど高率でないまでも、決して軽視できるものではないと指摘し、予防措置の立ち後れや従業員の自覚不足があることにも言及した。

(5) 金光正次ほか「本道の金属鉱山と石炭山従業員の珪肺検診成績」北海道労働研究六巻五号(甲六六)

北海道の代表的な金属鉱山の労働者三〇八名と空知地方の八炭鉱の労働者九九九名についてエックス線直接撮影を行い、労働省のけい肺診断基準に基づいてけい肺の判定を行ったもの。

(6) 樋口信博「S炭鉱における珪肺について」医学研究二五巻一二号(甲六七)

九州大学医学部に属する筆者が、昭和二五年及び二六年にS炭鉱において発見されたけい肺患者合計一一名についてその症例を報告し、また、同炭鉱の岩盤の遊離けい酸含有率及び作業時の粉じん数を調査したもの。

(7) ハイゼほか「石炭を主とする採鉱学」日本石炭協会(乙E三六の1)「炭じんや石灰岩・泥灰岩等の粉じんは全く無害である」との記載がある。

(一一) 昭和三二年

(1) 浜里欣一郎「珪肺検診の成績について」長崎医学会雑誌三二巻二号(甲七〇)

長崎市民病院の医師である筆者が、長崎、佐賀の六つの炭鉱の労働者三五五一名についてけい肺罹患状況を調査した結果の報告。

エックス線所見上、発生率は二二パーセントと高率であること、大体五年以上、三〇歳になると発生率が増加する傾向にあること等が指摘されている。

(2) 若曽根亨「H炭山における珪肺者の実態」医学研究二七巻六号(甲七一)

九州大学医学部に属する筆者が、昭和三〇年から三一年にかけて、宇部海底炭田に属するH炭鉱において従業員一〇七〇名に対して行われたけい肺健康診断の結果について報告したもの。

同炭鉱は低温多湿で粉じんの発生も少なく創業以来六〇年けい肺症を思わしめる患者の発生を見なかったが、今回の調査でけい肺と決定された者は、一二四名であり、そのうち一型は一二二名、二型は一名、四型(結核合併)は一名であり、罹患率は11.6パーセントとなったことを指摘し、併せて、この集団のけい肺は佐野のいう「良性」のじん肺に入るものが相当あり、ことごとくけい肺とすべきかどうかは疑われると評価した。

(3) 渡辺恒蔵「実験的炭肺に就て」労働科学三三巻五号(乙X二三八、二四六)

現場の石炭塊から製した石炭粉じんを長期間ラッテに吸入させて、石炭粉じんのみによりじん肺が生じるかどうかを実験し、肺組織に強度の線維増殖性結節を惹起し得ることを確認した。

(一二) 昭和三三年

(1) 小池昭ほか「肺結核を伴った所謂炭珪肺症の臨床的観察」日本外科学会北海道地方会誌三号(甲七三)

三菱鉱業の四つの炭鉱(美唄、大夕張、芦別、茶志内)の炭坑夫又はその家族で肺結核に罹患した者七四名について症例を報告したもの。

症例に先立ち、じん肺とけい肺との関係について文献的観察を加え、我が国の研究ではかつて純粋の炭粉では肺に線維性変化を認めないとするものがあったが、最近、労働省は渡辺の実験で石炭末のみで線維性結節形成に成功しており、最近の英国の研究では炭じん自身が線維症を惹起するとの説もあるが、他方では炭じんの影響をうけた結核の一型であるとの説もあり、いまだ諸家の見解の一致を見ていないとしている。

(2) 渥美進「北海道に於ける珪肺症についての調査報告」北方産業衛生一七号(甲七六)

昭和三〇年度に行われたけい肺等特別保護法による北海道のけい肺健康診断の調査成績を集計検討した結果を報告したもの。

被検者は五六六二名、うちけい肺罹患患者は六四五名(11.4パーセント)であり、症度別では第一症度8.3パーセント、第二症度1.5パーセント、第三症度1.2パーセント、第四症度0.4パーセントで、全国平均に比べて低率であるが、経験年数が五年から一〇年以上でその増加度が著明となることからけい肺対策上五年から一〇年以上で職場転換等何らかの措置が必要と思われるとしている。

(3) 牧山喜代美「M炭坑に於ける坑内長期稼働者の珪肺罹患率並びに血液、尿所見に就いて」医学研究二八巻一〇号(甲七七)

長崎県のM炭鉱における稼働年数七・二年から三四・五年の労働者三〇名について調査した結果を報告したもの。

けい肺患者数が七三パーセントと高率であったが、重症例は認めなかったとし、けい肺罹患率は必ずしも稼働年数に比例せず個体差があると指摘している。

(4) 田原康ほか「某石炭山におけるけい肺の実態について」医学研究二八巻一三号(甲七九)

昭和三〇年から三二年までの間に行われたけい肺等特別保護法に伴う健康診断等に関して筑豊炭田の一炭山における結果を三井鉱山田川鉱業所病院の医師が分析したもの。

検診実施労働者数四五二四名のうち有所見者は一五八名(3.5パーセント)であり、全国的な統計と比較すれば第一及び第二症度が少ないという特徴があり、また第三、第四症度のけい肺は結核の合併によるものであるとし、当炭山におけるけい肺の問題は金属山のように重症化するけい肺自体の問題ではなく肺結核との合併の問題であると評価している。

(5) 山本幹夫「けい肺管理をどうするか」労働と結核五三号(甲七八)

けい肺発生現場にいる衛生管理者としての立場に視点を置き、けい肺管理をいかになすべきかについて、健康保持のため常時なすべき一般的努力、特殊病因に対する特殊予防、早期発見の措置、労働不能者への対策等の項目について述べたもの。配置転換に関しては、けい肺がある程度進行した場合にはけい酸粉じんの吸入を停止してもけい肺性変化が進行することから、「配置転換によってけい酸粉じんの吸入をやめさせることは出来るだけ早期になされなければならない」としている。

(6) 宮崎忠利「硅肺に就いて(その1)(その2)」九州炭礦技術連盟会誌三巻三号、四号(甲二六七の2、3)

けい肺の病理、エックス線写真像、自覚症状、診断と心肺機能検査、けい肺結核、治療、予防対策等について簡潔にまとめたもの。

緒言に、けい肺等特別保護法が施行されるに至り「炭鉱経営において珪肺問題を除外して考えることは出来なくなった。」「炭鉱の珪肺は全般的にいうと金属山に比較して軽症であると云えると信じている。だからといって珪肺に対しての諸設備が不備であってよいと云うのではない。十分な対策はたてられねばならない。」との記載がある。

(7) 小山内博「肺に於ける粉塵の組織内侵入」労働科学三四巻一二号(乙X二五〇の2)

肺に侵入した炭粉がいかなる経路で組織内に侵入するかについて、ラッテを使用して実験により検証したもの。

(一三) 昭和三四年

(1) 「じん肺法」(旧じん肺法)制定(乙A七八)

じん肺を「鉱物性粉じんを吸入することによって生じたじん肺及びこれと肺結核の合併した病気」と定義した。エックス線写真像については、粒状影を主とする像と、異常線状影を主とする像に二分してそれぞれ四種類に区分した。

(2) 中村隆「日本における珪肺問題」日本医事新報一八三〇号(甲八三)

医学会総会シンポジウムで五人の講演者によりなされた報告を要約したもの。

けい肺の病理について、当時の代表的な研究者であった東北大学病理学教室赤崎教授と労働科学研究所佐野辰男博士とが触れたが、線維化の形成は粉じんが肺間質に侵入して初めて惹起されるのか、あるいは肺胞腔内においても線維化が発生するのかについては意見の一致が見られなかった。

(3) 加藤光徳「日本におけるけい肺の現況」産業医学一巻七、八号(甲八四)

労働省労働基準局労働衛生課長であった筆者が、前記(2)シンポジウムにおいて、昭和三〇年から行われた全国けい肺健康診断を総括して発表したもの。

健康診断実施労働者数約三四万人中、けい肺罹患患者は約四万名(11.87パーセント)であり、有所見者率は、土石工業、船舶製造業等で高い。第三症度と診断され配置転換の対象となった者は二一三四名であるが、実際に作業転換が行われたのは約七パーセントに過ぎない。

石炭鉱業においては、受診者数約一四万名のうち、けい肺罹患患者は約一万二五〇〇名(8.63パーセント)であり、有所見者率は、第一症度が6.90パーセント、第二症度が0.88パーセント、第三症度が0.46パーセント、第四症度が0.41パーセントであり、いずれも全産業計よりも低い。また、エックス線所見が一型となるまでの平均勤続年数は一五・七年、二型までは一九・三年、三型までは二二・一年であった。

(4) 御厨潔人「炭鉱における防じん対策の研究」民族衛生二五巻三号(甲八一)

三菱鉱業の職員であった筆者が、炭鉱で実施可能な防じん措置とその改良すべき点について述べたもの。

緒言において「わが国の炭鉱では母岩中遊離けい酸(以下シリカと略称)の多い山を除いて、一九五五年けい肺保護法施行以前は炭肺は発生してもけい肺は発生しないと信ぜられていた。そしてけい肺といえばシリカ濃度高い粉じん作業に発生する典型的けい肺Classical silicosisが考えられ、炭肺はけい肺と違って労働能力にたいした障害を与えないものと軽視されていた。このため炭鉱では防じん対策が非常にたち遅れている。」としている。

本編では、各種対策と粉じん発生状況を分析し、通気の重要性も強調した。実施可能な対策を徹底的に行えば、遊離けい酸含有量一〇パーセント以下の恕限度の第一の水進(一〇〇〇個)を達成して、じん肺発見率を抑制できると結論している。

(5) 田中稔「炭鉱に於ける珪肺対策の現状と進め方」労働の科学(甲八二)

被告三井鉱山の砂川炭鉱労組保安部長であった筆者が、同炭鉱におけるけい肺対策について述べたもの。

昭和二八年ころまでは、会社側は炭鉱にけい肺はなく、あっても金属鉱山に働いていた者が炭鉱に来てけい肺になると主張していたが、労組主催で始められたけい肺講習会等を通じてけい肺についての会社側の理解も深まった経緯を述べ、その後行われた粉じんの測定、マスクの管理方式の改良、作業工程の湿式化、けい肺教育等の実施状況について記載している。

(一四) 昭和三五年

(1) 関為蔵「B炭鉱に於ける坑内粉塵の分布とその測定法についての考察」北方産業衛生二四号(甲八五)

北海道のB炭鉱において昭和二八年から三二年にかけて各種作業における粉じんの発生状況を五種類の計測器を利用して測定し、作業内容と関連させて分析した報告。

当該炭鉱におけるけい肺検診の結果についても触れ、受診者数一八一二名のうちけい肺罹患者は七九名(4.36パーセント)であり、全石炭鉱業における有所見率の半分であったとしている。

(2) 「粉じんに関する講演集」「粉じんに関する研究懇談会」北海道鉱山学会誌一六巻六号(甲八六)

房村信雄「粉じん測定について」、鈴木俊夫ほか「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」、相馬寛「防じん対策上マスクの使用がけい肺症におよぼす意義について」を収める。

(一五) 昭和三六年

山田穣編「鉱山保安ハンドブック」(乙E三八)

「けい肺の予防及び治療」の項目において、アルミニウム粉末吸入法につき、「もっとも望みがあるといわれている」としながらも、「なお疑問とする点が多い」ともしている。

(一六) 昭和三七年

牟田広公「急性に増悪したと思われる塵肺症例」災害医学五巻八号(甲八九)

過去一二年間炭鉱において粉じん作業に従事しながら健康診断によって異常を指摘されなかった者が、昭和三五年におけるわずか八か月の散水なしの無人採炭機を使用した後、自覚症状が現れ、急性じん肺症と診断された例について、発生状況、自他覚所見、臨床諸検査成績等について報告したもの。

3 小括

以上で認定したじん肺の知見等に関する文献等を総合すれば、石炭鉱山で発生するけい肺ないしじん肺に関する知見の成立及びその発展については、以下のとおりであると認められる。

(一) 明治時代から昭和九年ころまで

(1) 金属鉱山においてけい肺が発生すること、また、けい肺とは遊離けい酸分を多量に含有する粉じんを長期間吸入することを原因として肺に線維増殖性変化を生じる慢性の疾患であり、呼吸困難、肺気腫等の臨床症状があり、心肺機能の悪化あるいは合併した肺結核により死に至る者が存在することは、いずれも、大正時代の終わりころにおいて、周知の事実となっていた(前記1(二)(5)②、(6)、(7))。このような状況のもと、昭和四年に鉱業警察規則が改正されて粉じん防止のための規則が置かれ、また、昭和五年に社会局労働部長通牒「鉱夫珪肺及び眼震盪症の扶助に関する件」が出された(前記1(三)(2)①、(3)①)。

(2) 他方、石炭鉱山に関しては、明治時代の終わりころから、炭じんが肺に対して与える影響につき、「炭肺」との名称を付して、若干の指摘がなされており(前記1(一)(4)(5)、(二)(3)①)、昭和四年から、鉱業警察規則に基づき、炭肺についての統計がとられ始めた(前記(三)(2)①)。また、昭和四年から五年にかけて、炭鉱において行われる岩石掘進作業中に発生する岩粉や炭層中の遊離けい酸分が、けい肺の原因たり得ることを指摘する論考が「石炭時報」に掲載されるようになった(前記1(三)(2)②、(3)③)。

さらに、昭和五年から六年にかけて、「炭肺」についての石炭企業の勤務医による実証的な研究が現れ、炭鉱労働者のうち、純粋に炭じんを吸入した者に生じているレントゲン学的変化は金属鉱山労働者のそれと質的には同一であること、石炭鉱山のみで就労した労働者の中にも少なくない軽症罹患者がいること、炭じんが肺結核の抑制に有効、とはいえないことが指摘された(前記1(三)(3)⑥、⑦、(4)②)。

(3) 粉じん防止の工学的な方法については、技術的な研究は未熟ではあったものの、湿式さく岩機の利用、散水、集じん装置の利用、マスクの使用などの重要性を指摘する論考が現れ(前記1(三)(2)①、(3)⑤)、じん肺の予防法についての基本的な枠組みが知られるようになった。

(二) 昭和一〇年ころから昭和二三年ころまで

(1) 日本鉱山協会が全国四都市で昭和九年に開催した鉱山衛生講習会において、粉じんの防止、けい肺、炭肺に関する問題が取り上げられ、その内容の詳細が、翌昭和一〇年、講演集の形で公刊された(前記1(三)(7)①ないし⑤)ほか、この時期には、炭坑夫の肺疾患に関連して、病理解剖的見地からすれば、炭じんとけい肺じんとが混合して気管支炎、肺気腫が頻発する旨の見解や(前記1(三)(8)②)、近時においては炭鉱においても岩石坑道の開さくとさく岩機の使用が盛んでその就労者は石じんを吸入する機会が多く、また防爆のための岩粉により坑内一般に石じん吸入の機会が多いため、けい肺あるいは炭肺予防に多大の注意を要するとの意見(前記1(三)(10)③)が表明されるようになった。そして、実際にも、健康診断により、毎年数名のけい肺患者の発生が確認される炭鉱があった(前記1(三)(11)。

(2) 浮遊粉じんの測定については、金属鉱山の例ではあるが、ツアイス製コニメーターを利用して調査がされた例が報告された(前記1(三)(10)①)。

(3) 炭鉱におけるけい肺又は炭肺予防のためには、作業上の防じん、除じん(通風、散水、湿式作業)に留意し、マスクの着用を励行し、炭じん爆発予防用の岩粉製造に極力無害な材料を選択すること、さく岩機、採炭機等の使用に当たっては防じん方法を講じること、殊に、砂岩、けい質岩石類にさっ孔するときは格段の注意を払うべきこと、定期健康診断を施してじん肺罹患者を早期に発見し、罹患者について転職を図ることなどが提唱された(前記1(三)(9)、(10)③)。

(4) 粉じん暴露時間の制限について、昭和一〇年に発表された西島龍「坑内粉塵に就て」(前記1(三)(7)②)は、粉じんの吸入をできるだけ少なくすることが必要であるとし、「労働時間の短縮即ち粉塵吸入時間の制限を為す、現在では困難な問題であるが、少くとも食事、休息、入坑、出坑、の交替時等の際、または発破時の避難等の時間中には、なるべく粉塵を避けさせるべきである。殊に岩石掘進夫(炭礦)、鑿岩機夫、手掘夫(金鑛)等の坑夫には、必要なことであらう。また是等のものには、賃金を増額して、交替勤務の制度を採ることも一策であらう。」としていた。また、発病予防としては、健康診断を毎年定期に施行しじん肺の早期診断を行って最善の方法をとること、職務の転換等が必要であることを指摘していた。

(三) 昭和二四年ころから三〇年ころまで

(1) 戦後、主として金属鉱山の労働者を対象としてけい肺の予防と補償を求める世論が高まったことを背景に、昭和二三年度から開始された労働省による珪肺巡回検診は、昭和二四年度には炭鉱にも及び、その後範囲を広げて実施されたところ、炭鉱においても少なくない数のけい肺患者が存在することが確認され(前記一4(二)、二2(三)(3))、炭鉱におけるけい肺等に関する研究が活発になった(前記2(七)(2)(3)、(八)(1))。

労働省は、昭和二四年、珪肺措置要綱を発し、症状に応じて配置転換などの措置をとるように促すようになった。昭和二五年、炭則に、けい酸質区域指定制度が創設され、また昭和三〇年には、けい肺等特別保護法が制定されるに至った。

(2) 他方、この時期においても、内科医学書上、炭じんの有害性については、遊離けい酸分を含む粉じんに比較して、必ずしも重要視されていなかったが(前記2(八)(3))、その後、昭和三〇年代前半までにおいて、炭鉱におけるけい肺及びじん肺に関する研究が幾つも現れるようになったことから(前記2(一〇)(3)ないし(6)、(一一)(1)ないし(3)、(一二)(1)ないし(4)、(6)、(7))、炭じんも含め、粉じん一般の危険性が実証的に認識されることとなった。

第二  炭鉱における粉じんの発生と防止対策

一  炭鉱における粉じんの発生

1 粉じんの量等の測定

坑内では、一見したところ清浄で粉じんが浮遊していないように思われるところであっても、測定機を利用して測定すると多量の粉じんが発見されることがある。したがって、粉じん防止対策を行う必要性の有無及び粉じん防止対策の効果を判断するため、定期的又は臨時的に粉じんの測定を行う必要がある(甲五七)。

(一) 粉じん量の測定法及び測定機器

粉じんの測定は、その目的に適合した方法で行われなければならない。

この点、浮遊炭じんの測定は、その爆発防止を目的としており、炭じんの爆発限界濃度が質量濃度で示されていた関係上、炭じんの重量が測定され、対象となる微細粒子の大きさについては、爆発性の観点から細かいものほど危険とされながらも、その下限は二〇〇メッシュ(七五マイクロメートル)程度のものについて含有率が問題とされていた。これに対して、じん肺の防止のためには、粉じんの重量のみではじん肺にとって危険な微粒子(大きさが五ないし0.5マイクロメートルのもの)の数が明らかにはならないので、その数(粒子数濃度)を直接計測する方法でなければならない(乙X一の2、二四)。

我が国において、昭和初期から三〇年代までの間、じん肺防止目的の測定のために使用されていた主要な粉じん測定機器は、コニメーター(ツアイスコニメーター、昭和一〇年ころ開発された労研式塵埃計、昭和二六年ころ開発された粉研式コニメーター等)、インピンジャー、チンダロメーター(チンダロスコープ)であった。もっとも、これらの機械で測定した結果は、その絶対値においてかなり差があることに加え、同一機器でも器差が存在し、測定者によっても個人差があったため、数値の比較は、同一測定者が同一機械を同一の条件で使用して行った上で、相対的に行う必要があった(甲五七、六三、八六「粉じん測定について」「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」、一二七、乙X一の2)。

昭和四〇年代になると、日本産業衛生学会の粉じん許容濃度が質量濃度で勧告され、また、測定誤差の少ない光学式の粉じん測定器が発達したため、金属鉱山ではこれを取り入れた。しかしながら、右機械は防爆型ではなかったため、炭鉱において使用することは困難であった。その後、昭和六三年になって、炭鉱において実用になる測定器が開発され、測定誤差の少ない粉じん測定が可能となった(乙X一の2)。

その後、炭則は、平成三年三月三〇日の改正において、坑内の粉じん濃度測定につき、常時著しく粉じんを飛散する坑内作業場においては空気中の粉じんの濃度及び粉じん中の遊離けい酸の含有率を測定しなければならないことを規定するに至った(炭則二八四条の五)。

(二) 岩石中の遊離けい酸分の測定

岩石中の遊離けい酸分の測定法としては、ガイガーカウンター法、偏光顕微鏡法、りん酸法等がある。このうち、ガイガーカウンター法は最も正確であったが装置が高価であり、偏光顕微鏡法は熟練を要していたため、比較的迅速で容易なりん酸法が利用された(甲五七)。りん酸法は、昭和二六年から二七年にかけての研究により完成した(証人房村)。

2 粉じんの許容濃度(恕限度)の設定

(一) 粉じんの抑制に努めるために、粉じんの危険な濃度を設定するという考え方は、昭和九年の段階で、石川知福がニューヨーク州における宥恕度の設定について我が国に紹介していた(甲三三、一三〇)。

(二) 労働省は、昭和二三年、旧労安則四八条における衛生上有害な職場等に関する取扱基準に関して通達を発した(同年八月一二日労基発第一一七八号通達)。これによれば、土石、獣毛等のじんあい又は粉末を著しく飛散する場所とは、植物性、動物性、鉱物性の粉じんが、作業する場所の空気一立方センチメートル中に粒子数一〇〇〇個以上又は一五ミリグラム以上含む場合をいい、特に遊離けい酸分を五〇パーセント以上含有する粉じんについては、七〇〇個以上又は一〇ミリグラム以上を含む場所をいうとされた。もっとも、右基準は、二時間以上の時間外労働の規制や雇入れ時の健康診断の義務付け等の必要性を判断する基準であった。

(三) その後、珪肺対策審議会において、粉塵恕限度専門部会が設けられ、けい肺対策の行政措置を行うための恕限度の設定に関する検討が行われた。しかしながら、同部会では最終的な結論を見出すことができず、結局、行政措置との直接の関連においてではなく、衛生学的見地から基準値を提案し、これを他日の討議の材料として提供することが適当との見地から、次のとおり「第一の恕限度(けい肺発生のおそれがあり衛生管理上何らかの措置を必要とする水準)」及び「第二の恕限度(けい肺第二症度に進む進行性の症例が発生するおそれがある水準)」の二つの恕限度について具体的数値を示した(なお、第一の恕限度に関する少数意見は産業界における実現可能性を考慮したものであった。)。そして、昭和三〇年に制定されたけい肺等特別保護法においては、これらの基準に基づく規制が盛り込まれることはなかった(甲六五、二四五)。

(1) 第一の恕限度にかかる粉じん数量

① 遊離けい酸の含有率が四五パーセント以上の場合

(多数意見)四〇〇個又は八ミリグラム

(少数意見)数を問わない

② 遊離けい酸の含有率が四五パーセントから一〇パーセントの場合

(多数意見)四〇〇個又は八ミリグラム

(少数意見)七〇〇個

③ 遊離けい酸の含有率が一〇パーセント未満の場合

(多数意見)一〇〇〇個又は二〇ミリグラム

(少数意見)一五〇〇個

(2) 第二の恕限度にかかる粉じん数量

① 遊離けい酸の含有率が一〇パーセント以上の場合

四〇〇から一〇〇〇個又は八から二〇ミリグラム

② 遊離けい酸の含有率が一〇パーセント未満の場合

二〇〇〇個又は四〇ミリグラム

(四) 昭和三三年、労働省は、職業病予防のための労働環境の改善等の促進についての通達を発し、粉じん作業環境の改善を行うべき目標値として「抑制目標限度」を示した。その内容は、遊離けい酸分が五〇パーセント以上の粉じんについては、一立方センチメートル中七〇〇個又は一立方メートル中一四ミリグラム、遊離けい酸分が五〇パーセント未満の粉じんについては同一〇〇〇個又は同二〇ミリグラムとするものであった。

(五) その後、粉じん濃度の限界の意義については、作業環境における粉じんの平均濃度ではなく、個々の労働者の粉じん暴露の時間加重平均濃度とする考え方が諸外国で主流となり、日本産業衛生学会が昭和四〇年に行った粉じんに対する許容濃度の勧告では、これが取り入れられた。

(以上につき、乙X一の2)

3 炭鉱における粉じんの実態調査

(一) 戦前

大正末期において、大西清治は、さく岩作業につき、乾式さく岩機を使用した場合、湿式さく岩機を使用した場合、手掘りの場合のそれぞれについて粉じん発生量を計測した(甲一六)。

昭和五年から八年ころにかけて、北海道鉱山監督局技師であった西島は、北海道の石炭山五箇所七坑内、金属山三鉱山三坑内において、ツアイス製コニメーターを使用して、人道、運搬坑道、採炭場、岩石掘進場、総排気坑道等における粉じんの浮遊状況を調査し、その結果を昭和九年に発表した(甲四〇の3)。

昭和一〇年、三菱鉱業株式会社の生野鉱山及び尾去澤鉱山において、ツアイス製コニメーターを使用して、坑内の岩粉の状況が調査され、右結果は、昭和一三年に「坑内岩粉調査報告」日本鉱山協会資料六六、六七輯として出版された(甲四一の1、2)。

(二) 戦後

昭和二四年、日本鉱業協会内に粉じん防止研究委員会が設けられ、金属鉱山での粉じん実態調査等を開始した。また、それまで使用されていた労研式を改良して粉研式コニメーターが開発され、石炭鉱山における粉じん測定にも使用されるようになった。

労働省では、けい肺法案の検討資料とするために、昭和二八年から三〇年までの間、粉じん作業を行う事業所五六箇所(炭鉱九箇所を含む)において、職種ごとの粉じん実態調査を行った。

また、昭和二八年の炭則改正により、けい酸質区域指定制度において使用する湿式さく岩機に対して「必要な」給水を行うべきこととなったが、給水の基準を決定する基礎資料として、飛散粉じんの状況を調査する必要が生じた。この便宜のため、通産省の委嘱により、早稲田大学が、昭和二九年から三年間、毎年、炭鉱関係者を対象として粉じん測定技能講習を行った。その後の昭和三四年から昭和三九年までは、日本石炭協会が主催して粉じん測定等を目的とした研修会を開催し、炭鉱の粉じんの実態が調査された。

(以上につき、乙X一の2)

4 炭鉱における主要な発じん作業

粉じんの実態調査等を経て、炭鉱における作業のうち粉じんの発生が著しいものとして今日認識されているものは、以下のとおりである(甲六三、四〇六のほか、個別に指摘した証拠による)。

(一) 衝撃式さく岩機によるせん孔

さく岩作業は、粉じんの発生量が多く、かつ、作業の性質上、作業者は常に粉じん濃度の高い環境にいるので、じん肺の危険の最も高い作業の一つである。

すなわち、せん孔作業で使用される衝撃式さく岩機は、作業に伴い孔底で生じる繰り粉を排出する必要があるところ、圧縮空気を中空ロッドを通じてビットの先から吹き出させる方法(乾式)がとられるときは、岩盤をせん孔することにより生じた岩粉が右空気によって穴の外に排出されるため、粉じんが多量に発生する。衝撃式さく岩機に給水をしないで作業した場合の粉じんの発生量は、コニメーターによる計測によれば、一立方センチメートル当たり一万個以上に達し、作業環境によっては一〇万個以上にもなることがある(甲七四、乙X一〇の4)。また、湿式の衝撃式さく岩機を利用する場合でも、せん孔の口切り時には水を止めて作業を行うので、岩石が濡れる前に破砕されて粉じんの発生が多くなる。さらに、さく岩機の排気のため、坑道周囲に付着していた粉じんが飛散したり、浮遊している粉じんの沈降が妨げられる。

なお、沿層掘進におけるせん孔は、通常オーガードリルにより行われるが、乾式の衝撃さく岩機によるせん孔の場合に比較すれば粉じんの発生は少ない(甲六三)。

(二) 発破

爆薬を使用した発破による発じんは、あらゆる坑内作業のうちで最大のものである。発破により、岩石及び石炭が飛散して瞬間的に莫大な量の微粉じんが生じるほか、爆薬の不完全燃焼によって発生する微粒子も同時に空気中に飛散する。一般に、発破による粉じんは一立方センチメートル当たり一〇万個から三〇万個に達する。また、発破に先立って作業場に既に堆積していた粉じんが、発破による爆風と振動によって空気中に再び舞い上がる(甲七四、乙X一〇の4)。

発破作業現場における湿度は、堆積粉じんの飛散に影響を与える。発破箇所から一〇〇メートル以上離れた場所においても、爆風により一立方センチメートル当たり一〇〇〇ないし三〇〇〇個の粉じんが発生する例がある一方、高湿の鉱山では五〇〇個前後にとどまる例がある(甲六三)。

(三) 積込み、運搬作業

切羽における積込み及び運搬中の積み替え作業においては、岩石の破砕を伴うことから、粉じんが発生する。特に、ローダー等の機械を使った積込作業は、人力によるものよりも高能率であるが、人力による場合よりも粉じん濃度が高く、常時一立方センチメートル当たり一〇〇〇個以上の発じんがあり、運転手を含めた作業要員全員がこの中で作業を行うことになる。

(四) 採炭切羽での各種作業

長壁式採炭では、一箇所の作業現場で、せん孔、カッティング、炭はね、積込み、鉄柱回収、充填等、様々な作業が同時に行われ、個々の作業については発じんが少ないものもあるが、それらが複合されるために、一立方センチメートル当たり平均一五〇〇個以上の発じん現場での作業に匹敵する。特に、採炭跡に掘進作業で生じたズリを充填する作業を行う場合は、人力でこれを行うこともあって、岩粉を含んだ粉じんが発生し飛散する。また、長壁式切羽で自走支保を運転し、跡バラシを行うときは、多量の粉じんが発生し発散する。

採炭切羽における炭じんの発生については、ピック採炭では各ピックに対する散水を十分行えないことから、散水を十分に行った発破採炭よりも発じんが多い。また、炭層については、粉炭が多いほど、水分が少ないほど、地圧が強いほど、ガス発生量が多いほど、急傾斜であるほど、発じんが激しい(乙X二四)。

(五) その他の粉じんの発生

坑道維持のために行われる仕繰り作業では、せん岩作業や小発破作業を伴うため、粉じんの発生がある。また、炭じん爆発予防のための岩粉散布作業によっても、粉じんが発生する。

坑内の作業で生じた粉じんは、排気中に流され、ほとんどの場合、排気中の粉じんは一立方センチメートル当たり一〇〇〇個を下ることは少ない。

二  粉じん防止対策(総論)

1 粉じん防止対策の種類

粉じんが人体に吸入されないようにすることを目的として、工学的見地から有効な各種の粉じん防止対策を大別すれば、①粉じんの生成を少なくする作業方法を選択すること、②生成した粉じんを発散させないようにし、また、作業環境に堆積した粉じんについては再発散させないこと、③浮遊している粉じんの沈降を促進し、また、浮遊している粉じんを希釈、排除、吸引すること、④浮遊粉じんの吸入を防止するため防じんマスク等の呼吸用保護具を使用し、また、発じん現場から作業員を隔離すること、が挙げられる(乙X一の2、6、証人房村)。

このうち、①ないし③の粉じん防止対策は、水の使用と通気が中心となる。粉じん防止対策としては、水を適切に使用することが第一に重要であるが、水だけでは必ずしも十分ではなく、通気の改善も必要である(乙A七三、乙X一の2、五)。また、①から③までの観点から様々な粉じん防止措置を講じたとしても、粉じんの発生等を完全に防ぐことは困難であるから、④のとおり粉じんの人体への吸入を防ぐことが必要となる。結局、防じん対策は、粉じんの生成・発散防止その他の粉じん対策を行い、さらに安全のために防じんマスクを着用すべきである(乙X一の2)。

2 粉じん防止対策に関する研究

(一) 戦前

大正時代末期において、粉じん防止法についても記載した鉱山衛生に関する概説書が登場し(南俊治「鑛山衛生」甲一六)、また、防じんマスクに関する実証的な研究も見られた(大西清治「鉱山衛生ニ関スル研究」甲一二)。

昭和一〇年に出版された「坑内粉塵に就て」(甲四〇の3)において、鉱山監督技師であった西島龍は、粉じん防止対策を考察し、第一に粉じんの発生防止(①採掘に使用する機械に防じん装置を施すこと、例えば集じん装置、じんあい無害装置、さく岩機収じん装置、水洗式さく岩機等の利用、②発破作業の際には付近の坑道の粉じんを清掃し、散水を十分に行い、換気を行い、また上がり発破を採用する)、第二に粉じんの飛散防止(散水及び換気)、第三に粉じん吸入防止(マスクの使用の励行、休息所の設置、労働時間の短縮)、第四に発病予防、第五に坑内係員による指導監督を挙げていた。

昭和一三年に出版された「坑内浮遊粉塵調査報告」(日本鉱山協会資料六六、六七輯。甲四一の1、2)では、金属鉱山におけるせん孔及び発破作業における粉じんの発生状況をコニメーターを利用して様々な条件のもとで計測して分析し、散水及び通気の必要性、湿式さく岩機の使用、防じんマスク素材の改善、粉じん問題に関する作業者の注意喚起、給水管の完成等を提案している。

(二) 戦後

昭和二八年に出版された日本産業衛生協会「珪肺」の「珪肺の予防」と題する章(三浦豊彦)には、当時の防じん対策の知見がまとめられていた(甲九三)。また、同年、房村信雄は、石炭評論に「珪肺の予防について」と題する論文を発表し、けい肺全般について述べるほか、炭鉱の粉じん対策として、炭壁注水、各作業場での散水と水洗、湿式さっ孔、湿潤剤の利用、乾式集じん法、採炭時の発じん防止、坑道の粉じん対策、充填の粉じん対策、防爆岩粉散布の対策、防じんマスク等の項目を挙げ、各項目について当時の知見をまとめている(甲五七)。

昭和二九年、資源技術研究所の古屋敏夫らは、金属鉱山及び石炭鉱山の各四箇所において、各作業別の発じん状態及び各種粉じん対策の効果についての調査を行った(「鉱山の坑内作業における発生粉じんについて」採鉱と保安八号)(甲六三)。

昭和三二年、資源技術研究所の関健一らは、実験坑道において、通気及び散水による浮遊粉じんの抑制効果について研究した(「坑内浮遊粉じんの噴霧散水による抑制」採鉱と保安二巻七号)(甲六九)。このほか、昭和三〇年代になって、粉じん抑制のための噴霧器及び噴霧粒子の特性についての研究が盛んになり、噴霧散水の効果についての実態調査がなされ、適当なノズルの形式、抑制効果のある岩種、浮遊粉じんの粒度分布等についての知見が明らかになった(乙X一の2)。

昭和三四年、三菱鉱業の御厨潔人は、「炭鉱における防じん対策の研究」(民族衛生二五巻三号)を発表した。同論文は、炭鉱で実施可能な防じん措置とその改良すべき点について記載しているところ、各種対策と粉じん発生状況を実証的に分析し、実施可能な対策を徹底的に実施すれば、恕限度専門部会の答申した第一の水準に到達することができると結論している(甲八一)。

昭和三五年、関為蔵は「B炭鉱に於ける坑内粉塵の分布とその測定法についての考察」(北方産業衛生二四号)を発表した。同論文は、北海道のB炭鉱において昭和二八年から三二年にかけて、各種作業における粉じんの発生状況を五種類の計測器を利用して測定し、作業内容と関連させて分析している(甲八五)。

昭和三六年、資源技術研究所の鈴木俊夫らは、「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」と題する講演を行い、主として金属鉱山における作業別粉じん発生量について報告した(北海道鉱山学会誌一六巻六号)(甲八六)。

三  粉じん防止対策(各論)

主要な粉じん防止対策の種類、効果については、以下のとおりであると認められる(甲六三、四〇六のほか、個別に指摘した証拠による)。

1 せん孔作業における防じん対策

せん孔作業で発生する粉じんの抑制・捕捉の方法としては、さく岩機の湿式化、集じん装置の使用、さく岩周辺の岩盤への散水等がある。

(一) 衝撃式さく岩機の湿式化

(1) 湿式さく岩機の粉じん抑制効果

さく岩機の中空ロッドに水を通して、繰り粉を水と混合した状態にして排出することにより粉じんの発生を防ぐという、さく岩機の湿式化の方法は、外国において一八九八年(明治三一年)に考案されており、大正三年ころからは様々な機種が海外で開発され、これを模倣して国産の湿式さく岩機も製造されるようになった(争いがない)。

さく岩機の湿式化による粉じん抑制効果の調査は、古くから行われてきた。①大正一五年に発行された「鉱山衛生」南俊治著(甲一六)は、「現今では一般に鋼棒を中空としてその中心から孔底に圧力水を注射して岩粉の飛散を防ぐ様式のいわゆる水洗式を用いることとなった、粉塵予防上の一大福音である」とし、乾式の場合手掘の場合と比較して粉じん発生量が少ないとの調査結果が記載されている。②昭和一〇年ころ金属鉱山においてなされた調査によれば、ジャックハンマーを使用した粉じんの発生は、作業開始前の粉じん量を基準とすれば、乾式の場合二二倍、湿式の場合一〇倍であった(甲四一)。③他方、昭和二〇年代には、早稲田大学や労働科学研究所等が湿式さく岩機の利用による粉じん抑制効果についての研究を行ったが、測定器の誤差等が原因となって、期待するほどの粉じん減少が見られず、かつ微細粉じんが増加するとの傾向が見られた(乙X一の2、二九の2)。④その後、昭和二〇年代後半に資源技術研究所が鉱山保安局と協同して行った金属鉱山における調査によれば、さく岩機(TY24ジャックハンマー、TY40ジャックストーパー)を湿式として使用した場合の粉じんの抑制率は、乾式として使用した場合と比較して、概ね八四ないし九六パーセントに達するとの結果が報告された。以後、さく岩機の湿式化が粉じん抑制に対して効果が高いことが定説となった(乙A七三、乙X一の2、一〇の4)。

もっとも、湿式さく岩機の使用のみでは、粉じん濃度をいわゆる安全限界濃度まで低下させることは困難であり、防じんマスクその他の方法を組み合わせる必要があるとされ、また、作業中の粉じん露呈時間をできるだけ少なくすることが必要であり、そのためにはせん孔形式やせん孔速度にも配慮しなければならないとされた(甲六三)。

湿式さく岩機を効果的に使用するためには、適切な圧力と量の水を供給することが必要となる。昭和三〇年ころまでの段階で、粉じんの抑制にとって最も効果のある水量についての調査がなされていた(甲六三)。今日では、一般に、湿式さく岩機への適正な給水は、水圧三ないし五気圧で毎分一ないし三リットルまでの範囲であれば、水圧が高く給水量が多いほど繰り粉の排出が速やかに行われ、粉じん抑制効果が高いとされる(乙X一の2)。

さく岩機への給水方法には、給水管による方法、給水管によりいったん坑内の給水タンクに貯水し、そこから給水する方法、給水タンクのみによる方法が考えられる(乙A七三)。また、さく岩機内での導水方法には、ウォーターチューブによりロッドのシャンク部から供給する方法と、ロッドの中間からロッドの水孔に給水する方法(ウォータースイーベル式)があり、我が国では主として前者が使用されている(甲二八六、四〇六)。

(2) 炭鉱における湿式さく岩機の普及と実用性

さく岩機は、その用途に従って、ドリフター(硬質又は大断面積の岩石坑道掘進に使用され、重量五〇ないし八〇キログラムのもの)、ストーパー(三〇度以上の上向きのせん孔に用いられ、重量一〇ないし四〇キログラムのもの)、シンカー(下向き又は水平方向のせん孔に用いられ、重量は一〇ないし二五キログラムのもの。ハンドハンマー又はジャックハンマーとも呼ばれる。)に大別される(乙X三一、三二)。

石炭鉱山においては、掘進作業の規模、手軽に手早く仕事を行いたいという利便性、労働者の体力等の事情から、軽量のさく岩機の使用が好まれ、主として小型のハンドハンマー又はジャックハンマーが用いられてきた(乙X一の2)。

戦前においては、一部の炭鉱において湿式さく岩機が導入された。大正一五年に発行された「本邦重要鑛山要覧」(甲一五)には、長崎県の鹿町炭礦において、岩石掘進にインガーソル手持ち噴水さく岩機が用いられたとの記載がある。右機種は明らかではないが、当時のアメリカ製ハンドハンマーは重量二〇キログラム以上のものが通常であった(乙X五八)。また、昭和初期において日本鉱山協会によりなされた「炭礦に於ける鑿岩機使用状況調査報告」によれば、調査対象の炭鉱四四山のうち、昭和六年末の時点においてさく岩機の備付台数は合計三二〇一台であるところ、そのうち湿式として利用可能な機種として、インガーソルランドBCRWが三山に一〇台、ホルマン式が四山に七一台存在した(甲三一)。

しかしながら、戦前においては、さく岩機の湿式使用が広く普及するには至らなかった。その間の事情について述べる文献には以下のようなものがある。①湿式のさく岩機は粉じんの発散防止効果に優れるものがあるが、「噴水装置を施したストーパーを用いるときは、噴水と刳粉の混じたものは、殆どすべて機械及び、その使用者の頭へ降りかかり、たださえ湿気を帯びた坑内で、斯く水をかぶるのでは、到底耐え難い」。英国では湿式さく岩機の利用を義務付ける法律に従い「他に適当な方法がないので止むを得ずこの型のものを用いて居るらしい。」「ジャックハマー等の中型以上の鑿岩機には、機械一台につき作業者は二人以上つくから……噴水に要する水槽、ゴムホース等の運搬に左程困難ではないが、軽便を主として、手掘の代りに用いようとする小型鑿岩機……は、噴水に要する装置を付けると、折角手軽に出来たものも手軽でなくなり、中型以上の鑿岩機と同じ様な手数を要することになる。」(昭和五年「鑿岩機刳粉収塵装置」甲二八の2)、②「鑿岩機の構造が複雑になるため」炭鉱では広く使用されない(昭和一四年「最新炭礦工学」甲四四の1)、③ストーパーについて「坑夫達は(空気管と導水管の)二本も重い管がついていると面倒だから、つい、水の管の方を使はない。岩粉の散るのを我慢して仕事をやる」(昭和一八年「炭礦作業図説」甲四五)。

終戦直後においては、資材不足のため湿式さく岩機の利用は困難であった。金属鉱山における報告として、鋼製の水管が不足していたため竹で代用したが、摩耗が激しくすぐ水が詰まり、交換のため作業効率が落ちるため、しばしば水を使用せずにせん孔していた、鉄製の水管がある場合でも、その質が悪いためやはり摩耗しやすく、これを避けるために水管を短くする工夫をした結果、十分な給水が行われない旨のものがある(「珪肺予防と労働条件の改善」甲四七)。

昭和二四年、炭則が制定され、せん孔時に粉じん防止措置を使用することを原則とする規定が設けられた。右規定につき、「石炭鉱山保安規則の解説」は、「ドリフターの場合は、……湿式のものを用いればよいが、ハンドハンマーでは、この式の装置をするのが困難である」としていた(乙X三三の3)。すなわち、我が国においてはドリフターの湿式化が先行していた(乙A七三)。

他方、金属鉱山においては、昭和二七年の金則の改正により、すべてのさく岩機を湿式化する方針がとられ、昭和二七年から昭和二九年ころまでの間、ほぼ全部のさく岩機が湿式化された(甲六三、四二一、乙A七三)。金属鉱山において昭和三〇年代初頭までの段階で湿式として使われていたさく岩機としては、ハンドドリルとしてASD25、TY10、レッグドリルとしてTY24、ストーパーとしてTY40等があり(甲六三、四〇八、四〇九、一〇六九)、これらは炭鉱においても使用された機種であった(甲二六八)。なお、TY型の重量は、概ね当該機種の機種名がその機体重量(キログラム)を示しており(甲七二の詳解部分)、ASD25の重量は、約一八キログラムであった(乙X二九の2)。

もっとも、石炭鉱山における湿式さく岩機の利用に当たっては、実用面で乾式さく岩機に及ばない点があった。すなわち、①せん孔対象となる岩石が水成岩であって軟らかく、水により繰り粉が粘土化して速やかに排出されず、ロッドが抜けなくなったり、繰り粉が突然吹き出すなどの現象が生じること、②さく岩機をより深い切羽で使用するときは、地上からさく岩機に供給する水の圧力が高くなり、給水ホースの破損、接続部からの漏水、機体内への逆流が生じやすくなるなど、正常な動作が阻害されたこと、この問題を解決するための減圧弁が存在したが、その性能が不足していたこと、また、減圧タンクを使用した場合にも適切な圧力を得るのが必ずしも容易ではなかったこと等である(証人成瀬、証人兼石)。

この点、金属鉱山においては、石炭鉱山に比較して、湿式さく岩機への給水設備の充実が推進される傾向にあり、昭和二七年にさく岩機湿式化を完了していた金属鉱山(鴻之舞鉱山)では、さく岩機への給水を行うため坑内に配水管を敷設し、坑内の数箇所に減圧タンクを設けて貯水し、そこから給水する方法を採用していた(甲四〇九、四一〇)。

また、減圧弁については、遅くとも昭和三八年ころ、ロッドシャンク部からの漏水を防ぐためのシールラバー、逆流を防ぐための二重チューブ等の開発が進められていた(乙X三四の2)。なお、坑内の深部化に伴う水圧の制御が可能となるような高度な減圧弁は、昭和五〇年代になって開発された(証人吉田)。

(3) 小括

以上によれば、小型の湿式さく岩機自体は、昭和三〇年ころには開発されており、さらに、昭和三〇年代以降、その実用に向け水の供給方法等に関する実際上の各種工夫が行われつつあったと認められる。

(二) 集じん装置の使用

湿式さく岩機の使用が様々な理由で困難な場合には、同等の防じん能力を有する集じん装置付きの乾式さく岩機を使用することが考えられる。その具体例としては、水を使うと盤膨れを生じ落盤などの危険があるため乾式のさく岩機を利用する必要がある場合、作業場において水量を確保できない場合、稼行対象鉱物が水の使用により選鉱・精錬等に支障を来し品位低下をもたらす場合、水を用いることにより鉱石の酸化が促進され自然発火等の危険を招く場合、湿式によるさく岩で繰り粉の排出が不良となりさく孔作業が困難となる場合等が挙げられる(乙X三五の2)。

収じん装置に関する創意工夫は古くから行われていた。昭和五年の石炭時報においては、サウス・ウエールズ地方の炭鉱で広く用いられるようになった「スゴニナ岩粉袋」と称する集じん機械の概要が紹介され(甲二六の2)、また、同年の日本鉱山協会資料第十輯は、「水を使用することなき圧縮空気鑿岩機による鑿岩作業に際し粉塵を防遏する方法は最も困難と認められたるに、輓近の研究は有効なる防塵装置の考案となり、進んで其の実際的応用の可能性も十分に認めらるるに至りたるは鉱業衛生上欣幸に堪えざる所なり」と前置きした上、英国政府鉱山保安調査局研究技師ピー・エス・へーの圧縮空気さく岩機の岩粉収集装置についての論文の訳文と、古河鉱業株式会社足尾鉱業所工作係の大津虎夫の「鑿岩機刳粉収塵装置」と題する論考を収録している(甲二八の1、2)。

戦後においても、昭和二五年、三菱高島鉱業所技師であった楢崎久夫は、「鑿岩機穿孔粉塵防止器」と題する考案を行い九州炭礦技術連盟会誌に発表した(甲五二)。もっとも、当時の収じん機の実用性と効用は必ずしも高くなく、戦前においては、「鑿岩機に於ても湿式にありては穿孔に際して岩粉の飛散はなきも、炭礦に使用さるる鑿岩機の多くは空気ブラスト式のため繰粉の飛散は免れぬ。これが予防としては」幾つかの方法があるが、「何れも実用的に賞用せらるるものなく、消極的には……防塵マスクの着用が推奨される。」とされた(「最新炭礦工学」甲四四の1)。また、戦後、炭則が制定された当時は、「現在、せん孔々口に袋を用いてこれに繰り粉を集める装置もあるが、これで完全に粉じんの飛散を防止する事は困難である」とされていた(乙X二八の2)。

その後、昭和二八年の炭則改正で、湿式さく岩機と同等の能力を有する収じん装置はその代替品とし得ることとされ、昭和三二年までの間に海外及び国産の幾つかの集じん装置が湿式さく岩機と同等の防じん能力を有するとして認可された。このころの鉱山保安年報には、そのうちの一機種が試験され好結果を収めたとする記載がある(甲一〇六八)。

しかしながら、これらの機種はいずれも欠点が多く、現場実用においては限られた一部鉱山において適用されたのみであった。すなわち、「足尾式」は、フードを用いて粉じんを吸入する方式であったが、長時間の連続作業を行う場合は収じん袋の能力が低下しないように取り替える必要があり、さく岩能力が低下するために余り利用されず、特に湿った岩盤のさく孔には、ろ材の目詰まりが生じ易く不向きであり、昭和三〇年ころの時点では製造が中止されていた(乙A七三)。また、「サイクロン型収じん機」は、ロッドから繰り粉を吸入する方式のものでありフードを用いる不便から解放されるが、サイクロンの収じん能力に制限され五マイクロメートル以下の粉じんの収じんがほとんど行われず、また収じん袋の容量制限、ロッドの破損が生じやすい等の欠点があった。「ヘミシャイト型」(西独製ケーニヒスボルン型、国産宝式)は、フード型であり、そのうち宝式は石炭鉱山では最も多く使用されたものであったが、装置の取扱い及びさく孔内の繰り粉の排除能力が低いため現場において実用にならなかった。

その後、昭和三九年に「電動負圧型」が認可を受け、優秀な収じん能力と実用性を備えていたが、防爆型ではなく、炭鉱での使用に不向きとされた。

(以上につき、乙X一の2、三五)

(三) その他(せん孔前の散水等)

湿式さく岩機を利用する場合でも、せん孔の口切り時には水を止めて作業を行うので、岩石が濡れる前に破砕されて粉じんの発生が多くなる。そこで、事前に散水をしておく必要がある。また、さく岩機の排気のため、坑道周囲に付着していた粉じんが飛散したり、浮遊している粉じんの沈降が妨げられる。そこで、周囲の岩盤等に十分散水する必要がある(甲四〇九)。(なお、通気一般については後記5において検討する。)

2 発破作業における防じん対策

(甲四〇六、乙X一の2のほか、個別に指摘した証拠による。)

発破作業に関連する防じん対策としては、①発破方法の工夫により発破自体による粉じんの発生を減少させること、②発破前後に水を利用して粉じんの飛散を抑制し、あるいは浮遊粉じんを捕捉すること、③発破による粉じんから作業員を退避させることが考えられる。

(一) 発破方法の工夫

発破による発じん自体を抑制する方法としては、一回当たりの発破起砕量を確実に確保して、発破回数を減少させること、適正な爆薬量を使用すること、粉じんの発生量が少ないと言われる斉発発破(二つ以上の発破を同時に行う方法)あるいはミリセコンド発破(微少な時間差をもって多数の発破孔で起爆する方法)を行うことが挙げられる。

ミリセコンド発破では、爆発された岩石の大きさが適度となり二次的小割を要せず(乙X二九の3)、発破回数が減少し保安上好ましいという利点がある(乙BC二五)ことから、昭和二〇年代末ころから発達した。もっとも、炭じんの発生の減少に関する実証的な数値は明らかではない。

他方、炭層発破においては、作用の緩やかな発破を行って炭壁を緩め、ピックないしつるはしで採炭する方法がとられることがあり、この場合は爆薬のほか、その代替品としてガス(カルドックス又はコーゴット)を利用することがある。この方法は昭和二六年ころから我が国でも商品化され、一部の炭鉱で採用された。

(二) 水の利用

発破前には、散水により粉じんを洗い流し、また十分な水分を与えて粉じんが発破のショックにより飛散しないようにすることが必要である(乙X二四)。また、発破孔に込物としてポリエチレン袋に水を詰めた水タンパーを使用することにより、発じんを抑制することができる。水タンパーは、我が国においては昭和三〇年代前半から一部の炭鉱で研究が開始され、間もなく実用化された。

また、主として防爆の観点から、メタン着火を防止する目的で、発破を行う数分前に発破面の一定距離内に水噴霧圏を作る方法がある(噴霧発破又は水幕発破)。噴霧発破は、粉じん防止の面からみても、発煙による硝煙及び粉じんが濃密な噴霧によって抑制・沈降するという効果が認められたところ、昭和四〇年ころから行われた。

(三) 通気

通気を改善することにより発破による浮遊粉じんの排出促進に効果を上げることができる(乙A七三)。風量を増加すれば浮遊粉じん濃度を薄めるのに必要な時間を短縮することができる(甲六三)。(なお、通気一般については後記5において検討する。)

(四) 発破退避

発破による粉じんから作業者を保護するために、発破後立入りまでの退避時間を十分に長くとる必要がある。

発破時間や発破順を規制する終業前発破(いわゆる上がり発破)、昼食前など一定時間に決めて実施する定時発破方法をとることが考えられる。

発破後二時間以上経過すると粉じんの自然沈降と希釈により粉じんが常態に復するとされている。

3 採炭作業における防じん対策等

(一) 炭じんの爆発防止を主要目的とした各種防じん対策

(乙X一〇の3のほか、個別に指摘した証拠による。)

切羽での採炭作業で発生する炭じんや運搬作業中に発生し坑道中に堆積する炭じんは、爆発性を有するため、古くから爆発を防止する方法が研究されてきた。

炭じん爆発を防止するための対策は、第一に、炭じんの発生を防止することであり、その方法として、炭壁注水法、散水法、噴水機付採炭機械の採用がある。第二に、浮遊した炭じんの沈降を促進することであり、そのために噴霧法あるいは散水法が採用される。第三に、飛来堆積した炭じんの爆発性をなくすることであり、そのためには炭じんの清掃、散水、岩粉散布の必要がある。第四に、炭じんの爆発の伝播を防止し爆発を局部にとどめることであり、そのために岩粉地帯、岩粉棚、水棚などの設置が必要となる。

戦前から、炭じん爆発の防止を目的として、「湿潤地帯の設置」と「散水」を行うべきことが認識されていた。昭和三年に発行された「労働科学研究」五巻二号には、「炭塵防止の新方策」と題した訳文が掲載され、散水法、湿潤帯が利用されていることが紹介されている(甲二一)。

また、昭和一八年ころの段階では、散水に関する比較的詳細な規則を有する炭鉱も存在していた。右規則は、湿潤地帯を作業大肩風道に設けて適当数の設備により常時噴霧すること、散水は、炭じん中に水分三〇パーセント以上を常に保有するようにし、採炭に当たっては、準備発破前後、カッター切り後に各一回、その他作業中随時、切羽全面にわたって十分に行うこと、積み場口、ポケットにおいて行うこと、沿層掘進坑道の発破前後、風速が強い運搬坑道の巻き立てにおいて散水を行うこと、規定湿潤度の検査と保持を任務とする散水係を置くこと等を定めていた(乙X二三)。

戦後、採炭切羽においてドラムカッターなどの強力な採炭機械が使用されるようになってからは、その運転により多量の炭じんが発生するので、従来より強力な防じん対策を実施すべきことが認識された(乙X一の2、二四)。

(1) 炭壁注水

炭壁注水とは、炭層に、深さ一から二メートル程度の短孔又は二〇から三〇メートルに及ぶ長孔をせん孔し、注入機を挿入して圧力水を注入することにより、炭層を湿潤にする方法である。注水に要する水圧と水量は炭層の状況により異なり、`炭壁注水の効果は、条件が適正なときに発揮され、方法が適当であれば、約七〇パーセント以上の炭じんが抑制できるとされる(甲五七、乙X二四)。他方、炭層の性質及び上下の岩盤の性質によっては実施し難い場合もある。

炭壁注水は、昭和二五年ころから一部の炭鉱で試行され、その炭じん防止効果が散水による方法に比較して高いことが確認できたことから、その後他の炭鉱にも次第に普及するようになった。

(2) 散水

散水の方法はその目的に応じて三つに分けることができる。

第一に、炭じんの発生を防止する目的で、発破前の切羽散水、採炭機械の載炭部及びローダーの掻炭部のスプレー又は噴霧器による散水、積込口、積み換え場所の散水を行う方法である。諸外国においてはスプレー付きのピック、カッターが開発され利用された(乙X二四)。

第二に、浮遊炭じんの沈降を促進する目的で、切羽肩風道で噴霧器を使用する方法である。噴霧器により、浮遊飛来する炭じんと同様の数マイクロメートルの水粒子の幕を、坑道一杯に、一定の幅をもつように作ることが理想である。実際には噴霧器の噴出口径を一ミリメートル以下に保つことは困難であるが、圧縮空気を使った霧吹きの原理による噴霧器を使用すれば、同様の目的が達せられる。噴霧器は昭和二五年ころから普及し始めた(乙X二五)。

第三に、炭じんの爆発性を抑制する目的で、切羽において散水し、炭じんに十分な水分を与える方法である。火焔伝播を防止し得る水分量は二五ないし三〇パーセントとされているが、炭じんは疎水性であり濡れにくいため、これだけの水分を含ませるためには更に多量の水を必要とする。なお、界面活性剤を利用すれば、少ない水量で効果を上げることができるが、価格及び薬物添加法の点で研究の余地があり、我が国では実用の域に達しなかった。散水の方法としては、ホースから直接散水するほか、有孔パイプ等を使ったシャワーを用いることがある。

他方、坑道に堆積した炭じんに対する散水は、洗浄の面では役に立つものの、水分維持が困難であることから、爆発抑制目的には不適当であり、岩粉散布などの方法によるのが通常である。

(二) 炭じん抑制目的の散水と粉じん抑制効果

防爆目的で炭じんの発生を抑制するためになされる前記(一)記載の措置(切羽における散水や炭壁注水、坑道肩口における噴霧等)が、炭じんの発生を一定程度抑制し、あるいは浮遊炭じんの沈降を一定の程度において促進するであろうことは疑いがないところであるが(乙X二六)、それらが、じん肺防止対策としても十分な効果を有しているかどうかについては、別に検討されなければならない。

(1) そこで、まず、防爆対策の観点から問題とされる炭じんの性質及び水による炭じん対策についての技術的知見を要約すると、以下のとおりとなる(乙X一〇、二四、二九)。

① 炭じんは粒度が細かいほど爆発性が高い。爆発性を有する炭じんとして炭則及び昭和二七年の通産省告示で定義されている炭じんは、粒度は二〇メッシュのふるいを通過するもので、揮発分が一一パーセントを超えるものである。(なお、甲種炭鉱の指定基準としては、右の爆発性のほか、炭じんの発生量が考慮されることとされ、これについては、一定の測定法、すなわち内径二〇センチメートル、深さ一センチメートルの皿五個を切羽内に等間隔に置き、一作業時間中に皿中に堆積した炭じんを二〇メッシュのふるいでふるい、通過したものを堆積炭じん密度として計算し、炭じん発生量を求める方法により測定した炭じんの量が三キログラム以上となり、又は採炭量一トン当たり五〇グラムとなる場合と定められていた。)

② 爆発の危険のある浮遊炭じんの濃度は、一立方メートル当たり五〇グラム以上一六五〇グラム以下であると考えられている。炭鉱における実際の浮遊炭じんの濃度は、切羽において最高一立方メートル当たり0.2グラム程度、肩口において0.09グラムであるから、それ自体では爆発可能な濃度ではないが、堆積した炭じんが舞い上がったとき、容易に爆発限界に達する。そこで、保安上、主として問題とされるのは、堆積した炭じんである。

③ 採炭切羽の各点で発生した炭じんは、切羽内において、その大部分が沈積する。その余は浮遊炭じんとなって排気風道に運ばれ、風道内に堆積する。切羽肩口を通過した炭じんのうち粗粒のものは、切羽から一〇ないし四〇メートルの範囲に急速に沈積するが、二五〇メッシュ以下の炭じんはこれよりも排気側に緩慢に沈積する。浮遊炭じん粒子総数中、九五パーセントは一〇マイクロメートル以下のものである。肩風道に沈積している炭じんには、一〇マイクロメートル以下のものが六〇ないし八五パーセント程度含まれている。

④ 以上のように、炭じんの多くが切羽に堆積するものであるから、散水、炭壁注水などによる切羽内の炭じん処理が重要である。炭じん中の水分が三〇パーセントになれば、炭じんは爆発性を失う。

浮遊炭じんについては、切羽近くで捕捉するために、肩風道の払面から五メートル以内、掘進切羽では延先から五ないし一〇メートルの箇所に、噴霧器による噴霧幕を設置することが行われる。なお、三〇から五〇メートル先に湿潤帯を設けて浮遊炭じんの捕捉を図る方法もあるが、その先の炭じんについては岩粉により処理する方が効果的であり、湿潤帯は余り利用されない。

⑤ 浮遊炭じんを捕捉する目的で、孔径0.8ミリメートルの強制旋回圧力ノズルを使用して噴霧を行った場合、四マイクロメートルまでの炭じんまでは捕捉することができるが、それ以下の小さい炭じんについては効果が薄い(甲七五)。浮遊粉じん抑制能力はノズルの形式によって著しく差異があり、適切なノズルの選定が必要である(乙X二)。

(2) 以上で認定した爆発性のある炭じんの性質及び対策を、じん肺対策上問題となる粉じん(前記第一の一2(二)、第二の一1(一))及びその対策(前記(一))と比較してみると、①対策すべき粉じんの性質としては、じん肺対策においてはより小さい粒度の粉じんのみが対象とされ、また、危険とされる限界濃度が低いこと、②対策の重点の置き方からみると、じん肺対策では、粉じんの発生防止、飛散防止、浮遊粉じんの沈降促進のいずれもが重要であるのに対し、防爆対策では、切羽内での炭じん処理(散水及び炭壁注水等)が重要視され、浮遊炭じんの沈降促進の観点がやや軽視されている点に差異が認められる。

そうすると、防爆目的で炭じんの発生を抑制するために行われる切羽における散水や炭壁注水は、じん肺対策として無意味とはいえないことは確かであるものの、それだけをもって、採炭作業におけるじん肺防止にとって十分な水準に達するものであったかどうかは疑わしいと言わざるを得ないし、浮遊炭じんの処理については、じん肺で問題となる微細な粉じんを捕捉するためには、特殊な噴霧装置が必要となることから、防爆対策目的の装置では不十分であることは容易に推認される。

以上の結論については、房村証人自身が、「鉱業における粉じん問題の推移」と題する昭和五七年の論文で、「鉱業における粉じん問題は、微細粉じんの吸入によるじん肺の予防に関する問題と、炭鉱における炭じん爆発防止に関する問題との二つがある。いずれも鉱山作業に伴って発生する粉じん(炭じん)に由来する点では同様であるが、対象とする粉じんの種類、問題となる粒度範囲および濃度範囲に大差があり、かつ、その問題認識の歴史的背景にも大きな差異がある」としていること(甲二四八)、また、昭和三五年ころに北海道鉱山学会主催の「粉じんに関する研究懇談会」において鈴木俊夫(当時資源技術研究所に在籍)が「湿式さく岩機、スプレー、風管法等の粉じん抑制効果の問題があげられておりますが、これらの方法はいずれも原理的には同じであると考えられます。ただ問題は炭じん爆発の場合は、炭じんとして数十ミクロン程度のものを問題とすればよかったのですが、珪肺の場合は一ミクロン以下の小さいものを取り扱わなければならないのであります。特に粉じんの抑制に関する研究は、これらの粒子の空中における流動について究明しなければならないのであります。粒子の運動は、二ミクロン程度を境界線にして運動の様相がすっかり変ってしまいますので、抑制対策をたてる場合両者で全然異った対策をやってゆかねばなりません。」と発言していること(甲八六)に照らしても、首肯し得るところである。

(三) 岩粉散布

炭じん雲中に不燃性物質を粉体として介在させることにより、炭じん粒子間の燃焼伝播を抑制できることから、炭鉱坑内においては、炭じん爆発抑制剤として岩粉を散布することが行われており、我が国においては大正二年ころから導入された。

炭則は、岩粉散布箇所及び回数、散布法及び散布量、岩粉棚又は岩粉地帯等の爆発伝播防止施設の設置箇所、その長さ、散布量等を規定しており、坑内保安係員は毎日巡視して炭じん処理状況を検査することとされている。

散布した岩粉の消焔効果を大きくするためには、岩粉の粒度が二〇〇メッシュ以下のものが四五パーセント以上含まれることが望ましいとされるが、けい肺防止の観点からは、遊離けい酸分が少ないことが必要である。

岩粉の調達は、他からの購入あるいは自家製造による。自家製造の場合、その原料としては頁岩、焼いて乾燥した粘土等が多く使われるが、それらは遊離けい酸の含有量の点で必ずしも良好ではないが、入手が容易で安価である(乙X二四)。

岩粉中に含まれる遊離けい酸分がけい肺の原因となる可能性については、古くから指摘されていた。昭和三年「炭塵防止の新方策」(労働科学研究五巻二号。甲二一)、同年「岩粉の検査に就て」(石炭時報三巻一一号。甲二二)が、この問題に関する外国の研究を紹介している。

昭和四六年、日本工業規格において、岩粉の品質基準が定められ、岩粉の成分として遊離けい酸分の含有率は一〇パーセント以下とすることが定められた。

4 その他の発じん作業における防じん対策

積込み、運搬作業等による発じん対策としては、散水やスプレーにより運搬物を湿潤化することが必要であり、それにより約一〇ないし二〇パーセントの発じんを抑制することができる。また、堆積ズリに対する散水は、その下部まで水を浸透させることが必要であり、十分多量の水を使用するか、作業中数次にわたって散水するか、スプレー施設を付けて連続的に散水することが必要である(乙A七三)。

昭和三〇年の炭則改正では、二八四条が「岩石の掘進、運搬、破砕等を行う坑内作業場において、岩石の掘進、運搬、破砕等によりいちじるしく粉じんを飛散するときは、粉じんの飛散を防止するため、粉じん防止装置の設置、散水等適当な措置を講じなければならない。」と改正された。

昭和五四年の炭則改正では、粉じん飛散防止装置を必要とする場合に関する規定(二八四条)を二八三条の二とし、規制の内容については、粉じんの飛散を防止すべき箇所につき「岩石の掘進、運搬、破砕等を行う坑内作業場」とされていたのを「著しく粉じんを飛散する坑内作業場」と改め、とるべき粉じん飛散防止の措置の内容については「粉じん防止装置、散水等適当な措置」とされていたのを「散水、集じんその他の適当な措置」に改めた。

5 通気による浮遊粉じんの除去

(一) 浮遊粉じんの性質

静止した空気中の粉じんは、細かいものほど長く空気中に浮遊滞留する。発じん後一時間では空中に一〇マイクロメートルの粒子が見られるが、三時間後には五マイクロメートルよりも小さい粒子だけとなり、四時間後には一から二マイクロメートルあるいはそれより小さい粒子だけが浮遊してゆっくり落下している状態となる。一メートルの距離を落下するのに一マイクロメートルの粒子は九時間を要するとされる(甲二一一)。

(二) 防爆目的の通気

石炭鉱山では、古くから、ガス及び炭じん爆発の防止を目的として、坑内の通気に注意が払われていた。石炭鉱山における通気は、坑外に設けた大型扇風機によって行われる坑内全体の通気(主要通気)と、坑内で主要通気が及ばない箇所において行われる通気(局部通気)により構成される。

主要通気の方法として、我が国においては、相接して掘削された立坑又は斜坑の一方を入気坑、他方を排気坑とする「中央式」が多かったが、坑内が発展するにつれ、漏風が多いという欠点を解消して有効風量を確保するため、入気坑と排気坑を遠く離れた場所に掘削する「対偶式」に切り替わってゆく傾向にあった。

主要通気は坑内の適当な地点で幾つかの分流に分かれ、各分流はそれぞれ別の区域に導かれ、排気となって再び合流し、排気坑から排出される。

長壁式採炭作業場においては、原則として、切羽の深側から供給される上向通気が行われる。この場合、通気方向と石炭の運搬方向とが逆になっているため、運搬中の石炭からの炭じんや粉じんの飛散により入気が汚染される可能性がある。

局部通気は、坑道に流れる主要通気を、何らかの通風施設を使用して、局部に流通させることで行う。炭鉱では、かつて、連れ延べ式の張り出し通風が用いられたが、明治時代後期からは圧気ジェットを利用した風管による通気が行われるようになり、昭和初期からは局部扇風機が改良され使用されるようになった。風管は木製又は鉄製であったが、昭和三〇年ころからビニール加工布が使用されるようになった(乙X一五)。

風管による通気の方法には、吹き出し式と吸い出し式があり、ガスを希釈する目的においては前者が優れるとされる。

(三) 粉じん防止対策としての通気

前記のとおり、粉じん防止対策としては、水を適切に使用することが第一に重要であるが、水だけでは必ずしも十分ではなく、通気の改善が行われなければならない(乙A七三、乙X一の2)。

坑内の掘進延先における浮遊粉じんを排出するためには、局部通気が重要となる。この場合の局部通気は、吹き出し式のみによっても粉じんの濃度を下げる時間を短縮できるものの(甲六三)、他の作業箇所の空気を汚染しないようにするためには、集じん装置付きの吸い出し式を併用することが望ましく、吸い出し風管内に噴霧散水装置を挿入するなどの工夫が必要となる。また、このような常時二重通気が行えないまでも、吹き出し通気を主体とし、吸い出し通気を補助的に使用する方法も考えられる(甲八六、乙X一〇の4)。

資源技術研究所は、昭和三五年ころ、局部扇風機付管内収じん装置や、ウォータースプレー用ノズルのジェツト効果を利用した簡易式収じん機を設計しその集じん効果を実験し発表した(乙X一七の2)。前者は金属鉱山で試用されたが(甲八六)、後者については、処理容量が炭鉱で一般的な処理風量に達しておらず、炭鉱での実用に足る能力が不足していた(乙X一の2)。

6 防じんマスクの使用

粉じんの発生、飛散及び浮遊は、様々な粉じん防止措置を講じたとしても、これを完全に防ぐことは困難であるから、粉じんの人体への吸入を直前で防ぐ方法として、防じんマスクの着用が考えられる。防じんマスクは、粉じんの生成・発散防止その他の粉じん対策を行った上で、更に安全のためにマスクを着用するのが本筋である。また、防じんマスクは着用者が注意して正しい着用法を守らなければその効果を期待できないし、また、適切に管理されなければならない(乙X一の2)。

(一) 防じんマスクの性能

防じんマスクの性能は、技術の発展に従い、時代とともに向上した。我が国において防じんマスクが商品化されたのは第一次世界大戦後のころで、ろ過材として天然海綿を使用した簡単な構造のものであった。大正一三年、大西清治は防じんマスクのろ過材の素材について実験的研究を行い、脱脂綿が最も捕集効率が高いとした。昭和一三年にも、吉井友秀ほかが防じんマスクの素材について同様の研究を行った(甲一二、四一、乙X三七、三九)。

戦後、けい肺の防止が社会的に重大な関心を引くに至って、防じんマスクに関する研究開発が本格化した。そのころの製品に採用されていた粉じんのろ過の原理は、ろ過材の孔径よりも大きい粒子の通過を阻む方法(機械式)と、粉じんがろ過材を通過している間の慣性衝突により捕獲する方法(物理式)であり、その素材として綿、羊毛、石綿、ガラス繊維などが利用されていた。これらの方法によるときは、じん肺の原因となる五マイクロメートル以下の小さな粉じんについて濾塵効率を上げるために孔径を小さくすると呼吸抵抗が増加する関係にあり、また、炭鉱における現実の作業中には五マイクロメートルを超える大きな粒子も存在するため、それがろ過材に付着して目詰まりを起こしやすい傾向にあった。したがって、濾塵効率と吸気抵抗を両立させることや、粉じん作業現場における長時間の使用中に当初の性能を維持することに困難があった。

昭和二五年一二月、防じんマスクに関して初めて日本工業規格が定められた。右規格においては、マスクの種類を、高濃度用で濾塵効率九〇パーセント以上の第一種と、低濃度用で濾塵効率六〇パーセント以上の第二種に分け、毎分三〇リットルの通気に対する通気抵抗については呼気弁のあるものについて水柱二〇ミリメートル以下、ないものについて水柱一〇ミリメートル以下と定めた。同時に、労働衛生保護具検定規則が制定され、右規格による防じんマスクの国家検定制度が設けられた。この規格は当時のマスクの水準からすれば高いものであり、重松製作所ほか数社のマスクが検定に合格したが、従来のマスクで利用されていた天然海綿やガーゼ等をろ過材として用いたものでは合格しなかった。労働省労働衛生課の示達した「防じんマスクの使用区分」は、作業場における遊離けい酸を含む粉じんが一立方センチメートル当たり一〇〇〇個以上の場所については第一種のマスクの使用を、同五〇〇個の場所については第二種のマスクの使用を推奨していた。

その後、技術の向上等から、日本工業規格が見直され、昭和二八年に新しい規格が定められた。この規格では、用途別に高濃度粉じん用と低濃度粉じん用に分け、それぞれにつき濾塵効率及び吸気抵抗の性能を定めて濾塵効率の高い一種から濾塵効率に劣る四種までの四種類に分類し、また、炭鉱での使用に鑑みろ材が濡れている場合の性能も考慮された。

しかしながら、当時のマスクは、激しい労働をする者に着用が好まれない傾向にあり、保護具の通気抵抗について当時行われた調査によると、前記条件のもとで一〇ミリメートルの通気抵抗がある防じんマスクについては半数以上の鉱夫が呼吸困難を訴えており、できれば五ミリメートル程度であることが望ましいとされていた(乙X四一)。

そこで、ろ過法について、一マイクロメートル以下の粉じんを高能率に捕捉することと低い吸気抵抗とを両立させる「静電ろ層」の研究が進められ、財団法人労働科学研究所及び労働省労働衛生研究所がその開発に成功し、昭和三五年にミクロンフィルターと命名され、その後商品化された。

これに合わせて、昭和三七年に日本工業規格が改正された。右規格では、マスクの種類を構造上から隔離式と直結式に分け、粉じん捕集効率と吸気抵抗の性能に従って、特急、一級、二級に分類した(特急では粉じん捕捉効率九九パーセント以上、呼吸抵抗一〇ミリメートル以下、一級では九五パーセント以上、六ミリメートル以下、二級では八〇パーセント以上、六ミリメートル以下)。性能試験は従来の沈降性炭酸カルシウムを利用する方法を廃し、より粒子が細かい二マイクロメートル以下の石英粉じんを使用することに改められた。また、吸気抵抗上昇率についても規制した。

他方、昭和三七年七月の労働省通達基発第七八一号は、坑内において岩石又は岩状鉱物を掘削する場所における作業においては、特級又は一級を使用すべきことを定めた(甲四四一、乙A一四四)。

防じんマスクに関する日本工業規格は、昭和四七年の小規模な修正を経て、昭和五八年に大幅に改正された。右規格では、構造について、ろ過材が交換可能であること、顔面への密着性の良否が使用者によって随時容易に検査できること等が要求され、また、ろ過材自体の捕捉効率による等級区分を廃止し、一律に九五パーセント以上、吸気抵抗は水柱八ミリメートル以下、吸気抵抗上昇は石英粉じん一〇〇ミリグラム捕集時に水柱一六ミリメートル以下と規定された(以上につき、乙X一の2、三七、三九、四〇、乙G六)。

(二) 防じんマスクの使用法

防じんマスクの性能は国家検定制度によって保証されているが、その使用方法が適正でなければ性能を発揮することができない。使用に当たっては、着用者の顔にあった防じんマスクを選択すること、適正な着用の方法、ろ過材の保守点検等に留意されなければならず、適切な教育が必要である。これらの点は、昭和二〇年代後半から様々な文献によって解説されてきた(乙X三七の2)。

第三  じん肺に関する被告企業の安全配慮義務の内容

一  被告企業の安全配慮義務の内容

1 雇用契約は、労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務有償契約であるが、通常の場合、労働者は使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものであるから、使用者は、報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のために設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するように配慮すべき義務を負っているものと解するのが相当である。そして、右安全配慮義務の具体的内容は、労働者に生じる可能性のある危険の内容を基礎として、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって定まるべきものである。

2 本件は、石炭鉱山で就労していた原告ら元従業員が粉じんを吸入したことによりじん肺に罹患したことに関して被告企業が負うべき安全配慮義務の内容が問題となっているから、右義務の具体的内容は、じん肺の病像、じん肺についての医学的知見、炭鉱における各種作業と粉じんの発生状況、様々な粉じん防止対策の効果等を考慮した上で決することが必要となる。

そこでこれらの点について、前記第二の一(炭鉱における粉じんの発生)で認定した事実に即して検討するに、石炭鉱山の地下坑内において掘進、採炭、運搬等の作業に従事する労働者は、人体に有害な影響を及ぼす可能性を有する粉じんに絶えず暴露する状況に置かれており、特に、せん孔や発破作業においては、一時的に莫大な量の粉じんを吸入する可能性があるほか、通気が正常に行われている主要坑道においてさえ、坑外の環境とは比較にならないほどの量の粉じんが浮遊する環境にあり、労働者はその労働時間のすべてをこの環境において過ごす状態にある。

他方、前記第一の一(じん肺の病像)で認定したところによれば、じん肺は、長期の粉じん吸入の結果罹患する疾病であり、初期においては自覚症状がないが、症状が進めばこれを治療する方法がないという特色を有するから、通常の業務において不断の注意を払う以外に、これに対処する方法がない。そして、じん肺の悪化は、単に労働に支障のある障害をもたらすという程度をはるかに超えて、肺という基本的な臓器の機能を失わせ人を死に至らしめるという人体に対する重大な侵害の結果を招来するというのである。

そうすると、労働者を前記のような職場環境に置く使用者は、粉じんによる肉体への侵襲の可能性が疑われる以上、右を予防するため、粉じんが発生する作業に利用される物的設備において常に適切な配慮を行い、粉じん発生の抑制と飛散の防止等に努めなければならない義務がある。また、労働者に対しては、粉じんの危険性を周知させそのじん肺罹患を自ら防御する意識を喚起させるに足りる教育を行うことにより、少しでも粉じん暴露の程度を軽減するように努めるべき義務がある。さらに、これらの粉じん予防措置の実効性を確認し、それを高めるため、坑内における粉じん濃度を定期的に測定し、また、労働者の健康状態を監視してじん肺に罹患した者を早期に粉じん作業から離脱させることが望ましいことも言をまたない。

3 ところで、本件における原告ら元従業員の被告企業での就労期間は、昭和初期から昭和六〇年代までという極めて広範囲にわたるものであるところ、その時代の経過に伴い、じん肺自体についての医学的認識の深まりがあったこと、作業内容の変化及び防じん技術の進展があったことは前記第一及び第二で認定したとおりであって、その間、使用者が果たすべき安全配慮義務の具体的内容は時代ごとに必ずしも同一ではないと考えられる。

しかしながら、昭和初期の段階、遅くとも昭和一〇年ころにおいて、炭鉱においてもけい肺の発生の可能性があること、その予防法としていかなる措置をとるべきかの枠組みについての工学的見地からの一定の知見があったことは、前記第一の二(じん肺に関する知見)で認定したとおりであって、当時における粉じんの人体に対する影響に関する認識及び粉じんへの暴露を抑制すべきであるとの認識は、今日のそれと比較して、著しく大きな隔たりがあったとまではいえず、その後において、右知見が順次深化したものであるから、被告企業は、各時代で利用できた工学的技術を可能な限り広範に導入して、鉱山労働者の粉じん暴露を減少させ、あるいはじん肺の罹患の可能性を減少させなければならなかったというべきである。

すなわち、被告企業は、昭和一〇年ころ以降は、雇用契約に付随する義務として、信義則上、各時代における実践可能な工学的技術水準に基づいて、各種じん肺防止対策を行い、労働者がじん肺に罹患する可能性をできる限り少なくする義務があったというべきであり、その具体的な内容は、前記第一及び第二で俯瞰した医学的知見の発展、防じん対策の工学的進展等を踏まえて、以下のとおり、これを三つの時代に大別して把握することが相当である。

(一) 昭和一〇年ころから昭和二三年ころまで

(1) 背景事情

けい肺については、金属鉱山における実態を背景に、昭和初期の段階で、その発生機序が異論を残しながらも概ね解明されており、我が国においても、昭和四年ないし五年、「鑛夫硅肺及眼球震盪症扶助に関する件」との通牒によりけい肺が業務上の疾病とされ、鉱業警察規則によりけい肺と炭肺についての統計調査が開始された。

他方、そのころ、炭鉱におけるじん肺に関する白川の本格的な研究が登場し、岩石掘進を行えば遊離けい酸に起因するけい肺が発生する可能性があり、金属鉱山での勤務歴を持たない炭坑夫であっても炭じんによって肺の組織にけい肺と質的に同一の変化が起きることが指摘されるに至った。そして、昭和一〇年ころになると、右研究の内容は産業衛生に関心を持つ者であれば参照可能な状態となった。

もっとも、外国の研究例では、炭鉱において多数のじん肺が発生することを指摘するものがあったにもかかわらず、我が国においては、炭鉱におけるじん肺罹患の実態調査はごく一部で行われたのみであり、その結果によれば外国の例よりもはるかに罹患率が低く、鉱業警察規則に基づく報告によっても極めてわずかな数の罹患者しか報告されなかった。このような事情から、じん肺罹患につき更に実態調査をする必要があるとの指摘もなされていた。

他方、昭和一〇年ころの段階で、鉱山における粉じんの実態調査が行われており、粉じん防止技術についても、粉じんの発生抑止、飛散防止、浮遊粉じんの沈降、吸入防止という基本的な体系が認識され、湿式さく岩機の使用、適切な散水、通気、防じんマスクの使用という対応策も広く知られていた。もっとも、効果的な粉じん抑制に資する技術的研究及びその実用化は、後日に比較すれば未成熟な段階であった。

(2) 以上のような状況においては、使用者は、じん肺(けい肺)の実態を把握するために、適切な健康診断を実施するとともに、可能な限り粉じんの実態調査を行い、当時の時点において利用可能な技術をもって、粉じんの発生を抑制し飛散を防止するため、できるだけ多くの措置を講じる義務があるというべきである。すなわち、

①  掘進作業

衝撃式さく岩機を使用したせん孔作業では、せん孔前に散水すること、湿式の衝撃式さく岩機又は乾式さく岩機用収じん機の利用を励行すること。発破作業では、発破前後に散水すること、発破時に十分な時間退避させること、発生した粉じんを局部通気により迅速に除去すること。積込作業では、十分に散水すること。

②  採炭作業

手掘による炭切り、ピック採炭、発破採炭では、散水を行うこと。切羽運搬時の積込みや積み替えにおいては散水と噴霧を行うこと。発生した粉じんが滞留しないように、適切な通気を確保すること。

③  その他の作業

仕繰り作業では、散水と通気に留意すること。岩粉散布作業では、遊離けい酸分の少ないものを使用し、かつ粉じん吸入の少ない散布方法をとること。運搬作業においては、積み替え時や荷降ろし時に散水を行うこと。

④  防じんマスク

粉じん作業に従事する労働者に対してできるだけ高性能な防じんマスクを支給し、かつ着用を指導監督すること。

⑤  けい肺教育

粉じんの吸入が人体に有害である可能性があることについて、労働者に適切な教育を行うこと。

⑥  健康診断及び配置転換

けい肺の罹患の有無を判断することを目的とした健康診断を定期的に実施し、その罹患状態を把握すること。その所見が認められた者については、診断結果を通知するとともに、作業転換等の適切な措置をとること。

(二)  昭和二四年ころから昭和三四年ころまで

(1) 背景事情

戦後、主として金属鉱山の労働者を対象としてけい肺の予防と補償を求める世論が高まったことを背景に、昭和二四年、珪肺措置要綱が発出され、珪肺巡回検診が行われるようになった。その結果、一部の炭鉱でも一定の割合でけい肺患者の存在が認められ、炭鉱においても少なくないけい肺患者が存在していることが知られるようになった。昭和二五年、炭則にはけい酸質区域指定制度が創設され、また昭和三〇年には、けい肺等特別保護法が制定されるに至った。

この間、防じんを目的とする各種技術の研究開発も進んだ。小型の湿式さく岩機が実用段階を迎え、各種の収じん機が研究され、炭壁注水の技術が普及し、水タンパーによる発破も一般的となり、防じんマスクには国家検定制度が導入されて一定の性能が確保されるとともに新素材の研究が進んだ。

また、粉塵恕限度委員会の報告が出され、粉じんの抑制の目標となる数値について医学的見地から一応の指針が示された。粉じん測定器の性能は完全ではなかったものの、測定法の講習等を通じて、各炭鉱において、粉じんの客観的把握がある程度可能な状態となった。粉じん測定器を利用した粉じん実態調査及び粉じん対策の効果についての研究が幾つかの炭鉱で行われた。

他方、この時期においては、遊離けい酸分を含む粉じんに比較すれば、炭じんの有害性については必ずしも重要視されておらず、昭和三〇年代における研究の進展により、粉じん一般の危険性が認識され始めた。

(2) 以上のような状況においては、使用者は、各種作業における粉じんの実態調査を行って、効果的な防じん対策について研究するとともに、進歩しつつある防じん技術を順次採用して、できるだけ多様な防じん措置を講じる義務があるというべきである。すなわち、

①  掘進作業

衝撃式さく岩機を使用したせん孔作業では、せん孔前に散水すること、けい酸質指定区域では湿式の衝撃式さく岩機を利用し、その他の場所でもできるだけ利用すること、乾式さく岩機用収じん機の利用を励行すること。発破作業では、発破前後に散水すること、粉じん発生の少ない発破方法を行うこと、水タンパーを利用すること、発破時に十分な時間退避させること、発生した粉じんを局部通気により迅速に除去すること。積込作業では、十分に散水すること。

②  採炭作業

採炭切羽では、散水を行い、可能な限り炭壁注水を行うこと。切羽運搬時の積込みや積み替えにおいては散水と噴霧を行うこと。発生した粉じんが滞留しないように、適切な通気を確保すること。

③  その他の作業

仕繰り作業では、散水と通気に留意すること。岩粉散布作業では、遊離けい酸分の少ないものを使用し、かつ粉じん吸入の少ない散布方法をとること。運搬作業においては、積み替え時や荷降ろし時に散水を行うこと。

④  防じんマスク

粉じん作業に従事する労働者に対して、国家規格に合格した高性能な防じんマスクを支給し、かつ着用を指導監督すること。

⑤  じん肺教育

粉じんの吸入が人体に有害である可能性があることについて、労働者に適切な教育を行うこと。

そして、右教育の内容については、炭鉱においてもけい肺患者が多数発生することが健康診断によって明確にされたこの時期以降においては、金属鉱山において多く発生しているけい肺が炭鉱においても発生することの現実的な可能性が十分に予見できたというべきであるから、けい肺の疾病としての特質、すなわち、坑内労働においてけい肺罹患防止のため意識的に行動しなければ避けることができない疾患であり、いったん罹患し症状が進めば治療が困難となるという性質に鑑み、被告企業は、労働者に対して、粉じんを吸入すればけい肺に罹患する可能性があることを単に言及するのみでは十分とはいえず、一定の時間を設けて、日々の作業において可能な限り粉じん暴露から自己の身体を防御すべきことが容易に理解できる程度に詳細に教育しなければならないというべきである。

⑥  健康診断及び配置転換

けい肺の罹患の有無を判断することを目的とした健康診断を定期的に実施し、その罹患状態を把握すること。けい肺の所見が認められた者については、診断結果を通知するとともに、作業転換等、粉じん暴露時間を減少させるために適切な措置をとること。作業転換の打診を労働者に行う際には、けい肺の疾病の特質を十分に説明して理解させること。

(三)  昭和三五年以降

(1) 背景事情

昭和三五年に制定された旧じん肺法は、遊離けい酸分を多く含有する粉じんのみならず、鉱物性の粉じん一般について、じん肺の原因となり得るとの立場に立脚しており、じん肺の医学的知見についてはほぼ今日の水準に近づいた。また、湿式さく岩機や防じんマスクについては技術的に進展し、防じん技術に関する工学的技術が相当な水準に達した。

(2) 以上のような状況においては、法規制の有無を問わず、また、防爆目的の炭じん対策とは区別されたじん肺対策としての各種方策を、相当な期間内に採用して余すところなくすべて講じ、かつ、各種作業における粉じんの実態調査を定期的に行って、防じん対策の効果について絶えず検証するとともに、労働者に対しては、じん肺罹患の危険を回避するのに十分なじん肺教育を行い、被用者の健康診断と必要な配置転換の措置を講ずべき安全配慮義務があるというべきである。すなわち、

①  掘進作業

衝撃式さく岩機を使用するせん孔作業では、せん孔前に散水すること、けい酸質指定区域の内外を問わず湿式の衝撃式さく岩機を利用すること、乾式さく岩機用収じん機の利用を励行すること。発破作業では、発破前後に散水すること、粉じん発生の少ない発破方法を行うこと、発破時には粉じんが除去されるのに十分な時間退避させること、発生した粉じんを局部通気(水の利用も含む)により迅速に除去すること。積込作業では、十分に散水すること。

②  採炭作業

採炭切羽では、防爆目的のほか、じん肺罹患防止にも意を用いて炭じん抑制を行うこと。可能な限り炭壁注水を行うこと。採炭作業を機械化した場合にはそれに対応した防じん対策をとること。切羽運搬時の積込みや積み替えにおいては散水と噴霧を行うこと。発生した粉じんが滞留しないように、適切な通気を確保すること。

③  その他の作業

仕繰り作業では、散水と通気に留意すること。岩粉散布作業では、遊離けい酸分の少ないものを使用し、かつ粉じん吸入の少ない散布方法をとること。運搬作業においては、積み替え時や荷降ろし時に散水を行うこと。

④  防じんマスク

粉じん作業に従事する労働者に対して、国家規格に合格した高性能な防じんマスクを支給し、かつ着用を指導監督すること。

⑤  じん肺教育

岩石粉じんのみならず炭じんについてもその吸入が人体に有害であることを労働者に理解させ、じん肺罹患を予防するための措置の必要性について周知徹底するとともに、じん肺に罹患した場合の対応について労働者に適切な知識を与えること。

⑥  健康診断及び配置転換

じん肺の罹患の有無を判断することを目的とした健康診断を定期的に実施し、その罹患状態を把握すること。じん肺の所見が認められた者については、診断結果を通知するとともに、作業転換等、粉じん暴露時間を減少させるために適切な措置をとること。

⑦  調査研究

各種作業における粉じんの実態調査を定期的に行って、防じん対策の効果について絶えず検証すること。湿式さく岩機や散水等を効果的なものとするため、各種技術の開発を行うこと。

二  安全配慮義務の内容に関する被告企業の主張について

1 被告企業は、石炭鉱山におけるじん肺に関する安全配慮義務が発生したというには、前提として、医学界において症例の集積や報告内容の合致を通じて定説が認められ、じん肺に関する医学的知見が確立したことが必要である旨主張する。

しかしながら、少なくともけい肺については、昭和一〇年ころにおいて既にその原因と症状に関する医学的知見は相当程度確立していたこと、石炭鉱山においてもけい肺が発生する可能性が指摘されていたことは前記第一の二3で認定したとおりであり、その限度での予見可能性は存在したものと認められ、他方、進行したけい肺(じん肺)の症状が重篤であることに鑑みれば、石じん及び炭じんへの暴露が不可避な環境の中で石炭鉱山を操業する被告企業において、右当時、利用可能な各種の粉じん防止措置を実施し、けい肺(じん肺)罹患という結果発生を回避すべき義務があったことは疑いを容れない。

2 被告企業は、粉じんの測定は、測定器の性能上、昭和六〇年代に至るまで、信頼性のある粉じんの測定が不可能であったと主張する。

しかしながら、前記認定によれば、当時においては、測定機器の器差や測定者の個人差により絶対的な数値の比較においては必ずしも適当ではなかったにせよ、それらを同一の条件にした上で測定すれば、個々の炭鉱に関する限り、様々な粉じん抑制措置の効果を客観的に把握することができたのであるから、粉じん測定器が利用可能となっていた昭和一〇年以降においては、右の理由をもって、被告企業の安全配慮義務の中から、粉じんの測定に関わる部分を除外するのは相当ではないというべきである。

また、被告企業は、湿式さく岩機及び防じんマスクについて、それぞれ、炭鉱における実用性が十分備わるまでの技術開発が進んだのは、昭和三〇年代半ば以降であったと主張する。

しかし、防じんマスクは、粉じんの生成・発散防止その他の粉じん対策を行った上で更に安全のため着用するものであり、これのみをもって、粉じん作業従事者を粉じんの暴露から保護するものではない。また、防じんマスクの性能が必ずしも十分でないとしても、これを着用することによって、一定限度において粉じん作業従事者を粉じんの暴露から保護することができることも容易に推認できる。この観点から検討するに、前記第二の三6(一)のとおり、簡単な構造のものであったにしても既に第一次世界大戦後ころから防じんマスクの商品化がされ、大正時代においても防じんマスクのろ過材について実証的研究が行われ、昭和二五年には防じんマスクについての日本工業規格が定められるなどしていたことを考慮すると、その時々における最高水準の防じんマスクを使用することにより粉じん作業従事者を少しでも粉じんの暴露から保護することは、粉じん作業従事者がじん肺に罹患することを防止するための一つの有用な対策であり、かつ、十分可能な対策であったというべきである。したがって、仮に、昭和三〇年代半ば以降まで十分な性能の防じんマスクが開発されていなかったとしても、そのことのみをもって被告企業が「粉じん作業に従事する労働者に対してできるだけ高性能な防じんマスクを支給し、かつ着用を指導監督する」義務を免れることはできないものである。

3 被告企業は、炭鉱が危険度の高い地下の掘削及び坑内作業を中心としているという産業自体の特殊性や、国民生活の基盤をなすエネルギー産業としての炭鉱の国策上の重要性・公共性等の観点から、鉱山の保安につき詳細な行政法令が逐次定められ、被告国による行政指導・監督が行われてきたところ、それらの法規制の内容及び程度が、被告企業が労働者に対して負うべき安全配慮義務の内容及び程度を構成すると主張する。

この点、これらの行政法令は、民事上の債務不履行責任の存否を判断するための前提として安全配慮義務の内容を確定するに当たって重要な一要素となることは否定できないが、鉱山保安法、炭則等の行政法令の定める保安確保に関する使用者の義務は、使用者が労働者に対する関係で負担すべき安全配慮義務のうち、労働災害の発生を防止する見地から、特に重要な部分につき公権力により強制するために明文化したものと解すべきであるから、右行政法令等の定める基準を遵守したからといって、信義則上認められる安全配慮義務を尽くしたものということはできない。

また、じん肺のような職業病について労基法その他の法令に従った補償制度が存在するところ、これらは財産的損害につき一定の範囲内で労働者及びその遺族に対して補償を行うものに過ぎず、それとは内容を異にする損害賠償請求を排除しないものであるから、右の補償があることをもって、それ以上の安全配慮義務がないとまでは直ちにいうことができない。

4 被告企業は、戦時中及び戦後の混乱期における炭鉱の労働環境については、その当時の政治社会経済的状況と強力な各種の国家的統制の実情に鑑みた場合、一民間企業が無過失責任である労災補償義務を負う以上に、債務不履行責任を負わなければならないほど社会的非難を受けるべきいわれはないと主張する。

この点、昭和一三年から終戦にかけて国家総動員体制がとられて、石炭鉱業にあっても統制経済に組み入れられており(乙BC四八)、また戦後昭和二三年までも復興を目的とした統制が行われていたことは後記認定のとおりであって、右状況下においては安全配慮義務の履行が必ずしも容易ではなかったことは想像に難くない。しかしながら、右の状況のもとであっても、被告企業における安全配慮義務の履行が不可能であったとまではいうことはできず、少なくとも右時期以前と同程度の安全配慮義務の履行は可能であったというべきであるから、被告企業は右の時期についても安全配慮義務の不履行があればその責任を免れることはできないというべきである。

第四  被告三井らの責任

一  原告ら元従業員の被告三井らにおける在籍等

原告らは、被告三井らの安全配慮義務違反を主張する前提として、それぞれ、原告ら元従業員と被告三井ら等との直接の雇用関係の存在又は被告三井ら等から坑内作業を請け負っていた会社(以下「下請会社」という。)との雇用関係の存在等を主張し、右について被告三井ら等との間で争いがあるものは、別紙「在籍一覧表(1)」の「当該被告企業の認否」欄記載のとおりであるところ、被告三井ら等と原告ら元従業員との直接の雇用関係、被告三井ら等と下請会社との請負関係の存否及び下請会社と原告ら元従業員との雇用関係(粉じん職歴の有無の認定を含む。)に関する認定は、右別紙の「当裁判所の判断」欄記載のとおりである。

これによれば、原告ら従業員のうち、一陣二四番田村三朗、一陣一二四番佐藤進、一陣一六二番佐々木幸吉、二陣三四番川村信雄につき、被告三井らの操業していた石炭鉱山における粉じん職歴を認めることができない。

二  被告三井らにおける安全配慮義務違反の有無

1 各炭鉱の概要

(一) 砂川炭鉱

砂川炭鉱は、北海道空知郡上砂川町に所在していた。主要稼行炭層は美唄層及び登川層であり、その炭層の走向は南北、傾斜は登川層が西へ三〇から七〇度、美唄層が西へ五〇から七〇度である。炭層の枚数は登川層が一二枚、美唄層が一〇枚であり、炭層の厚さは5.8メートルから0.8メートルまで多様であった。

三井系企業による開発は、明治三二年一月に鉱区を取得したことから始まった。鉱区内の炭層発達状況は区域ごと、炭層ごとに消長が激しく、採掘ブロックが細分化されていることから、多数の坑口を設けて斜坑を開設した。昭和五年までの間に第一坑から第四坑を開発し、戦時中には多くの坑口を設け、戦前における出炭量のピークは昭和一五年度であり、年間約一六一万トンに達していた。

戦後、復興に伴う増産運動に応えるため、昭和二二年から新規に奈井江坑を開発した。また、戦時中に開坑した多くの坑口を整理統合し、坑内の若返りを図るため、立坑方式による集約計画が立てられ、昭和二三年には第一立坑の開さくに着手するとともに、昭和二九年までに多くの坑口を整理し、第一坑、第四坑、及び奈井江坑の三坑体制となった。その結果、昭和二一年度には年間約五一万トンであった出炭量は、昭和三〇年度には年間一〇〇万トンに達した。

昭和三八年、砂川炭鉱はビルド鉱に位置付けられたものの、収支は必ずしも優れなかった。奈井江坑は既に昭和三六年に第二会社である石狩炭鉱株式会社に移管され、不採算部門であった第四坑は昭和四〇年に閉坑された。他方、当時需要の多かった原料炭を産出するために第二、第三坑の深部の登川夾炭層を再開発し、昭和三九年から水力採炭技術を導入した(昭和四一年から登川坑と通称された。)。昭和四三年に揚炭専用の中央立坑が完成し、昭和四五年には一坑にも水力採炭が導入された。昭和三九年から四一年にかけて、出炭量は概ね年間一三〇万トンを推移し、戦後のピークを迎えた。さらに、昭和四三年以降、出炭能率の向上のための諸施策を実施し、次第に高能率を実現した。

その後、登川坑は、自然条件の悪化に伴い、昭和五一年に採炭を中止し、生産は第一坑に集約され、全充填欠口採炭を北部に、水力採炭を南部に展開した。昭和五九年に北部の欠口採炭を中止して水力採炭のみとし、マイナス九六〇メートルまで展開したが、第八次石炭政策の実施により、昭和六二年七月に閉山した。

(以上につき、甲二七三、二七五、二七七、二八八、四一九、乙BC八、三二)

原告ら元従業員で、被告三井らの操業する砂川炭鉱での粉じん作業への就労が認められる者のうち、始期の最も早い者は、昭和一一年三月(一陣一三番後藤)からであり、終期の最も遅い者は、昭和六二年七月(一陣一四二番中田ほか)までである。また、三井建設との雇用関係に基づき砂川炭鉱で粉じん作業に従事していた者のうち、その就労始期の最も早い者は昭和三五年一二月(一陣一〇五番伊原)からであり、終期の最も遅い者は昭和五八年一〇月(二陣五〇番渡辺)までである。

(二) 芦別炭鉱

芦別炭鉱は、北海道芦別市に所在していた。主要稼行炭層は美唄層、若鍋層、夕張層であり、その炭層の走向はほぼ南北、傾斜は東に三〇から六〇度である。炭層は北部においてよく発達し、主要稼行炭層は八枚に及ぶが、南部に行くに従い減少する。炭層の厚さは五メートルから一メートル程度まで多様であり、大小の断層の介在が多く、地質状況は複雑であった。

三井系企業による開発は昭和一二年以降に行われた。昭和一四年七月に第一坑、昭和一九年四月に第二坑を開坑し、急傾斜炭鉱という特性により、地表に近い浅部より採掘を開始し、順次深部に向けて操業を続けた。

戦後は、昭和二八年以降、合理化を目指して積極的な投資が行われた。マイナス一八〇メートルレベルの開発に伴い、一坑及び二坑を総合的に集約開発するため、芦別立坑を開さくし、昭和三九年一一月にこれが完成した。昭和四〇年代前半は年間一六〇万トンを超す出炭量を誇り、能率も高く、原料炭を産出するビルド鉱としての位置付けを得た。

その後採炭切羽がマイナス四一〇メートルレベル以深に移行するに伴い、採掘条件が悪化し能率が減少していたところ、昭和五三年のガス爆発事故を契機に骨格構造の抜本的な若返りを図ることとし、昭和五四年六月から芦別斜坑の掘削を開始し、昭和五七年四月にはマイナス七九〇メートルレベルまで達した。(以上につき、甲二七三)

原告ら元従業員で、被告三井らの操業していた芦別炭鉱での粉じん作業への就労が認められる者のうち、始期の最も早い者は昭和一七年七月(一陣一六一番髙田)からであり、終期の最も遅い者は昭和六三年六月(二陣一〇番益村、一二番宮﨑)までである。また、三井建設との雇用関係に基づき芦別炭鉱で就労した者のうち、その就労始期の最も早い者は昭和三三年五月(二陣四一番千葉)からであり、終期の最も遅い者は昭和六二年五月(二陣三九番櫻田)までである。

(三) 美唄炭鉱

美唄炭鉱は、北海道美唄市に所在していた。主要稼行炭層は美唄層であり、傾斜は〇から三〇度、峰延山の両翼に露頭し、炭層の枚数は六枚、炭層の厚さは1.0メートルから3.5メートルまで多様であった。

三井系企業による開発は、昭和三年八月に被告三井鉱山と日本石油株式会社が従来から保有していた鉱区につき被告三井鉱山が一括して開発する契約を締結したことに始まった。戦前は一坑から四坑まで開発されたが、戦後に坑口が一本化された。昭和二四年に被告三井鉱山の単独経営となり、昭和一六年に買収していた新美唄炭鉱を美唄炭鉱に吸収し、二坑体制で操業した。昭和二九年、新美唄炭鉱を閉坑し、美唄炭鉱延命のため幾春別層を開発して昭和三二年から採炭を開始したが、昭和三八年七月、スクラップ坑とされ閉山した(乙BC一、弁論の全趣旨)。

原告ら元従業員で、被告三井鉱山の操業していた美唄炭鉱での粉じん作業への就労が認められる者のうち、その就労始期の最も早い者は昭和一一年一一月(一陣一六番佐々木)からであり、終期の最も遅い者は昭和三八年七月(一陣二番泉川)までである。

2 じん肺患者発生の認識等

(文中指摘の証拠のほか、弁論の全趣旨による。)

(一) 被告三井鉱山が操業していた三池炭鉱においては、昭和一四年から昭和二二年までの間、毎年数名のけい肺患者の発生が報告されており、昭和二三年以降の定期健康診断及び労働省の珪肺巡回検診により一定のけい肺患者の発生が明らかになった(甲四八)。三池炭鉱では、昭和二五年、三池炭鉱労働組合との間でけい肺患者の配置転換に関する労働協約が締結された。なお、三池炭鉱における昭和二二年から二八年までのけい肺患者は三四一名であり、そのうち二四名が死亡していた(乙BC一〇四)。

砂川

芦別

美唄

検診対象者

三六九六名

一九九五名

一〇九三名

第一症度

二三四名

七〇名

九五名

第二症度

四〇名

六名

三名

第三症度

一六名

六名

六名

第四症度

一〇名

六名

一名

(二) 北海道においては、昭和二五年、労災補償の請求手続により、砂川炭鉱で二名、美唄炭鉱で一名のけい肺患者が見出された。その後のレントゲン検診では、昭和二六年、砂川炭鉱で一名のけい肺患者が発見されたが、昭和二〇年代に行われた労働省のけい肺検診の際にはその対象にならなかった。

(三) 昭和二八年、被告三井鉱山は、各鉱業所に対し、「珪肺対策に関する件」と題する書面を発し、各事業所付属病院の医師をしてけい肺診断に関する知識その他を尚一層習得せしめること、けい肺関係定期集団検診を励行すること、重度の者のみならず軽度の罹患者についても配置転換を行うこと、けい肺発生を予防するため各種の技術的対策を励行すること等を促した(乙BC二三)。

(四) 昭和三〇年には、労働組合との間でけい肺協定が締結された。右協定においては、予防措置をとるべきこと、予防知識を周知すべきこと、防じんマスクを貸与すべきこと、健康診断を行うべきこと、配置転換を行うべきこと、補償を行うべきこと、各事業所に「珪肺委員会」を設けることが定められた。珪肺委員会は、会社、職員組合及び労働組合代表から構成され、けい肺予防に関する調査研究・衛生教育の実施・健康診断の実施・配置転換等に関する事項につき審議することが定められた(乙BC五、一六)。

(五) 昭和三四年ころにおけるけい肺患者の発生状況は、以下のとおりであった(甲二六八)。

(六) 昭和二七年から三井建設の代表取締役であった花井頼三は、炭鉱保安事情につき欧米に視察に赴き、欧米六か国の炭鉱におけるけい肺対策につき、炭じんの有害性についての考え方、法規制、湿式さく岩機の利用状況、恕限度に関する勧告、岩粉散布用の岩粉の成分、防じんマスク等に関して報告していた(甲二八〇)。また、三井建設の従業員でじん肺有所見者が発見されるようになったのは、砂川炭鉱において昭和四七年、芦別炭鉱において昭和四八年であった。

(七) 被告三井らにおいては、保安に関する組織として、戦前から、本店に保安部を置き、各鉱山には保安課又は保安係を置いて保安に関する事務を所掌した。また、現場懇談会及び保安委員会を設けて事故並びに災害防止について懇話・研究した。鉱山保安法の制定後は、それに基づく保安管理機構を備え、保安委員会を置いたほか、保安安全実行委員会が置かれた(乙BC一、三二、原告田中、証人高橋)。

3 被告三井らにおける粉じん対策の内容

証拠(原告田中、原告渡辺勉、原告三上、証人高橋、証人千葉、証人高野のほか、文中指摘のもの。)に、争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 粉じんの測定

被告三井鉱山は、昭和二六年ころ、粉じんの測定を行うために労研式コニメーターを購入し、また、昭和三一年ころから、コニメーター及びインピンジャーを購入し、測定要員を養成して、岩石掘進作業場等での粉じんの実態調査を行った(甲八二、乙BC一八、一九、三〇)。

また、昭和三四年には、砂川炭鉱に七台、芦別炭鉱及び美唄炭鉱にはそれぞれ三台の測定器を保有していた(甲二六八)。しかしながら、右測定器を使用して、日常的に坑内各所の粉じんの測定を行い、あるいはその分析が行われたことを認めるに足りる証拠はない。

(二) 岩石掘進作業

大規模な坑道の岩石掘進作業は、昭和三〇年代以降においては、主として三井建設などの下請会社の従業員によって行われており、被告三井らの直轄従業員は、沿層掘進及び小規模な坑道の岩石掘進を行っていた。

(1) けい酸質区域指定及び湿式さく岩機の使用状況

(砂川炭鉱)

砂川炭鉱では、昭和三〇年ころから、湿式の衝撃式さく岩機が導入され始めた。昭和三一年の保安計画(一坑)では、湿式さく岩機の主たる不都合として、ハンマーの吹き止まり(繰り粉がロッドに詰まる現象)があり、さく岩機の改良と専任係員による教育が必要であることが指摘され、また、昭和三二年の保安計画(奈井江坑)においても、湿式さく岩機の使用方法について、係員及び鉱員に対し、坑外及び実際の切羽で機械係員から指導を行う必要が指摘されていた。しかし、その後も、教育が十分ではないこと、掘進の能率が落ちること、シャンクの傷みの修理に困難があったこと等から、全面的な普及には至らなかった(乙BC一八、二二、二七八)。

昭和三四年ころ、砂川炭鉱に存在した衝撃式さく岩機の台数は、湿式のものは五七台(うち使用が四九台)、乾式のものが一三四台(うち使用が八四台)であった(甲二六八)。

砂川炭鉱は、昭和三四年一二月に、第一坑、第二坑、奥奈井江坑及び奈井江坑につき、全区域に賦存する若鍋層並びに登川層の砂岩層及び頁岩層における掘進作業場(ただし稼行対象となっている炭層の沿層掘進作業場を除く)がけい酸質区域指定を受けた。

砂川炭鉱の保安委員会では、このころから昭和三七年にかけて、下請会社が行う岩石掘進において湿式さく岩機が故障が多いために利用されておらず、使用法の改善と整備の必要があることが指摘されていた(「直轄の時は比較的うまくいっていたが、組がやるようになってから悪くなった」等)。昭和三九年ころの衝撃式さく岩機(ジャックハンマー)の台数は、湿式のものが六二台(うち使用が二六台)、乾式のものが九一台(うち使用が六一台)であった(甲二七四、二七八)。

昭和四〇年代に入ると、保安委員会で、けい酸質指定区域内であっても湿式さく岩機が故障のため利用できない場面があることが問題とされ、集じん装置の導入が検討された。結局、昇り等で湿式さく岩機が使用し難い箇所では、高性能(一級)の防じんマスクを使用すべきこととなったが、新型防じんマスクは視界が悪いとの理由で実際には利用されなかった(甲二七八)。

三井建設は、被告三井らから貸与された湿式さく岩機を使用していた。もっとも、一坑においては、昭和五七、八年ころまでは湿式として使用されておらず(甲六〇〇)、水平坑道の掘進において湿式として使用されることが一般的になったのは、昭和六〇年ころからであり、また、昇り及び卸しでは、引き続き乾式として使用されていた。他方、登川坑においては、昭和四五年に三井建設が作業を開始した当時から、湿式として利用していた(証人千葉)。

(芦別炭鉱)

芦別炭鉱においては、昭和三〇年代の中ころから、湿式さく岩機が徐々に導入されたが、鉱員が使用法に慣れず、供給される水圧が高くその調整が難しい等の理由から、湿式としては利用されなかった(甲六〇一)。

昭和三四年ころに芦別炭鉱に存在した衝撃式さく岩機の台数は、湿式のものは三三台(うち使用が三〇台)、乾式のものが一〇一台(うち使用が七九台)であった(甲二六八)。また、昭和三九年ころは、衝撃式さく岩機(ジャックハンマー)の台数が二一四台あったが、湿式のものは使用されていなかった(甲二七四)。

芦別炭鉱は、昭和三九年一一月、第一坑本坑につき、全区域に賦存する夕張夾炭層中の砂岩における掘進作業場(ただし沿層掘進作業場の当該岩石層を除く)がけい酸質区域指定を受けた。また、昭和四五年七月、芦別坑につき、全区域に賦存する美唄夾炭層を掘進する各作業場がけい酸質区域指定を受けた。さらに、昭和四六年五月、新黄金坑につき、全区域に賦存する美唄夾炭層(一六番層上部二〇メートルから一三番層下部二〇メートルの範囲)を掘進する各作業場がけい酸質区域指定を受けた。

昭和四五年ころに三井建設が被告三井鉱山から貸与されていたさく岩機は、湿式として利用可能なものであったが、すべて乾式として使用されていた(乙G三九、証人高野)。

昭和四七年以降、三井建設は、さく岩機を自ら調達するようになった。その機種は被告三井鉱山と協議の上、古河F一〇(湿式さく岩機)及びより小型のF七(乾式さく岩機)を選定した(乙G三九)。昭和五一年においては、湿式さく岩機が四四台、乾式さく岩機が二一台在籍していた(甲六〇三)。昭和五四年、第一坑部内の立入坑道の掘進工事において、一か月二一一メートルの掘進実績を上げたが、右工事に使用されたのはすべて乾式さく岩機であった(甲六〇四、証人高野)。

昭和五八年から五九年ころの間、湿式さく岩機は、水平坑道の掘進の一部に利用されるに過ぎなかったが、昭和六〇年八月以降、水平坑道の掘進において湿式さく岩機の利用が乾式を上回るようになった。もっとも、昇りと卸しの斜坑の掘進には、引き続き乾式さく岩機が主として使用されており、湿式化は水平坑道の掘進よりも遅れた(甲六〇一、六〇三、六〇四、六〇七、乙G三九、証人高野)。

(美唄炭鉱)

美唄炭鉱における岩石の遊離けい酸分の含有率は、二七ないし三二パーセントであったが(甲二六八)、けい酸質区域指定を受けなかった。

昭和三四年ころに美唄炭鉱に存在していた衝撃式さく岩機の台数は、湿式のものは四七台(うち使用が三三台)、乾式のものが四〇台(うち使用が二七台)であった(甲二六八)。

(2) 散水・噴霧・通気等

(砂川炭鉱)

砂川炭鉱の四坑においては、掘進切羽でのせん孔前、発破前後、積込み前の散水は、必ずしも十分に行われていなかった(甲二七五、六〇〇、原告田中)。また、ズリから岩粉を作る必要上、一部のズリには散水を控えていた(原告田中、証人高橋)。

発破時は、切羽から二つ目の目抜きの入気側に退避し、昼食をとった。退避してから切羽に戻るまでの時間は概ね一五分ないし二〇分であったが、それよりも早く切羽に戻ることもあった(甲二七五、原告田中)。

昭和三〇年代半ばころ、一時期、水タンパーが使用されたが間もなく使用されなくなった(甲二七五)。

昭和四〇年代前半から、各坑でシャワー発破が導入され始め、昭和四五年ころまでに普及した(甲二七八)。その方法は、坑道の天盤に取り付けたアーチ型のパイプからシャワー状に水幕を作るというものであった。昭和五〇年代になって、切羽の両側に散水管を取り付けて噴霧する方法が採用された(証人千葉)。

ズリ積みに当たっては散水がされていたが、必ずしも十分ではなかった(甲六〇〇)。

局部通気は、局部扇風機と風管により行われていた。風管は、昭和三〇年ころから、ビニール製となり、延長の作業が容易になったが、それ以前の鉄管の時代は延長が間に合わないこともあった(甲二七五、原告田中)。三井建設においては、切羽の進行に従って風管及び散水管を延長する作業は、被告三井らから供給された資材を使用して行っていた(原告渡辺勉、証人千葉)。

(芦別炭鉱)

昭和四二年ころから、三井建設は、発破に際して、被告三井鉱山から提供を受けた水タンパーを使用するようになった(甲二八六、乙G三九)。

昭和四五年ころ、三井建設では、発破前後については、天井から釣り下げたシャワーにより水幕を作ることが行われていた。また、昭和四六年ころ、三井建設においては、噴霧器(切羽の鏡面全体に向かって両脇から噴霧し、坑道全体を噴霧圏とするもの)を開発し、以後これによる噴霧発破が行われるようになった(乙G三九)。

発破退避の時間は、一〇分程度であった。保安規程では一〇〇メートル退避すべきこととされていたが、坑道が大きいときは、一五〇ないし二〇〇メートル退避していた(甲六〇四、乙G三九)。

ズリの積込作業に当たっては、ホースで散水していた。給水用の鉄管は延長に必要な量を被告三井らの担当者に注文し、被告三井らにより運び込まれた。鉄管の延長作業は切羽の進行に合わせて、三井建設の作業員が行っていた(乙G三九、証人千葉)。もっとも、切羽において圧搾空気用の風管が不足し、給水管が圧搾空気用の風管に転用されたため、散水が行われない場合もあった(原告三上宏)。

(三) 採炭作業

(1) 採炭方法

(砂川炭鉱)

砂川炭鉱の一坑では、長壁式全充填欠口採炭が行われ、昭和三五年ころまではピック採炭、その後は発破採炭が行われたが、昭和四五年から水力採炭が一部において導入された。二坑では長壁式部分充填採炭であり、発破採炭が行われたが、昭和二七年ころから数年間、SRS採炭法(炭層の下部から上部に向けて約五メートルせん孔し発破をかけ炭層を一度に崩落させる方法)が実施された。

他方、登川坑では、昭和三九年の開発以来、水力採炭が行われた。水力採炭は、高圧水をノズルから噴射して炭壁面を破砕し、破砕された石炭を水とともにトラフを流下させる方法であり、火薬を使用せず、総ばらしのため充填も行わず、水を常時使用することから、炭じんの発生が比較的抑制される傾向にあった(甲二七七、乙BC八、一〇、三二、三五、四六、証人高橋)。

(芦別炭鉱)

芦別炭鉱では、急傾斜で断層の多い地質条件から、機械化が難しく、人力による採炭を主としてきた。昭和二〇年代には手掘りからピック採炭、発破の使用へと進化し、昭和三〇年代にはそれまで短かった切羽を一〇〇メートルの大型切羽に転換し、帯状充填、全充填等が主として実施された。昭和四〇年代には、後退式全充填欠口採炭が全切羽で行われた(甲二七三)。

(2) 炭壁注水等

(砂川炭鉱)

炭壁注水は、昭和二七年ころから一部の採炭現場に導入がはじまった。しかしながら、昭和三二年ころの保安委員会において、炭壁注水の必要性や散水設備の不十分さについて度々指摘がなされており、また、昭和三八年ころになっても、効果的な炭壁注水の方法について議論がなされる状態であった(乙BC四、一二、二七八)。なお、昭和三四年ころにおける炭壁注水機の保有台数は二台に過ぎなかった(甲二六八)。

昭和三九年ころから、炭壁注水に代えて、高圧注水発破が普及した。高圧注水発破は、せん孔口から高圧水を注入することにより、発破時は込物としての機能を果たさせ、発破後は散水の効果を有するものであった(甲二七八、乙BC三二、三七、証人高橋)。

(芦別炭鉱)

昭和三〇年代初頭、切羽が急傾斜部位に及んだことに伴い、炭じんの発生が多くなり、従来の噴霧器や散水、炭じん清掃では十分に炭じんを処理できなくなったことから、炭壁注水が導入された。しかしながら、当初は採炭切羽からせん孔注水を行う方法であり、注水の時間の捻出の困難さ、給水管の取扱いの煩雑さ、発破採炭で生じるクラックのため水が浸透不十分等の理由で普及しなかった。そこで、切羽ごとに注水を行うのではなく、採炭予定のあるブロックに長孔をうがち、まとめて注水する方法が開発され、昭和三五年ころまでに実用化された(乙BC一三)。

(四) 岩粉散布

砂川炭鉱において、岩粉散布に使用される岩粉は、昭和三七、八年ころまでは坑内のズリを使用していた(証人高橋)。砂川炭鉱の岩石中に含まれる遊離けい酸分の割合は、場所により差異があるものの、概ね二三から四六パーセントであった(甲二六八)。

(五) 防じんマスク

(砂川炭鉱)

昭和二四年ころ、岩石掘進作業に従事する者に使用させるために防じんマスクが購入されるようになり、費用の半分を会社が負担していたが、昭和二八年度末から、全額会社の負担で購入することとなり、徐々に購入が進んだ(甲八二、二七五、二七八、乙BC一七、二一)。

昭和三〇年、各坑の組織として防じんマスク洗浄係が置かれ、各人ごとのマスクを出坑後に回収し、洗浄・消毒・乾燥を行うこととなり、防じんマスクの管理は会社が一括して処理するようになった。当時は、現実の作業時における装着率を上げるほうが効果的であるとの考えのもと、ろ過効率が高いものよりも吸気抵抗が低いものを選択しており、メーカーには改良品や新製品の送付を求め試用していた(甲八二、二七八)。

防じんマスクの支給範囲は次第に拡大されたが、昭和三四年には在籍直轄夫三三六九名のところ、支給個数は二三五五個であった(甲二六八、二七五、乙BC一八、二二)。

昭和三五年ころの一坑においては、採炭、充填、掘進作業についてはすべての作業員にサカイ式一二号Aが支給されるようになったが、全体としては約七七パーセントの支給率であった。採炭・充填夫はほとんどの者が常時使用していたが、掘進夫は息苦しさを訴えており、使用率は六割程度であった。防じんマスクは、破損等により概ね六か月程度で交換が行われていた(甲八六)。

昭和三六年以降、洗浄係が廃止され、防じんマスクの管理は各人に委ねられることとなった(甲二七五)。

貸与される防じんマスクの種類は、各坑で区々であった。昭和三八年、三九年ころには、サカイ式一七号及び一一七型(国家検定二級合格マスク、昭和三七年九月検定合格)が使用されていたが、保安委員会で不都合な点が指摘されメーカーに改良を求めることがあった(甲二七八)。

三井建設の鉱員は、当初、防じんマスク(サカイ式一一七型)を自費で購入していた。三井建設は、昭和五七年になって、鉱員に対しても特級のマスクを無償支給し、従来の二級マスクに代えて使用するように指導した(甲四四一、乙G五、証人千葉)。

(芦別炭鉱)

芦別炭鉱では、昭和三〇年代半ばから防じんマスクが使用されるようになった。三井建設の従業員は、右当時は、防じんマスクを自費で購入しており、昭和四五年から昭和五六年までの間においては、サカイ式一一七型を購入していた。その後、昭和五七年ころになると、サカイ式一〇一〇R型、一〇二一S型、一〇二一R型、一一二一R型等の国家検定合格マスクを購入し従業員に無償支給するようになった(甲六〇一、六〇九の2、乙G五、六、三一の1、三九、証人高野)。

(六) じん肺教育

(砂川炭鉱)

昭和二九年ころから三三年ころにかけて、会社及び組合幹部を対象に、労働科学研究所等から講師を招いてけい肺講習会が開催された。

また、一般鉱員に対しては、会社と組合との間で締結されたけい肺協定に定められた衛生教育の実施の一環として、昭和三三年から、「けい肺、塵肺とは、外傷性せきずい障害とはどんなものか」(乙BC一四)をテキストとし、炭鉱病院の医師、労組保安部長、労務課福利係員らが講師となり、じん肺教育が行われ、その受講者は同年中に二二〇〇名に達した。さらに、「砂川春秋」と題する社内新聞に、「『けい肺』は予防できる」と題した記事が掲載されたことがあった(以上につき、甲八二、乙BC一五)。

もっとも、その後のじん肺教育については、右と同様に行われたことを認めるに足りる証拠はない。

昭和四〇年ころから、三井建設は、被告三井鉱山の行う保安教育とは別に、作業員をも構成員とした安全衛生協議会を設けて、毎月一回、災害の予防、衛生関係等について協議していた。三井建設がじん肺に関する詳細な教育を行うようになったのは、昭和五八年ころからであり、被告三井石炭が作成した「保安教本 新入者用」をもとにした講義が毎年一回各山を巡回して行われていた(乙G三、三一の1、2、三四、三五、証人千葉)。

(芦別炭鉱)

昭和三四年ころにおいては、三井建設において新規採用された保安係員に対しては被告三井鉱山がその教育を行っていた(証人千葉)。三井建設は、昭和三八年ころ以降、新規採用した鉱員に対し、被告三井鉱山が作成した「保安の手引き」を利用して保安教育を行っていたが、右書面には、防じんマスクの携行等に関する記述はあるものの、じん肺自体に関する記述が存在していなかった(甲二八六、乙G一、三九、証人高野、証人千葉)。その後、昭和五八年以降になって、じん肺に焦点を当てた教育が行われるようになった(乙G二、三一の1ないし7)。

(七) 健康診断と配置転換

被告三井らは、砂川、芦別、美唄にそれぞれ炭鉱病院を置き、一般の健康診断とけい肺ないしじん肺に関する健康診断を行っていた。

(砂川炭鉱)

健康診断の結果、配置転換の打診が行われた場合であっても、それを望まない作業員が多く、そのまま働く場合があった(甲二七五、乙BC三二、証人高橋)。

三井建設の従業員に対する採用時の健康診断及びその後の定期健康診断は、被告三井らが開設していた病院で行われた(証人千葉)。三井建設においては、配置転換につき、昭和五七年から昭和六二年までの間において三名の実績があるが、配置転換に応じない者もいた。また、管理区分二の決定を受けている者については、粉じん作業に従事させることにつき特段の配慮はしなかった(証人千葉)。

(芦別炭鉱)

三井建設の従業員の健康診断は、被告三井らの従業員と同じ機会に行われていた。三井建設の従業員で芦別炭鉱において勤務していたもののうち、最初にじん肺の有所見者が発見されたのは、昭和四八年の健康診断においてであり、当該従業員は管理区分三とされ、配置転換を勧奨したところ、坑内作業から坑外の機械工場に配置転換となった(甲六〇一、乙G三九)。

昭和五四年の健康診断におけるじん肺有所見者は一四名であり、いずれも管理区分三イ又はロであった。原告三上宏はこのとき管理区分三イの決定を受け、その通知がなされた(乙G二七)。昭和五五年の健康診断における有所見者は一三名(うち管理区分二の者が三名)、昭和五六年の健康診断における有所見者は七名(うち管理区分二が五名)であった(乙G二八、二九)。その後、管理区分二に認定される者がいたが、いずれも坑内労働を継続していた。また、新規採用は管理区分二の者であっても行い、粉じん暴露の抑制について特段の措置はとらなかった(証人高野)。

昭和六二年までの間、管理区分三の認定を受けた者がいるところ、職場転換をした者もいたものの、鉱員で坑内作業から転換した者は一名だけであった(乙G三九)。

4 検討

以上の認定事実につき、前記第三で認定した被告企業に求められる安全配慮義務の内容との関係で検討すれば、被告三井らの北海道における炭鉱においては、①まず、昭和一〇年代から昭和二三年ころにかけて、けい肺又はじん肺について、その罹患防止を意識した何らかの粉じん防止対策を実施したことはうかがえず、②また、昭和二四年ころから昭和三四年ころまでの間においては、防じんマスクの一元的な管理及びじん肺教育等、粉じん防止対策として見るべき点はないではないが、さく岩機の湿式化、散水、局部通気、炭壁注水、遊離けい酸分の少ない岩粉の使用などの点で、不徹底に終わったと言わざるを得ず、③さらに、昭和三五年以降においては、じん肺について確立した知見に基づき、粉じんの測定に基づく粉じん防止策の実効性の検証をするなど、さらなる防じん対策を前進させるべきであったのに、そのようなことが行われた形跡はなく、散水装置の改善を除けば、利用可能な各種防じん装置ないし施設の採用も必ずしも十分ではなく、健康診断に基づいてじん肺に罹患したと判明したものについての配置転換の促進も不徹底であった。

そうすると、被告三井らは、原告ら元従業員が粉じん作業に就労していたいずれの炭鉱においても、また、いずれの時期においても、被告企業に求められる前記認定のじん肺の罹患を防止するための安全配慮義務を尽くしたということはできず、粉じんの実態調査、発じん抑制(散水、さく岩機の湿式化等)、粉じん暴露回避措置(坑内局部通気、防じんマスク)、健康管理、じん肺教育、配置転換等の面における安全配慮義務の不履行があり、その不履行につき責めを免れることはできないというべきである。

三  被告三井らの下請会社に対する安全配慮義務違反の有無

1 三井建設

証拠(証人千葉、証人高野のほか、文中指摘のもの)に争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一) 三井建設は、土木、建築等の工事の請負及び設計監理等を目的とする会社であり、昭和一六年に訴外三井不動産株式会社が土木建築業に進出すべく訴外株式会社西本組に資本参加して発足させた三井建設工業株式会社が、その後の商号変更を経て、昭和二七年に現在の社名となったものである。右同年、被告三井鉱山の元取締役が社長に就任し、被告三井鉱山から社員を導入するとともに、昭和三一年ころには被告三井鉱山が株式の過半数を取得して三井不動産に代わって経営の主導権を握った。三井建設は、昭和三〇年代の高度成長期以降、土木部門に加えて建築部門も強化し、また系列企業の工事も多数受注して業績を伸ばした(甲二八九)。

(二) 被告三井らとの間の下請関係の内容

(砂川炭鉱)

三井建設は、昭和三六年ころから昭和六二年三月までの間、三井砂川炭鉱において、主として岩石掘進工事を請け負っており(争いがない)、被告三井らが請負企業に発注した掘進工事のうち概ね七割程度を受注していた(証人千葉)。

昭和五七年ころに締結された三井建設と被告三井石炭との間の請負契約書には、①三井建設は、その雇用する労働者を直接指揮監督すること、②三井建設は、保安に関する事項については被告三井石炭の指示を受けること、③三井建設は、鉱山保安法規の定める保安技術職員等を確保すること等の定めがある(乙G九)。

掘進切羽に配置される保安係員は三井建設の従業員であったが、危険度の高い作業箇所に対しては、被告三井らの直轄係員が二重に配置することが予定される場合があった(乙G一一)。保安上の事項については、被告三井らの担当の係員が、三井建設が作業している現場を巡回し、必要な指示を三井建設の係員に対してなすこともあった(証人千葉、原告渡辺勉)。また、前記契約書においては、坑内作業で使用する機材は三井建設が調達するが、法令に抵触しない範囲内で被告三井石炭から有償貸与することとされていたところ、三井建設は、被告三井らからさく岩機を貸与されていたほか、保安上必要な資材は被告三井らから供給を受けていた。もっとも、サイドダンプ・ローダーについては昭和四五年ころから三井建設が自ら調達するようになった(証人千葉)。

鉱員の採用は、三井建設が行っていたが、被告三井らの労務担当部署の承認が必要とされていた。採用時の健康診断及びその後の定期健康診断は、被告三井らが開設していた三井砂川炭鉱病院で行われた(証人千葉)。

(芦別炭鉱)

三井建設は、昭和三〇年ころから昭和六二年ころまでの間、三井芦別炭鉱において、坑道掘進作業の大部分を請け負っており、主として岩石掘進を行っていた(甲六〇一、乙G二二、原告三上宏)。

昭和五七年九月に締結された三井建設と被告三井石炭との間の請負契約書は、請負工事内容を坑道掘削並びに付帯工事、工事期間を昭和五七年九月から五八年三月までとし、①三井建設は、その雇用する労働者を直接指揮監督する、②三井建設は、保安に関する事項については被告三井石炭の指揮監督を受ける、③三井建設は、鉱山保安法、被告三井石炭の定める保安規程及び被告三井石炭の行った指示をその労働者に対して遵守させる、④被告三井石炭は、三井建設の労働者に対し規則及び規程に定められた保安教育等を行い、又は保安教育等を受けさせなければならない等の定めがある(乙G一六)。

請負代金は、被告三井らが示す年間の工程表に基づき協議し、費用を計算して立方メートル単位で額を決定した(証人高野)。

三井建設は、当初、被告三井鉱山の提供する機械、設備及び資材を使用していたが、昭和四七年ごろから、さく岩機、サイドダンプ・ローダー(ズリの積込機械)、エアホイスト(小型巻上機、切羽元で鋼車を操作する機械)を自ら購入するようになった(甲六〇一、乙G三九)。三井建設の作業にかかる保安機器については、昭和五七年の時点においては、積込機(サイドダンプ・ローダー)を除き、すべて被告三井石炭が調達していた(乙G一九)。

三井建設が請け負った掘進作業については、三井建設の鉱員のみで行われ、被告三井らの鉱員と共に行われることはなかった。先進ボーリング及び測量については、被告三井らの従業員が行っていた(証人高野)。

作業に必要な人員の具体的な配置や作業時間、労働条件等は、三井建設が決定していた(証人高野)。保安係員は三井建設の従業員であったが、危険度の高い作業箇所に対しては被告三井らの直轄係員が二重に配置されることが予定される場合もあった(乙G一八、二〇)。これに加えて、被告三井らの保安係員も巡回し、指示があるときは三井建設の係員又は工事主任等に対して行うのが原則とされていた(証人高野)。

「請負鉱員の管理」と題する取決事項(昭和三六年取決、四三年及び四六年改訂)によれば、請負鉱員の作業現場は、被告三井鉱山の係員が一日一回以上巡回指導することとされていた。また、所定の保安教育を受けない者、保安上の指示に従わない者、出勤常ならざる者、会社諸規則に違反した者については就労を拒否するとされていた。なお、請負鉱員は安全灯の色で直轄夫と区別がつくようになっていた(甲二八六)。

鉱員の採用は、三井建設が行っていたが、被告三井らとの取決めに従ってなされた。昭和四六年ころにおける取決めでは、採用時の健康診断は、被告三井鉱山の炭鉱病院で受診すること、被告三井鉱山の労務課が健康診断の結果と資格条件を検討の上、労務課長の決裁を経て採用を内定すること、採用内定者の保安教育は被告三井鉱山が行うこと等が定められていた(甲二八六)。その後の定期健康診断は、三井建設の費用において、被告三井らの開設した炭鉱病院で行われた(証人高野)。

請負鉱員を解雇する場合には、安全等の管理その他に及ぼす影響があることから、請負業者は速やかに被告三井らの労務課及び関係坑に連絡することとされていた(甲二八六)。

(三) 検討

以上の事実をもとに、被告三井らの、三井建設との雇用関係に基づき粉じん作業に従事していた労働者に対する安全配慮義務の内容とその履行の有無について検討する。

(1) 安全配慮義務は、労働者が労務提供のために設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するように配慮すべき義務であるところ、直接の雇用関係はないが下請契約に基づき一定の作業につき発注を受けた請負会社との雇用契約に基づき当該作業を行う労働者に対する発注会社の安全配慮義務の存在を肯定するためには、労働者が従事する労働環境の整備と労務管理が、実質的に発注会社によって行われていたと評価し得るかが重要な要素となるというべきである。

(2) そこで、右の点につき、被告三井らと三井建設との関係をみれば、前記認定のとおり、①請負鉱員の採用に当たっては、健康診断を発注会社の炭鉱病院で行い、その労務課において採用内定を決していたこと、②保安教育は、請負会社が行うもののほかに、発注会社においても行っていたこと、③発注会社は、請負鉱員が使用する保安機器の大部分を請負会社に対して貸与しており、電話機、無線機、安全電灯、消化器、ガス警報機、点火機、一酸化炭素自己救命機等のほか、粉じん防止に関連の深い機器として、湿式さく岩機、局部扇風機、散水管、噴霧シャワー、ビニール風管等も貸与していたこと(乙G一九)、④請負会社の従業員である保安係員が、発注会社の保安管理系統に組み入れられ(甲二八七)、また、請負鉱員の作業現場は発注会社の係員が一日一回は巡回することとなっていた例があること(甲二八六)が認められる。

さらに、⑤鉱山保安法が、鉱業権者は「鉱山労働者」に対して粉じんの処理に伴う危害の防止のための必要な措置を講ずる義務がある旨規定しているところ、右「鉱山労働者」には請負鉱員がこれに含まれると解釈することができること、⑥合理化法(昭和三八年改正)五七条の二は「鉱業権者又は租鉱権者は、石炭鉱山における作業であって通商産業省令で定める種類のものにその使用人以外の者(「請負夫」)を従事させようとするときは、その作業の種類、従事させようとする期間その他の通商産業省令で定める事項を定めて通産大臣の承認を受けなければならない。」とし、同法五七条の三は通産大臣の承認の要件を定めるところ、右承認のための手続において、鉱業権者等は、請け負わせる作業内容、使用資材の調達方法、保安監督機構の整備と元請会社との連携関係、発注した切羽における保安係員の具体的な配置、保安教育に関する事項を報告するが、その結果、鉱業権者等は、保安上必要な事項を把握することとなる(乙G八)という事情が認められる。

以上によれば、請負鉱員に対する安全配慮義務の履行の第一次的責任は粉じん作業を請け負った会社にあるとはいえ、発注者たる鉱業権者においても、請負鉱員に対して安全配慮義務を負担しているというべきであり、発注会社は、その保安体制を通じて請負鉱員がじん肺に罹患しないような各種措置をとるとともに、下請会社が請負鉱員に対してじん肺罹患防止のための安全配慮義務を尽くすように指導監督する義務があるというべきである。

しかるところ、発注会社である被告三井らにおいて、右の安全配慮義務が尽くされたものでないことは、前記二で認定したとおりである。

2 その他の下請企業等

(一) 被告三井らは、時期の特定は困難としながらも、坑内粉じん作業につき下請関係があったことを認める会社として、三井砂川ボーリング株式会社、合田組、森田組、有限会社鈴木組、北栄鑛発株式会社、外岡建設株式会社、北友建設株式会社、鎌田組、二瓶組、三明建設株式会社、北新礦発株式会社、大舟鉱業株式会社を挙げる。

そして、被告三井らと右の各請負会社との関係は、被告三井らにおける代表的な下請会社であった三井建設とのそれとの間において異なるところがないと推認されるから、被告三井らは、右各請負会社との雇用関係に基づき粉じん作業に従事した原告ら元従業員に対しても、同様の安全配慮義務を負うべきところ、これが尽くされたものでないことは、前記二で認定したとおりである。

(二) 被告三井らは、原告ら元従業員が就労していたと主張する会社のうち、三省鉱業株式会社、滝口炭鉱株式会社、三美鉱業株式会社、水島建設株式会社(水島組)、中島建設株式会社(中島組)、堀田組(堀田鉄工所)については、それぞれ、租鉱権の設定を受け、あるいは採掘権を有し、独自で炭鉱を経営していたと主張するところ、右の各社が租鉱権又は採掘権を有していた時期については、別紙「在籍一覧表(1)」の当該原告ら元従業員に対応する「当裁判所の判断」欄の記載のとおりであり、当該原告ら元従業員の中には、当該租鉱権山において就労していたことが認められる者がいる。

しかるに、本件において、租鉱権者のもとでの原告ら元従業員の就労に関して被告三井らにおける安全配慮義務の成立が肯定され得るような雇用契約類似の使用従属関係が個別的に存在していたことを認めるに足りる十分な証拠はなく、また、鉱業法上においても、租鉱権者は、鉱業権者の鉱区につき施業案を定めて通商産業局長の許可を得て操業することとされており(同法八七条、六三条二項)、鉱山保安法上は鉱業権者と同様の扱いをされている(同法二条一項)など、前記の下請業者とはその法的取扱いを著しく異にしている。

したがって、これらの企業に在籍していた原告ら元従業員との関係において、右被告らが安全配慮義務を負うことはないというべきである。

第五  被告国の直接的加害責任

一  戦後の石炭政策の概要

証拠(甲一〇〇二、一〇〇三、一〇一九、一〇二〇、一〇二三ないし一〇二七、一〇九一、一一〇〇、一一〇一、一一八三、乙BC四八、証人三好のほか、文中指摘のもの)及び弁論の全趣旨によれば、我が国における戦後の石炭政策の概要につき、以下のとおりの事実が認められる。

1 終戦後から昭和二四年まで

(一) 増産政策

第二次世界大戦下における我が国の石炭鉱業は、一定量の石炭の生産を確保することが至上命題であったため、地下産業の常道である長期的な生産計画の策定及びその実施に必要な坑道展開の準備と維持が行われず、出炭の維持は、専ら労務者の大量投入を中心として行われていた。しかも、軍隊への動員による炭鉱労働者の減少は、徴用労務者、動員学徒更に大量の朝鮮人、中国人及び捕虜によって補われており、終戦直前には四〇万人を超える炭鉱労働者中四〇パーセント以上が外国人労働者と臨時労働者という状態であったところ、終戦を契機としてこれら外国人労働者が職場を離れるや、石炭の生産は昭和二〇年八月には三八〇万トン、さらに同年一一月には五五万トンに落ち込んだ(これは明治三〇年における月産高の水準であった。)。

そこで、政府は「石炭生産緊急対策」を閣議決定し、炭鉱労務者の補充、食料、衣料等の配給確保を図ることとして、炭鉱労働者優遇の措置をとった。また、商工省に石炭庁を設置し、各地方に臨時石炭増産本部を設置して、出炭目標を決定して炭鉱に対して増産の指示を行った。

この結果、生産は漸次回復に向かったが、当時の石炭生産の危機は、炭鉱施設の荒廃に起因するものであったため、炭鉱に単に追加労働力を投下するだけでは出炭増加の幅は狭く、昭和二一年、一度上昇した生産は頭打ちの傾向を呈し始めた。これに対して、政府は「石炭非常時対策」や「二一年度下期石炭危機突破対策」等を閣議決定して、労働者の食料確保、資材の確保、金融の斡旋等を行うほか、炭鉱別の増産数量割当てとそれに対する報奨制度も設けた。また、この間、政府は鉄鋼の配分計画について最大の重点を石炭鉱業に置いた。にもかかわらず、昭和二一年の石炭鉱業向鋼材配分量は減少の一途をたどっており、当時の二大基礎原料たる鉄鋼と石炭とは相互不足の関係にあって縮少循環の関係に立っていた。

このような事態に直面して、政府は、昭和二一年一二月、石炭、鉄鋼、肥料の三大基礎産業の生産能力の拡大を中心としたいわゆる「傾斜生産方式」を採用することを閣議決定し、石炭の生産については、①石炭増産のため国内施策の集中、②配炭統制の強化と闇炭の徹底的取締り、③石炭増産に必要な鉄鋼その他物資の最優先確保措置、④旅客及び不要不足貨物の輸送削減措置等を決定し、本格的な石炭増産対策に乗りだした。また、経済安定本部の石炭生産計画に従って、目標出炭量二二〇〇万トンを各地域別に割り振り、これは更に各炭鉱ごとに割り振られた。さらに、昭和二二年三月には配炭公団法を制定して、国内の石炭の買収と販売を独占する機能を配炭公団に帰属させることとした。

このような施策により、昭和二二年度には三〇〇〇万トンの出炭が期待されていたが、同年度上期の出炭は期待どおりの成果を上げなかった。そのため、昭和二二年六月ころから、石炭増産のあい路打開の抜本策として国家管理問題が議論された。他方、これとは別に、政府は石炭の一層急速な増産を促進するため、同年九月に「石炭非常増産対策要綱」を閣議決定し、また「炭鉱特別運転資金融資要綱」を実施することとした。右の石炭非常増産対策要綱においては、①切羽面三交替五日週間制等による二四時間制の推進、②職場規律の確立と給与制度の改善等がうたわれ、その各種施策を推進するため、「石炭増産特別調査団」が昭和二二年一一月から翌二三年一月までの間北海道と九州の炭鉱に派遣された。

以上の経過で、炭鉱労働者優遇による労働力の確保、炭鉱施設の復旧のための資材の優先的配給、復興金融金庫からの資金供給などの政策がとられた結果、石炭の生産量は増加し、昭和二一年度には二二五二万トンであったのが、二二年度には二九三三万トン、二三年度には三四七九万トン、二四年度には三七三〇万トンと逐次回復をみせた。

しかしながら、あらゆる生産資材が欠乏していた当時の生産力拡大の努力は、基本的には、生産力の不足を労働力の増強によって補うものに過ぎず、戦時中以来採られてきた石炭鉱業にとって弊害の多い施策が再び行われたものであった。

他方、石炭鉱業の国家管理問題については、政府が昭和二二年八月に発表した「臨時炭鉱国家管理要綱」をもとに議論が重ねられ、同年一二月、「臨時石炭鉱業管理法」が成立し、昭和二三年四月一日から施行された。この法律は、「産業の復興と経済の安定に至るまでの緊急措置として、政府において臨時に石炭鉱業を管理し、以て政府、経営者及び従業者が全力をあげて石炭の増産を達成することを目的とし」て制定されたものであったが、制度の動きだした昭和二四年初めには出炭量は三八〇〇万トンベースに乗っており、増産の実現という目的そのものの必要性が薄らいだこともあり、この法律は昭和二五年五月に廃止された。

右の臨時石炭鉱業管理法では、管理方法を、一般炭鉱と指定炭鉱の二種に区分していた。一般炭鉱では、事業主が事業計画を所轄石炭局長に届け出てこれを実施し、石炭局長はこれを監査して必要な報告を求めることができるほか、炭鉱管理委員会(官民の委員により構成される諮問機関)に諮って事業計画の変更や監督上必要な命令を発することができることとされた。

これに対して、指定炭鉱(全国の五九炭鉱が指定された)では、より強度の管理が予定された。事業主は炭鉱管理者(事業主に選任され業務計画の実施に関し必要な権限を委任された者)を置き、これに詳細な業務計画案を作成させ、生産協議会(指定炭鉱ごとに置かれ、炭鉱管理者とそれぞれ同数の労働委員、業務委員で構成されるもの)の議を経た上で、石炭局長に提出し、石炭局長はこれを審査して炭鉱管理委員会に諮った上で業務計画を決定することとされた。指定炭鉱の業務計画は、被告国が決定するものとされ、またその決定過程においては事業主、炭鉱管理者、生産協議会、炭鉱管理委員会が関与する制度となっている点が一般炭鉱と異なるところであった。また、指定炭鉱では商工大臣の認可を受けなければ利益金の処分をすることが禁止された。

以上のように、右法律は、経営に民主的要素を取り入れると同時に、被告国による統制を導入し、炭鉱に生産目標を指示し、資金、資材の割当て、炭鉱の監査等を実施して石炭鉱業の社会化による増産の実現を図るものであった。しかし、実際には、国全体の出炭目標から割り出される出炭量を各炭鉱に割り振る機能を果たしたに過ぎず、また生産計画の実施に必要な資金・資材の手当てが伴わなかった。そして、石炭局長等が事業計画遂行のために講じることのできるとされた各種管理措置はほとんど発動されることがなかった(甲一〇九〇)。

(二) 価格政策

終戦直後の石炭政策のもう一つの基調は低価格政策であった。

当時の物価は、東京卸売物価指数でみると終戦時の昭和二〇年八月に比して四か月後の一二月には約二倍、昭和二一年二月には三倍に上昇していた。政府は昭和二一年二月「戦後物価対策基本要綱」を決定し、これに基づいて「新物価体系の確立及び価格等統制の方針に関する件」を定め、物価統制令を施行した。石炭については、流通機構として、戦時中から配炭統制機関として存在していた「日本石炭株式会社」を解散して、政府機関としての「配炭公団」を設立し、配炭公団は、公定価格により山元その他の場所で石炭を一手に買入れ、公定販売価格により一手に販売することとし、消費者価格を生産者価格よりも低く設定して、被告国はその差額を「価格差額補給金」として配炭公団に交付した。公定価格はインフレの進行とともに数回にわたって改訂が加えられたが、生産者価格を上回る勢いで生産原価が上昇する傾向にあり、これを補填するために石炭鉱業に対して国家補償が行われた。

生産性の向上を伴わない増産の遂行とこれを低価格に抑えることという矛盾する二つの政策を実現するために、政府は、補給金の交付と復興金融金庫資金の融資を行った。すなわち、政府は、石炭鉱業各社に対し、昭和二一年までは「復興特別融資」から運転資金を供給し、昭和二二年に復興金融金庫が設立されて以降は、同金庫から設備資金、運転資金、炭住資金として多額の資金が供給された。その結果、昭和二四年の時点での石炭各社の復興金融金庫からの借入残高は四七五億円に上った。もっとも、この資金は生産復興及び増産のための設備資金に集中され、特に炭住に対する投資が相当の比重を占めており、積極的な合理化工事はほとんど全く行われなかった。

2 昭和二四年から三三年まで

(一) 高炭価問題

昭和二四年、国内インフレの終息を図るための「ドッジライン」の実施に伴い、石炭の統制は廃止され、配炭公団の解散と生産割当ての終了により、石炭鉱業は統制時代から自由経済時代に転換した。

しかしながら、坑内の稼行条件の合理化は立ち遅れたままであり、また経理状況が不健全であったことから、石炭の生産コストは高く、これが価格統制の撤廃とともに価格に転稼された。

これに対して、最大の石炭需要者であり、かつ基幹産業、輸出産業としての成長を期している鉄鋼業界から、高炭価の是正の要請が強くなされ、昭和二五年、通産省の産業合理化審議会で「鉄鋼業および石炭鉱業の合理化三年計画」がとりまとめられた。

もっとも、右と時期を同じくして発生した朝鮮戦争がもたらした異常な好況のため、石炭需要が極端にひっ迫して炭価は大幅に上昇したにもかかわらず、鉄鋼業界からの高炭価是正の要請は一時下火になった。

また、この時期以降、政府は、石炭鉱業の合理化のための様々な政策を実施した。復興金融金庫からの資金供給に代わり、昭和二四年度及び二五年度は「見返り資金」が、昭和二六年度以降は日本開発銀行からの資金が投入された。また、税制上の各種の優遇措置がとられて内部留保の増強を支援した。さらに、研究開発のための補助金を支出した。このような施策のもと、鉄柱・カッペや各種機械が導入され始め、技術的な合理化が端緒についた。

しかるに、昭和二七年後半になり、特需景気の一段落と世界的な景気の中だるみを背景に、国内産業の合理化問題が真剣に取り上げられ、高炭価問題が再び注目されるに至った。当時、石炭価格は、国内物価体系において主要産品の中で最も高い騰貴率を示していたのみならず、輸入炭の価格が海運市況の未曾有の軟化に起因して国内炭価格を下回るようになっていた。また、重油の配給統制が廃止されて石炭市場に流入し始めたため、国内炭の需給バランスは一挙に崩れて深刻な供給過剰となった。

昭和二八年、通産省は、当時主流であった斜坑による坑道展開では深部化により自然条件が悪化して労働生産性は低下せざるを得ず、これが高炭価の一因であるとの認識から、「高炭価対策の問題」(甲一〇八九)を発表し、立坑掘削五か年計画(五年間に四九〇億円の資金を投じて七九の立坑を開さくし、その合理化効果によって炭価の引下げを図るという構想)を提唱したが、景気の低迷を受けて大規模な立坑開発は計画どおり進まなかった。

(二) 合理化法の制定(昭和三〇年)

昭和二八年から三〇年初めにかけて、石炭鉱業は深刻な不況に見舞われ、雇用不安を来した。すなわち、朝鮮戦争による需要の増加に伴って増産計画を推進してきた石炭鉱業の生産力は、昭和二八年の初めには、年産五二五〇万トンに伸びていたが、国内炭需要は朝鮮戦争の休戦によって四三七七万トンに落ちこみ、貯炭(業者貯炭)は急増して二九年六月には四〇〇万トンを超え、休閉山が続出し、昭和二八、二九年を通じて約二〇〇鉱に達した。人員整理が広がってこの二か年間の離職者は七万名に達し、解雇されないものについても賃金の遅配、不払いが増大した。各社とも貯炭増加と金融枯渇から安値乱売を始めた。

こうした状況の中、昭和三〇年に合理化法が制定された。合理化法は、前述の高炭価問題の解決と、需給のアンバランスから起こる石炭鉱業の混乱に対処するため、「石炭鉱業合理化計画に基いて、石炭鉱業を整備し、及び坑口の開設を制限することにより、石炭鉱業の合理化を図り、もって国民経済の健全な発展に寄与することを目的とし」たものであり、その概要は次のとおりであった。

(1) 石炭鉱業合理化基本計画の策定

輸入エネルギーに対抗し得る国内炭の価格競争力を確保するため、長期にわたる合理化基本計画を立て、その計画に沿って、各年の実施計画を組み、石炭鉱業の合理化の指標とする。合理化基本計画には、昭和三四年度における石炭の生産数量、生産能率、生産費その他石炭鉱業の合理化の目標、石炭鉱業の合理化のため実施すべき工事に関する事項、石炭鉱業の整備に関する事項等を定める。

昭和三〇年一一月に定められた石炭鉱業合理化基本計画及び昭和三〇年度石炭鉱業合理化実施計画によれば、石炭鉱業は、合理化法の下で、昭和三四年度における生産数量四九五〇万トン、生産能率(全国平均)18.4トン、生産費トン当たり三二三〇円を達成することを目標とすることとなった。

(2) 資金の確保

政府は、石炭鉱業合理化実施計画に定める石炭鉱業の合理化のために実施すべき工事に必要な資金の確保に努める。

(3) 石炭鉱業整備事業団の設立

石炭鉱業の合理化の実施機関として石炭鉱業整備事業団を設立し、石炭鉱業が負担する納付金等を原資として非能率炭鉱の買収を行う(目標年度までに合計三〇〇万トン)とともに、それによって生じる炭鉱離職者の救済及び鉱害の復旧対策を行う。

(4) 坑口開設の制限

鉱業権者又は租鉱権者は、坑口の開設の工事をしようとするときは、通産大臣の許可を受けなければならない(五四条)。

(5) 標準炭価の公表

石炭鉱業の合理化効果を石炭の市場価格に反映させるため、通産大臣は、毎年度、石炭の生産費を基準とし、石炭の輸入価格や石炭以外の燃料の価格等の経済事情を参酌して、石炭の販売価格の標準額を定め、実際取引価格が著しくこれを超えた場合は、その引下げを勧告することができる。

(6) 独禁法の適用除外

石炭の需給が著しく均衡を失した場合、または炭価が著しく下がった場合、通産大臣は、鉱業権者又は租鉱権者に対し、石炭の生産数量の制限、さらに販売価格の制限に係る共同行為を実施することを勧告することができる(六二条ないし六八条)。

(7) 石炭鉱業審議会の設置

通産省に、学識経験者で構成する石炭鉱業審議会を置き、通産大臣の諮問に応じ、石炭鉱業の合理化に関する重要事項を調査審議する。

(三) 神武景気による好況期と合理化法の改正

(1) 合理化法が制定された昭和三〇年度の後半は、経済界一般の景気回復のテンポが著しく、三一年にはいわゆる神武景気へと移行し、これにつれて炭況も急速に回復した。石炭の不足が一般的となって、価格も昭和三一年初めには対前年比一割近く高くなった。このため、業界は増産に次ぐ増産を続け、新鉱が次々に開かれ、またいったん閉鎖された炭鉱が再開される事態となった。新鉱および再開鉱は、昭和三〇年度一八七鉱、三一年度一二八鉱に及んだ。

この増産ムードに乗って、投資は、合理化よりも増産のために向かい、また実勢炭価の上昇に伴い、合理化の指導価格として年々引き下げられて行くべき標準炭価が逆に引き上げざるを得ない状況となったほか、坑口開設もほとんど制限なく許可された。したがって、石炭鉱業の体質改善をめざして制定された合理化法は、その発足当初から機能すべき環境を見失った状態となった。

この石炭好況にやや先んじる昭和三一年、通産大臣の諮問機関である産業合理化審議会は、昭和五〇年までのエネルギー需要見通しの作業を行った。その結果、国内炭は電力用の増加を除いても昭和五〇年には八一〇〇万トンの需要があるという計算が出たが、当時は、自然条件、技術水準から見て六五〇〇万トンが安定供給の限度であろうとの意見が多く、結局答申は、六五〇〇万トンを国内炭供給量とし、不足分は輸入エネルギーに依存せねばならないという見通しを結論とした。また、日本石炭協会は、昭和三二年四月、昭和五〇年度の出炭を七二〇〇万トンとする一段と高い水準の長期生産計画を立てた。さらに、昭和三二年七月に政府と業界の招きに応じて来日したソフレミン(フランス鉱山試験協会)調査団は、拡大生産による合理化推進方法を支持する勧告を寄せた。

(2) 合理化法の改正(昭和三三年)

右のような状況のもと、政府は、新規起業による大規模な高能率炭鉱の形成と出炭数量の拡大にウェイトを置いた炭田総合開発を、合理化政策の一環として取り上げることとし、昭和三三年四月、次のような合理化法の一部改正が行われた。

① 石炭鉱業合理化基本計画の目標年度の延長

昭和五〇年度七二〇〇万トンという長期的観点から石炭鉱業の増産とコストダウンを図るためには、昭和三四年度は目標年度としては余りに短期に過ぎるため、これを昭和四二年度まで延長する。

② 未開発炭田の開発(六八条の二)

未開発炭田の開発を図るため、まず、被告国が必要な調査を行い、その結果に基づいて、石炭資源の開発が十分に行われていない地域であって、その開発を急速かつ計画的に行う必要がある地域を指定して開発計画を策定することとした。

3 石炭危機と合理化の推進

(一) 石油エネルギーの台頭と国内炭保護政策

石炭鉱業の将来に、競合エネルギーの進出が決定的な影響を与えるであろうということは比較的早くから認識されていた。石油が石炭の分野を侵し始めたのは昭和二七年ころからであり、おりからの高炭価の下にあって石油は工場ボイラー用、家庭燃料用として急速に石炭に代替してきた。この傾向は昭和二八、二九年の石炭不況下において貯炭に悩む石炭業界に大きな心理的脅威を与え、石炭擁護のための石油抑制が強く主張された。

このため、政府は昭和二九年三月に「石炭と重油の調整について」、三〇年六月に「燃料総合対策について」という閣議了解をそれぞれ行い、燃料の自給度向上、外貨負担の軽減、国内資源の有効利用の見地から、一方において石炭の合理化を促すとともに、他方において、合理化法の制定と同時に、関税定率法を一部改正して関税を賦課する方法で石油輸入を抑制し、また、「重油ボイラーの設置の制限に関する臨時措置に関する法律」を制定して、石炭と競合することの大きい重油ボイラーの設置を規制して国内の石油消費分野を限定することとした。

(二) 構造的危機の到来と合理化法の改正(昭和三五年)

(1) 昭和三一年から二年近く産業界を沸かせた神武景気は、昭和三二年秋には一服状態となり、なべ底景気といわれた低迷期に入っていた。また、高度成長期に入った産業界の技術革新が石油等の流体エネルギーを基礎としていたため、石炭消費率は減少し、また豊水による火力発電用炭の消費減が響いて、石炭の消費は五二四五万トンに落ちた。そのため貯炭が増加し、炭況は一変して軟調に転じ、炭価は三〇〇円前後も下がった。

昭和三三年に始まったこのような石炭不況は、従来の一時的な不況ではなく、価格の低廉性と使用上のメリットをもって進出してくる競合エネルギーが石炭鉱業の存在そのものを脅かすものであるとの認識を石炭業界にもたらした。

このような情勢下で、昭和三〇年以来、等閑に付された感のあった合理化法がその本来の機能を発揮した。まず、昭和三四年に最初の出炭制限の指示がなされた。昭和三四年三月には貯炭が一一〇〇万トンに達したため、政府は昭和三四年五月以降の一般炭の出炭を昭和三二年度実績の八〇パーセントに制限することとし、合理化法に基づいて生産数量の指示を各社に対して行った。この出炭制限は昭和三五年三月まで継続され、昭和三四年度の出炭は四七八九万トンに抑えられた。また、石炭鉱業整備事業団による非能率炭鉱の買上整備は、当初の買収枠三〇〇万トンを達成し、申込みの増加に伴い、買収枠が増量された。

(2) 日本石炭協会は、昭和三四年一〇月、「新合理化長期計画」を発表した。その内容は、生産性を向上して競合エネルギーに対する価格競争力を獲得するため、昭和三八年度の生産を約五五〇〇万トンと見積もり、トン当たり八〇〇円の引下げを実現するための主要目標を設定するもので、大手炭鉱においては労働者数を六万人減らし能率を一人当たり一四トンから二五トンまで引き上げることとされた。しかしながら、需要業界の反応は厳しく、炭価引下げ幅が不十分であるとの声が大きかった。

他方、石炭鉱業審議会の基本問題部会は、石炭危機の打開方策を検討し、昭和三四年一二月、以下のような答申を行った。

① 現下の石炭不況は世界的なエネルギー革命の影響によるものであり、構造的な原因によるものであってこれを単に景気変動の一局面と見るべきではない。

② したがって、対策の基本は国民経済的に他の各種エネルギーとの関連において国内炭の位置付けを考え、競合材との競争に対して経済的に成立し得る条件を整えることにおかれるべきである。

③ このため、炭価は昭和三三年度に対して昭和三八年度にはトン当たり一二〇〇円程度引き下げ、出炭規模は五〇〇〇万トンないし五五〇〇万トンが適当である。

④ 合理化の方向としては、高能率炭鉱への生産集中と非能率炭鉱の閉山、坑内外設備の集約等の生産面の合理化に加え、流通面でも抜本的な対策を採ることによって中間経費の低減を図り、生産原価引下げのための諸方策を講ずるべきである。

これに対して、石炭業界は、右目標が実現困難であると抵抗したが、当初目標の八〇〇円引下げとの差額のうち二五〇円は政府の炭鉱近代化助成や諸課税の軽減措置等によって埋め、その余は業界の合理化努力によって達成することを了承した。

(3) そして、前記答申に対応して、昭和三五年、合理化法が改正された。その概要は以下のとおりである。

① 石炭鉱業合理化基本計画において定めるべき事項に、新たに昭和三八年度における石炭の生産数量、生産能率その他石炭鉱業の合理化の目標及び石炭坑の近代化に関する事項を加えた。

石炭鉱業合理化基本計画には、昭和四二年度における石炭の生産数量、生産能率その他石炭鉱業の合理化目標、未開発炭田の開発に関する事項、石炭鉱業整備事業団が買収する採掘権の基準及び買収枠を定めることとなっていたが、昭和三八年度までに炭価一二〇〇円を引き下げるために短期的な目標をより具体的に定めることとした。

② 石炭鉱業整備事業団を石炭鉱業合理化事業団と改め、石炭坑の近代化に必要な設備資金の貸付業務等を加えた。

事業団は、従来行われていた非能率炭鉱の買収による石炭鉱業の消極的な合理化のみならず、大規模かつ近代的な高能率炭鉱を助成することにより、積極的にビルド面での石炭鉱業の合理化も推進するため、大規模な立坑の掘削、高能率巻上機械の設置、新鋭採炭機械の導入等の石炭坑の近代化等に必要な設備資金(「近代化資金」)の貸付業務を行うこととされた。この貸付金として、三五年度予算において二一億四〇〇〇万円が確保された。

(4) もっとも、昭和三五年から三六年にかけて、ガス爆発等の重大な災害が頻発し、合理化の強行が炭鉱災害の原因ではないかとの意見が聞かれるようになった。通産大臣は、炭鉱の保安設備の整備を促進するために新たな補助金の交付、近代化資金の貸付けを行うこととするほか、昭和三六年に石炭鉱山保安臨時措置法が制定され、炭鉱の保安状態を調査して問題のある炭鉱は鉱業の廃止を勧告し、石炭鉱業合理化事業団を通じて「石炭鉱山整理交付金」を交付することとなった(甲一〇九四)。

他方、石炭鉱業がスクラップ・アンド・ビルドを推進するに際し、非能率炭鉱の合理化及び閉山を行うには、労働者の整理及び鉱害の処理等のために一時的に多額の資金が必要となっていたが、金融機関は石炭鉱業に対する資金の貸付けに極めて消極的であった。この資金調達を円滑にするために、昭和三六年に、合理化法が改正され、石炭鉱業合理化事業団に石炭鉱業の整備に必要な資金の借入れについて債務保証を行わせることとした(「整備資金保証制度」。なお、昭和三七年には合理化法が再度改正され、石炭鉱業合理化事業団が直接貸し付ける「整備資金貸付制度」が創設された。)。

かくして、炭価引下げ政策は、昭和三六年当初までは順調に進み、昭和三五年に四五〇円、昭和三六年に二五〇円の引下げが行われた。また、昭和三六年の段階で、炭鉱数は一二九減少し、労働者数は九万人減少していた。一人当たりの生産性は、昭和三三年度において一四トンであったのが、昭和三四年度には一五トン、三五年度には一八トン、三六年には21.7トンまでに上昇した。

(三) 貿易の自由化と合理化計画の阻害

貿易自由化の国際的な圧力に対処して、政府は、昭和三五年に「貿易自由化計画大綱」を発表し、エネルギーについては、昭和三八年以降に石炭鉱業の合理化の推移を待って検討することとされていた。しかるに、その後の国際情勢の変化はこれを許さず、昭和三六年春、貿易自由化の繰上げを行うこととなり、昭和三七年一〇月までに九〇パーセントの貿易自由化を行い、原油について同時期までに自由化することとなった。これは石炭業界に対してさらなる急速な合理化を要請するものであった。

石炭業界は、石炭合理化計画を達成するためには計画された出炭に見合う石炭需要を長期安定的に確保する必要があると判断し、昭和三六年六月、主要な需要業界との間で「石炭の長期安定取引協定」を成立させた。これにより、石炭業界は、昭和三八年度までに炭価一二〇〇円引下げを行うことを約束し、電力、鉄鋼、ガス、セメント等の大口需要家は五五〇〇万トンの出炭に見合うだけの必要需要量を義務的に引き取ることとなった。

他方、昭和三五年から三六年にかけて物価及び賃金が上昇したため、炭価一二〇〇円引下げが困難な状態となってきた。

政府は、これらの新たな情勢に対処するため、昭和三六年八月、通産省にエネルギー懇談会を設けて、各エネルギー産業について総合的な立場から検討を行わせた。石炭についてなされた中間報告においては、炭価一二〇〇円引下げ計画を達成するため、スクラップ・アンド・ビルド政策を大幅に拡充して、生産能率を昭和三八年度までに28.4トンまで引き上げることなどが要請され、石炭業界はさらなる徹底した合理化が必要であることが確認された。

また、従来よりも更に大規模な非能率炭鉱の整理が必要と考えられたため、昭和三七年四月、合理化法の改正が行われ、従来の石炭鉱業合理化事業団による買上方式に加えて、新たに「石炭鉱山整理促進交付金」(一般閉山交付金)の交付方式が設けられた(三七条)。また、炭鉱整理に必要な長期運転資金を事業団が貸し付ける制度も新設された。

4 合理化政策の転換

(一) 石炭鉱業調査団の答申(昭和三七年)と合理化法の改正(昭和三八年)

(1) 労働組合は、炭価一二〇〇円引下げ計画の実施により、大量の人員整理を余儀なくされ、賃金が停滞しているという状況の中で、昭和三六年になって、三池争議の終焉とともに、従来の合理化反対闘争の方針を変更することとし、政府の石炭政策に再検討を迫る方針を採用し、昭和三七年、政策転換要求闘争を開始し、大規模な示威行動を行った。

そこで、政府は、昭和三七年四月の閣議決定により、内閣総理大臣の特命をもって石炭鉱業調査団を編成することとし、同調査団に対して石炭鉱業の近代化、合理化及び雇用の実態調査を要請し、今後の政策について答申を求め、これを尊重することを決める一方、その答申に基づく措置について政府の決定があるまでは経営者側は新規の人員整理を行わず、労働者側は紛争行為を行わないよう期待するものとした。

昭和三七年五月に発足した石炭鉱業調査団は、各産炭地域の現地調査、石炭労使及び関係業界の意見聴取等を行った後、一〇月に答申大綱を提出した。

この答申(第一次)では、将来の国内炭総需要量につき、昭和四二年度には約三〇〇〇万トンになると予想し、「石炭が重油に対抗できないということは今や決定的である」との基本的判断を下したが、石炭鉱業の崩壊のもたらす社会的・経済的影響等を考慮して、需要確保策を中心とした施策を掲げた。その概要は以下のとおりである。

① 年産五五〇〇万トンの生産規模を維持し、炭価一二〇〇円引下げ計画の遂行を踏襲すること。

② 電力及び鉄鋼業界の石炭引取数量を先の長期引取協定で約束された以上にすることを要請し、その負担増には政府が所要の補償措置をとること。

③ 生産体制確立のためにスクラップ・アンド・ビルドを促進すること。

④ スクラップの遂行についてはそれに見合う雇用計画を策定し、無秩序な整備の行き過ぎから生じる混乱の発生を防ぐこと。

⑤ 離職者対策には一層手厚い施策を講ずること。

⑥ 石炭鉱業の自立安定達成目標年次を昭和三八年度から昭和四二年度に改めること。

(2) これを受けて、政府は、同年一一月に「石炭対策大綱」を決定し、ここにおいて石炭政策は競合エネルギーと価格面で競争することを目指して行われた閉山合理化政策から転じて、石炭が重油に対抗できないということを認めつつ、石炭鉱業の崩壊のもたらす社会的摩擦の回避等に目を向けた政策となった。

昭和三八年七月の合理化法の改正は、このような背景のもとになされたものであり、その概要は以下のとおりである。また同時期に、「石炭鉱業経理規則臨時措置法」が制定された。

① 再就職計画(四条の二)

毎年の合理化実施計画で定められるその年度の閉山や合理化による離職者数に基づき、その再就職の見通しを定めるものであり、労働大臣が定めることとした。

② 請負夫使用の承認制度(五七条の二)

常用労務者を解雇して低賃金で働く請負夫を使用する傾向があるところ、円滑な合理化を促進すべく離職者に手厚い対策を講じている政府の方針に逆行するばかりか、それ自体は構造的な近代化に資するものではないとの見地から、一部の作業について請負夫の使用を規制した。

③ 基準炭価制度の導入(五八条)

エネルギー革命後の石炭鉱業は、炭価のトン当たり一二〇〇円引下げを実現するために大口需要家との長期引取協定に基づいて炭価を決めており、これが平均生産費を下回るものとなっていたため、生産費を基準として定められていた従来の標準単価制度は機能しなくなっていた。そこで、石炭政策の新しい展開に沿って政策的に適当と考えられる石炭価格の基準額を定めることとなった。従来の標準単価が石炭業者が合理化効果を炭価に反映するために自主的に炭価引下げを行う指標として定められたのに対し、基準炭価は、石炭鉱業審議会において、需要業界その他の関係者との話合いにより、取引に当たってよるべき価格として定められた。

④ 再建資金貸付制度

昭和三八年五月になされた石炭鉱業審議会の答申では、合理化により再建の見通しがあるにもかかわらず現在経理内容が特に悪く資金面で行き詰まりを生じているもの(いわゆるボーダーライン炭鉱)について、政府による援助が必要であるとの指摘がなされたところ、これを受けて「再建資金貸付制度」が設けられた。

(3) しかるに、このころ、景気の停滞に伴い石炭の需要確保の困難が表面化し、特に原料炭の価格が著しく値崩れし、貯炭が激増した。大手石炭各社は、昭和三七年一一月の石炭対策大綱の発表以来、労使休戦は解除されたとして、大々的な閉山、人員整理、配置転換、標準作業量転換、賃金引下げ、福利関係諸手当の改正、職場秩序の確立等を打ち出すようになった。

こうした炭鉱整備案の実施により、離山ムードが高まり、昭和三八年においては、離職者として見込み数を遙かに上回る労働者が石炭鉱業の将来を見限って炭鉱を離れた。残存する優良炭鉱においても人員不足の事態に陥り、年間五五〇〇万トンベースの出炭計画に支障を来す状況となり、この傾向は昭和三九年も続いた。

かくして、労働生産性が著しく向上した残存ビルド鉱においても、賃金の引上げ等により出炭コストが増加し、一二〇〇円引下げ計画による炭価の引下げによって赤字を累積することとなった。このため、石炭各社は、非能率炭鉱の大量閉山に伴う多額の閉山費用を償却できず、実質的な赤字となり、資金不足が炭鉱の生産力を阻害する程度にまで達したところもあった。

そこで、目標年度である昭和四二年を待つことなく、政府は再度石炭鉱業調査団を編成して対応策を検討させたところ、昭和三九年末になされた答申(第二次)は、石炭企業の収支の改善を図ることが緊急な課題であるとして、①一般炭三〇〇円、原料炭二〇〇円の値上げを需要者に要請する、②石炭企業の金利負担軽減のため政府が利子補給を行う等を提言し、出炭目標につき当面五二〇〇万トンを確保しなければ今後の需要確保対策に重大な支障を来すとした。この答申による炭価の引上げは需要業界の強い反発にあったが、昭和四〇年までに実施された。

(二) 石炭鉱業審議会の「抜本的安定策」

(1) 石炭鉱業各社は、昭和三八年からの出炭不振、離山ムード、多額の閉山合理化費用の支出等から資金経理面に大きな圧迫を受けており、加えて、昭和四〇年になると、北炭夕張炭鉱、日鉄伊王島炭鉱、山野炭鉱において重大な炭鉱災害が続発し、これについては石炭鉱業の破綻の現れとして当時の石炭政策を疑問とする声が高まった。

かくして、昭和四〇年においては、石炭鉱業は崩壊の危機に直面するほどの状況に立ち至っていた。そこで、政府は、同年六月、石炭鉱業審議会に対して石炭鉱業の抜本的安定対策について諮問した。また、同年八月、産業構造審議会に総合エネルギー調査会を発足させ、総合エネルギー政策の一環として石炭政策をどう位置付けるべきかが検討されることとなった。

この間、日本石炭協会は、通産大臣に対して、スクラップ経費のうち退職金に見合う一〇〇〇億円程度を被告国で負担すること等を内容とする要望を行っていたところ、通産省石炭局はこれに沿った構想を発表するとともに、抜本的対策の検討となる基礎資料となる各企業ごとの長期計画を提出することを命じた。石炭局は個別企業計画につきヒヤリングを行って検討するとともに、技術調査団によって全国の主要炭鉱の生産力が調査され、この作業を通じて出炭規模が定められていった。さらに、政策需要、負担増補償問題についても次第に詰められた。

(2) 昭和四一年七月になされた石炭鉱業審議会の答申の結論は「石炭を維持することは、多額の国民経済的費用を必要とし、必ずしもエネルギー低廉の要請に沿うものではないが、国内最大のエネルギー資源として安定供給に資するところが大きく、国際収支上も有利であり、また、石炭産業は産炭地域における地域社会と密接不可分の関係にあることなどの諸点をも考慮する必要があり、したがって、これらを総合的に判断すれば、今後とも五〇〇〇万トン程度の規模に維持することが妥当である」とするものであった。

答申は、年間五〇〇〇万トンの出炭を基礎として昭和四五年度までの対策の基本骨格を設定し、経営基盤の回復策と需要確保策によって石炭鉱業の経理は昭和四五年度になれば好転し得るとしているところ、その概要は以下のとおりであった。

① 石炭の位置付け

総合エネルギー政策の中において、国内炭の占める位置を年間五〇〇〇万トン程度とする。これに見合う需要の確保については、電力及び鉄鋼業界に対して、引取数量の増加に伴う負担増について合理的な補填措置(増加引取交付金)を講ずることによって長期取引体制を確立する。

② 石炭企業の経営存立基盤の回復

企業の資金経理面において極めて過重な負担となっている約一〇〇〇億円の債務につき財政資金をもって元利補給する(いわゆる第一次肩代わり)。肩代わりによっても解消できない赤字額を補填するため必要に応じ一定額の安定補給金(「石炭鉱業安定補給金」)を交付する等の経理対策を推進する。

③ 安定生産体制の整備

石炭鉱業はこれらの助成策に対応して一層合理化努力を傾注する。被告国においても、合理化・近代化のための炭鉱機械化の促進等ビルド面における助成策の拡充、スクラップに伴う閉山対策の強化等について積極的な施策を講ずる。

④ 雇用の安定

更に安定した労働条件を確保し、近代的な労働環境を作り上げるよう努力する。

⑤ 保安の確保

石炭企業労使が自主保安体制の確立に一層努めるとともに、被告国は保安確保に万全を期するため、必要な助成、指導、監督の体制を充実する。

⑥ 石炭対策特別会計

石炭対策のための財源と支出の内容を他の会計と区別して明確にするため、原重油関税収入を財源とする特別会計を新たに設ける。

(三) 再建整備法の制定

右の答申を受けて、政府は、同年八月の閣議決定において、答申に盛られた具体的諸対策の実施を決定した。このうち、一〇〇〇億円の肩代わり措置を実施することを目的として、昭和四二年七月、再建整備法が制定された。その概要は以下のとおりである(乙A二一七)。

(1) この法律は、急激かつ大規模な合理化が行われたことにより生じた石炭鉱業の過重な負担を軽減する等のために措置を講ずることにより、石炭鉱業の再建整備を図り、将来にわたり国民経済における石炭鉱業の使命を遂行させることを目的とする(一条)。

(2) 財務の状況において欠損が計上されており、掘採可能鉱量が一〇年以上ある石炭企業は、再建整備計画を通産大臣に提出することができ、再建整備計画には、石炭の生産及び販売並びに財務に関する計画と、生産及び経営の合理化並びに資本構成是正のための措置等を記載する(二条及び同法施行規則一条及び二条)。通産大臣は、右計画及び措置が石炭鉱業の再建整備を図るため適切であると認められ、その実施が確実であると認めるときは、石炭鉱業審議会の意見を聞いて、当該再建整備計画が適当である旨の認定をする(三条)。右認定がなされた企業について、政府は、元本の償還及び利子の支払のために元利補給金を交付する旨の契約を締結する(四条)。

(3) 再建整備会社は、通産大臣に対して、その再建整備計画の実施状況を毎年報告する(一四条)。通産大臣は、再建整備会社の業務及び経理の監査をし、必要があるときはそれに関して報告をさせ、又は立入検査をすることができる(一六条)。通産大臣は、再建整備会社がその計画を実施していないと認めるときは確実に実施すべき旨を勧告することができ(一五条)、右勧告に従わないときは元利補給契約を解除できる(九条三項)。

(4) この元利補給金の交付対象となったのは大手一三社、中小一四社であり、同年九月から、被告三井鉱山は約二七〇億円、住友石炭は約一四六億円、北炭は約一〇〇億円の交付を受けた。

(四) 昭和四三年の答申と第四次策

(1) しかるに、昭和四二年一〇月、再建整備法により肩代わりを受けていた大日本炭鉱が閉山を決定し、事実上倒産した。また、昭和四二年度において出炭は計画を大幅に下回り(同年度の出炭は約四七〇〇万トン)、収支計画ではトン当たり二八六円の赤字の予定であったが、五七〇円の赤字となる見通しとなった。ここにおいて、再建整備計画が単なる虚構の計画であったことが露呈され、第三次答申に基づく抜本的対策は実施直後に破綻したかのように見えた。

かくして、石炭再編成論議が沸騰することとなった。石松住友石炭社長及び萩原北炭会長の「全国一社案」、社会党及び炭労の「石炭鉱業国有化案」、植村石炭鉱業審議会会長の「植村構想」等がそれであり、いずれも現行私企業体制を大きく変革しようとする改革案であった。このうち、植村構想は、①石炭業界、関連業界、政府が出資する半官半民の管理会社を特殊法人として設置し、これを石炭再編成の軸とする、②石炭各社は石炭部門の資産を無償提供して「第二会社」を作り、これを管理会社の支配下に置く、③管理会社は逐次閉山を進める縮小過程で全国的な石炭の生産と販売の調整を一元的に行う、④親会社に残された債務処理については提供した固定資産に見合う部分について政府が肩代わりする、等の趣旨のものであった。

(2) 通産大臣は昭和四三年四月に、石炭鉱業審議会に対して石炭新対策の検討を諮問した。各種の業界再編試案が検討され、いったんは植村構想が議論の中核となったが、肩代わりによる担保解除によって親会社が新たな金融を得ることを可能にする部分は他産業に比較して明らかな過保護であるとの議論の前に屈し、同年末になされた答申(第四次)の内容の基本方針は、「石炭企業は今後においては今次の対策でささえられる助成の枠内で最大限事業の再建に向かって努力する反面、与えられる助成によっては事業の維持再建が困難となる場合には勇断をもってその進退を決すべきである。また、閉山、縮小は三六〇〇万トンを目処にできるだけなだらかに行われるよう配慮する」というものであった。

この答申に基づく主要な施策は以下のとおりである。

① 約八五〇億円の再建交付金(いわゆる第二次肩代わり)の交付(再建整備法三条の二及び四条の二)、安定補給金の拡充、合理化事業団の無利子貸付制度の拡充による企業再建の助成を行う。

② 企業ぐるみ閉山の場合の特別措置としての石炭鉱山整理特別交付金(いわゆる特別閉山交付金)制度を創設し、また、従来の一般閉山交付金の炭価を引き上げる。

③ 石炭対策特別会計を昭和四八年度まで延長する。

(五) 第五次策(昭和四七年)

第四次答申の後、なだれ閉山と呼ばれる現象が現出し、企業ぐるみの閉山をする鉱山も現れていたところ、このような状況の中で昭和四七年六月になされた石炭鉱業審議会の答申の基本方針は、石炭鉱業の急激な縮小は多大の社会的混乱を惹起する可能性があることに鑑み、昭和五〇年度における需要規模を二〇〇〇万トンを下らない水準と想定し、このため需要の引上げ及び対策の拡充を行うとのものであった。

その具体的内容は、①約七〇〇億円程度の肩代わり(第三次)の実施及び既存肩代わり債務の肩代わり期間の一部短縮(再建整備法三条の二及び四条の二の改正)、②各種補助金融資率の引上げと運転資金対策、③大口需要業界に対する国内炭の引取要請、④競合エネルギーの価格の推移を基準とした年々の炭価の改訂ルールの確立、⑤業界内需給調査委員会及び石炭鉱業合理化事業団内管理委員会の設置等であった。

二  北炭夕張新鉱と被告国の関与について

証拠(甲一一三二ないし一一三四、乙A一一〇、一一一、一一三ないし一一六のほか、文中に掲記したもの。)によれば、以下の事実が認められる。

1 未開発炭田の開発

通産省は、安定出炭を可能にする新鉱を開発するため、昭和三三年の合理化法改正により、未開発炭田の開発制度を新設し(前記一2(三)(2))、有望未開発炭田の調査を実施していたところ、昭和三八年に合理化法を改正し、通産大臣が指定した地域内の採掘鉱区の採掘権者に対して、開発計画に準拠した事業計画を届け出ることを義務付けるとともに、それに対する変更の指示ができることとした。さらに、昭和四〇年に合理化法を改正して、「新鉱開発資金貸付制度」を創設し、この制度のもとでは、当該開発工事が完成するまでの設備投資総額の内容及び資金調達計画に関する検討を経て、採掘権者は、事業団から、当該貸付対象設備の取得及び設置に必要な資金の一部(当初は五〇パーセント、昭和四四年五月以降は八〇パーセント)を限度として無利子の貸付けを継続的に得ることができ、その償還期間は二〇年とされた。

通産大臣は、未開発の原料炭を豊富に埋蔵するとともに大規模高能率の操業が可能となる条件を備えた地域として、昭和四一年に南大夕張地域、有明海北東区域を指定した。

2 北炭夕張新鉱の開発から閉山まで

北炭は、昭和四〇年に通産省から清水沢南部地域につき新鉱開発の打診を受けていたところ、調査の結果、上記新鉱開発資金を導入して新鉱開発を行うこととし、昭和四三年一二月に具体的な開発事業計画の立案に着手した。

通産省は、昭和四四年三月から合理化事業団等とともに右計画(甲一一三五、一一三七)の内容につき審査検討を行った後、昭和四五年七月に開発区域指定をなし、同年九月、右指定区域の開発計画の告示、坑口開設工事の許可、施業案の認可を行った。右開発事業計画によれば、営業出炭開始時期は昭和四八年一〇月、工事完了は昭和五〇年三月、正常操業に達した後の年間予定生産量一五〇万トン、開発投資額一六〇億円というものであった。北炭は、直ちに掘さく工事に着手したが、工事の難航等のため、二度にわたり事業計画の変更が行われ(昭和四八年一一月及び五〇年六月)、開発投資額は三〇六億円に増加したが、昭和五〇年六月から営業出炭を開始するに至った。

この間、昭和四二年以降、北炭は、第一次肩代わりにおいて一〇〇億円、第二次肩代わりにおいて九七億円、第三次において一四一億円(ただし新鉱開発資金三四億円を含む)の肩代わりを受けており、また、昭和四六年に夕張第二炭鉱、昭和四八年に夕張第一炭鉱、昭和五〇年三月に平和炭鉱を閉山していた。さらに、昭和五〇年一一月、幌内炭鉱において多数の犠牲者を出すガス爆発事故が発生し、同炭鉱の操業は長期間停止せざるを得なくなった。その結果、北炭は、損益・資産の両面において大幅な赤字を累積することとなったため、昭和五一年一〇月、幌内炭鉱の復旧を前提とした再建案を提出し(甲一一三八)、石炭鉱業審議会経営部会専門委員会の検討(甲一一三九、一一四〇)を経て、指摘された問題点について修正を加えた上再度提出したところ、昭和五二年九月、再建整備計画の変更が認定された(甲一一四〇)。

ところが、右計画において日産五〇〇〇トンが予定されていた夕張新炭鉱の出炭は、計画を大きく下回り、昭和五六年度までの再建期間の資金不足は三九〇億円に達する見込みとなった。北炭は再建計画の見直しが必要と判断し、昭和五三年五月、修正再建計画案を通産省に提出したところ、同年七月に認定された(「修正再建計画」、甲一一四五)。その骨子は、借入金の金利減免、支払猶予等金融措置を得るほか、石炭部門は北炭本社から分離し、各炭鉱を独立した会社として営業譲渡を行うとともに、独立した三社については過重な債務等の負担を軽減させるとのものであった。また、石炭鉱業審議会政策部会経理審査小委員会は、右に際して所見等を発表し、石炭をとりまく客観情勢は好転しており他社の再建は順調に進んでいるにもかかわらず北炭のみが幾度となく経営危機に瀕していることについては、経営管理に問題があることはもとより、労使双方に外部依存的傾向が強く、再建への熱意と意欲が欠けるとの所見を示した(甲一一四七)。

しかるに、夕張新鉱については、修正再建計画の認定後も、出炭状況が計画の九〇パーセント程度であったため、北炭夕張社は累積損益ゼロで発足したにもかかわらず、昭和五四年度においては、見込まれた利益を上げられないばかりか約一八億円の累積損失となった。昭和五五年三月、小委員会は、修正再建計画の実施状況についての所見等を示したが、計画を達成できない原因について、自然条件の悪化や人員不足等に帰せられるべきものではなく、経営管理に問題があるとした(乙A一一二)。北炭は、昭和五五年三月に提出した昭和五五年度実施計画において出炭計画を下方修正したが、その後の出炭実績は、右計画をも下回るものであり、昭和五五年七月に開催された小委員会の審査において事情聴取が行われた。翌八月、経営管理の徹底と資金繰りの便宜のため、北炭夕張社の代表取締役が更迭され、北炭の社長が兼務することとなった。

さらに、昭和五五年八月、夕張新鉱において自然発火事故が発生し、骨格展開中であった北部区域も水閉したため、その復旧のために資金調達が必要となった。北炭は、支援方を政府その他関係機関に要請するとともに、昭和五五年一〇月、再建計画案を提出したところ、小委員会における検討(甲一一四九)に続き、「北炭問題専門家グループ」による現地調査(甲一一六七ないし一一七二)が行われ、現場目標の達成の具体策、計画未達時の防御体制、適正人員配置の具体策とその実施状況等について北炭の対応策を聴取の上、これらに基づく修正を経て、昭和五六年三月、再建整備計画の変更が認定された(「新再建計画」、甲一一五〇ないし一一五四、乙A一〇八、一〇九)。その際、小委員会は、追加的支援を与えることに強い疑問を抱くとしながらも、エネルギー情勢、当該炭鉱の石炭資源の有利な賦存条件、閉山の場合の地域経済社会に与える影響を考慮して、労使に対して再度再建の機会を与えることも検討するとの立場から、生産技術面、労務管理面、資金経理面を審査し、種々の改善を行えば経営再建は可能であると判断したとし、政府、金融機関、地元関係者の支援措置を期待するとともに、北炭に対しては、もはやこれ以上の支援はあり得ず、計画未達の場合は企業自らがその存続に関し経営上の責任を明らかにすべきである旨の意見を発表した(乙A一〇七)。

ここに至り、政府は、新再建計画の実施状況及び経営状況を把握し、出炭計画に基づく安定生産体制の確立に寄与することを目的として、昭和五六年四月、資源エネルギー庁石炭部、通産省立地公害局、札幌通商産業局、札幌鉱山保安監督局、新エネルギー総合開発機構(NEDO)本部及び支部の各担当者からなる「北炭問題連絡会議」(通称「北炭ウォッチ機関」)を組織し、北炭から日報、旬報、月報に分類の上詳細な報告を札幌通商産業局に提出させるとともに、毎月一回現地調査を行うこととした(甲一一七五、乙A一一七)。

しかしながら、夕張新鉱は、その後も計画を下回る出炭しか達成できず、同年度上期の損失は計画よりも一一億円増加することとなった。そして、昭和五六年一〇月、多数の犠牲者を出すガス突出事故が発生し、これを復旧する目処が立たず、夕張新鉱は閉山するに至った。

三  検討

1 被告国の直接的加害行為

原告らは、被告国は炭鉱労働によってじん肺が広汎かつ多数発生すること、被告企業においてじん肺を防止する施策が不十分であることを認識しながら、被告企業と共同して労働者の健康よりも石炭増産政策を優先させた結果、原告ら元従業員をじん肺に罹患させたと主張する。

ところで、炭鉱における坑内作業においては、人体に有害な粉じんへの暴露が多かれ少なかれ不可避であるから、じん肺の罹患という損害を引き起こすこととなる直接の違法行為ないし責任原因は、じん肺を防止するのに必要な様々な方策を講じなかったという不作為に求められることとなる。したがって、石炭増産政策及び合理化政策はそれ自体としては直接の加害行為ということはできず、結局、右の原告らの主張は、被告国が一方において一連の石炭政策を遂行しながら他方においてじん肺対策を十分に行わなかったという不作為を取り上げてその違法性を主張するものと解釈するほかはない。

もっとも、我が国における炭鉱労働者数と出炭量の推移は、別表4のとおりであり、被告国の一連の石炭政策に呼応するかのように、出炭量の増加あるいは炭鉱労働者一人当たりの出炭量の向上が認められるところ、右事実は、炭鉱における労働環境に変化をもたらすものであることを否定できないから、被告国が講ずべきじん肺対策に関する作為義務の内容を判断するに当たって考慮すべき一つの要素として検討されるべきこととなる。

2 被告国と石炭企業との一体性

(一) 原告らの主張

原告らは、被告国は、多年にわたる我が国の石炭生産において、その時々に決定し実施してきた石炭政策に基づき、個別の企業を、開業・操業・廃業の全局面において事実上又は法令上の強制力をもって支配し、これを統制していたものであり、被告企業らと密接な協力・共同の下に、場合によっては被告国それ自体の生産活動と評価される関係の下に石炭生産に携わってきたとし、被告国は、被告企業が原告らに対して負担していた具体的安全配慮義務と同内容の義務を負っていたというべきであるとする。

また、被告国の石炭鉱業に関する一連の合理化政策については、合理化法等の「石炭関連諸法による国の石炭鉱業に関する管理、監督の内容は、」「毎年度の石炭の生産数量、生産能率を基本計画に定めこの国全体の計画の範囲内で各石炭会社が生産をなしうるのみならず、新たに開発する炭田の地域指定、開発計画の制定も国がなし、その計画に準拠した内容で各石炭会社が事業計画を届け出なければならない仕組みをとり、また石炭鉱業において最も重要な問題である坑口の開設が国の許可の下に置かれ、違反した場合には鉱業権の取消しをも可能にしているなど、石炭鉱業を運営していくことは、全て国がこと細かに定める施策内容に拘束されていることを意味」し、さらに、石炭鉱業合理化事業団等を通じてなされる各種の「国の資金援助制度とそれの対価としての業務経理面における規制」をなし、また、基準炭価の設定や価格カルテルの指示により「販売価格までもが国によって決められること」になっていることからすれば、「建前として私企業体制をとってはいるものの、石炭鉱業の企業主体はむしろ『国』であるというのが実態なのである」と主張し、さらに、原告らは、北炭夕張新鉱の開発過程について、北炭グループに対する「国の地位や関与・干渉は、質量ともに、一私企業における本社と支社の関係あるいは管理部門と現業部門の関係に比肩するものであ」ると主張する。

(二) 検討

前記一で認定した合理化法及び再建整備法等とそれらの背景となる累次の石炭政策を概観すれば、合理化法が機能を発揮し始めた昭和三四年以降における石炭政策は、石炭鉱業が、エネルギー源あるいは重要産業の生産材であるのみならず多くの雇用を抱える点でも国民経済において重要な地位を占めるにもかかわらず、景気変動や競合材の価格低下に対し十分弾力的な対応を行うことができない生産構造であることに鑑み、関連業界の協力のもとに安定的な需要を創出するとともに、それに見合う供給量と価格を維持するため、巨額の国家資金を石炭鉱業に投入し、業界全体に一定の統制を加えながら一定の範囲において私企業の継続的な経営を可能にすることをその本質とするものである。

そして、合理化法は、右の目的を実現するため、通産大臣等に様々な責務と権限を与えているところ、その内容につき、第三次石炭政策が実施されていた昭和四二年当時のものを列挙すれば、①通産大臣は、石炭鉱業審議会の意見を聞いて、石炭鉱業合理化基本計画及び同実施計画を定め、石炭の生産数量、生産能率、生産費、近代化及び整備(閉山)に関する事項等を定めなければならないこと(三条、四条)、②労働大臣は、整備計画の実施に伴い離職を余儀なくされる労働者の再就職に関する計画を定めなければならないこと(四条の二)、③通産大臣は、鉱業権者等がする坑口の開設及び使用につき、許可基準に適合すると認めなければ許可してはならず、許可なき開設及び使用については罰則及び鉱業権の取消をもって臨むことができること(五四条ないし五六条)、また、請負夫の使用については合理化基本計画の実施に支障がないか等を審査した上で承認すべきこととされ、右違反については罰則の適用があること(五七条の二)、④通産大臣は、石炭鉱業審議会の意見を聞いて、基準炭価を定めて告示し、現実の販売価格が基準価格と乖離した場合には一定の要件のもとで販売価格の引下げ又は引上げの勧告をすることができること(五九条なしい六一条)、⑤需給の不均衡が生じ、販売価格が基準価格を下回った場合には石炭の生産数量の制限にかかる共同行為及びこれに加えて販売価格にかかる共同行為を実施すべきことを指示することができること(六二条及び六三条)、⑥実施計画の定める石炭鉱業の合理化実施のための工事に必要な資金の確保に努め(六条)、事業団を通じた各種金融措置を行うこと(二五条)、⑦通産大臣は、採掘権者等に対して、業務又は経理の改善に関する報告を求め、また勧告をすることができること(七八条、七九条)、また、事業場等に立ち入り、帳簿書類その他の物件を検査すること(八〇条)等がある。

さらに、再建整備法に基づき、通産大臣が有していた責務ないし権限は、前記一4(三)記載のとおりである。

以上のとおり、被告国は、その石炭政策の遂行に当たり、合理化法等に基づき、石炭企業の生産、販売、財務等の面において極めて詳細な情報を得ることのできる権限を有していたばかりか、生産量及び販売価格の指標を定める権限を有し、これらを通じて、国内炭全体の生産数量及び生産能率等の計画、その割当て、スクラップすべき炭鉱の選別、標準価格ないし基準価格の形成、石炭鉱業合理化事業団等を通じた各種資金調達についての便宜提供等を行うため、石炭鉱業各社を通じて極めて詳細な情報を収集し、分析し、生産計画について修正を加える等してきたものである。

しかしながら、合理化法あるいは再建整備法は、石炭企業の合理化あるいはその再建整備を目的とするものであって、それ自体として、石炭鉱山の保安に関する規制をほとんど有しておらず、また、石炭企業が雇用する労働者の労働衛生環境について特段の規制も有しないのであって(なお、再建整備法は、第二次肩代わりを実施するに当たり、昭和四四年に改正され、再建整備計画に保安の確保のための措置に関する事項を記載しこれについても審査が行われることとなったが(三条の二)、右保安の内容として粉じん防止措置等についての具体的言及をすべきことを定める規律があったことはうかがわれない。)、保安の点に関しては、後述のとおり、鉱山保安法及び労基法又は労安法、じん肺法等により規律されていたものである。そうすると、被告国が、石炭企業について、合理化法等に基づいて他産業に比較して強い関与を行い得る立場にあったにせよ、それは企業活動のあらゆる面に及ぶものではないものであって、原告らが主張するように、被告国と石炭企業とが一体性を有し、被告国は、石炭企業が雇用契約に基づき雇用している労働者に対して負うべき安全配慮義務と同一の義務を負うとか、あるいは、石炭企業が負う安全配慮義務の内容と同一の規制をすべく省令立法をすべきであるとか、右義務と同一の監督をすべきであるという意味において、被告国と石炭鉱業各社との間の実質的な同一性を肯定することは、到底困難であるというほかはない。

もっとも、合理化法等に基づく一連の施策の内容は、個々の炭鉱企業の経営の基本的枠組みを左右しかねないものであるから、各炭鉱における労働環境に間接的に影響を及ぼすことは否定できない。そして、この点は、前記1と同様に、被告国が講ずべきじん肺対策に関する作為義務の内容を判断するに当たって考慮すべき要素の一つとして検討されるべきこととなる。

第六  被告国の規制監督権限の不行使に基づく責任

一  国賠法上の違法性と作為義務の存否

1 公務員の権限不行使と国賠法上の違法性

国賠法一条一項は、国の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに国が賠償する責任を負うことを規定したものであると解されるところ、公務員の権限の不行使が同項の適用上違法となるかどうかは、当該公務員が当該国民に対して負担する職務上の作為義務に違背したかどうかにより決せられる。そこで、まず、右作為義務の根拠と内容について検討する。

2 法令に基づく作為義務

原告らは、被告国の「じん肺防止義務」の根拠として、鉱山保安法、労基法、労安法、けい肺等特別保護法及びじん肺法等を指摘し、これらのいずれの法律も、労働者の生命・健康の保護を法の直接の目的としたものであり、企業にそれを実現するための義務を課すると同時に、被告国に対しては強力な監督権限を付与し、労働基準監督署や鉱山保安監督署等を設置したものであるから、被告国に対し、じん肺発生の危険が存在するときは、各法律に定められた省令等の立法権限(以下「規制権限」という。)及び法令の遵守に関する監督権限(以下「監督権限」という。)を適切に行使すべきことを義務付けたものであると主張する。

そこで、まず、右各法律の目的、各法律により規制対象者に課せられた義務の内容及び被告国の規制・監督権限の内容等について検討する。

(一) 各法律の概要

(1) 鉱山保安法

鉱山保安法は、鉱山労働者に対する危害を防止するとともに鉱害を防止し、鉱物資源の合理的開発を図ることを目的とし(同法一条)、鉱業の実施主体である鉱業権者に対し、同法三条に定める「保安」につき、各種措置を講じるべき義務を課し(同法四条)、鉱山労働者に対する保安教育を実施すべきことを定め(同法六条)、他方、鉱山労働者に対しては保安のための必要な事項を遵守すべき義務(同法五条)を課している。

じん肺の防止との関係では、鉱業権者は、粉じんの処理に伴う危害の防止及び通気の確保について、必要な措置を講じなければならないとされている(同法四条二号及び四号)。

他方、同法は、保安を確保するための制度として、鉱業権者に対して各鉱山ごとに保安統括者を頂点とする保安管理機構の設置を義務付けるとともに(同法一二条の二、一五条、一六条)、保安統括者から鉱山労働者に至るまでの指揮命令系統及び職責の分担を規定し、保安統括者は、保安に関する事項を管理し、保安技術管理者は、保安統括者を補佐して、保安に関する技術的事項を管理し、副保安技術管理者は、保安技術管理者を補佐し、係員は、保安統括者、保安技術管理者及び副保安技術管理者の指揮を受け、保安に関する技術的事項を分掌することとされ、鉱山労働者は、保安統括者、保安技術管理者、副保安技術管理者及び係員の指示に従わなければならないこととしている(同法一四条、一七条)。また、右の保安統括者を頂点とする指揮命令系統とは別に、その監査機関として保安監督員及び保安監督員補佐員制度を設け、保安監督員は、保安統括者、保安技術管理者、副保安技術管理者及び係員等の保安技術職員の行う保安の実施状況を調査し、保安のため必要な事項を勧告することとされている(同法一五条)。

さらに、同法は、鉱業権者に保安委員会の設置を義務付け、保安委員会においては、保安に関する重要事項を調査審議し、保安統括者の保安に関する職務の執行に協力し、勧告を行わせることとし、保安委員会の委員の半数は鉱山労働者の過半数の推薦によって選任しなければならないとしている(同法一九条ないし二一条)。なお、保安委員会は、月一回以上開催することとされている(炭則五二条)。

これらに加えて、鉱業権者は、保安規程を定めることが義務付けられており、保安規程は各鉱山における保安の細目を定めて保安法規を補完すべきものとされ、その作成、変更に当たっては鉱山労働者も参画する保安委員会に付議すべきこととされている(同法一〇条)。

他方、同法は、同法四条によって鉱業権者が講ずべき措置等の具体的内容については省令で定めることとし(同法三〇条)、石炭鉱山については炭則が定められている。

鉱山保安法は、同法を施行するための組織として、中央機関として鉱山保安主管局を、地方支分部局として鉱山保安監督局又は鉱山保安監督部を置くこととし(同法三二条)、これらの組織に鉱務監督官を置く旨定めている(同法三四条)。

鉱山保安監督局長又は部長は、保安規程の設定と変更を認可する権限を有し、右認可は保安規程の効力発生要件とされ(同法一〇条四項)、保安のために必要があれば保安統括者等の解任を命じることができるとされる(同法一三条)。また、保安に関して鉱業権者から必要な報告をさせることができ(同法二八条)、鉱務監督官は保安の監督上必要があるときは立入り等の方法で調査することができる(同法三五条)。

さらに、鉱山保安監督局長又は部長は、鉱業権者が同法又は同法に基づく省令に違反している場合にはこれに対し施設の使用停止、改造、修理、移転、鉱業方法などの指定など保安に必要な措置を命じることができる(同法二五条、罰則は同法五五条)。また、鉱業の実施により危害を生ずるおそれがあると認めるとき等は、鉱業の停止を命ずることができるとされる(同法二四条、二四条の二、五五条)。また、鉱業権者の法令違反については罰則(同法五五条ないし五八条)の規定がある。

(2) 労基法

労基法は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たす労働条件の最低基準を定めるものであり(同法一条)、労働条件は労働者と使用者とが対等の立場で決定すべきものとしつつ(同法二条)、同法の定める基準に達しない労働条件を定める労働契約はその部分について無効とされる(同法一三条)。

労安法施行以前の労基法は、第五章において「安全及び衛生」について規定していたところ、使用者は、粉じんによる危害を防止するために必要な措置を講じなければならないとし(旧四二条)、危険な作業を必要とする機械及び器具は必要な規格又は安全装置を具備しなければ譲渡し、貸与し、又は設置してはならないとし(旧四六条)、雇入れ時の安全衛生教育をすべきこととし(旧五〇条)、労働のため病勢が増悪するおそれのある疾病にかかった者については就業を禁止しなければならないとし(旧五一条)、一定の事業については雇入れ時及び定期に医師による健康診断を実施すべきこととし(旧五二条)、一定の事業については安全管理者又は衛生管理者を選任しなければならない(旧五三条)とされていた。

他方、右の各措置について具体的な基準は労働省令によって定めることとされ(旧四五条等)、旧労安則、労働衛生保護具検定規則等が定められた。

他方、同法を施行するための組織として、労働に関する主務省に労働基準主管局を、各都道府県に都道府県労働基準局を、各都道府県管内に労働基準監督署を置くこととし(同法九七条一項)、これらの組織に労働基準監督官を置く旨定めている(同法九九条一項)。労働基準監督官は、事業所等に臨検して帳簿及び書類の提出を求め、尋問を行う権限を有するほか、安全及び衛生に関し定められた基準に違反する場合においては、使用者に対してその全部又は一部の使用の停止、変更その他必要な事項を命じる権限を有していた(旧五五条、旧一〇三条)。また、使用者の法令違反について罰則の規定があった(第一三章)。

もっとも、旧五五条を含む労基法五章「安全及び衛生」の規定は、同法五五条の二により、鉱山保安法二条に規定する鉱山における保安(衛生に関する通気を含む。)については、適用されないこととされていた。

(3) 労安法

労安法は、労基法と相まって、労働災害の防止のための危害防止基準の確立、責任体制の明確化及び自主的活動の促進の措置を講ずる等その防止に関する総合的計画的な対策を推進することにより、職場における労働者の安全と健康を確保すること等を目的としており(同法一条)、事業者は、単に労安法で定める労働災害の防止のための最低基準を遵守するだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならないとされ、また、被告国が実施する労働災害の防止に関する施策に協力するようにしなければならないとされている(同法三条)。

労安法は、「労働者の危険又は健康障害を防止するための措置」について規定するところ、事業者に対しては、粉じんによる健康障害を防止するために必要な措置をとらなければならないとし(同法二二条)、換気につき必要な措置を講じなければならないとし(同法二三条)、雇入れ時のみならず危険又は有害な業務に就かせるとき等にも安全衛生教育をすべきこととし(同法五九条)、有害な業務を行う屋内作業場等では必要な作業環境測定を行う義務を課し(同法六五条)、労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めることとし(同法六五条の三)、潜水業務その他の健康障害を生ずるおそれのある業務で労働省令で定めるものに従事する労働者の作業時間については労働省令で定める作業時間に従うべきこととし(同法六五条の四)、医師による健康診断を行い、健康診断の結果労働者の健康を保持するため必要があると認めるときは作業の転換、労働時間の短縮等の措置をとるべきこととし(同法六六条)、離職の際に健康管理手帳を交付すべきこととし(同法六七条)、伝染の疾病その他の疾病で労働省令で定めるものにかかった者については就業を禁止しなければならないとし(同法六八条)、健康教育等労働者の健康保持増進を図るため必要な措置を講ずるように努めることとしている(同法六九条)。

また、これらを含む各種の安全衛生管理業務について、総括安全衛生管理者を頂点とした安全衛生管理体制を組織すべきことを定めている(同法第三章)。

他方、右の各措置について具体的な基準は労働省令によって定めることとされ(同法二七条等)、労働安全衛生規則等が定められている。また、同法の事務は、労働基準監督署長及び労働基準監督官が司ることとされ(同法九〇条)、労働基準監督官は、立入り・質問を行う権限を有し、都道府県労働基準局長及び労働基準監督署長は、安全及び衛生に関し定められた基準に違反する場合においては、作業の全部又は一部の停止等の必要な事項を命じる権限を有している(同法九一条、九八条。なお労働基準監督官につき同法九八条三項)。また、産業安全専門官及び労働衛生専門官を労働省、都道府県労働基準監督局及び労働基準監督署に置き、特に専門的知識を有する事務等を司ることとされている(同法九三条)。さらに、事業者の法律違反について罰則の規定がある(第一二章)。

もっとも、労安法の各規定は、同法第二章(労働災害防止計画)の規定を除き、鉱山保安法二条に規定する鉱山における保安については、適用されない(同法一一五条)。

(4) けい肺等特別保護法、旧じん肺法及び改正じん肺法

けい肺等特別保護法は、けい肺にかかった労働者の病勢の悪化の防止を図るとともに、けい肺等にかかった労働者に対して療養給付、休業給付等を行い、もって労働者の生活の安定と福祉の増進に寄与することを目的とする(同法一条)。同法により、使用者は、労働者に対してけい肺健康診断を行うことを義務付けられる(同法三条)。他方、都道府県労働基準局長は、その結果を基礎としてけい肺の症状の区分を決定し(同法五条)、一定の要件に該当する労働者につき、使用者に対して、当該労働者を粉じん作業以外の作業に就かせることを勧告することができ(同法八条)、これによって作業転換した労働者に対しては政府が転換給付を支給することとされた(同法一〇条)。また、政府は、けい肺にかかった労働者であって、労基法等の打切補償を受けた者等に対し、更に二年間の療養給付ないし休業給付を支給することとされ(同法一一条及び一二条)、右給付に必要な費用の二分の一を国庫が負担し、その余については事業主から負担金を徴収することとされた(同法第四章)。

他方、政府は、使用者の行うけい肺健康診断等について援助を行うように努めるとともに、けい肺にかかった労働者のために適当な就労のための施設を設ける等によって労働者の生活の安定を図るように努めなければならないとされた(同法三八条)。労働基準監督官はけい肺健康診断等に関して必要な限度で立入り・質問等を行う権限を有し(同法四八条)、法律の違反について罰則が定められていた(同法第八章)。

旧じん肺法は、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより、労働者の健康の保持その他福祉の増進に寄与することを目的とする(同法一条)。同法により、使用者は、じん肺の予防に関し、粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるように努めなければならないとされ(同法五条)、常時粉じん作業に従事する労働者に対してはじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならないとされている(同法六条)。また、使用者は、就業時、定期、定期外にじん肺健康診断を行うことを義務付けられる(七条ないし九条)。他方、都道府県労働基準局長は、その結果を基礎としてけい肺の症状の区分を決定し(同法一三条)、健康管理の区分が管理三である労働者については使用者に対して当該労働者を粉じん作業以外の作業に就かせることを勧告することができ(同法二一条)、使用者は、これによって作業転換したときは転換手当を支払うこととされた(同法二二条)。他方、健康管理の区分が管理四と決定された者は療養を要するものとし(同法二三条)、労災保険法の改正とあいまって、長期の療養及び休業給付が支給されることとなった。

他方、政府は、使用者に対して、粉じんの測定、粉じんの発散の抑制、じん肺健康診断その他じん肺に関する予防及び健康管理に関し、必要な技術援助を行うように努め、必要な施設の整備を図らなければならないとされ(同法三二条)、必要な技術的援助を行わせるため、非常勤の粉じん対策指導委員を置くことができるとされた(同法三三条)。

同法の施行に関する事務は労働基準監督署長及び労働基準監督官が司ることとされ、労働基準監督官は立入り・質問等をし、また報告を徴する権限を有するとされ(同法四二条、四四条)、法律の違反について罰則が定められていた(第六章)。

なお、改正じん肺法では、事業者は、じん肺健康診断の結果、労働者の健康を保持するため必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業上適切な措置を講ずるように努めるとともに、適切な保健指導を受けることができるための配慮をするように努めなければならないとし(同法二〇条の二)、管理二又は管理三イである労働者について、粉じんにさらされる程度を低減させるため就業場所の変更、粉じん作業に従事する作業時間の短縮その他の適切な措置を講ずるように努めなければならないとし(同法二〇条の三)、また、作業転換についての規律は、管理三イの労働者について都道府県労働基準局長は作業転換の勧奨を行うことができ、その場合は事業者が作業転換の努力義務を負うこと、管理三ロの労働者については常に事業者は作業転換の努力義務を負い、都道府県労働基準局長の指示があった場合には、事業者は作業転換の法的義務を負うこととされた(同法二一条)。

(二)  各法律上の規制監督権限行使の作為義務

以上を前提に、右各法律上の規制監督権限の行使に関する被告国の作為義務の有無について検討する。

(1)  規制権限について

鉱山保安法、労安法制定以前の労基法及び労安法は、いずれも鉱業権者あるいは使用者に対して一定の義務を課しているが、その義務の内容については、粉じんによる健康被害を防止するのに「必要な措置」をとるべき義務があるとするにとどまるなど、抽象的に規定するにとどまり、義務の具体的内容は省令に委任して定めることとしている。このような一般的な委任がなされた趣旨は、各法律の目的を実現するための具体的な基準の定立については、技術的な専門性が要求されること、技術の進歩等による状況の変化に迅速に対応する必要性があること等に求められると考えられる。

そうすると、右各法律により通産大臣ないし労働大臣に与えられた省令立法による規制権限の行使は、その裁量に委ねられており、かつ、規制権限の行使に当たっていかなる内容の省令を定めるかについても、各大臣の裁量に委ねられていると解するほかはなく、個々の労働者に対する関係で、特定の内容の省令を制定・変更・廃止すべき法律上の義務を一般的に負っていると解することはできない。

もっとも、いずれの法律も、労働者の生命・身体に対する危害を防止することをその目的の一つとしていることは明らかであり、鉱山保安法に基づく省令の定める基準が鉱業権者により遵守されることによって鉱山労働者の労働環境が改善される関係にあることは否定できないし、また、労基法に基づく省令の基準は、使用者と労働者との労働契約の内容となるとされている。このような規制権限の行使の労働者に対する間接的な影響力の存在が法律上予定されていることに鑑みれば、行政庁に規制権限行使の裁量があるが故にその権限の不行使はいかなる場合にも国賠法上違法とならないとまで断ずることは相当ではなく、不行使が問題とされた当該具体的事情のもとにおいて、一定内容の規制権限を行使しないことが、法律が規制権限を行政庁に授権した趣旨を全く没却する事態を招来するといえるような場合には、当該規制権限の不行使は、著しく合理性を欠き、裁量の範囲を逸脱するものとして、違法であると評価される余地があるといわなければならない。

しかるところ、いかなる場合に当該規制権限の不行使が著しく不合理なものとして違法と評価すべきかの要件については、これを一般的に定立することは事柄の性質上困難であるが、各法律の目的を実現するために被告国が現実に行使した規制内容と諸施策の内容を吟味した上、被害法益の重大性と切迫性、法益侵害の予見可能性、権限の行使による結果の発生の回避可能性、権限の行使の社会的な期待可能性等の諸要素を総合して、著しく合理性を欠くかどうかの判断がなされるべきと解される。

(2)  監督権限について

前記(一)で認定したところによれば、鉱山保安法、労基法及び労安法上の監督機関による監督権限の行使は、省令で定めた各種の基準の遵守を鉱業権者ないし事業者に義務付けた上、その実効性を事業者に対する罰則や行政監督により確保するという趣旨のものであると解され、被告国が監督権限の行使につき個々の労働者に対して法的作為義務を負担しているとまで認められるような規定は存在しない。むしろ、鉱山保安法は、鉱業権者に対して保安管理機構や保安委員会等を整備せしめ、それを通じて鉱山における保安を確保しようとする枠組みを基本として掲げており、鉱業権者のもとにおける保安に関する各種規範の遵守が第一次的なものとされ、被告国の監督はその補充的なものと位置付けられていると解することができる。また、労安法が、事業者責任の明確化と事業所における安全衛生管理組織の確立を目的とした各種規定を設けていることも同趣旨に出たものと解される。

したがって、鉱業権者ないし事業者が、鉱山保安法、労基法及び労安法上の義務の履行を怠り、特定の労働者に損害が発生していることを担当の監督機関が知りながら何らの対策をとらなかったことがあったとしても、それ自体のみをもって、当該不作為が当該労働者との関係で直ちに違法となるということは困難であるから、その意味において、監督権限の行使は監督機関の裁量のもとにあるというべきである。

他方、けい肺等特別保護法及びじん肺法は、前記各法律に比較して、より明確に、けい肺ないしじん肺についてその病勢の悪化の防止ないし適正な予防等を目的とするものであり、使用者が粉じん作業従事者に対して健康診断を実施することを義務付け、その結果に応じて作業転換等を推進することを予定している。このうち、健康診断については、使用者による実施を被告国が罰則や行政監督により確保するという枠組みをとっており、その構造は労基法等と異なるところはなく、また、作業転換については、都道府県労働基準局長がその勧告等を行うこととされ、監督機関のより強い関与が予定されているものの、右の勧告等を行うかどうかは、条文上、都道府県労働基準局長に裁量があるものとされており、その実施は、珪肺対策審議会の答申中において「労使の十分な了解によって円滑に実行せられるよう配慮すること」が求められていたことも考慮すれば、右監督機関が、作業転換の勧告を行うことにつき、個々の労働者に対する関係で一般的な法的義務を負っているとまで評価することはできない。

なお、じん肺法においては、「政府は、使用者に対して、粉じんの測定、粉じんの発散の抑制、じん肺健康診断その他じん肺に関する予防及び健康管理に関し、必要な技術援助を行うように努めなければならない」旨の規定(同法三二条)が設けられており、鉱山保安法等に比較して、被告国がなすべき対策をより詳細に指示するものとなっている。しかしながら、右規定においても技術的援助の対象は使用者であり、また、その文言上、努力義務を定める規定にとどまっていることからすれば、この規定をもってしても、被告国の労働者に対する直接の作為義務を一般的に導き出すことは困難というほかはない。

以上のとおり、いずれの法律においても、その監督権限の行使は、当該監督機関の裁量にかかるものということができる。

しかしながら、監督権限の行使は、時々における鉱山保安及び労働安全衛生の重点的な課題や監督機関の能力の範囲を勘案しながらも、法が目的とするところの労働者の生命・身体に対する危害の防止(けい肺・じん肺の防止)を実現するため、適切に行使されるべきものであることはいうまでもない。また、鉱山保安法では、通産大臣等に鉱業の停止を命じる権限までが与えられており、鉱山における保安の実現について極めて強い関与が可能とされている。

そうすると、監督権限行使の裁量があるが故にその権限の不行使はいかなる場合にも国賠法上違法とならないということはできず、不行使が問題とされた当該具体的事情のもとにおいて、一定内容の監督権限を行使しないことが法律及びその委任により定められた省令その他の下位規範の目的や内容に照らし著しく合理性を欠く場合は、裁量の範囲を逸脱し、違法であると評価される余地があるといわなければならない。

しかるところ、いかなる場合に当該監督権限の不行使が著しく不合理なものとして違法と評価すべきかの要件については、これを一般的に定立することは事柄の性質上困難であるが、当該監督権限の不行使が問題となった具体的な事情と、法令に基づいて被告国が現実に行使してきた監督の内容とを吟味した上、被害法益の重大性と切迫性、法益侵害の予見可能性、権限の行使による結果の発生の回避可能性、権限の行使の社会的な期待可能性等の諸要素を総合して、著しく合理性を欠くかどうかの判断がなされるべきと解される。

3 先行行為に基づく作為義務

原告らは、被告国が石炭の増産政策を遂行してきたことを、被告国のじん肺防止につき規制監督権限に関する作為義務違反を基礎付ける先行行為と評価すべきであると主張する。

この点、被告国が私企業を対象として行う産業政策は、一般に、国民経済全体の観点から実施され、当該産業に従事する労働者を直接の名宛人とするものではないから、被告国の行う当該産業政策と労働者との関係は、間接的なものにとどまると言わざるを得ない。したがって、当該産業政策の遂行が先行行為となって、信義則上、国民に対する作為義務が当然に生じるということは通常あり得ないというほかはない。

しかしながら、ある産業において、その労働環境の特殊性ゆえに当該産業に従事する労働者に一定の危険が内在し、生産量の増大又は生産性の向上を図ることが当該産業に従事する労働者の生命や健康にさらなる危害をもたらす可能性が高度に認められる場合、被告国において当該産業の生産量又は生産性の向上を目的とする一定の産業政策を実施するに当たっては、当該産業に従事する労働者の安全確保について一定の配慮をもった政策を併せて実施することが好ましいことは自明である。この観点からは、当該産業政策の存在は、前記の被告国のじん肺防止に関する規制監督権限の不行使が違法となるかどうかの判断において、その一要素として考慮に入れなければならない。もっとも、規制監督権限の行使の裁量性に鑑みると、右を超えて、当該産業政策の遂行が先行行為となって、信義則上当然に国民に対する作為義務が生じると断ずることはできない。

4 そこで、以上のとおりの観点から、①まず、じん肺防止に関し鉱山保安法等に基づき被告国がなした規制権限の行使及び監督権限の行使一般について検討し、②次に、炭鉱企業に対する指導監督等の具体的内容(原告らの主張態様に鑑み、北炭に対するものを取り上げる。)について検討し、被告国の規制監督権限不行使の違法性の有無を判断することとする。

二  規制監督権限の行使について

1 粉じん防止対策に関する炭則等の実体規定の推移等

証拠(乙A五三、五六、八一、証人松浦、証人松尾のほか、文中指摘のもの)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 戦前

昭和四年、鉱業警察規則が改正され(乙A五四)、「著しく粉塵を飛散する坑内作業を為す場合に於ては注水其の他粉塵防止の施設を為すべし。但し已むを得ざる場合に於いて適当なる防塵具を備へ鉱夫をして之を使用せしむるときは此の限に在らず」と規定された(六三条)。右条項において、さく岩機の湿式化についての明示はないものの、せん孔時における湿式さく岩機の使用も一つの選択肢として念頭におかれていた。また、防じんマスクが右の防じん具に該当すると解釈されていた(甲二五)。

(二) 炭則

(1) 昭和二四年八月に制定された当初の炭則のうち、粉じん防止等に関係を有する条項の概要は以下のとおりであった。

① 粉じんの防止につき、「衝撃式さく機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならない。ただし、防じんマスクを備えたときは、この限りでない。」と規定された(二八四条)。ここに粉じん防止装置とは、湿式さく岩機及び乾式さく岩機における集じん装置を意味すると解されていた(乙X二八の2)。

② 炭じんの抑止に関しては、可燃性ガスの含有率又は爆発性の炭じんの発生量等に基づく危険性の度合いにより、甲種炭坑と乙種炭坑とに分類し(炭則五条二項)、甲種炭坑に適用すべき「第四章炭じんおよび岩粉法」とする章を設けた。

第四章においては、炭じん集積の防止(一三九条)、石炭運搬中の炭じんの散逸、飛散の防止措置(一四〇条)を義務付け、作業中多量の炭じんが飛散する場所又は箇所(炭じんを発生する採炭機械を使用する場合、炭層発破の前後、炭じんが発生しやすい採炭作業場、石炭の積込口及び積換場、坑内貯炭場及び臨時に坑内に集積した石炭の全面、鉱車に積込みの直前若しくは直後における石炭の全面又は適当な箇所における鉱車内の石炭の全面)においては、炭じん鎮静化のための散水の措置を義務付け(一四一条)、散水の水量を定めた(一四五条)。また、坑道その他炭じんが飛来集積する箇所においては、岩粉散布をし又は散水しなければならないとした(一四二条)。

③ 発破退避に関しては、係員が危険区域への立入りを規制すべきこと、爆薬装填箇所と点火箇所との間の退避距離を一五メートルないし三〇メートルとるべきこと、発破後、係員は発破した箇所の可燃性ガス及び炭じんその他の危険の有無を検査することとし、危険又はそのおそれが多いときは労働者の立入禁止の処置をとるべきことを定めた(炭則一八八、一八九、一九二)。

④ 通気に関しては、坑内作業場における通気量は、鉱山労働者の数、可燃性ガス等の発生量、自然発火の可能性、気温、湿度等に基づいて決定するとともに、可燃性ガス又は有害ガス及び発破の煙を薄めて運び去るために必要な速度と量にすることを義務付けた(炭則九〇条)。また、保安のために必要な分量の空気を坑内作業場に給送するため、通気施設をしなければならないとし(炭則九三条)、入気坑及び排気坑を別に設けること、主要扇風機、局部扇風機、張出・風管通気、通気の独立分流、甲種炭坑における通気量の測定義務等に関する規定を置いた(炭則九五、九六、一〇三、一〇六、一一二、一一六条)。さらに、保安規程に通気に関する細目として通気坑道の管理に関する事項を定めることを義務付けた。

(2) 昭和二五年八月の改正

粉じん防止に関して、従来の炭則二八四条の規定に加え、通産大臣が区域を指定し(昭和二八年四月の改正により右区域は「けい酸質区域」と呼称されることとなった。以下、「けい酸質区域」という。)、この区域に対しては、①せん孔するときは、せん孔前に岩盤等に散水すること、衝撃式さく岩機を使用するときは、湿式型とし、適当に給水をすること(炭則二八四条の二)、②発破する場合、発破後、発破係員は適当に粉じんが薄められた後でなければ発破箇所に近寄らず、かつ他の者を近寄らせてはならないこと(炭則二八四条の三)を定めた(乙X二八の2)。

(3) 昭和二八年四月の改正

粉じん防止に関しては、けい酸質区域において、湿式型の衝撃式さく岩機を使用するときの給水について、従来「適当に給水」とされていたのを「必要な給水」をすべきこととした(炭則二八四条の二)。他方、けい酸質区域において、ゆう水等によりせん孔面が湿潤しているとき、又は機械、器具若しくは装置で湿式型の衝撃式さく岩機と同等以上の効果があるものを使用するときであって、鉱山保安監督部長(以下「監督部長」という。)の許可を受けた場合については、せん孔前の岩盤等への散水や湿式型の衝撃式さく岩機の使用を緩和する規定を追加した(炭則二八四条の二)。

右の「湿式さく岩機と同等以上の効果があるもの」として認可された集じん装置としては、足尾式一一番型さく岩機用収じん機、ケーニヒスボン型さく岩機用収じん機、宝式さく岩機用収じん機、ピオニアーさく岩機用ラサ式排風装置、集塵装置株式会社製DC―1型さく岩機用集じん機があった(甲六三、乙X三五の3)。

炭じんに関しては、炭則一三九条及び一四〇条を乙種炭坑にも適用することとした(一三六条二項)。また、炭じん飛散防止措置に関する一四一条につき、従来「炭じんを鎮静させるため散水しなければならない」としていたのを、「爆発性の炭じんを沈静するため散水、炭壁注水等適当な措置を講じなければならない」と改正した。

さらに、発破退避に関し、発破後は発破による有害ガスが除去された後でなければ発破した箇所に近寄ってはならないとの規定が追加された(一九二条の二)。

(4) 昭和二九年一月の改正

けい酸質区域において湿式型の衝撃式さく岩機を使用するときの給水について、「必要な給水」とされていたのを「飛散する粉じんの量を別に告示する限度まで減少させるため必要な給水をしなければならない。」と改正した(炭則二八四条の二)。右の告示については、炭則の附則七項において、「湿式型の衝撃式さく岩機にする必要な給水については、これらの規定に基く告示のある日まで、なお従前の例によるものとする。」とされた。

右告示につき、通産省は、飛散する粉じんの量の限度と湿式型の衝撃式さく岩機への給水について告示案を作成し、昭和二九年七月、中央鉱山保安協議会に諮ったが、合意が得られず、その後も右に関する告示自体はなされないまま推移した。

また、防じんマスクにつき、日本工業規格に適合するものを使用することを明示した(炭則二八四条)。

(5) 昭和三〇年一〇月の改正

けい肺等特別保護法が施行されたことに伴い、炭則が改正された。

① 粉じん防止装置を必要とする場合について、従来、「衝撃式さく岩機によりせん孔するときは、粉じん防止装置を備えなければならない。」と定められていたのを「岩石の掘進、運搬、破砕等を行う坑内作業場において、岩石の掘進、運搬、破砕等によりいちじるしく粉じんを飛散するときは、粉じんの飛散を防止するため、粉じん防止装置の設置、散水等適当な措置を講じなければならない。」と改正し、規制の範囲を拡大した(炭則二八四条)。

② けい酸質区域においては、衝撃式さく岩機に必要な給水をするため、配水管を設けなければならないことを追加した(炭則二八四条の二)。

③ けい酸質区域で衝撃式さく岩機を使用するときは、鉱山労働者に注水しながらせん孔すべきことを義務付ける規定を追加した(炭則二八四条の四)。

④ 岩粉の散布につき、多量の遊離けい酸分を含有するものの散布等を禁止する規定が追加された(炭則一三七条の二)。なお、昭和四六年、岩粉の品質基準についての日本工業規格が制定され、遊離けい酸分含有率を一〇パーセント以下にすべきことが定められた。

(6) 昭和三九年一月の改正

炭じん防止につき、第四章炭じんの規定を全炭坑に適用することとした(一三六条の廃止)。また、爆発性の炭じんの飛散防止のために散水、炭壁注水等の措置を講じるべき箇所について整理し、掘進作業場を含めるなどして拡大した(一四一条)。

(7) 昭和五四年五月及び一二月の改正

粉じん障害防止規則の制定に伴い、炭則が改正された。

① 粉じん飛散防止装置を必要とする場合に関する規定(炭則二八四条)を二八三条の二とし、規制の内容については、粉じんの飛散を防止すべき箇所につき「岩石の掘進、運搬、破砕等を行う坑内作業場」とされていたのを「著しく粉じんを飛散する坑内作業場」と改め、とるべき粉じん飛散防止の措置の内容については「粉じん防止装置、散水等適当な措置」とされていたのを「散水、集じんその他の適当な措置」に改めた。

② また、炭則二八三条の二第一項ただし書において、炭則一四一条一項、八に規定する炭じんを飛散する箇所において、炭じんを鎮静するための散水、炭壁注水等適当な措置を講じたときは、粉じんの飛散防止措置を講じる必要がないことを追加した。

③ 炭則二八三条の二第一項本文によらず、防じんマスクの使用で足りる場合につき、第一項による措置を講ずることが特に困難な場合もしくは保安上著しい支障を生じる場合又は著しく粉じんを飛散することが一時的な場合に限定した(二八三条の二第二項)。

また、新しい二八四条において、右の二八三条の二第二項の規定により防じんマスクの使用を指示されたときは、鉱山労働者は防じんマスクを使用しなければならないと規定した。

さらに、保安規程に坑内の通路及び就業箇所の保安に関して定める細目として、防じんマスクの管理及び使用に関することを追加した(二六七条四号)。

④ 坑外の粉じん作業場について、粉じん濃度及び遊離けい酸含有率の測定を義務付けた(三一二条の六)。

(8) 昭和六一年の改正

けい酸質区域指定制度を廃止して、すべての坑内作業場において、原則として、せん孔前に散水すること、さく岩機を使用するときは湿式型とし、注水しながらせん孔すること、防じんマスクを使用すべきこととし、また、発破時の退避を坑内全域に拡大した(二八四条の二、三、四)。

(9) 平成三年三月の改正

坑内の粉じん作業場における保安規程の細目として、粉じん濃度及び遊離けい酸含有率の測定方法、時期及び記録に関することを追加し、坑内保安係員は坑内粉じん作業場について定期的に粉じん濃度及び遊離けい酸含有率を測定すべきこととした(二六七条六項、二八四条の五第一項)。

(三) けい酸質指定区域の指定状況

(1) 炭鉱におけるけい酸質分の調査

通産省は、けい酸質区域指定の前提として、各炭鉱におけるけい酸質分の調査を行うべく、鉱山保安局長が発した石炭鉱山等の監督実施要領において、岩層中の遊離けい酸分調査を挙げ、炭田に賦存する主要岩石層固有の遊離けい酸分の含有率を調査し今後のけい酸質区域指定のための資料とするため特定検査の項目としていたところ(甲一〇七〇ないし一〇七八、一〇八〇、一一一〇ないし一一一二、乙A二三五の2)、全国における調査件数は、昭和二九年度から三八年度までの間において合計七〇九件、昭和三九年度から四六年度までの間において一三八件、昭和四七年度から五九年度までの間に三〇件であり、一件の調査においては、平均一〇個以上の試料が採取された(乙X一の2)。

また、北海道における調査は、昭和二八年度から岩石採取要領に基づき開始され、昭和五九年度までの間に合計二二〇炭鉱、二七六八試料について実施された。その詳細は、別表5のとおりである。

(2) 指定基準と指定状況

通産省は、けい酸質区域の指定基準について、昭和三一年二月の鉱山保安局長通達「けい酸質区域指定の促進について」により、特にけい酸分の高い岩石層をけい酸質区域として指定することとし、遊離けい酸分含有率が四〇パーセント以上のものについて指定措置をとることと定めた(乙A五三)。その後、昭和三四年九月に同三〇パーセント以上と定めた(争いがない)。

北海道における指定は、昭和三二年に二炭鉱、昭和三四年に一〇炭鉱を指定し、その後昭和五五年までに二六炭鉱(四四石炭坑)を指定した。その詳細は、別表6のとおりである。

なお、九州においては、昭和二七年以降、けい酸質区域の指定が行われているところ、北海道における最初の指定が行われた昭和三二年以前において、既に三〇を超える炭鉱において指定が行われていた(甲一一一四)。

(四) 粉じん防止対策立案のためのその他の調査

(1) 粉じん実態調査

通産省は、昭和二八年度に粉じん測定技能習得のための講習会を実施し、各鉱山保安監督部にその技術を伝達し、以後、必要な給水量の規制のための基礎となる飛散粉じんの状況を調査する等の目的で、昭和三三年度までに約一八〇坑、昭和四〇年度までに合計二二〇坑についてこれを実施した(甲一〇六九ないし一〇七八、一〇八〇)。

なお、資源技術研究所では、昭和二九年ころ、鉱山保安局と協同して、鉱山における発じん状態の調査を行い、その結果を「採鉱と保安」に発表している(甲四二一)。

(2) けい肺患者実態調査

通産省は、昭和二七年度から、鉱山におけるけい肺患者数実態調査(後にじん肺患者実態調査)を実施した。その内容は、各炭鉱におけるけい肺患者の氏名、前歴、度数、職種、会社がとっている処置、補償の有無等を一人一枚からなるカードにより調査を行い実数を把握し、新たに発生を見たときはその都度報告させるというものであった(甲一〇六八、一〇七四)。

(五) 旧労安則等

(1) 昭和二二年に制定された旧労安則のうち、粉じん作業に関するものは以下のとおりである。

① 粉じんを発散する等衛生上有害な作業場において、その原因を除去するため作業又は施設の改善に努めるべき義務を課した(一七二条)。

② 粉じんを発散する屋内作業場では、場内空気含有濃度が有害な程度に至らないように局所排気、密閉、換気等の適当な措置を講ずべき義務を課した(一七三条)。

③ 屋外又は坑内において著しく粉じんを発散する作業場における注水その他の粉じん防止措置を講じるべき義務を課した(一七四条)。

④ 粉じんを発散する場所での業務に従事する労働者に使用させるべき呼吸用保護具等適当な保護具を備えるべきことを義務付けた(一八一条)。

⑤ 坑内作業場における衛生上必要な分量の空気を送給するための通気施設を設置すべき義務を課した(一九四条)。

(2) もっとも、これらについては、当時、鉱山の安全については適用しない旨の規定が存在し、その後、鉱山保安法の制定に際して、鉱山における保安については適用しないことが労基法に規定されたことは、前記認定のとおりである。

(3) 防じんマスク関係

前記(1)④のほか、昭和二五年、「労働衛生保護具のうち防じんマスクの規格」と「労働衛生保護具検定規則」が制定され、防じんマスクに対する国家検定制度が設けられた。その後、右規格は、度々改正を重ねたことについては、前記第二の三6で認定したとおりである。

(六) 粉じん濃度(恕限度)に関する規制

(甲六五、二四五、乙X一の2、二二一)

(1) 労働省は、昭和二三年、旧労安則四八条における衛生上有害な職場等に関する取扱基準に関して通達を発した(同年八月一二日労基発第一一七八号通達)。

これによれば、土石、獣毛等のじんあい又は粉末を著しく飛散する場所とは、植物性、動物性、鉱物性の粉じんが、作業する場所の空気一立方センチメートル中に粒子数一〇〇〇個以上又は一五ミリグラム以上含む場合をいい、特に遊離けい酸分を五〇パーセント以上含有する粉じんについては、七〇〇個以上又は一〇ミリグラム以上含む場所とされた。もっとも、右基準は、二時間以上の時間外労働の規制や雇入れ時の健康診断の義務付け等の必要性を判断する基準であった。

(2) 粉塵恕限度専門部会での検討

その後、昭和二八年、珪肺対策審議会において、粉塵恕限度専門部会が設けられ、けい肺対策の行政措置を行うための恕限度の設定に関する検討が行われた。

同部会では、行政措置との直接の関連においてではなく、衛生学的見地から基準値を提案し、これを他日の討議の材料として提供することが適当との見地から、「第一の恕限度(けい肺発生のおそれがあり衛生管理上何らかの措置を必要とする水準)」及び「第二の恕限度(けい肺第二症度に進む進行性の症例が発生するおそれがある水準)」の二つの恕限度についての具体的数値を示し、昭和二九年三月に答申した。

もっとも、第一の恕限度については多数意見と少数意見との両論併記とされており、少数意見は産業界における実現可能性を考慮したものであったところ、労働者側も使用者側も、答申の内容を行政的措置とするについてはなお慎重な態度であった。かくして、昭和三〇年に制定されたけい肺等特別保護法にはこの内容は生かされなかった。

(3) 昭和三三年の労働省通達

労働省は、昭和三三年労基発第三三八号通達により、粉じん作業環境の改善をどの程度まで進めればよいかに関する目標値として、「抑制目標限度」を示した。これによれば、遊離けい酸分五〇パーセント以上の粉じんについては、一立方センチメートル中七〇〇個又は一立方メートル中一四ミリグラム、遊離けい酸分五〇パーセント未満の粉じんについては、一立方センチメートル中一〇〇〇個又は一立方メートル中二〇ミリグラムとされた。

(4) その後の施策

その後、有害物濃度の値の設定は、労働者の暴露時間の時間加重平均濃度として定めることが国際的な潮流となったこともあり、日本産業衛生学会では従前の用語である恕限度に代えてこれを使用することとし、外国の資料を基礎として、昭和四〇年に粉じんに対する許容濃度に関する勧告を行った。また、その後、我が国における資料の検討を経て、昭和五七年には新しい勧告を行った。

他方、労安法六五条は、有害な業務を行う作業場において作業環境測定を義務付けており、また、昭和五四年、労安法のもとに粉じん障害防止規則が制定され、粉じん作業場の種類ごとに具体的な措置を定め、坑外の屋内作業場における粉じん濃度の測定義務を課すこととなったところ、作業環境測定の方法と評価についての基準が必要となった。これに関し、日本産業衛生学会の勧告した前記の許容濃度は、労働者の個人暴露濃度に注目しており、作業管理に用いるのに必ずしも適当ではなかったことから、労働省は、専門家会議に右の問題を諮問し、その答申に基づき、昭和五九年に基発六九号通達「作業環境の評価に基づく作業環境管理の推進について」を発し、管理濃度の概念を導入して、物質ごとにこれを定義し、鉱物性粉じんについての管理濃度も示された。

(七) じん肺教育関係

(1) 昭和二二年制定の労基法五〇条は、使用者は労働者を雇い入れる場合に当該業務に関して安全衛生のための教育を施すべきことを規定していた。昭和四七年制定の労安法五九条は、これを引き継ぎ、一定の危険又は有害な業務に労働者を就かせる場合には事業者は安全又は衛生のための特別の教育を行わなければならないとした。

(2) 鉱山保安法では、保安教育に関し、鉱業権者は、鉱山労働者にその作業を行うに必要な保安に関する教育を施さなければならないとしていたところ(同法六条)、昭和二四年に制定された炭則では、これを受けて、新たに坑内に就業させる鉱山労働者については、当該作業を行うに必要な保安に関する教育を行うべきこと、甲種炭鉱においては、右教育は可燃性ガス又は炭じんの爆発の防止に関する事項に重点を置くべきこと等を規定した(同法四〇条)。

また、通産省は、昭和二九年、鉱山災害減少三か年計画を実施するとともに、「鉱山保安指導教育要綱」を制定したところ、右要綱は、けい肺対策をその重点の一つとし、人的要件の整備の一項目として粉じん測定に関する普通保安技術職員の教育指導を挙げ、また、鉱山労働者に対する教育啓蒙として、新入鉱山労働者に対しては必ず一定期間教育を行うほか一般鉱山労働者に対しても機会あるごとに再教育を行わせる、労働者教育に必要な基本的事項、スライド等は鉱山保安局において作成配布又は斡旋するとし、さらに、物的要件の整備としてコニメーター等の計測機器の量的整備の指導を行うべきことを挙げていた(甲一〇七〇)。

(3) 昭和三五年に制定された旧じん肺法六条は、使用者は、労基法及び鉱山保安法の規定によるほか、常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行わなければならないと規定した。

(4) 昭和五四年制定の粉じん障害防止規則においては、事業者は、常時特定粉じん作業にかかる業務に就かせる労働者には所定の特別の教育を行うべきこととされた。

(5) 右規則の制定に伴い、昭和五四年に改正された炭則においては、粉じん教育に関して、著しく粉じんを飛散する作業場に就業させる鉱業労働者に対しては、別に告示する粉じんに関する事項について教育を実施することとし、その教育方法等について保安規程に記載することを義務付けた(炭則四〇条)。右告示により示された教育内容は、①粉じんに係る疾病及び健康管理、②粉じんの飛散防止、③作業場の通気、換気及び清掃等、④防じんマスクの管理及び使用、⑤関係法令、の五項目であった。

(八) 粉じん暴露時間規制と健康管理

(1) 坑内労働における労働時間一般については、労基法により、労働者が坑口に入った時刻から坑口を出た時刻までの時間を休憩時間を含め労働時間とみなし、時間外労働は一日について二時間を超えてはならないとされている(三八条、三四条)。

(2) 昭和二四年に定められた珪肺措置要綱は、胸部エックス線直接撮影の結果と、呼吸器系の異常所見及び労働能力の減退の有無によって、症状の程度を要領一から三に区分し、それぞれの区分に応じて、事業者が講ずべき措置(保護具の使用、健康管理の実施、労働時間の短縮、配置転換、療養等)等を示した。

その後、けい肺等特別保護法、旧じん肺法及び改正じん肺法に規定された配置転換等の健康管理措置については、前記一2(一)(4)記載のとおりである。

(3) 離職者に対する健康診断について、労働省は、昭和三六年度以降、労災保険法による保険施設として、中小企業巡回特殊健康診断を行い、炭鉱離職者休職手帳を所持する炭鉱離職者に対して健康診断を実施し、昭和四〇年度においては二八〇名が精密検診を受診した(甲一一二二)。

(4) 昭和四七年、労安法の制定に際して、健康管理手帳制度が創設され、離職に伴い事業者の行う健康管理措置から離脱することになる労働者のうち、その後の健康診断と健康管理を必要とする者に対して、健康管理手帳を交付することとし(同法六七条)、無料で健康診断を行うこととした。健康管理手帳は、じん肺有所見者に対する関係では、健康管理区分三の者に対して交付されることとなった。

2 炭則等に基づく監督権限の行使

証拠(甲一〇六五ないし一〇八〇、乙A五三、証人松浦のほか、文中指摘のもの)によれば、以下のとおり認められる。

(一) 組織

鉱山保安法施行当初の昭和二四年五月、鉱山保安主管局として商工省に鉱山保安局が設置され、地方機関として各石炭局に石炭鉱山の保安監督行政を担当する「炭鉱保安監督部」が附置された。また、石炭鉱山以外の金属鉱山等の保安監督行政を担当する地方機関として「鉱山保安監督部」が各商工局(札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、四国、福岡)に附置された。その後間もなく、商工省は通産省に改組され、鉱山保安行政は同省の外局として設置された資源庁の鉱山保安局において所掌されることになったが、昭和二七年八月、資源庁が廃止され、通産省に内局として設置された鉱山保安局が鉱山保安に関する事務を所掌することになった。鉱山保安局は、昭和四五年七月、公害保安局と改称し、更に昭和四七年七月には立地公害局、平成五年七月環境立地局と名称を変更した。

他方、通産省の発足とともに同省の地方機関として通商産業局が置かれ、従前の札幌商工局は札幌通商産業局に改称され、札幌鉱山保安監督部は札幌通商産業局に附置された。昭和二五年八月、臨時石炭鉱業管理法の廃止により石炭局が廃止され、同局に附置されていた炭鉱保安監督部は、鉱山保安監督部に統合された。昭和三七年四月、札幌と福岡の鉱山保安監督部は鉱山保安監督局に昇格し、また、昭和三八年四月、北海道の四か所の地区現地監督班(釧路、夕張、岩見沢、滝川)は鉱山保安監督署に昇格した。札幌鉱山保安監督局は、平成元年七月、北海道鉱山保安監督局と改称された。

(二) 鉱山保安監督指導方針、同実施要領及び保安計画等

通産省では、昭和二七年度以降、毎年「鉱山保安監督指導方針」を策定し、保安対策の監督指導の指針を示しているところ、各年度ごとの鉱山保安監督指導方針の項目中には、けい肺ないしじん肺予防対策の推進が掲げられていた。また、鉱山保安監督指導方針に基づき、昭和三〇年度以降、毎年、当年度の災害減少の目標、監督指導の重点及び進め方等の具体的な実施項目を示した「監督(監督検査)実施要領」を策定し、その項目として、遊離けい酸分の測定、けい酸質区域指定の促進、さく岩機による粉じん発生状況調査等、けい肺予防対策に関するものが置かれていた。

なお、通産省は、昭和三九年度以降、生産と密着した保安状況を常時的確に把握するとともに、各鉱山に自主的な保安意識を浸透させるため、各鉱山において、保安に関する総合的な計画として「保安計画」を作成させ、これを基礎として巡回頻度を増大させ各種検査を実施することとした(甲一〇八〇)。右の保安計画は、極めて詳細なものであったところ、北炭作成にかかる北炭夕張新炭鉱に関する保安計画に関していえば、昭和五二年度においては、粉じん防止策について言及する部分はないが(甲一二〇四)、昭和五五年度においては、粉じん防止法につき、けい酸質指定区域において掘進する場合さく岩機は湿式型を使用する、採炭掘進作業場は噴霧散水により粉じんを防止する、掘進箇所の発破施行の場合は噴霧発破を行いその後散水を実施して積込作業をする、石炭の積込み、積込場には散水設備により散水する、との記載がある(乙X三〇四の1)。

(三) 立入検査

鉱務監督官の行う監督については、鉱山保安法及びこれに基づく省令に定めるもののほか、鉱山保安監督規程(昭和二四年九月三〇日、通産省訓令)が制定され、これらに基づき実施された。

鉱山保安法三五条は、鉱務監督官の炭鉱施設への立入り権限を定めるところ、立入検査の方法につき、鉱山保安監督規程等において定めるものには、①総合検査(坑内外の保安状況を多角的、総合的に検査するもの)、②巡回検査(保安の状況を定期的に検査するもの)、③追跡検査(特定の事項を継続して検査するもの)、④主要な機械設備の性能・落成検査、⑤災害が発生した場合における原因、対策及び法規違反を追及する特別検査、⑥監督局長又は部長が指定する事項についての特定検査があった。

検査の実施に当たっては、各年度の鉱山保安監督指導方針において重点的な監督を行う項目を取り上げ、さらに、鉱山の種類ごとに監督検査実施要領を策定し、巡回検査、特定検査等についての検査計画を立てて検査を実施した。

巡回検査における検査の内容は、鉱山保安法、炭則、保安規程及び保安計画等の遵守状況、直近の検査において交付した監督指示書による改善指示事項に対する改善実施状況等であるが、実際の検査事項は、限られた人員及び時間内で検査を行うことから、検査前に策定した重点事項等を主体とするものとなっていた。

検査は、一炭鉱に対して、月に一回程度の頻度でなされ、期間は一回に四日間程度、人員は一回に四ないし五名程度、入坑日数は二日ないし三日を基本に実施されたが、炭鉱数が多く鉱務監督官が少なかった時期(昭和三〇年代前半)においては、坑内条件の不良な炭鉱、災害率の高い炭鉱、その他の炭鉱等に分けて巡回頻度を決定していた。

巡回検査においては、鉱務監督官が坑内等を巡視した後、改善指示事項、問題点及びその他保安上の必要事項等について、保安統括者以下上席保安技術職員、保安監督員、保安監督員補佐員、労働組合の関係者及び保安委員等に対して講評を行っていた。鉱山保安法規違反等が認められた場合は、その違反の内容と程度に応じ、必要な指示を記載した命令書の交付、改善措置などを記載した監督指示書の交付又は口頭指示などの各種措置をとっていた。

(四) 粉じん防止に関する監督状況

巡回検査における粉じん防止関係の検査内容は、湿式の衝撃式さく岩機の使用と給水状況、粉じん発生時の防じんマスクの着用状況、散水の状況(衝撃式さく岩機使用時のせん孔前の散水、発破前後の散水等)及び発破時の退避位置や発破後の立入制限等のほか、通気の状況(通気量、通気戸及び局部通気施設等)についても監督指導するべきこととされていた。

各種検査により判明した法規違反の状況は、違反条項及び号ごとに全国的に集計され、毎年の鉱山保安年報に掲載されているところ、粉じん防止措置に関する法規違反の存在についてはいずれの年報にも掲載されていない(乙A六四)。

しかしながら、巡回検査の結果作成された監督票ないし監督指示書の中には、防じんマスクの使用、散水、風管の延長又は補修、けい酸質区域として指定を受けた坑道での湿式さく岩機の使用、炭壁注水等について、注意又は改善を要する事項ないし指示事項として挙げたものが少なからず存在し(乙A六五、八六ないし九九、二一九ないし二二九)、これらに関する指導監督がある程度行われていたことがうかがわれる。

3 労基法及びじん肺法等に基づく監督権限の行使

証拠(甲一〇五三ないし一〇六四、乙A一四一の1ないし8のほか、文中指摘のもの。)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 労働省は、その創設当初から、けい肺対策を労働衛生行政中最も重要なものと位置付けており、また、昭和三一年度からは毎年度、監督行政の運営の方針を策定し、重点を置くべき業種や対策を定めて監督指導を行っていたところ、労働衛生の分野において、けい肺・じん肺対策は引き続き重点を置くべきものとされ、けい肺・じん肺健康診断の実施、作業転換の実施、労働時間の延長制限、保護具の備付け及び着用等をその内容として挙げていた(甲一〇六一、一〇六二、乙A一四一の1)。

(二) 監督指導状況

石炭鉱業を営む事業場に対する定期監督において、じん肺法による健康診断(就業時、定期、定期外診断)につき違反が認められた事業場の数については、別表2のとおりである。

また、健康上有害な業務に従事する労働者の長時間労働の排除について、昭和三五年度以降において重点が置かれていたところ、当該違反(坑内労働に関して法定の一〇時間を超えるもの)が認められた事業場数については、別表2のとおりである。労働省は、特に、昭和三九年度以降においてこの問題を取り上げ、労基法に基づく監督指導を強化し、昭和四一年度においては各鉱山に対して少なくとも年一回以上の監督指導をした(乙A一四一の5ないし7)。

他方、じん肺法に基づく粉じん対策指導援助のうち、集団指導を実施した事業場数は、昭和四〇年度において四二六九件、昭和四一年度において四七九二件であるところ、石炭鉱業に対するものは、それぞれ四件及び一三件であった(甲一一二二、一一二三)。

(三) 作業転換

けい肺等特別保護法は、けい肺第三症度の者及びけい肺第二症度のうち短期間に高度のけい肺になった者については、粉じん作業から非粉じん作業に転換させることが望ましいこととして、都道府県労働基準局長は非粉じん作業に就かせることを勧告できるとし、使用者は右勧告を受けたときには作業転換の努力義務があることとされ(八条)、作業転換の勧告を受けて転換した労働者に対しては転換給付として平均賃金の三〇日分に相当する額を支給することとされていた(一〇条)。

右勧告の具体的運用については、昭和三一年一二月二七日基発第八八八号「けい肺等特別保護法第八条に基づく作業の転換の勧告について」によって、労働者及び使用者双方とも合意の上、当該労働者が当該事業内において粉じん作業以外の適当な作業に就くことを了承している場合に限り勧告することとし、事情聴取書、労使の確認書等を添えて稟伺の上勧告が行われることとなった(乙A一四二の1)。

この趣旨に沿って昭和三一年度中に転換勧告が実施された上で作業転換を行った者は、全産業において三名であった(甲一〇六一)。昭和三二年度においては、全産業において合計九二名中、石炭鉱業において合計三一名(甲一〇六二)、昭和三三年度においては全産業において一〇五名(甲一〇六三)、昭和三四年度においては全産業において三二名であった(甲一〇六四)。

旧じん肺法では、健康管理三の決定を受けた者につき、けい肺等特別保護法と同様の取扱いを定めていたところ、昭和四三年に、安発第九五号通達「じん肺の健康管理区分の決定及び作業転換等の取扱いについて」が出され、管理区分の決定された者についての措置状況の把握及び作業転換等の促進のための取扱いを定めた。これにより、健康管理区分の決定通知書の交付の際に、使用者に対して、管理三に決定された者のうち一定の医学的条件に該当する者に関する作業転換促進書及び肺結核の合併者に関する健康管理促進書を交付し、これらの労働者についての作業転換の実施について関係労使が合意に達した旨の連絡を受けたときは作業転換勧告書を交付し、作業転換が行われたときは転換実施通知書を提出させることとした(乙A一四二の3)。

もっとも、実際に作業転換に至った数は必ずしも多くなく、旧じん肺法のもとで行われた石炭産業に関する作業転換の推移は、別表2のとおりである。

改正じん肺法のもとでは、管理区分三ロの者に関しては作業転換促進書、同三イの者に関しては同勧奨書を使用者に交付し、作業転換を促す措置がとられた(乙A一〇一、一〇二)。

4 検討

以上のとおり概観した被告国におけるじん肺対策につき、これを前提として、規制監督権限の不行使の違法性について検討する。

前記認定のとおり、じん肺は、坑内作業において程度の差はあれ不可避に生じる粉じんを原因として、長期の粉じん作業への就労によって発生するものであるところ、いかなる程度において粉じんに暴露すれば発症するかについては、個人差もあり、一義的に決定することができないが、じん肺罹患という結果がひとたび発生すれば極めて重篤なものとなり得ることを考慮すれば、石炭企業は、常に各時代の最高水準の粉じん対策等を講じるべき義務を負担すべきものであることは前述のとおりである。

他方、個々の労働者に対する粉じん防止対策は、日々の粉じん作業の中で実践される事柄であり、石炭企業が第一次的にこれを実践しなければ実現できないことは自明である反面、被告国においてこれを規制しなければ石炭企業において行い得ないものではないし、被告国でなければなし得ない具体的な対策あるいは被告国でなければ持ち得ない特殊な知見に基礎を置くべきものがあるわけではない。そうすると、被告国は、鉱山保安法等の委任を受けて、法の目的を実現するため一定のじん肺対策を行うことを要請されているものの、雇用契約上石炭企業が負うべき被用者に対する安全配慮義務の内容そのものを、炭則等の省令立法において具体化することなく、あるいは私企業の使用者と同等の監督措置をとらなかったとしても、そのような不作為が直ちに違法とされるものではない。

すなわち、被告国は、前記認定のような法律の委任があるにもかかわらず、じん肺対策を全く等閑視していたというのであれば格別、各法律の目的を実現するため、じん肺の発生状況や予防方策の技術的進展の状況に応じて、一定の方策を講じ、じん肺対策を推進していれば、個々の規制の内容が石炭企業に課せられる安全配慮義務の内容よりも劣っていたとしても、これをもって直ちに、当該不作為を著しく不合理なものとして違法であると断定することはできないというべきである。

もっとも、前記第五で認定したように、被告国は、石炭産業をとりまく政策課題を推進する上で、産業政策としての面では生産量及び価格競争力の問題に対処するために石炭企業に対して強い関与を行ってきたものであり、その政策遂行を通じて、各石炭企業の生産及び経営状態についての詳細な情報に接する機会があったことがうかがわれるところ、右の知見は、じん肺防止対策に関する権限の行使に関する意思決定を容易ならしめるものであることは否定できないから、このような要素は、不作為の違法について判断する際に考慮されなければならない。

以下では、右の観点から、原告らの主張する点について順次判断する。

(一) 憲法制定後、鉱山保安法施行までの間の規制の不存在

(1) 原告らの主張

右期間においては、鉱業警察規則による規制が行われるべきであったが、被告国は炭鉱労働者のじん肺罹患の危険性を一顧だにせず、鉱山監督局長は、鉱業権者に同規則六三条の遵守をさせなかった。

(2) 検討

前記第五の一1で認定したとおり、この時期においては、第二次世界大戦後の混乱の中で、我が国の経済復興のため石炭生産の回復に特に重点が置かれていたのであるから、炭鉱におけるけい肺ないしじん肺対策につき、戦前の水準から見て進展がなかったとしても、権限行使の社会的な期待可能性の観点からすれば、これをもって不作為の違法があったということはできない。

(二) 制定当初の炭則二八四条

(1) 原告らの主張

同条は、坑内作業に関し、「衝撃式さく岩機によりせん孔するときは粉じん防止装置を備えなければならない。ただし、防じんマスクを備えたときはこの限りではない」と規定しているところ、同時期に存在した旧労安則の内容に比較して、①防じん対策を講じるべき範囲が狭いこと、②マスクが代替的な地位として認められる点で劣っており、通産大臣は、石炭鉱山におけるじん肺防止措置の水準の設定についての作為義務を怠った。

(2) 検討

同条は、その形式上、戦前の鉱業警察規則六三条の規定を引き継いだと考えられるところ、炭鉱におけるけい肺ないしじん肺の存在について戦前における知見から特段の進展のない当時において、このような規定を引き続き置いたことは、著しく合理性を欠き、裁量の範囲を逸脱するものとまで認めることはできない。なお、同条は、衝撃式さく岩機にのみ言及しているが、鉱業警察規則六三条において「著しく粉じんを飛散する坑内作業」として想定されていた採炭機による截断面への注水(甲二五)については、別に炭則一四一条にて規定されていると解することができるから、必ずしも防じん対策を講じるべき範囲が狭いとまでいうことはできない。

(三) けい酸質区域指定制度の導入と維持

(1) 原告らの主張

① けい酸質区域指定制度は、昭和二五年の改正により導入されたが、当時の知見に照らせば、遊離けい酸質を含有する粉じんのみを規制対象とするこのような制度を創設すべきではなかった。

② 金則においては、昭和二七年にけい酸質区域指定制度を廃止したのであるから、石炭鉱山においても同時期にこの制度を廃止すべきであったのにもかかわらず、これを維持した。

③ 昭和三〇年にけい肺等特別保護法が制定され、さらに昭和三五年には旧じん肺法が制定され、鉱物性の粉じんによるじん肺一般を救済の対象にしたのであるから、各時点においてこの制度を廃止すべきであったにもかかわらず、これを維持した。

④ けい酸質指定区域において必要とされる防じん対策の内容が、せん孔時の散水と湿式さく岩機の使用及び発破時の退避にとどまり、後に給水確保及びせん孔時注水が付加されたものの、いずれにせよ防じん対策として不十分であった。

⑤ けい酸質区域の指定の前提となる、遊離けい酸分の実態調査を遅滞し、この制度を十分に機能させていなかった。

⑥ 炭鉱に対するけい酸質区域の指定は、ようやく昭和二七年になって実施されるようになり、また、指定数は著しく少なかった。また、指定基準は、昭和三一年まで存在せず、その指定基準も金属鉱山に比較すれば格段に低かった。さらに、鉱務監督官は、指定区域でも湿式化の指導監督を怠った。

(2) 検討

(①について)

前記第一の一4で認定したとおり、昭和二五年当時は、全国的なけい肺患者数の実態調査が端緒についた時期であったところ、その調査結果の示すところは、金属鉱山においてけい肺有所見者の割合が高いという点に特徴があり、当時においてはこのような調査結果をもとにけい肺の原因として岩盤中に含有されるけい酸分についてより危険性が高いと認識されていたことがうかがわれる。そうすると、これに対応すべく、昭和二四年制定の炭則二八四条に加えて、遊離けい酸分を多量に含有する区域を指定し、散水及び湿式さく岩機の使用を義務付けることとし、防じんマスクによる代替を許さないこととして、粉じん防止対策をより具体化する規則を置いたことは、著しく不合理ということはできないから、原告らの主張①は採用できない。

(②及び③について)

石炭鉱山におけるけい酸質区域指定制度は、昭和六一年まで維持されたものであるところ、前記第一の一4(四)で認定したとおり、炭鉱労働者数に対するじん肺有所見者数の割合は昭和三一年から昭和四〇年代後半までは概ね横ばいの状態で推移しており、また、このころまでには、少なくとも北海道における稼行中の炭鉱についてはけい酸質区域指定がほぼすべて行われていたこと(前記1(三)及び別表4)などに照らすと、当該制度を残存せしめたこと自体は、著しく不合理なものといえない。なお、金属鉱山については昭和二七年にけい酸質区域指定制度が廃止され、さく岩機の湿式化等が推進されており、これは、金属鉱山における有所見者率の高さに鑑みて、早急な湿式化を政策課題として選択したものとうかがわれるところ、石炭鉱山においては右の点において状況を異にしていたのであるから、これを石炭鉱山において採用しなかったからといって、著しく不合理なものとはいえない。また、けい肺等特別措置法が施行された昭和三〇年においては、炭則二八四条を改正して、粉じん防止措置をとるべき作業の対象を拡大するという措置をしているのであって、被告国において何らの方策をとらず拱手していたわけではなく、また、旧じん肺法が制定された昭和三五年当時、同時期の粉じん防止関係の炭則改正はなかったものの、前記認定のとおりけい酸質区域指定が徐々に進行していたことに照らせば、右各時点でけい酸質区域指定制度を廃止しなかったことが著しく不合理なものとはいえず、原告らの主張②及び③は採用できない。

(④について)

前記1(二)で認定したところによれば、昭和二五年にけい酸質区域指定制度の導入時から、昭和三〇年までの間、順次、湿式さく岩機の利用に関する規制が強化されており、この点に関する不作為の違法は認められない。

(⑤について)

けい酸質分の調査については、前記1(三)の認定によれば、実用的な検査技術が確立された昭和二六年ないし二七年の直後である昭和二八年度から開始されており、また、通産省鉱山保安局長が発した石炭鉱山等の監督実施要領(以下「監督実施要領」という。)においても、昭和二九年度以降、岩層中の遊離けい酸分調査を挙げ、炭田に賦存する主要岩石層固有の遊離けい酸分の含有率を調査し今後のけい酸質区域指定のための資料とするとしているところ(甲一〇七〇、乙A二三五の2)、右調査に関する著しい遅滞があるとは認められない。

(⑥について)

けい酸質区域の指定数については、前記1(三)で認定したとおり、徐々に増加しており、その数において著しく不合理と認めることができる程度に少なかったとはいえない。また、けい酸質区域の指定基準の策定に当たっては、その基礎となる調査が必要であることからすれば、昭和二八年度から統一した全国基準によりけい酸分の含有量を調査した後、昭和三一年二月になって通達による指定をしたことについて、これが著しく不合理と評価すべきほど遅きに失するとまではいえない。

なお、金属鉱山において昭和二七年の金則改正によりけい酸質区域指定制度を廃止した趣旨は、けい肺を防止するためには、当時の医学上粉じん中の遊離けい酸含有率の恕限度が確立されていないので、遊離けい酸を含有する坑内の全掘採作業場における粉じんの発生を撲滅する外はないとの判断を前提としたものであるところ(甲一〇六八)、石炭鉱山については、けい酸分の含有率についての危険を示す明確な指標が得られない中で、有所見率の相違を背景として、指定基準を徐々に厳しくして指定炭鉱を増加せしめるという施策を選択したことが著しく不合理ということはできない。また、鉱務監督官による指導監督がけい酸質指定区域における湿式さく岩機の使用にも及んでいたことについては、前記2(四)の認定のとおりである。

(四) 粉じんの恕限度の設定

(1) 原告らの主張

① 昭和二九年一月に改正された炭則では、通産大臣が恕限度を告示で定めることとされていたが、通産大臣はその具体的な基準の設定を解怠した。他方、労働省は、昭和二三年ころから、恕限度の基準となり得る具体的数値を検討して発表していたが、結局労働大臣も省令立法を行わなかった。

② 被告国は、恕限度の設定の前提となる粉じんの実態調査を怠り、昭和三七年度から四〇年度についてみれば金属鉱山における調査と比較して低水準であった。また、炭鉱で使用可能な防爆型の粉じん濃度測定器の研究開発を怠った。

(2) 検討

作業環境における粉じん量の抑制水準を法的に拘束力のあるものとして定めるには、医学的な見地からの基準の確立と、工学的な見地からの測定方法の確立とが必要となるところ、前記認定(第二の一2)によれば、昭和二九年の段階では、珪肺対策審議会において基準そのものの確立ができなかったほか、日本労働安全衛生学会においても我が国の資料に基づいた基準の定立が可能となったのは昭和五二年であり、また、粉じん測定器についても、昭和二九年当時のものは機械の個体差及び測定者による誤差が避けられず、絶対的な数値の測定が困難であるとの事情があり、実用精度を備えかつ炭鉱で使用可能な粉じん測定器が登場したのは昭和六〇年代以降であったというのであるから、粉じん濃度について昭和二〇年代に省令立法を行わなかったことが著しく不合理とまではいえない。

また、石炭鉱山における粉じんの発生の実態調査については、昭和二八年度以降毎年実施されていたことは前記認定(1(四))のとおりであり、これをもって、著しく不合理と評価すべき程度に調査が不足していたと断ずることはできない。

(五) 各種の発じん防止措置

(1) 原告らの主張

① 散水

鉱業警察規則や旧労安則の規定に照らし、粉じんが発生する作業についてはすべて散水を行うべき規定を置くべきであったのに、昭和二四年の炭則制定時においては「衝撃式さく岩機を使用してせん孔するとき」にのみ限定され、昭和二五年のけい酸質区域指定制度導入とともにせん孔作業前の散水が明文化されたものの、昭和三〇年の炭則改正でも「岩石の掘進、運搬、破砕等」に拡大されたに過ぎず、粉じん作業全体に拡大されたのは昭和五四年になってからであった。また、採炭現場におけるじん肺防止目的の散水措置を定める規定は存在しなかった。

② 湿式さく岩機

湿式さく岩機が乾式に比較して粉じんの抑制効果において著しいことは周知の事実であり、戦前から一部炭鉱において使用されていた例もあったにもかかわらず、昭和二四年の炭則制定時においては湿式さく岩機の使用が義務化されず、かえって防じんマスクの備置の例外規定により乾式さく岩機が横行し、その後けい酸質区域指定制度を導入して、全山の湿式化を図ることを解怠した。

③ 集じん装置

坑内作業における集じん装置の使用に関する規定は、昭和五四年の炭則改正まで存在せず、右改正規定も、炭じん爆発防止措置を履行すれば集じん装置は免除するとの内容であって不十分である。

④ 通気

通気措置についての炭則の規定は、ガス爆発防止や呼吸維持を目的とするものであって、じん肺防止目的の規定は存在しない。

昭和三〇年ころには、通気をじん肺防止に役立てるために、炭則を改正する必要があるとの認識があったにもかかわらず、これを怠った。また、通気量と粉じん希釈が関連付けられて測定されたり、研究されたりしていない。

(2) 検討

(①について)

散水等の措置をとるべき場所の範囲については、昭和三〇年の改正において「岩石の掘進、運搬、破砕等を行う作業場」に拡大されたところ、これにより、著しく粉じんの発生する主要な場所を概ね含んだものとなっていることからすれば、その後、昭和五四年の改正まで右規定が維持されたとしても、著しく不合理なものということはできない。

また、炭則においては、爆発性の炭じん対策の観点から散水について種種の規則が制定されているところ、炭じん対策のみをもって粉じん対策を尽くしたものとは言えないことは、前記第二の三3で認定したとおりであるものの、炭じん対策であっても一定の限度において粉じん対策としての有用性を持つこともまた否定できず、炭じん対策も含めて炭則における散水規定の推移を見てみると、炭じん対策は徐々にその適用炭鉱を拡大しており、その内容も整備されてきていることが認められるから、これらを勘案すれば、著しく不合理な不作為があったとまではいえない。

(②について)

小型の湿式さく岩機については、前記第二の三1認定のとおり、昭和二四年の炭則制定時の段階においては、技術的に未完成であったものであるから、この時点において、防じんマスクに関する規定をただし書に置いたことはやむを得ないことというほかはない。また、その後のけい酸質区域指定制度の導入と維持が違法とまではいえないことは、前記(三)のとおりである。

(③について)

集じん装置に関する明文の規定は、昭和五四年の炭則改正まで存在しないが、集じん装置が昭和二四年制定の炭則二八〇条にいう「粉じん防止装置」に含まれることは明らかである。また、昭和五四年の炭則改正によって追加された二八三条の二第一項ただし書について、当該適用部分については散水等の措置がなされることを規定しており、集じん装置の規制がないことをもって著しく不合理であると断ずる理由は見当たらない。

(④について)

通気に関しては、炭則上、じん肺防止の趣旨を明示して規制する規定は存在しないが、呼吸に必要な空気の供給、可燃性ガス及び有害ガスの排除等を主たる目的として、通気の量、速度、通気系統等に関して詳細な規定が存在し、坑内全域における通気を規制し、その適用範囲は時代とともに拡大されていたところ、このような規定が少なくとも全体通気の局面において粉じんの排除に一定の役割を果たしたことは否定できないし、また、粉じん防止のために有効な通気のあり方については、資源技術研究所において幾つかの研究がなされその成果が公刊されていた(「鉱山の坑内作業における発生粉じんについて」甲六三(昭和三〇年)、「坑内粉じんの発生状況とその抑制について」甲八六(昭和三五年)、なお金属鉱山につき甲一〇七四)ものであるから、このような研究活動の存在をも総合すれば、この点に関する不作為が著しく不合理なものとまではいえない。

(六) 吸じん防止措置

(1) 原告らの主張

① 防じんマスク

防じんマスクは、補助的な手段であって、粉じん防止装置の有無にかかわらず粉じんの発生が著しい作業場においては常に着用を義務付けるべきであり、旧労安則一八一条、一八四条はその趣旨の規定であった。しかるに、昭和二四年の炭則制定に当たっては、防じんマスクは粉じん防止装置と代替的であるとの位置付けに基づく規定を置き、また、使用義務を課さなかったばかりか、防じんマスクの備え置きを全粉じん作業現場において義務化するのを昭和五四年まで怠り、粉じん防止措置の有無にかかわらず防じんマスクを義務化するのは昭和六一年まで懈怠した。

また、鉱務監督官は、巡回検査に当たり、マスクの支給・着用状況を検査せず、企業における防じんマスクの使用についての履行状況・教育状況の監督を怠っていた。

② 発破時退避規制

昭和二五年の炭則改正においては、けい酸質指定区域における発破時の退避については、「粉じんが適当に薄められた後でなければ、発破をした箇所に近寄らず、かつ、他の者を近寄らせてはならない」と規定されているところ、退避すべき濃度及び退避時間の具体的な設定をなさなければ意味のない規定であるにもかかわらず、それが行われなかった。また、発破後、退避時の粉じん濃度に復帰するのに必要な時間は、発破後四〇ないし六〇分かかるとされ、上がり発破、昼食時発破の実施が望ましいにもかかわらず、石炭企業においては退避時間を極めて短時間にして作業を行わせていたところ、この実態を調査せず、監督指導を怠った。

③ 岩粉の法規制

昭和三〇年の炭則改正において、多量の遊離けい酸分を含有する岩粉の使用の禁止を新設したが、けい肺の原因物質であることは戦前から医学的知見として確立していたことに鑑みると、右の規制時期は遅きに失し、また、その「多量の遊離けい酸分」の具体的内容は昭和四六年に日本工業規格で制定するまであいまいなまま放置された。また、遊離けい酸分を含有する岩粉の散布の中止又は回避を監督すべきであったのに、むしろ岩粉散布を推進し、じん肺に罹患しやすい状態を作り出した。

(2) 検討

(①について)

さく岩機の湿式化や散水等の粉じん防止対策を講じても、粉じんの発生を完全に防ぐことは不可能であるから、右対策をとることに加えて、発生した粉じんの吸入防止対策として防じんマスクを着用することが必要であることは自明である。しかるに、前記認定したところによれば、炭則においてその趣旨を明確に示した規定が現れるのは、昭和六一年の改正を待たなければならず、実際の使用に耐える吸気性能を持った静電ろ層による新しい防じんマスクが登場したのは昭和三五年ころであったことを考慮すれば、右の改正はやや遅きに失したともいえる。しかしながら、その間において、昭和三〇年代には石炭企業大手において労働組合との間でけい肺協定が締結され、防じんマスクを無償貸与すべきことが合意されるようになったこともあり(乙D一〇、一一)、防じんマスクの普及状況は徐々に改善され、坑内作業に対する防じんマスクの支給率は向上していたこと(別表4)、防じんマスクの性能の維持のため日本工業規格を設け、性能向上に応じて度々規格を変更したことを勘案すれば、明確な規制はなされなかったものの、防じんマスクの普及につき全く放置していたわけではなく、右の点の遅滞が著しく不合理なものとして違法と評価されるまでには至らないというべきである。また、鉱務監督官の監督が、防じんマスクの着用の点にまで及んでいたことについては、前記2(四)で認定したとおりである。

(②について)

発破後の粉じんの鎮静にかかる時間は、当該発破箇所で行う発破の起砕鉱量、通気の条件、測定場所によって大幅に異なり(乙A七三)、これを調査した文献においても区々であって(採鉱と保安第八号(昭和三〇年、甲六三)では風量に応じて七ないし一八分、鉱山保安テキスト(甲四〇六)では四〇分ないし六〇分)、さらに、粉じん測定器の絶対的な精度にも問題があったことは前記(四)(2)のとおりである。そうすると、これについて明確な数値基準を示して法的拘束力のある規制に及ばなかったからといって、著しく不合理なものということはできない。

(③について)

岩粉の散布は、爆発性の炭じんの処理のために有効な手段とされ、多量に使用されていたものであるところ、昭和二〇年代においては、坑内ズリを原料とした自家製岩粉等が多く使用され、これは相当量のけい酸分を含むものであった。昭和三〇年の炭則改正の後は、これに代えて、遊離けい酸分が一パーセント程度の石灰岩を原料とした岩粉が製造販売されるようになったところ、そのけい酸分含有率は数パーセント以下であった(甲二四八、一一〇七、乙X一)。さらに、石灰岩を原料とする岩粉を使用すべきことについて指導監督もなされていた(札幌鉱山保安監督部が北炭に対し改善指導したことにつき、甲三〇四)。以上によれば、この点に関する原告らの主張は採用できない。

(七) じん肺教育

(1) 原告らの主張

鉱山労働者に対してじん肺の教育をすることは、じん肺防止の実現にとって不可欠なことであるにもかかわらず、炭則では、昭和五四年まで、じん肺教育をすべきことにつき明文の規定を置かなかった。

(2) 検討

じん肺に関する教育に関連して、炭則の制定後に被告国がなした教育に関連する諸施策としては、前記認定(1(七)(2))のとおり、粉じん測定に関する技術の伝達にかかわる施策がなされたほか、保安技術講習所における保安教育用テキストの配布、粉じん防止の啓蒙資料の作成、広報誌の発刊等を行っている(甲四四〇の2、乙A五三、六九ないし七一、七三、乙X二八五)。そうすると、炭則において、じん肺教育に関する明文の規定がなかったとしても、以上のとおり、被告国は、鉱業権者におけるじん肺教育に相当程度資する各種方策をとっていたものというべきであるから、この点に関する原告らの主張は採用できない。

(八) 鉱務監督官及び監督

(1) 原告らの主張

① 戦前の制度では、商工省に所属し、工学的技術的専門知識を有する鉱務監督官と、内務省に所属し、医師たる資格を有して医学的衛生的観点から鉱山保安監督行政を行う鉱務監督官が存在した。通産大臣は、通産省設置後、医師たる鉱務監督官を一定数配置する制度を創設すべきであったのに、それを怠った。また、医師たる鉱務監督官を任命すべきであったのに、それを怠った。

② 鉱務監督官は、鉱業権者による健康診断が十分に履行され、その結果が有効に役立てられているかどうかについて監督すべきであった。

③ 鉱務監督官は、じん肺の防止を目的とする指導監督を行っておらず、巡回検査における改善指示は極めて少なく、また、監督官の検査の実態は、坑内粉じん作業による粉じんの現実を見ることなく終わり、極めて形式的なものであった。

(2) 検討

(①について)

じん肺についての施策立案に当たっては、珪肺対策審議会等により医学的知見が参照されたことは前記認定のとおりであり、また、じん肺健康診断についてはじん肺法によりじん肺審査医制度が設けられている(後記第七の二1(一))のであるから、これらの事情に鑑みれば、鉱務監督官の中に医師資格を有する者が存在しないとしても、それをもって著しい不合理があるとはいえない。

(②について)

通産省において、けい肺患者実態調査を行っていたことは前記認定のとおりであるが、健康管理措置については、珪肺措置要領、けい肺等特別保護法、じん肺法により規律され、鉱務監督官においてその監督権限を有するものではないから、原告らの主張は採用できない。

(③について)

鉱務監督官の監督が、防じんマスクの使用、散水、風管の延長又は補修、けい酸質区域として指定を受けた坑道での湿式さく岩機の使用、炭壁注水等について及んでいたことがうかがわれることは、前記2(四)認定のとおりであり、それらは必ずしも十分なものではないとしても、違法と評価すべき程度に著しい懈怠があったということはできない。

(九) じん肺検診

(1) 原告らの主張

① 昭和二三年からの珪肺巡回検診、昭和三〇年からの政府じん肺検診は、炭鉱労働者のじん肺の全容を把握するものではなく、貧困で内容規模が低水準なものであった。

② 離職者に対する健康診断を行うように指導することはなかった。

③ 石炭企業におけるじん肺健康診断の実態(いわゆる「じん肺隠し」)を調査しなかった。

(2) 検討

① 珪肺巡回検診は、その対象が限定されており、粉じん職歴を有するすべての労働者に対してなされたものではないが、前記第一の二2での認定によれば、これを契機として、けい肺患者の発見、医学的な研究の深化の端緒となり、けい肺関連の法令の整備ないし施策の遂行上において、極めて有意義であったものであるから、右事情を勘案すれば、これをもって違法と評価すべきものと解することはできない。

② 離職者に対する健康診断に関する制度の存在は、前記1(八)(3)で認定したとおりであるところ、右の点の不備をもって違法とする原告らの主張は採用できない。

③ じん肺法に基づく健康診断について労働省の実施していた監督においては、健康診断について毎年違反を指摘される事業場が相当数あったことは前記3認定のとおりであり、右事実に鑑みれば、右監督に関する限り、著しく不合理と評すべき不作為の存在をうかがうことはできない。

また、原告らは、原告ら元従業員のうち、最初に受けた決定が管理区分四である者の存在を主張し、これをもって、被告企業における健康診断の杜撰さの証左であるとするところ、前記3認定のとおり、健康診断に関して一定程度の監督が行われていたことに照らせば、右の事情のみでは、被告国において、被告企業が労働者に対するじん肺健康診断を行わないことあるいはその結果を労働者に通知しないことを知りつつこれを放置していたとまで認めることは困難である。

(一〇) 粉じん暴露時間規制等

(1) 原告らの主張

① 粉じん作業時間規制

被告国は、坑口八時間規制(労基法三八条二項)という定型的一般的な労働時間規制にとどまらず、粉じん障害を防止するために個別具体的に一層細かく規制すべきであったのに、これを怠った。

② 粉じん作業についての配置転換

被告国は、一定時間粉じん作業に従事した労働者については、非粉じん作業への配置転換が必要であることの認識を有していたのであるから、これを省令立法すべきであった。また、じん肺有所見者について、被告国は、より充実した配置転換の省令立法をすべきであった。

(2) 検討

(①について)

じん肺は、長期間にわたって肺に蓄積された粉じんの変化により惹起される疾患であり、労働者の個体差も大きく、就業場所によっては粉じんの濃度にも差異があることからすれば、作業時間とじん肺発症の危険性との関係を医学上の合理的な根拠をもって確定することは一見して困難と考えざるを得ない。他方、前記3で認定したとおり、労働省は、昭和三五年以降において、石炭企業に対し、労基法三六条ただし書の遵守を強く求めて重点的に監督を行っていたことをも考慮すれば、原告らの主張するような規制をしなかったとしても、これをもって著しく不合理な不作為と言うことはできない。

(②について)

労働省において、けい肺等特別措置法、じん肺法のもとにおいて、作業転換の推進につき一定の措置をとっていたことは前記3認定のとおりであり、作業転換が実現した例は必ずしも多くはないものの、極めて不合理な不作為があったとまでは評価できないところ、さらなる省令立法をすべきであったとする原告らの主張は採用できない。

(一一) その他

原告らは、右の他に、労働基準監督官の鉱山に対する不介入、労働大臣の鉱山保安法五四条に基づく勧告権限の不行使について違法性を主張するが、労働省所管の法令に基づく施策あるいは通産省所管の法令に基づき通産省が実施した施策について、著しい不合理があることが認められないことは以上で認定のとおりであって、その主張は採用できない。

また、原告らは、じん肺に関する総合的調査研究の不作為について違法性を主張するが、これらは、既に検討したところからその違法をいうことはできないことは明らかである。

三  北炭に対する監督権限の行使について

原告らが主張する被告国の指導監督権限の不行使の中には、北炭が操業していた炭鉱における指導監督の不作為を指摘してその違法を主張する部分がある。そこで、以下ではこの点について検討する。

1 北炭の各炭鉱の概要

文中指摘の証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 夕張地区(乙D一、一四、乙X三〇〇、証人小野寺)

夕張鉱業所所属の鉱区は、北海道夕張市の中央北部から清水沢南部に至る地域に所在していた。主な稼行炭層は夕張炭層中に賦存し、ほぼ中央部にある平安八尺層及び十尺層は良好な発達をとげ、炭層は極めて優秀であり、原料炭として使用された。

第一礦及び第二礦は明治二三年に開坑された。一礦は、その北側を幌内鉱業所万字礦に、南側を二礦に接しており、炭層傾斜は一〇ないし三〇度であった。二礦は、炭層傾斜が八ないし一五度の緩傾斜であり、ベルト斜坑を主要坑道として奥部立坑に通じ、これより展開して四区の採炭区域を構成しており、夕張炭鉱の主力をなしていた。二礦区域は昭和四六年に閉山し、一礦区域は昭和四八年九月に終掘閉山した。

第三礦は、昭和九年、石狩石炭株式会社を合併して鉱業権を取得し操業していた区域であり、昭和三八年五月、新夕張炭礦株式会社に譲渡され、昭和四七年に終掘閉山した。

清水沢礦は、旧清水沢駅の東方に所在し、昭和二九年に本格的採炭を開始した。昭和五三年に北炭夕張炭礦株式会社に譲渡され、昭和五五年四月に終掘して閉山した。

夕張新第二炭鉱は、一礦及び二礦の中間部区域に位置し、昭和四五年一〇月から一礦深部を開発したものであった。昭和四七年から自走枠を使用する本格的な機械化採炭による出炭を開始したが、昭和五二年八月に終掘閉山した。

夕張新炭鉱は、未開発の炭田であった清水沢南部区域につき、昭和四五年一〇月ころ開発に着手したものであり、稼行対象炭層は、地表下八〇〇メートル以深にあって含水層であったため特にゆう水が多かった。昭和五〇年六月から営業出炭を開始したが、昭和五六年一〇月のガス突出事故が発生し、閉山した。

(二) 平和地区(乙D一四、二八、三二、三三)

平和鉱業所所管の炭鉱の鉱区は、夕張炭田のほぼ中央部に位置し、夕張市中央区から西部に及んでいた。

真谷地炭鉱は、明治三八年九月に開さくが始まり、本沢坑(後に榊坑)、上の沢坑、楓坑、桂坑などが順次開発され、楓坑及び桂坑がその主力であった。昭和五三年、北炭真谷地炭鉱株式会社が設立され、真谷地炭鉱は右会社に営業譲渡され、昭和六二年まで操業した。

登川礦は、大正八年三井鉱山から買収したものであったが、昭和二九年に採炭終了して閉山した。

角田礦は、昭和二年一〇月に開坑されたが、昭和二八年に北炭から分離し、角田炭鉱株式会社に租鉱権を設定し、昭和四五年まで操業していた。

平和炭鉱は、昭和一二年に開坑された平和礦と、昭和二三年に開坑された平和第二礦とからなっており、昭和五〇年三月に閉山した。

(三) 幌内地区(乙D一四、三四ないし三六)

幌内鉱業所所属の各炭鉱は、三笠、幾春別、桂沢、磐の沢を含む一帯から、万字、美流渡、岩見沢、滝の沢にかけての一帯に所在していた。主な稼行炭層は主として幾春別層中に賦存した。

幌内炭鉱は、明治一二年に被告国が開さくし、同二二年に北炭の前身である旧北炭社に払い下げられたものであり、北炭最古の炭鉱であった。新幌内坑は、昭和一六年に北炭に合併された。幌内炭鉱の炭層は、緩傾斜で断層が比較的少なく、採炭場が深いこと等に特徴があり、昭和三八年ころには海面下六五〇メートル、昭和四九年ころには海面下一〇〇〇メートルに達していた。幌内炭鉱は、昭和五三年から北炭幌内炭鉱株式会社のもとで操業され、平成元年九月に閉山した。

万字礦は明治三八年に、美流渡礦は大正七年に坑口が開さくされ、昭和三五年、経営合理化のため北炭から分離され、それぞれ、昭和五一年及び昭和四四年に閉山した。

(四) 空知地区(乙D一四、一九、二五)

空知鉱業所所管の炭鉱は、石狩炭田最北部に位置し、歌志内市中央部から赤平市末広方面に広がる地域と、その赤平市赤間の沢下流地域からなっていた。主要な稼行炭層は登川層、夕張層、若鍋層及び美唄層であり、稼行可能な炭層の枚数が多く、深部化が避けられたが、断層が少なくなく、複雑な地質構造を有していた。

空知礦は、明治二三年に旧北炭社により歌志内に設置され、主要坑は竜田坑及び興津坑であり、明治四二年には舞鶴坑も開設された。北炭は、昭和三九年、合理化方策として経営を分離することとし、空知礦は、その後、空知炭礦株式会社のもとで操業された。

神威礦は、旧歌志内線神威駅の西南に所在していた。北炭は大正六年に神威礦を買収して開発し、主要坑は、神威坑、第一斜坑及び開北坑であったが、開北坑は昭和二四年に採炭を中止した。北炭は、昭和三八年に神威礦を空知礦に合併し、その後空知炭鉱株式会社のもとで昭和四五年まで操業していた。

赤間礦は、赤平駅東方に所在していた。北炭は大正六年に鉱区を取得し、一時採炭を中止したが、昭和一二年八月に赤間礦を新設し、その後休止中であった赤平坑口とともに操業していた。北炭は、昭和三五年九月、合理化方策として経営を分離し、赤間礦は赤間炭礦株式会社のものとなったが、昭和四〇年、右会社は空知炭礦株式会社と合併した。赤間礦では昭和四八年まで採炭が行われていた。

天塩礦は、北炭により明治三四年に鉱区を取得されていたが久しく休眠状態に置かれ、昭和一三年から人造石油原料炭の採掘を目的として開発が行われたが、炭層賦存状態が不安定であり、工場用、家庭用炭の供給に転換した。昭和二五年、天塩炭鉱鉄道株式会社に譲渡され、昭和四二年一〇月に閉山した。

2 北炭における粉じん防止対策等

証拠(証人小野寺のほか、文中指摘のもの)によれば、以下の事実が認められる。

(一) じん肺患者発生の認識等

昭和初期のころ、北炭の炭鉱病院の医師が、炭坑夫におけるじん肺(けい肺)の発生につき研究を行い、その存在が認識されていた(前記第一の二1(三)(3))。

戦後、労働省により、珪肺巡回検診が行われ、昭和二七年ころから、社内報などでその存在が取り上げられることとなった。

昭和三一年、北炭は、その労働組合連合会との間で、けい肺に関する協定を締結したところ、その内容は以下のとおりであった。①(予防措置)会社は関係法例等に従い、予防知識普及のため衛生教育を行い、粉じん量の低下を図るため作業場における作業行程の湿式化、堆積粉じんの除去等の措置を行い、けい酸じんの量をできるだけ少なくするように努力する。②(防じんマスク)粉じん作業に従事する作業員に対し防じんマスクを無償貸与する。③肺結核に罹患している者及びその既往症を有するもので医師が粉じん作業に従事することを不適当と認めたものはその作業に従事させない。④配置転換した場合には一定日数分の補償給付を行う。⑤けい肺罹患者に対しては栄養補給を行う。⑥療養のため休業あるいは入退院したときは見舞金等の金員を支給する(乙D一〇、一一)。

昭和三四年ころにおける、けい肺患者の発生状況は、検診対象者七六一七名中、第一症度四九一名、第二症度一二六名、第三症度二八名、第四症度一九名であった(甲二六八)。

(二) 粉じんの測定

北炭では、昭和二〇年以後、労研式及び粉研式粉じん計を備えて、測定要員を養成して粉じんの測定を行ったことがあり(乙D一、二一)、昭和三四年ころにおいては、各鉱業所に複数台の測定器が存在していた(甲二六八)。もっとも、その後における粉じんの測定の頻度及び態様についてはこれを具体的に認めるに足りる証拠はない。

(三) けい酸質区域指定及び湿式さく岩機の使用状況等

(1) 夕張地区

夕張炭鉱第一礦丁末坑、第二礦本坑、第三礦松島坑、第三礦橋立坑は、昭和三四年一二月、全区域に賦存する幌内層、幾春別層中の砂岩層及び砂質頁岩層、若鍋層並びに夕張層における掘進作業場(ただし稼行対象となっている炭層の沿層掘進作業場を除く)につき、けい酸質区域指定を受けた。そのころ、北炭では、湿式さく岩機の導入を検討したが、減圧の困難と軟質の岩石とのため実用的でないとの結論に至り、採用せず、昭和三九年ころの時点でも専ら乾式のさく岩機を使用していた(甲二六八、二七四、一二一三、乙D一、証人吉田)。

他方、清水沢坑は、昭和四五年八月、全区域に賦存する夕張夾炭層を掘進する各作業場がけい酸質区域指定を受けた。清水沢坑では、これに先立つ昭和三八年ころから昭和四三年ころまでの間、湿式さく岩機は使用されていなかった(甲二七四、証人吉田)。

その後、昭和四〇年代になって、タンクあるいは減圧弁による減圧を行う方法で、湿式さく岩機の利用が試行錯誤された。昭和五〇年代になり、減圧弁が改良されたことから、湿式さく岩機が本格的に使用されるようになった。もっとも、夕張新鉱においては坑内が湿潤であったこともあり、湿式さく岩機は使われていなかった(証人吉田)。

(2) 平和地区

真谷地炭鉱の楓坑は、昭和三二年五月、全区域に賦存する夕張夾炭層上部の幌内頁岩層中における掘進作業場(ただし掘進作業場に限る)につきけい酸質区域指定を受けた。また、同桂坑及び楓坑は、昭和三四年一二月、桂坑全区域に賦存する夕張層及び幌内層並びに楓坑の全区域に賦存する夕張層における掘進作業場(ただし稼行対象となっている炭層の沿層掘進作業場を除く)につきけい酸質区域指定を受けた。さらに、桂坑は、昭和四五年七月、全区域に賦存する若鍋層を掘進する作業場につきけい酸質区域指定を受けた。

楓坑では、右指定を受けた後、古河鉱業足尾製の湿式さく岩機をウォータースイベル式で使用し、その後、ウォーターチューブ法・タンク方式に切り替えて使用していたが、ウォーターチューブの損傷等の技術上の難点があり、昭和三〇年代においては実用性は芳しくなかった(乙D二八)。

真谷地炭鉱における昭和三〇年代の掘進切羽数及び使用中のさく岩機の台数は、別表7の「真谷地」欄記載のとおりである。

(3) 幌内地区

幌内坑、新幌内坑は、昭和三四年一二月、全区域に賦存する幾春別層中の砂岩層及び砂質頁岩層における掘進作業場(ただし稼行対象となっている炭層の沿層掘進作業場を除く)につき、けい酸質区域指定を受けた。なお、万字礦、美流渡礦は、けい酸質区域指定を受けたことはない。

幌内炭鉱では、右指定時期に先立って湿式さく岩機を試用したが、ウォーターチューブの損傷等の技術上の難点があり、昭和四一年ころにおいても実用性は芳しくなかった(乙D三四)。昭和四二年ころになって、湿式さく岩機が導入され、当初は減圧弁による減圧が試みられたが、圧力の変化に対応できず必ずしも成功しなかった。その後、水タンクを利用して圧搾空気圧によりさく岩機に給水する方法が一般化した。もっとも、亀裂の多い岩石のせん孔には、繰り粉の排出が悪いため乾式が利用され、ノズルによる噴霧等が併用された(乙D八)。

幌内炭鉱における昭和三〇年代の掘進切羽数及び使用中のさく岩機の台数は、別表7の「幌内」欄記載のとおりである。なお、被告国は、「防じん対策実施状況調」(甲一二一三)において、昭和三九年三月末ころの幌内炭鉱において湿式さく岩機の保有がないとされている点に疑問を呈しているが、右の認定に照らし採用できない。

(4) 空知地区

空知礦のうち、興津坑、竜田坑、舞鶴坑、金井沢坑、神威本坑、第一斜坑は、昭和三四年一二月、全区域に賦存する登川層中の砂岩層及び頁岩層並びに若鍋層中における掘進作業場(ただし稼行対象となっている炭層の沿層掘進作業場を除く)につき、けい酸質区域指定を受けた。

赤間礦の本坑は、昭和三八年一〇月、若鍋層中の砂岩層における掘進作業場(ただし稼行対象となっている炭層の沿層掘進作業場を除く)につき、けい酸質区域指定を受けた。

空知礦における昭和三〇年代における掘進切羽数及び使用中のさく岩機の台数は、別表7の「空知」欄記載のとおりである。

赤間礦においては、昭和三四年三月ころには五つの岩石掘進切羽があったが、専ら乾式のさく岩機が使用されていた(甲二六八)。

(四) 散水設備等

北炭の各礦における昭和三〇年代における散水箇所数及び散水設備の数は、別表7の対応欄記載のとおりである。

発破後の散水は、行われていたこともあったが、散水管が遠い場合などには必ずしも励行されていない場合もあった。昭和三七年ころの夕張鉱業所作成の作業手順書には、岩石掘進における散水に関する記述はない(甲三〇三)。なお、夕張新鉱では、散水の設備はあったが、坑道の保護のために散水がなされないことがあった(証人安部)。噴霧発破は、夕張新炭鉱の深部でのガス突出対策として、昭和四九年ころから行われるようになった。

(五) 防じんマスク

昭和二〇年代において、一部の掘進夫に防じんマスクが支給されていたが、昭和三一年に締結された労使間のけい肺協定において、粉じんの甚だしく発生する箇所の作業員(主として直接員)について、会社からマスクが支給される旨の取決めがなされた(乙D一〇、一一、証人小野寺、証人吉田)。マスクの管理方法については一通りの注意がなされたが、その後は貸与された者個人の管理に委ねられた。さらに、昭和三七年ころは、支柱員に対しても、マスクが支給されていた(証人安部)。

昭和三四年及び三六年ころにおける北炭の防じんマスク支給状況は、別表7の「防じんマスク」欄記載のとおりである。

保安規程に防じんマスクの着用が具体的に規定されるようになったのは、昭和五五年ころからであった。右保安規程においては、著しく粉じんを飛散させる坑内作業場(採炭、掘進、運搬、充てん、ボーリング、岩粉散布)における就業について、防じんマスクの使用を義務付けた。また、保安計画にもこのころから粉じん対策について記載されるようになった(乙X三〇三、三〇四)。

(六) じん肺教育

じん肺教育については、新採用教育時にある程度触れられることがあり、集会所にレントゲン写真を陳列するなどして啓蒙したほか、現場において作業上の注意の一つとして散水をなすべきこと等につき言及がなされることがあった(証人小野寺)。また、労働組合との間で昭和三一年に締結されたけい肺に関する協定書において、けい肺の予防知識普及のため会社は衛生教育を行うことが定められた(乙D一〇、一一)。空知鉱業所では、昭和三四年ころの全国労働衛生週間の行事として、衛生保護具の点検を実施目標としその普及宣伝を行い、けい肺検診を実施するなどした(乙D二六)。

昭和五五年ころから、保安規程において、保安教育としてなすべき項目として、じん肺の予防が正規に取り上げられ、テキストを用いて教育を行うようになった(乙D二、乙X三〇六)。

(七) 健康診断と配置転換

北炭においては、坑内及び坑外の労働者に対して、定期健康診断を行っていたほか、けい肺ないしじん肺健康診断を実施していた(乙D一四、一五、証人小野寺)。

じん肺健康診断の結果、配置転換をし、直接員から間接員になった者も存在したが(乙A一〇一、一〇二)、これを拒む者もいた。昭和三八年、北炭とその労働組合連合会は長期生産計画協定を締結したが、右協定中に、じん肺対策として、「坑内員については年二回の定期診断を行なう外、管理一および二以上については夫々法に従い定期検査を行なっているが、この定期診断を受けなかったり、管理三で職場配置転換を嫌う傾向があるので之が是正に努める。」旨の条項がある(乙D三、証人安部)。

3 検討

以上の認定を前提に、原告らの主張について検討する。

(一) けい酸質区域指定及び湿式さく岩機の使用

(1) 原告らの主張

① 被告国は北炭の各炭坑におけるけい酸質区域の指定につき、遊離けい酸分の調査を実施しないか、あるいは実施しながらも右制度の発足から七年から一〇年後になって指定するなど、制度の運用を大幅に遅らせた。

② 北炭は、けい酸質指定区域以外においてのみならず、区域内においても、湿式さく岩機を使用させることを懈怠していたところ、被告国はこれに対する指導監督を怠り、右状態を容認していた。

(2) 検討

(①について)

被告国は、北海道の炭鉱については、昭和三二年に二炭鉱、昭和三四年に一〇炭鉱、その後昭和三〇年代中に五炭鉱を、それぞれけい酸質区域に指定し、北海道においても、昭和二八年度から調査が行われ、昭和三三年度から三七年度にかけて毎年二五〇程度の試料を収集していた(別表5)。

また、原告らの指摘する個別の炭鉱についてみると、神威礦については、前記のとおり、神威本坑、第一斜坑について、昭和三四年一二月にけい酸質区域指定がなされているから、その前提として、被告国により遊離けい酸分の調査が行われていることが認められる。また、万字礦については、昭和二八年から三六年にかけて五回、美流渡礦については昭和三六年に一回、清水沢炭鉱については昭和二九年から四四年にかけて六回、赤間礦については昭和三〇年から三六年にかけて三回、それぞれ、遊離けい酸分の調査が被告国により行われているが(別表5)、調査の結果、指定基準を上回ったにもかかわらずあえて指定をしなかったこと、あるいは、指定を遅らせたことまでをうかがわせる証拠はない。もっとも、昭和三四年三月ころの防じん対策状況調べ(甲二六八)によれば、清水沢炭鉱における遊離けい酸分が三〇パーセントを超えるものとなっているが、右調査は、同炭鉱の本坑及び斜坑から一つずつサンプルを抽出したものに過ぎず、調査主体も不明であって、これのみをもって不指定が違法であると断定することはできない。

(②について)

前記2(三)の認定によれば、昭和三四年一二月に指定を受けたにもかかわらず、昭和三九年三月ころになっても湿式さく岩機が導入されていた形跡がない炭鉱(夕張、幌内礦、空知礦)が存在するけれども、それらの炭鉱においても、湿式さく岩機の使用が試みられていた事実はうかがえること、逆に、昭和三九年三月ころにはすべてのさく岩機が湿式となっていた炭鉱(真谷地)が存在すること、被告国においても、監督実施要領において、巡回検査の重点として、遊離けい酸指定炭鉱に対し湿式さく岩機の使用等を厳重に監督するとともに、湿式化の進行状況を定期的に報告せしめるほか、指定炭鉱以外であっても湿式化を推進することを挙げ(乙A二三五の2)、空知炭鉱につき、けい酸質指定区域における湿式さく岩機の使用等につき改善指示をした監督指示書が存在すること(乙A九六)等に照らせば、北炭におけるけい酸質指定区域での湿式さく岩機の使用の指導監督について、被告国が全く放置していたとまで評価することはできない。

(二) 散水等

(1) 原告らの主張

北炭は、掘進切羽での散水設備の設置を著しく遅延していたところ、被告国は、防爆対策としての散水対策はともかく、じん肺対策としての散水を軽視し、指導監督を怠った。

(2) 検討

別表7によれば、掘進切羽における散水箇所数につき零である鉱業所が存在するが、散水装置の数を含めて散水状況を勘案すれば、必ずしも散水が全く行われていなかったわけではないことがうかがわれる。また、監督指示書の中には、掘進に当たり散水管の延長を速やかに行い、せん孔前に周囲の岩盤等に散水を行うことを指示したものも存在し(乙A九六)、この点に関する監督がなされることがあったことが認められるから、著しく不合理な不作為があったということはできない。

(三) 防じんマスク

(1) 原告らの主張

北炭においては、炭則の規定にもかかわらず、昭和二〇年代においてはマスクが支給されていなかったところ、被告国は、これに対して指導監督を行わず、その後においても適切な調査と指導を怠った。

(2) 検討

前記認定によれば、北炭における防じんマスクの支給は、昭和二〇年代において一部の掘進夫に対してなされており、昭和三〇年代を通じてその支給範囲を拡大していたことが認められるところ、その普及率は十分なものとはいえないものの、被告国においては、北炭に対する指導監督においてマスクの着用に関する指示は比較的多くなされていたものであるから(乙A二一九、二二一、二二二、二二四ないし二二九)、原告らの主張は採用できない。

(四) 健康診断・配置転換

(1) 原告らの主張

北炭で粉じん作業に従事していた原告ら元従業員の中には、退職後初めて管理区分四などの重い症状の決定を受けた者や、管理区分三の決定を受けながら粉じん作業を継続していた者が存在し、これは北炭において「じん肺隠し」が行われていたという実態の証左であるところ、被告国は、じん肺健康診断の実施及び配置転換勧告を懈怠した。

(2) 検討

原告らの主張するように、北炭における就労者の中には、粉じん作業からの離脱後になって初めて管理区分決定を受け、その管理区分が四であった者や、管理区分三の決定を受けながら粉じん作業を継続していた者が存在することは争いがない。しかしながら、在職中にじん肺健康診断を受けていても異常所見なしとの診断となることがあることからすれば、在職中に管理区分の決定を受けていないことをもって、直ちにじん肺健康診断が行われていなかったと断ずることはできないし、また、管理区分三の決定を受けた後、作業転換を行った者が存在することは前記認定のとおりであって、北炭において管理区分の決定の通知が組織的に行われていなかったとまではいうことはできず、被告国において、北炭における通知の懈怠に加担したものということもまた困難である。したがって、原告らの主張は採用できない。

(五) じん肺防止教育

(1) 原告らの主張

北炭においては、昭和五四年の炭則改正以後になってじん肺教育が組織的に行われるようになったところ、それ以前において被告国がじん肺教育について指導監督した事実は皆無である。

(2) 検討

前記2(六)の認定によれば、昭和五四年以前の段階でのじん肺教育は、必ずしも組織的体系的なものであったとは言い難いものの、全く欠如していたとまでいうことはできず、他方、被告国においてじん肺教育に関して一定の施策を実施していたことは前記二で認定したとおりであって、著しく不合理と認めるべき不作為があったということはできない。

四  総括

以上のとおり、原告らが指摘する諸点を個別にみれば、被告国における規制監督権限が、その根拠となる法の目的を十二分に実現するものと評価し得る程度に行使されたとは言い難い部分があるものの、それぞれの個別項目において、一定の必要な施策を実施してきたと言い得るものであり、さらに、原告らが主張する諸点を全体としてみたとしても、その時代的な進展、すなわち、けい肺が社会問題化した昭和二〇年代、炭じんも含めた粉じん一般の危険性が実証的に認知された昭和三五年ころ及び随時申請による管理区分四の決定の増加傾向が決定的となった昭和五〇年代前半において、それぞれ、粉じん対策において一定の強化をみており、この間の石炭政策の動きに呼応した炭鉱における労働生産性の向上の状況を考慮に入れてもなお、その不作為が、違法とされる程度にじん肺対策を放擲していたものと断じるべきと解することはできず、したがって、原告らが主張する被告国の規制監督権限の不行使は、著しく不合理なものとして裁量権を逸脱し違法の程度に至っているということはできないから、被告国が、原告ら従業員に対する関係において、国賠法上の責任を負うとは認められない。

第七  損害及び因果関係

一  本訴請求にかかる損害の内容

原告らは、本訴において、じん肺罹患の程度を問わず、原告ら元従業員一名につき各三〇〇〇万円の慰謝料を請求するものであり、右につき、原告ら元従業員がじん肺罹患によって被った財産的・精神的損害につき個別にこれを主張しないが、その総和は各人につき三〇〇〇万円をはるかに上回るものであるとする。

しかしながら、他方において、原告らは、右三〇〇〇万円の請求の内容を慰謝料と表示し、本件の損害賠償請求はじん肺被害に起因する財産的損害以外の損害を包括的に請求するものであるとしているところに照らせば、原告らは、本訴において、財産的損害に係る請求を実質的に放棄し、生命、身体、人格等に対する法益侵害により生じた精神的損害の請求のみをしているものと解することができる。

二  慰謝料算定の基礎事由と基準額

原告らの請求する損害が右の内容であるとすれば、その損害額の算定に当たっては、まず、精神的苦痛の主要な原因たるじん肺による健康被害の客観的な程度について考察した上、じん肺の罹患が原告ら元従業員の生命及び身体に与えた苦痛の特質、症状の程度、入院等による療養の期間、じん肺の罹患が原告ら元従業員の生活全般に与えた影響を考慮し、さらに、被告企業による健康管理措置の適切性等の安全配慮義務違反の態様、じん肺罹患に対して既になされた補償措置等の諸般の事情をも総合して、これを判断すべきと解される。

1 じん肺による健康被害の程度と健康管理措置

じん肺に罹患した者の健康管理に関する措置については、累次の法令により手当てが行われているところ、右措置は、医師によるじん肺の罹患状態に関する健康診断を基礎としてなされている。そこで、その内容につき検討する。

(一) 現行のじん肺法におけるじん肺管理区分の認定の概要

(1) 手続

改正じん肺法によれば、一定の粉じん作業を行う事業者は、使用する労働者に対し、就業時、定期、定期外及び離職時(労働者から請求があった場合)にじん肺健康診断を実施する義務があり(七条ないし九条の二)、じん肺健康診断を実施し、医師によりじん肺の所見があると診断された労働者については、じん肺管理区分の決定の基礎とするため、都道府県労働基準局長に対して、エックス線写真、じん肺健康診断結果証明書等を提出する義務がある(一二条)。

また、労働者又は労働者であった者は、随時、右の書面を提出してじん肺管理区分の決定をすべきことを申請することができる(一五条)。

都道府県労働基準局長は、使用者又は労働者からの申請に基づき、地方じん肺審査医の診断又は審査の結果により、じん肺管理区分の決定を行う(法一三条)。管理区分の決定には、一般の疾病とは異なる特別の知識と経験が必要であるため、じん肺について専門的知識を有する医師が中央及び地方においてじん肺審査医として任命されている。

(2) 管理区分の内容

じん肺健康診断は、粉じん作業歴の調査、胸部エックス線直接撮影検査、胸部臨床検査、肺機能検査及び合併症に関する検査からなり(三条)、管理区分の認定は、主としてエックス線写真の像及び肺機能障害の二つの要素の組合せにより行われる。

エックス線写真像は、第一型から第四型までに大きく分類される。第一型(PRI)は、両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が少数あり、かつ、大陰影(一つの陰影の長径が一センチメートルを超えるもの)がないと認められるもの、第二型(PR2)は、両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が多数あり、かつ、大陰影がないと認められるもの、第三型(PR3)は、両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影が極めて多数あり、かつ、大陰影がないと認められるもの、第四型(PR4)は、大陰影があると認められるものをいう。大陰影については、陰影が一つ又はそれ以上で、その面積の和が一側肺野の三分の一を超えるものをPR4Cと分類している(四条)。

胸部臨床検査においては、既往歴や自覚症状等が聴取され、呼吸困難については、問診票により息切れの程度が調査され、その程度が第Ⅰ度から第Ⅴ度に分類される。

他方、肺機能検査は、一次検査と二次検査とに分かれる(同法施行規則五条)。

一次検査においては、スパイロメトリーによる検査で、パーセント肺活量(肺活量の肺活量基準値に対する割合。拘束性障害の指標)及び一秒率(一秒間における肺活量の努力肺活量に対する割合。閉塞性障害の指標)を求め、フロー・ボリューム曲線(気流速度と呼出気量の関係を示したもの)でⅤドット25(最大呼出位努力肺活量の二五パーセントの肺気量における最大呼出速度)を求める。

一次検査の結果、著しい肺機能障害ありと判定されるのは、①パーセント肺活量が六〇パーセント未満の場合、②一秒率が性別・年齢別に定められた一定の限界値未満の場合、③Ⅴドット25を身長で除した値が性別・年齢別に定められた一定の限界値未満であり、かつ呼吸困難の程度が第Ⅲ度ないし第Ⅴ度の場合である。

二次検査は、①自覚症状、他覚所見等から一次検査の実施が困難と判断された者、②一次検査の結果等からは著しい肺機能障害があると判定されないが、その結果が二次検査を要する基準に至っており、かつ、呼吸困難の程度が第Ⅲ度以上の者、③二次検査を要する基準に達していないが、呼吸困難の程度が第Ⅲ度以上の者、又は④エックス線写真像が第三型又は第四型の者について行われる。

二次検査では、動脈血ガスを測定し、酸素分圧及び炭酸ガス分圧から肺胞気・動脈血酸素分圧較差(AaDO2)を算定する。右の値が性別・年齢別に定められた一定の限界値を超える場合には、諸検査の結果と併せて著しい肺機能障害があるとされる。

また、肺機能検査の結果の判定に当たっては、肺機能検査によって得られた数値を機械的に当てはめることなく、エックス線写真像、既往歴、過去の健康診断の結果、自覚症状及び臨床所見等を総合的に判断することとされており、判定の区分は、じん肺による肺機能の障害がない(F-)、じん肺による肺機能の障害がある(F+)、じん肺による著しい肺機能の障害がある(F++)の三種類からなる。

以上の結果、①じん肺の所見がないと認められるものを管理一、②エックス線写真の像が第一型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理二、③エックス線写真の像が第二型で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理三イ、④エックス線写真の像が第三型又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)で、じん肺による著しい肺機能の障害がないと認められるものを管理三ロ、⑤エックス線写真の像が第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一を超えるものに限る。)と認められるもの、又はエックス線写真の像が第一型、第二型、第三型又は第四型(大陰影の大きさが一側の肺野の三分の一以下のものに限る。)で、じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるものを管理四とする。

(3) 措置の内容

管理区分の決定を受けた労働者に対して事業者がとるべき措置は、その決定区分に応じて、粉じん暴露の低減措置、作業転換及び療養の三種類に分かれ、その概要は以下のとおりである。

① 粉じん暴露の軽減措置

管理二又は管理三イと決定された労働者について、粉じん濃度がより低い作業場への移動、粉じん作業に従事する作業時間の短縮等の措置をとるように努力すること。

② 作業転換

管理三イと決定された労働者について、都道府県労働基準局長から非粉じん作業に従事させるべきことを勧奨されたときは、これに努めること。

管理三ロと決定された労働者については、非粉じん作業に従事させるように努めること。また、都道府県労働基準局長から非粉じん作業に従事させるように指示があったときはこれに従うこと。

③ 療養

管理四又は法定合併症(後記(二))の決定がされた労働者について、療養させること。療養には休業させて治療を受ける場合と就業しながら治療を受ける場合がある。

(二) 法定合併症

改正じん肺法は、じん肺と合併した肺結核その他のじん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる疾病を合併症とし(二条一項)、同法施行規則では、じん肺管理区分が管理二又は管理三と決定された者が罹患した肺結核、結核性胸膜炎、続発性気管支炎、続発性気管支拡張症及び続発性気胸の五種類をこれに指定している(法定合併症)。これは、じん肺の経過に伴って出現する疾病のうち、一般的に可逆的で、かつ治癒した後に肺機能に障害を残さない疾病は、じん肺の管理区分の決定要因に含めないこととし、その疾病が出現した際に適切な医学的管理を行うことを目的としたものである(乙X二二一)。

このうち、肺結核は、じん肺と起因因子は異なるが、じん肺患者に高い頻度で発生することが知られており、肺結核は旧じん肺法において管理区分の決定要因とされていたが、改正じん肺法では、肺結核がじん肺の合併症の主たるものではなくなる傾向にあること、医学の進歩により難治性が克服され、結核がじん肺による死因において占める割合が低下してきたこと等に伴い、法定合併症として位置付けられることとなった(乙X二二一)。

その他の法定合併症は、じん肺の病変を素地としてそれに外因が加わること等により高頻度に発症するとされるものである。このうち、続発性気管支炎は、じん肺による気道の慢性的な炎症症状に、細菌感染という外因が加わることによって、その状態が増悪して急性期となった状態をいい、咳が通常の状態よりも激しくなり、あるいは発作的になり、さらに痰が膿性痰となり、その量が増える(乙X二七一の2)。続発性気管支炎の罹患の有無については、一年のうち三か月以上毎日のように咳と痰があるという自覚症状のある者について、痰の量及び性状等を検査して判定する(乙X二二三)。

法定合併症が認められる者については、業務上の疾病として療養を要するものとされ、健康診断がなされた日に発病したものとみなし、休業補償給付等の所定の労災保険給付を受けることができる。この場合の休業補償給付は、給付基礎日額の八〇パーセントに相当する額であり、退職後に労災保険給付の対象となった場合には最後に粉じん作業に従事した事業場の離職した日に遡って同時の平均賃金をもとにその後の賃金上昇率を乗じて算定される(乙X二二一)。

(三) 旧じん肺法における決定の取扱い

旧じん肺法の改正に当たり、経過措置として、旧じん肺法に基づき健康管理四、同三、同二、同一の二の決定を受けた者は、それぞれ、改正じん肺法においてじん肺管理四、同三ロ、同三イ、同二の決定とみなされることが政令で定められた。

なお、旧じん肺法の判定基準では、エックス線写真像上でじん肺の所見があり、かつ活動性の肺結核が認められれば、肺機能障害の程度を問わず健康管理四とされていたところ、改正じん肺法では、これについてもじん肺管理四とみなされるが、肺結核の治癒によって療養を要しなくなったと診断された場合には、その時点でじん肺健康診断を行い申請を行うことが望ましいとされる(乙X二二一)。

(四) まとめ

以上によれば、改正じん肺法は、じん肺の進行を予防するという目的から健康管理措置を講じるための前提として管理区分を設けているものであるが、その判定は、エックス線写真像の進展による器質的変化の程度と肺機能障害の程度とを組み合わせて行い、じん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる合併症の有無についても判断して療養の要否を定めることにしていることからすれば、その判定枠組み自体、じん肺罹患による健康被害の程度を判断するという目的においても、極めて有効なものということができる。

また、その判定手続についても、労働者を診察した医師によるじん肺健康診断の結果を都道府県労働基準局に提出させ、じん肺審査医の診断又は審査に基づき、じん肺管理区分の決定を行う仕組みをとっており、統一的な判断基準に基づき専門医が判断したところに基づいて行政機関が決定を下している(実際にも検査医の意見とは異なった判定がなされることがある。甲一二四番四ないし六)ところからすれば、その判定は特段の事情がない限り信頼するに足るものということができる。

さらに、じん肺管理区分二、三イ及び三ロの各決定を受けた者については、法定合併症の認定がない限り、非粉じん作業に従事することを許容されているが、法定合併症の認定がある場合については、療養すべきものとして労災給付が支給されることとされていることからすれば、合併症の認定の有無は、身体状況に関する判断の重要な要素として、考慮に入れるべきであると考えられる。

以上に対し、被告企業は、じん肺管理区分は、じん肺の予防と健康管理を目的としたものであって、その判定は原告ら元従業員のじん肺の症状を必ずしも適切に反映していないとし、測定方法上の問題、判定基準上の問題を指摘するけれども、右の認定に反する限りにおいてこれを採用することはできない。

なお、じん肺は、進行性の疾病であり、粉じん作業から離脱してもなお線維増殖性変化が進行する場合があることは前記認定のとおりであるが、原告ら元従業員の各人についてその将来における進行を確実に予見することは不可能と言わざるを得ないから、原告ら元従業員の個別の健康被害の程度は、口頭弁論終結時における状況につき判断するほかはなく、原告らの損害が一律に評価されるべきとまでいうことはできない。

2 じん肺罹患による精神的苦痛

本件訴訟における原告らの本人尋問の結果とその作成にかかる陳述書からうかがわれる原告ら元従業員におけるじん肺罹患状況をもとにして、その精神的苦痛の内容についてみれば、以下のとおりの事実が認められる。

(一) じん肺患者は、じん肺に罹患したことにより、じん肺というそれ自体深刻な性質を有する疾病を、死亡に至るまで宿すことを受け容れなければならない。その深刻さは、まず第一にじん肺の不可逆性、すなわち、肺内で生じたじん肺の病変は、線維増殖性変化、炎症性変化、気腫性変化のいずれもが可逆性を持たないものであり、病変そのものについては本質的な治療の方法がないという点に存し、第二に、じん肺の進行性、すなわち、肺における線維増殖性変化は、粉じん作業の継続により粉じんの吸入を続ければ進行するばかりか、粉じん作業から離脱して、粉じんの吸入を止めた後であっても、進行を続け、エックス線写真上で見られる線維増殖性変化が進展する場合があるという点に存する。

(二) また、じん肺患者の闘病の困難さもまた深刻なものである。管理区分四に該当する者は、すべて療養を要するものとされているが、本件における管理区分四該当者の個別の症状の経過及び生活状況に関する認定(別紙「じん肺罹患状況一覧表」)を概観すれば、これらの者の中には、症状が重篤で長期間にわたって入院し、あるいは入院しないまでも寝たり起きたりの状態であったり、呼吸困難のため日常の起居にも不自由を来すという状況にあり、そのままじん肺あるいはその合併症により苦しみながら死亡した者もある。したがって、管理区分四該当者の被った精神的損害に対する評価については、一般の不法行為等により労働能力を完全に喪失し、又は死亡するに至った場合のそれに比してさしたる違いを見出すことはできないというべきである。

そして、原告ら元従業員のうち、じん肺を直接の原因として死亡した者については、死亡により、じん肺罹患による苦痛の程度が最大化されたものとして、これを慰謝料算定において考慮すべきである。

他方、より軽度の障害に過ぎない者であっても、重い咳や息切れ等の症状に苦しみ、坂道等の歩行は困難で、家でも休んでいることが多く、夜間に重い咳が続いたり呼吸困難に陥るため、家庭の介護を要するといった状況にある。そして、これらの者は、総じて、被告企業を退職した後じん肺の進行により徐々に労働能力を喪失していったもので、労災保険法等による保険給付を受けるまでの間、窮迫した生活を余儀なくされた者が少なくないことがうかがわれる。

(三) さらに、被告企業においては、原告ら元従業員の雇用者として、その健康管理とじん肺罹患の予防につき深甚の配慮をなすべき立場にあったものであるが、その安全配慮義務の履行が必ずしも容易であったとはいい難い一時期があったとはいえ、前記で認定したとおり、粉じん一般の危険性が認知されるようになった時期以降においてさえ、坑内労働者のじん肺罹患の高度の危険性に応じた十分な対処をとることを怠ったという事情がある。

また、被告企業において、じん肺患者に対する労災給付につき、金銭的出捐をしているとしても、それによって、財産的損害についての填補はともかく、じん肺罹患による精神的な苦痛については、これを十分に和らげたものとは言い難い。

3 慰謝料の基準額

以上で認定した、じん肺罹患による健康被害の程度に関する考え方と、じん肺罹患による精神的苦痛の内容とを総合すれば、原告ら元従業員の慰謝料については、次のとおりの基準に従って律することが適当である。

(一) じん肺に起因する死亡

金二二〇〇万円

(二) じん肺管理区分四の決定を受けたもの 金二〇〇〇万円

(三) じん肺管理区分三ロの決定を受けたもの

(1) 法定合併症のあるもの

金一八〇〇万円

(2) 法定合併症のないもの

金一六〇〇万円

(四) じん肺管理区分三イの決定を受けたもの

法定合併症のあるもの

金一五〇〇万円

(五) じん肺管理区分二の決定を受けたもの

法定合併症のあるもの

金一二〇〇万円

三  原告ら元従業員の個別の損害

被告三井ら又はその下請企業に在籍し粉じん作業に従事していた原告ら元従業員が、じん肺法等に基づいて受けた決定の内容(じん肺法施行規則一条に定められた法定合併症の罹患の有無を含む。)と、じん肺罹患により被った個別の精神的苦痛に関する事情については、別紙「じん肺罹患状況一覧表」の「罹患状況等に関する認定」欄記載のとおりであるところ、原告ら元従業員について認められるべき慰謝料額については、それぞれ、同「慰謝料等に関する個別判断」欄のとおりとすることが相当である。

なお、原告ら元従業員の中には、肺がんを直接の死因として死亡した者が存在する(一陣六番岡田清藏、同一六番佐々木長一、同一〇五番伊原正己、同一〇八番田中義正)。この点、我が国ではじん肺症患者に肺がんの合併する頻度が一般人口における場合よりも高いこと、じん肺症患者に肺がんが合併した場合は高度に進展したじん肺病変の存在が肺がんの早期発見を困難にし、肺がんの治療方法を制限すること、予後不良という医療実践上の不利益を招くということからして、労災実務においては、じん肺管理区分四と決定された者について発生した肺がんを業務上の疾病として扱っているところ(乙A一)、じん肺管理四の決定を受けたじん肺患者が肺がんによって死亡した場合については、右の如きじん肺の肺がんに対する負の影響力に鑑み、慰謝料算定の場面においては、じん肺による死亡と同列に扱うことが相当である。

四  因果関係

1 原告ら元従業員のじん肺罹患と被告企業の行為の因果関係

原告ら元従業員の中には、被告三井鉱山に直轄の職員としての粉じん職歴のみを有する者が存在するところ(一陣一番居内民治、五番大野朝次郎、九番稼農正秀、一三番後藤正、一六番佐々木長一、二一番庄司重美、三三番山本外次郎、三五番吉田光男、二陣一六番藤巻義治)、右の者については、じん肺罹患による損害が、右被告の安全配慮義務違反によって惹起されたことは明らかである。

2  複数の雇用先において粉じん職歴を有する者について

原告ら元従業員の中には、被告三井鉱山又は被告三井石炭における粉じん職歴のほか、複数の雇用先において粉じん職歴を有する者が存在するところ、被告三井らが、それらの者のじん肺罹患による損害につきいかなる責任を負うべきかについて検討する。

(一)  民法七一九条一項後段は、「共同行為者中ノ孰レガ其損害ヲ加へタルカヲ知ルコト能ハザルトキ」にも共同行為者は各自連帯してその賠償の責に任ずる旨を規定している。この規定は、複数の行為者がそれぞれ因果関係以外の点では独立の不法行為の要件が満たされている場合において、被害者に生じた損害が各加害者の行為の全体により発生したことが明らかである一方、加害者の個別の行為との関係では因果関係の存在を特定することが困難なとき(「択一的損害惹起の関係」にあるとき)に、加害者の各行為が、損害をもたらし得るような危険性を有し、現実に発生した損害の原因となった可能性があることを要件として、加害者の個別の行為と損害との間の因果関係の存在を推定し、各加害者においては自己の行為と損害との間の因果関係がないことを主張・立証しない限り、その責任の一部又は全部を免れることができないことを規定したものと解するのが相当である。けだし、一方においては損害発生の原因となる可能性のある行為が存在するにもかかわらず、他に同様な行為が存在することによって損害との間の因果関係の特定が困難になるため、被害者が救済を受けられないとすれば、右結果は極めて不都合であるというほかはなく、これを回避するために一定の要件のもとに因果関係の存在を推定することが右規定の意図するところであるというべきであるからである。

そうすると、右の理は、違法な共同行為と損害との間の因果関係に関する法的判断一般に類推することにつき何ら妨げがないということができるから、債務不履行に基づく損害賠償責任についても民法七一九条一項後段を類推適用することが相当である。

(二)  そこで被告三井らを被告とする原告らについてこれを見れば、原告ら元従業員は、被告三井らの操業していた炭鉱において、期間の差異はあれ、相当程度の期間の粉じん職歴を有し、被告企業の安全配慮義務違反の結果、じん肺を惹起ないし増悪させる可能性のある粉じんの吸入を余儀なくされたことは既に認定したとおりであって、右各行為は、それ自体、じん肺罹患をもたらし得る危険性を有するものであり、また、被告企業は右の状態において原告ら元従業員をそれぞれ一定の期間就労させたことからすれば、原則として、右各行為はそれぞれ単独でも原告ら元従業員の各損害の原因となった可能性があることが認められる。

もっとも、被告企業は、被告企業における坑内作業が三年未満の原告ら元従業員について、当該被告企業の行為のみによっては結果を発生させないことは明らかであるから、全粉じん職歴によって生じた全損害について賠償責任を問われるいわれはないと主張する。

そこで検討するに、肺の線維増殖性変化の発現は、急性のじん肺を除き、一般に長期間にわたる粉じん暴露の結果であることは前記認定のとおりであるものの、じん肺が粉じんの吸入量に対応して悪化する疾病であることに照らせば、被告企業における粉じん労働への就労が認められれば、当該就労が粉じん職歴全体に比して極めて短期間であるとか、粉じん暴露の少ない職種である等の事情が存在しない限り、原告ら元従業員の被った損害を発生又は増大させたものとして、全損害についての責任を免れないというべきである。

右の観点から、被告三井らにおける就労が極めて短期間であった者等の有無について検討するに、別紙「在籍一覧表(1)」に記載のとおり、一陣一五番坂本勝美については、昭和二三年から昭和五五年まで概ね継続して粉じん職歴を有するところ、被告三井鉱山における就労は、合計して約七か月に過ぎないから、被告三井鉱山における就労が右の者のじん肺罹患による損害全体の原因となった可能性は極めて小さいというほかはなく、被告三井鉱山での就労については右損害との相当因果関係があるとは認められない。

しかしながら、その他の原告ら元従業員については、右の点で因果関係を欠くと判断される者は認められない。

また、原告ら元従業員らの中には、被告企業以外の炭鉱で就労した者や、金属鉱山において就労した者が存在するが、全証拠によるも、右の者に生じた損害が専ら右の事情に基づくものであるとして被告企業における就労との間の因果関係を否定するまでの証拠はない。

(三)  なお、被告三井らを被告とする原告ら元従業員の中には、被告三井鉱山及び被告三井石炭のいずれにも就労していた者がいるところ、被告三井石炭は、被告三井鉱山の石炭生産部門の譲渡を受けてこれを操業していたいわゆる第二会社であることからすれば、これらの被告間において、寄与度を考慮した責任の分割を行うことは相当ではないというべきである。

五  弁護士費用

原告らがその訴訟代理人らに本件訴訟の遂行を委任したことは記録上明らかであるところ、本件訴訟の複雑性、審理の経過、認容額及び被告らの応訴態度等諸般の事情を考慮すれば、被告企業が原告らに支払うべき各慰謝料元本額の一割に相当する金員について、被告企業の債務不履行と相当因果関係にある損害であると認めることが相当である。

第八  抗弁

一  消滅時効

1  時効の起算点及び時効期間

雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解され(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決、民集二九巻二号一四三頁参照)、右一〇年の消滅時効は、同法一六六条一項により、右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。

そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ、じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから、被告企業からの退職の日を基準として消滅時効の起算日と解することが不相当であることは明らかであるが、他方、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時においては、少なくとも損害の一端が発生したものということができる。

ところで、前記で認定した事実関係によれば、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り進行するが、それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であって、しかも、その病状が管理二、管理三イ又はロに相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば、最も重い管理四に相当する症状まで進行した者もあり、また、進行する場合であってもじん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けてからより重い決定を受けるまでに数年しか経過しなかった者もあれば、二〇年以上経過した者もあるなど、その進行の有無、程度、速度も、患者によって多様であることが明らかである。そうすると、例えば管理二、管理三イ、同ロ、管理四と順次行政上の決定を受けた場合には、事後的にみると一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないようにみえるものの、このような過程の中の特定の時点の病状をとらえるならば、その病状が今後どの程度まで進行するのかはもとより、進行しているのか、固定しているのかすらも、現在の医学では確定することができない。

以上のようなじん肺の病変の特質に鑑みると、重い決定に相当する病状に基づく損害は、その決定を受けた時に発生し、その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり、最初の軽い行政上の決定を受けた時点又は最初に要療養の行政上の認定がなされた時点において、その後の重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が発生していたとみることは、じん肺という疾病の実態に反するものとして是認し得ない(最高裁平成六年二月二二日第三小法廷判決、民集四八巻二号四四一頁参照)。

また、管理二、管理三イ又はロの者であって、法定合併症に罹患していると認められる者については、合併症に罹患していない者との比較において、療養の対象とされ、労災補償給付が支給されている点からすると、その健康被害の程度が大きく、質的に異なる程度のものに至っているものということができる。そして、合併症に罹患した事実も、その旨の行政上の認定がなされたときに明らかになるから、合併症の症状を付加された管理二、管理三イ又はロの罹患者の損害は、その時点で発生し、その損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきである。

したがって、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、じん肺の所見がある旨の最終の行政上の決定を受けた時、あるいは、合併症に罹患した場合はその旨の最初の認定を受けた時から進行するものと解することが相当である。これに反する原告ら及び被告企業の主張は採用することができない。

なお、被告企業は、消滅時効の起算点を右のように解する場合は、管理区分二又は三の行政上の決定を受けた後一〇年以上経過後に本訴を提起し、その後に更に進んだ行政上の決定を受けた原告ら元従業員については、先行する行政上の決定にかかる損害の請求権は時効消滅したものとして控除されるべきである旨主張する。

しかしながら、じん肺の病変の特質に鑑みると、管理二、管理三イ又はロ、管理四と順次行政上の決定を受けた場合を同種の損害が量的に拡大したと評価することが妥当ではないことは前述のとおりであるから、重い決定に基づく損害は、従前の軽い決定とは別個に発生したものと解すべきであって、従前の軽い決定に相応する損害部分を控除することは許されないというべきである。

以上により、被告三井らが時効を援用した原告ら元従業員について、消滅時効の成否を検討すれば、別紙「時効対象者一覧表」記載の原告ら元従業員合計一八名については、各人に関する管理区分の最終の行政上の決定の日から訴え提起まで一〇年を経過していると認められる。なお、被告三井らが時効を援用する者のうち、一陣一三〇番山本勝彌については、管理区分二の決定を最初に受けたのは昭和五五年七月ころであるが、最初の合併症の認定を受けた日が昭和六三年八月一三日以降であるから(甲一三〇番八、一六)、時効期間が経過していない。また、二陣三六番寺田惠一については、平成九年六月二日に管理区分四の決定を受けているから(甲二〇七番一一)、時効期間が経過していない。

2 権利濫用

(一) 原告らは、被告三井らによる消滅時効の援用につき、前記第三章第二の四1(二)のとおり主張するほか、さらに、原告ら元従業員の中には、体調の異常を覚えながら勤務を継続していたところ、数年後になってじん肺に罹患していると診断されたり、管理区分の決定において管理一の状態から順次重い管理区分の決定がなされることなく退職直前や直後に管理三合併症や管理四という重い認定を受けたりしている者が少なからず存在するが、これらをもって、被告企業において、じん肺罹患の事実を知りながらこれを秘匿していたことの証左であり、被告企業にはじん肺罹患及びその後の症状増悪について故意責任があるから、消滅時効の援用は権利濫用であると主張する。

(二) そこで右の点を検討するに、本件消滅時効の対象となる原告ら元従業員に関する管理区分の決定状況及び療養状況は、別紙「じん肺罹患状況一覧表」の対応欄記載のとおりであるところ、右の原告ら元従業員は、そのほとんどが、じん肺に関する最も重い管理区分の決定がなされる以前に何らかの行政上の決定を受けているか(一陣四番及川光雄、五番大野朝次郎、一三番後藤正、二五番鶴田與市、二七番原田輝男、三一番村元秀雄、九三番渡邊正男、九八番宍戸好、一〇〇番横濵定次、一〇五番伊原正己、一〇六番佐藤勝也、一二二番伊藤久、一二九番宮下清)、あるいは、けい肺等特別保護法に基づく包括的な健康診断が開始される以前又はその直後に最も重い管理区分の決定を受けている(一陣一番居内民治、三三番山本外次郎、一六一番髙田喜曽一)ものであって、必ずしも突然に最も重い管理区分の決定を受けたわけではない。

もっとも、前記第四の二3(七)で認定したとおり、被告三井らにおいては、じん肺健康診断の結果に基づく配置転換措置等のじん肺罹患予防措置が十分には行われていなかったものであるが、右を超えて、被告三井らが、じん肺健康診断の結果を従業員に対して通知せず、意図的又は組織的にこれを秘匿していたとまで断言するに足りる証拠はない(かえって、一陣一二九番宮下清については、昭和五〇年八月の管理区分三の決定につき通知が行われたことが認められる。)。また、右原告ら元従業員が、最も重い行政上の決定を受けた後に、被告三井らに対してじん肺罹患に関する損害賠償請求を行うについて、被告三井等がそれを妨害する等の挙に出て右原告ら元従業員の権利行使を困難にさせたことをうかがわせるに足りる証拠もない。

以上のとおりであるから、右の事情のほか、本件に現われた諸般の事情を総合勘案しても、右原告ら元従業員の訴訟上の権利行使時期が遅れたことに関して被告三井らに責めるべき事由があるため被告三井らによる消滅時効の援用が信義則に反し権利濫用に当たるとまで評価することは困難であるというほかはない。

二  過失相殺

1 防じんマスクの不装着

被告企業は、法令で義務付けられた防じんマスクの着用を怠った原告ら元従業員につき過失相殺を主張する。

しかしながら、じん肺法において防じんマスクの着用を義務付ける規定があったとしても、その義務の履行は、労働衛生環境の整備に関する第一次的責任を負うべき使用者における防じんマスクの整備等に関する義務と相互に補完する関係にあるものであるというべきところ、防じんマスクの装着には一定の苦痛が伴い、防じんマスクの着用を労働者の自主性に任せること自体に無理が存すること、被告企業においては、防じんマスクの整備について、必ずしも十全の意を用いてきたわけではなく、また、防じんマスクの着用がじん肺の防止にとって極めて重要であることについての教育が十分になされてきたわけではないことは、前記認定のとおりであるから、被告企業において、防じんマスクの不使用を過失相殺の事情として主張することは許されないと解するべきである。

2 喫煙

被告企業は、喫煙はじん肺に対して極めて有害であるとし、原告ら元従業員のうち喫煙をしていた者、特に医師から禁煙の指導を受けているにもかかわらず喫煙を行っていた者につき、自己保健義務を怠った過失があるとして、過失相殺を主張する。

この点、喫煙がじん肺の罹患や増悪に対し、何らかの影響を与えるであろうことは想像可能であるものの、原告ら元従業員における健康状態の悪化等に対して具体的にいかなる影響を与えたかについては、これを明らかにするに足りる確たる証拠はないと言わざるを得ない。

なお、原告ら元従業員は、前記認定のとおり、被告企業における就労中、じん肺に関して必ずしも十分な教育を受けることがなかったものであるから、その間、じん肺が進行した場合の健康被害の程度について十分認識することなく、喫煙をしていたとしても、これをもって過失相殺すべき事情ということはできないというべきである。

三  損益相殺

被告企業は、原告ら又は原告ら元従業員が労災保険法及び厚生年金保険法に基づき、本件口頭弁論終結時までに受領した各種保険給付及び将来受領することが予定されている各種保険給付を原告らの損害額から損益相殺として控除すべきであると主張する。

ところで、労災保険法による保険給付の実質は、使用者の労基法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであるが、右保険給付の原因となる事由が使用者の行為によって惹起され、使用者が右行為によって生じた損害につき損害賠償責任を負うべき場合において、政府が被害者に対し労災保険法に基づく保険給付をなしたときは、被害者が使用者に対し取得した損害賠償請求権は、右保険給付と同一の事由については損害の補填がなされたものとして、その給付の価値の限度において減縮すると解される。

右にいう保険給付と損害賠償とが同一の事由の関係にあるとは、保険給付の趣旨、目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること、すなわち、保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償とが同性質であり、保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解するのが相当であって、単に同一の事故から生じた損害であることをいうものではない。そして、同一の事由の関係にあることを肯定できるのは、民事上の損害賠償の対象となる損害のうち、労災保険法による休業補償給付、傷病補償年金、遺族補償年金が対象とする損害と同性質である財産的損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)のみであって、財産的損害のうち積極的損害及び精神的損害は右の保険給付が対象とする損害とは同性質とはいえないものということができる。

そうすると、本件において原告らが賠償を請求する損害は、前記第七の一記載のとおり精神的損害のみと解されるから、原告ら又は原告ら元従業員が受領し、又は将来受領すべき前記労災保険給付を慰謝料から控除することは許されないというべきである。

また、厚生年金保険法に基づく保険制度は、労働者の老齢、障害又は死亡の事由があるときに保険給付を行い、労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とするものであり、消極的損害の填補の性質を有することは否定できないものの、その対象が精神的損害の填補に及ぶとは考えられないから、右法律に基づく保険給付についても、本件請求にかかる慰謝料から控除することは許されないと解するべきである。

四  弁済

原告らのうち、三菱マテリアルを被告として訴えていた者に関しては、本件訴訟の口頭弁論終結前において訴訟上の和解が成立し、総額二億七〇〇〇万円の和解金が平成九年五月三一日限り支払われるべきこととされている。

また、三井建設を被告として訴えていた者に関しては、本件訴訟の口頭弁論終結前において訴訟上の和解が成立し、総額一億八二〇〇万円の和解金が平成一〇年三月末日限り支払われることとされている。

さらに、住友石炭を被告として訴えていた者に関しては、本件訴訟の口頭弁論終結前において訴訟上の和解が成立し、総額一〇億一五八〇万円の和解金のうち、二億一五八〇万円について、平成一〇年九月末日限り支払われることとされ、口頭弁論終結後である平成一〇年一二月及び平成一一年三月各末日に残額が分割して支払われることとされている。

右各社が右原告らに対して支払うことを約した和解金額については、それぞれ総額については明らかであるものの、各原告らに対し具体的にいかなる額が支払われたかを明らかにする証拠はないところ、弁論の全趣旨及び和解の経過に鑑みれば、それぞれ、北炭を除く被告企業における在籍月数の合計を分母とし(この計算に関して、下請企業としての三井建設における在籍は、被告三井らにおける在籍として扱う)、三菱マテリアル、三井建設又は住友石炭における在籍月数を分子として計算した割合(ただし、三菱マテリアルについては、原告らと三菱マテリアルとの間で合意された割合が「三菱マテリアルの負担割合」と題する書面により記録上判明しているのでこれによる。)に応じて、各原告に割り付け、これを各原告に対して、それぞれ和解条項において定められた弁済期に弁済されたと認めることが相当である。

なお、原告らのうち、北炭を被告として訴えていた者については、本訴における請求権が更生債権として届け出られ、更生会社北海道炭礦汽船株式会社により、その管理区分の程度に応じて金額が定められて、平成九年及び平成一〇年の各三月末日までに支払われることとされている(甲一二一二)。

以上の観点から、右に該当する原告ら元従業員についてそれぞれ弁済された額を計算すると、別紙「和解等一覧表」の「和解等による支払の割付額」欄記載のとおりとなる。

なお、原告らに対する右弁済は、本訴慰謝料請求権に関する遅延損害金、元本の順に充当すべきところ、元本部分に充当される金額が生じた者については、別紙「計算経過表」中の「弁済による元本充当額」欄に指摘したとおりであり、被告三井らは、右該当者につき、慰謝料残元本及びこれに対する当該元本充当が生じた弁済期日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきこととなる(なお、その詳細は右別紙末尾の「各欄の説明」のとおりである。)。

第九  相続

原告ら元従業員のうち訴訟提起前に死亡していた者の相続人にして本件訴訟の原告となっている者と当該元従業員との相続関係については、別紙「原告ら相続関係目録」のとおりであると認められる(戸籍謄本等の相続関係資料及び弁論の全趣旨)。

第一〇  結語

以上によれば、別紙「請求及び判断一覧表」の「原告」欄記載の原告らの請求は、「結論」欄に「一部認容」と記載された各原告につき、「請求が認容された被告」欄の記載に応じ、当該被告につき単独又は各自において、「認容額」欄記載の金員及び内金である「認容慰謝料」欄記載の金員に対する「遅延損害金起算日」欄記載の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告らの右被告らに対するその余の請求及びその余の被告に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官守山修生 裁判長裁判官小林正及び裁判官谷口豊は、転補のため署名押印できない。裁判官守山修生)

別紙請求及び判断一覧表<省略>

別紙計算経過表<省略>

別紙在籍一覧表(1)(2)<省略>

別紙被告三井らの短期就労者に関する一覧表<省略>

別紙被告三井らの時効に関する主張一覧表<省略>

別紙じん肺罹患状況一覧表<省略>

別紙時効対象者一覧表<省略>

別紙和解等一覧表<省略>

別紙原告ら相続関係目録<省略>

別表1ないし7<省略>

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